高を括るな

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数年ぶりにマラソンのレースに出た。といっても距離はたかだか10マイル(16キロ)程度の市民マラソンだ。

高校時代は陸上部だった(と言ってももう20年近く前の話だが)。走ること自体は苦ではないし、実際に週末はジョギングをするのが日課だった。

1年くらい前までは。

ここ最近は忙しさを理由にしてほとんど走っていなかった。そんなことだから、レース前に練習できずに本番を迎えることになった。

ぶっつけ本番である。とはいえ所詮16キロだ、ゆるりと走れば大丈夫だろうとナメてかかっていた。

甘かった。折り返しを迎えるくらいから膝に痛みを感じるようになり、残り5キロを切ったあたりから気が遠くなりかけるほど痛くなった。走り終わってからはしばらく階段の昇り降りができないくらいにまで悪化した。

「錆びついているなぁ」

帰宅後、膝にロキソニンテープを貼りながらそう呟いていた。

言うまでもないけれど、筋肉痛はその2日後に来た。

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最近はありがたいことに宴の席にお呼ばれする機会が多かった。

楽しい宴ばかりならいいのだけれど、そうはいかないのがサラリーマンのつらいところだ。

時には明らかに不愉快な宴会に当たることだってある。 正確に言えば、宴会の中で不愉快な人に当たるということだけれど。

「どうしてこの人は、人の話を最後まで聞かずに『それはこういうことだから』とわかったようなことを言えるのだろう」「一体どんな立場からこの人は、よく知りもしない人に対して『あいつはダメだ』と決めつけるようなことを言えるのだろう」

大抵僕が不愉快になる人は大抵そんな「人種」だ。

狭量になっている。それはわかっている。

僕にしたって、こうしてこの場で不愉快な人を挙げ、読んでくれた方から「そうだ」と同意の声をもらうことで溜飲を下げようとしている。そのこと自体が、今挙げた「人種」がやっていることとほとんど変わらないのだから。

ガヤガヤとした席上、悦に浸った表情で「正論」を押し付けてくる人に僕は、反論するでもなく「はぁ」と話を聞きながらその場をやり過ごしていた。

「高を括られているなぁ」

いささか飲み過ぎた帰り道の電車の中でそう思った。

言うまでもないけれど、翌日には二日酔いの頭痛とともに話の内容はほとんど忘れていた。

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錆びつくこと、高を括ること。

いみじくもこれらは固く結びついている。高を括れば知らぬ間に錆びつくということだ。

同じようなことは今までやってきた。
同じようなことを今まで見てきた。

こんな言葉を並べて、今目の前で起きていることから目を逸らし、自身の貧相な経験に照らし合わせて「ま。そんなものでしょう」と高を括る。それが後になって取り返しのつかない「痛み」を招くことになる。

いや、むしろ痛みがあれば良い。大抵の場合は痛みにすら気付かずに知らぬ間に動けなくなることの方が多い。現に僕は、今回走らなければ自分が錆びついていることすら気付かなかったのだ。

当たり前のことだけど、筋肉は見ているだけではつかない。落ちる一方なのだ。

「同じような」ことと片付けて今を退けている間に、「今」はどんどん未来に向かって動いていく。

同じような」ことの間にどれだけの汗が流れているか。
「同じような」ことの間にどれだけの想いが溢れているか。

どんなに「同じような」ことに見えたとしても「同じ」ことなどほとんどありえない。 いや、あえて断言しよう。絶対に、ありえない。

こんなに強く言っているのは、僕自身がそうなってしまう可能性をいつでも抱えているからだ。だからこれは、僕自身に対しての忠告でもある。

高を括るな。

痛みと引き換えに得た教訓はことさら大きかった。

そしてこのコラムを書き終えたら走りに行くことにしよう。

文・写真/Takapi

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