リセット

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4月1日。午前11時から始まった会社の会議の途中、突然隣の女性が「あっ」と小さく声を上げた。

「どうしました?」と声をかければ「元号発表、そろそろじゃない?」と焦った様子だ。そういえば、と会議室に集まった10人弱のメンバー全員が一斉にソワソワし出した。

気を利かせた上司が「みんなで新しい時代を見届けよっか」と一声かけ、会議室のモニターに映されたエクセルの資料はインターネット中継に切り替えられた。

元号発表が予定さていた11時半を10分ほど過ぎた頃、画面越しに官房長官は現れ、緊張し切った表情で新元号が書かれた額を掲げた。

令和。

一瞬会議室が静寂に包まれる。
回線が悪く音声が途絶えていたため、読み方が判断できずに上司が「れいわ?って読むのかな」と首を傾げる。慌ててTwitterで実況を追えば「れいわ」であることがわかり、みな一様に小さな声で「れいわ」と口にし出した。

その様子はまるで、新元号を自身の身体に取り込むための儀式のように見えた。

10秒ほどそうしていただろうか。
「なんか、かっこいいですねぇ。シュッとしてて」と口を開いたのは、先ほど元号の話を切り出した女性だ。それを聞いた周りのメンバーも「たしかに」「凛としてていい」などと口にした。

一通り盛り上がった後で、誰が促すわけでもなく小さく拍手が起こった。

そしてそのまま会議はお開きとなった。会議室を出るとき「なんにしてもめでたいなぁ。いいことが起きそうだな」と口にした上司の表情は、心なしか明るく嬉々としているように見えた。

僕はと言えば、みんなの輪に入り同じように高揚した気分でいながら、ひとつの言葉が頭に浮かんでいた。

リセット。

リセットという言葉には過去を断ち切り、未来への一歩を踏み出すような力強さがある。とはいえ、大学の卒業や転職といったような、環境が大きく変わるようなリセットと違い、元号が変わるからと言って僕らの暮らしが突如として変わるわけではない。

それでも今回のような「区切り」によって、自身がリセットされているような感覚になるばかりか、前向きな気持ちにすらなってくるから不思議だ。それは脳というよりむしろ遺伝子レベルで仕向けられているような気になってくる。

あの会議室の、皆が一様に高揚し「さぁ、私たちの新しいスタートだ」という明るい雰囲気を見れば余計にそう思えてしまう。

翻って今までの僕自身のリセットを振り返ってみると、卒業や転職などのタイミングでは、(大袈裟に言えば)それまでの人生の「振り返り」と「決意表明」をしていた。これまでどんなことを達成できて、何ができなかったか、そして僕はこの先の人生でどうしていきたいかなどと、口に出さずとも思案はしていたように思う。

しかしながら、今回のような「時代のリセット」には、テレビで大々的に「平成を振り返る」という番組が組まれ、否が応にも過去を顧みる機会はあれど、自身の人生に対して「振り返り」をしたかと言えば、首を横に振ることになる。

都合がいいなぁと思う。「振り返り」もしないままに、時代の区切りに合わせて自分の未来もひっくるめて手放しで期待している(僕を含めた)人の気持ちに都合のよさを感じる。

でもなんというか、今僕はそんな都合のよさに救いを感じている。こういう気持ちは悪くないな、愛でたいな、と素直に思っている。一昔前ならそんな風に思わなかったかもしれないけれど。

因みに、先の会議で中断したものは、業績の「振り返り」だった。

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4月はじめの週末の午前中、近所の公園には満開の桜を見に人が集まり、早いところではシートを敷いて酒を飲み交わし宴会が始まっていた。

賑やかな公園を横切っていたら、先日の会議室の元号中継のことを思い出した。そして続けてこう思った。

もしあのときひとりで元号発表を見ていたら、会議室で拍手が起こるくらい前向きな気持ちになれただろうか、と。

数秒逡巡して「なれなかっただろうな」とぼんやり思った。

気持ちは高揚しただろう。でもそこに、手放しの期待を込めた前向きさは持ち合わせられなかっただろうな、と。

そこではたと思い出した。

実はこのコラムの記念すべき一回目のタイトルは『区切ること』だった。その内容は、意識的に小さくとも自分の中で「区切り」を持つことが(サウナに行くとか、料理をするとか)、自分自身を少しずつアップデートしていくことにつながるのではないか、という話だった。それはつまり、自分の中の小さな「リセット」を繰り返すことと言い換えることもできる。

今挙げたようなひとりで行うリセットと、今回の元号のようにみんなで分け合うリセットの間には、大きく隔てるものがあった。いやむしろ、対極にあるものだということがわかった。

ひとりのリセットは内省を伴う「意志」であり、分け合うリセットは期待を伴う「祝祭」であるということだ。そしてひとりのリセットは過去と未来を結ぶ「線」になるが、分け合うリセットは、人と人を結ぶ「輪」になるということだ。

僕はこれまでずっとひとりでリセットをしていたように思う。分け合うリセットは、先日の会議室のように、今眼の前で繰り広げられている花見客のように、笑顔が溢れてあったかくて良いなぁと、僕もそんなリセットをしていきたいなぁと、はじめて強く思った。

さて、新しい季節だ。
季節の変わりも「リセット」とするならば、気の合う仲間を呼んで祝祭の宴でも開こうか。

文・写真:Takapi

 

 

 

 

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