伝手

数ヶ月間のリノベーション期間を要して先月末に新居に引越しをした。リノベーションをリードしていただいた設計事務所の方々が素晴らしく、引っ越して10日経ってもなお、毎朝コーヒーを飲みながら「良い家だ」とつぶやいている(カーテンもなければ引越し用のダンボールも散乱しているけれど)。

今度の家は都内へのアクセスが若干良くなることもあって、健康を鑑みて自転車を買うことにした。近所に「TOKYO BIKE」を扱う自転車屋(雑貨屋とも言える)さんを見つけたのでそこで購入した。

引っ越して数日後の週末に自転車を引き取りに行った。店主もTOKYO BIKEを乗っていることもあり、丁寧に自転車のメンテナンス方法についても指南してくれた。

「できることなら、2週間に1回はタイヤの空気を入れてください」

「え。そんなに?」僕は少したじろぐ。そもそも2週間に1回くらいしかこの自転車に乗らないかもしれないとは口に出せずに「はぁ」とだけ答える。

そんな僕の心内を察したのか「近所ですし。フラッと遊びに来てくれればタイヤの空気は入れますよ」と店主は言った。そして僕が手にしていたコーヒーカップを指差して「コーヒー飲みついでにでも来てください」と笑った。近くのコーヒースタンドに立ち寄ってコーヒーを買って飲みながらこのお店まで歩いてきたのだ。

聞けば、そのコーヒースタンドの店員さんもここで自転車を購入しているらしく、とても仲が良いのだとか。お店同士の付き合い中に誘ってくれたような気分で心地いい。近所に伝手ができた気分だ。

とりあえず、これで新居におけるコーヒーと自転車について憂いはなくなった。幸先がいい。「身長に合わせました」と設定されたサドルは思ったよりも高くて勢いよく乗った直後に少しふらついたけれど。

年末だ。例年通り今年も職場では、慌てるように今年を省みては、振り返りもままならぬまま来年の計画を立てることを始めている。それはそれで楽しい作業なのだけど、来年1年間の行方をうらなうものでもあるから、楽しみながらもどこか気が張り詰めている時期でもある。

先日そんな「種まき」のための打ち合わせでのこと。今年手掛けたことを振り返りつつ来年のあるべき方向性を僕から提案する会だった。

ひとしきりプレゼンテーションが終わると、会場は概ね賛同の空気になり、「それではその方向で来年もよろしく」と会を収めることになった。

ほっと一息入れてパソコンを閉じかけた時に、参加者のひとりが「あっ」と声をあげた。

「あのさ。今の話を聞いて別件を思い出してしまったのだけど、そっちも相談していいかな」と申し訳なさそうに手を合わせてきた。どうやらなかなかに重たい問題を抱えた案件のようだ。

その雰囲気がおかしくてフッと場が和む。僕としては頼りにしてもらうのはありがたいことだから、「ぜひ。来週にでも打ち合わせしましょう」と返してようやく会議はお開きになった。

会議室を後にして自席に戻った後、ふと力が抜けて思わず大きく息を吐いていた。それは安堵の息だった。大袈裟だけど、この職場でやってきたことが報われたような充足感すらあった。

仕事におけるひとつの(大きな)やりがいは「誰かの伝手になること」なのかもしれない。そんなことに長年社会に身を置きながらようやくわかったような気がした。

来年も誰かの伝手になれるだろうか。デスクで考えてみたらいくつかの顔が浮かんだ。「悪くない」そう思った。これから仕事で思い悩んだ時には「伝手にしてくれている」誰かの顔を思い出すことにしようと静かに決めた。

新居の近くには昔ながらの商店街もあって、その通りを歩くのが日課のようになりつつある。先日はお昼ご飯を食べに古い中華屋さんに足を運んだ。おじいちゃんがひとりで厨房を回しているその小さなその中華屋さんは、こんなご時世だというのに満席で、いかに地元に愛されているかがわかる。

テーブルが4席とカウンターが5席程度の小さな店内を見渡せば、サラリーマンや工事現場の人、学生さんや若いカップルとお客さんに統一感はなく、さながら町の縮図を見ているようだった。その中に混ざってテーブルに座ると、少しずつ心拍が落ち着いていくのがわかった。この「町中華」の安心感はなんなんだろう?と賑やかな会話を片耳で聞きながら思う。

思い始めた矢先に常連らしいひとりの青年がお店に入る。迷わずに近くのカウンターに腰掛けるとメニューも開かずに慣れた口調で厨房に向けて注文する。「はいよ」と厨房からはそっけない返事が返ってくる。

その受け答えを見て「ここにも伝手はあるんだな」と思った。そんな伝手でつながれた常連客の賑やかさが僕の感じた安心感なんだとわかった。

今年は新しい脅威との闘いの1年だったように思う。その脅威は、人とのつながりを現実的にも精神的にも薄めては、身体の中にある「人のエネルギー」のようなものを今もなお、削ぎ続けている。

それでも、いや、だからこそ、僕らが生きていくには「伝手」が必要だということに、意識的にも無意識的にも気付けた1年であった気もするのだ。それはふだんの暮らしの中にいくつも息づきながらあたたかい毛布のように心地よく自身を包んでいてくれることを教えてくれている。

「居心地が良い」というのはもしかしたら、大きな伝手や小さな伝手、さまざまな伝手の上で安心して寝転がって過ごすような時間のことなのかもしれない。

このコラムは居心地のいい新居のワークスペースで書いている。そして新居を設計してくれたのは、他ならぬ眼鏡屋さんの伝手でお願いした方だ。

来年も伝手のありがたみを感じながら過ごしていきたい。

それではみなさん、良いお年を。

文・写真:Takapi