アドバイスと隙間

先月からジムに通い始めた。

外出が減ったことで持て余した体力はお腹周りに集中したようで、「余分な肉」がいよいよのっぴきならない状況まで追い込まれてきて、ついにはストレッチジーンズすら入らなくなってしまった。

身体が重くなればキレがなくなる。当然それは頭の働きにも影響する。ボーッとする時間が増えたし、集中力も格段に落ちたような気もする(単に年齢のせいかもしれない)。

そんな訳で、必要に駆られてジムに通うことにしたのだ。

ジムの入会時には、インストラクターがオリエンテーションとして一通り館内を案内してくれる。機材の使い方を教えてもらった後は、体組成計という筋肉量やら脂肪量やらがわかる体重計で身体を「スキャン」し、インストラクターから今後のプランについてアドバイスをもらってオリエンテーションは終了となる。

学生くらいの若い(マッチョな)インストラクターは、少しおどおどしながらもプリントされた数値を追いかけては丁寧に説明してくれた。聞けば、脚の筋肉はアスリート手前くらいの筋肉量があるのに、上半身は大人の平均以下の筋肉量しかないというアンバランスな身体であるようだ。

一通り説明を終えた彼は「選択肢はふたつです」とぎこちなくピースサインを作り、「全体をシェイプするか、上半身の筋肉量を増やすか、です」と締め括ってプリントを手渡してくれた。

インストラクターが去った後、手渡されたプリントの数値をしばらく眺めていると不思議と安心し始めている自分に気付いた。数値として現実を突きつけられたことで足りない部分がハッキリしたことと、インストラクターの「上半身の筋肉量を増やすべき」というシンプルなアドバイスのおかげでやるべきことがわかったからだ。

思えば、あれだけ年齢の離れた人にアドバイスを受けたことははじめてのことだった。なんだかそれも嬉しかった。プリントにはりつけていた目線を上げてジムを見渡せば、黙々と自身の身体と向き合いながら「それぞれの課題解決」に励んでいる人たちがいる。そんなバラバラな人たちを見ていると徐々にやる気が出てきた。プリントを畳んで急ぎ足でランニングマシーンに向かった。

それから現在まで週に2回は通えている。新しい習慣ができたようでとても気持ちがいい(お腹が凹む兆しはいまだ見えていない)。

社内の若手に話を聞く機会があった。2年前に社内の同期メンバーと「企業内大学」という社内の交流を促すコミュニティを立ち上げた彼女は、2年間草の根的に活動していたら、気づけばメンバーが数千人規模になっていて(すごい)、社内外からとても高い評価を受けているとのこと。これは話を聞かせてもらわねばとお願いしたのだ。

実は、彼女がその活動を始めた直後にも一度話したことがあった。なぜ当時彼女と話をしたのかは思い出せない。知人の伝手のそのまた伝手で繋がって話を聞いたような、そのくらい「たまたま」のことだったように思う。

その時は立ち上げたばかりの活動について、目指している将来像や現状の課題について聞かせてもらった。その視座の高さに圧倒されて「すごいねぇ」「うまくいくといいねぇ」というなんともぼんやりしたリアクションをしたような憶えがある。

今回改めて話を聞く中で、組織運営をする上で気をつけていることはあるか?という質問をしたら「実は、あの時いただいたアドバイスをメンバー間で大事にしているんです」と言うから驚いた。

僕が話していたというアドバイスの内容を聞いてもいまいち思い出せない。なんとも具体性のないアドバイスでもあった。というかそれはアドバイスですらなかった。なんとなく世の中に転がっている一般論をポンっと投げ込んだ、いわゆるその場しのぎの言葉だった。そのくらいはわかる。なんだか恥ずかしくなって「そんなこと言ったっけ?」と答えたら彼女は笑った。「そんな気がしました」と。

話を終えてしばらくしてからジワジワと嬉しさがこみ上げてきた。アドバイスを大事にしているという話はリップサービスだろう。それは別にどうでもいい。それよりも、無責任なりにも僕が話したことを憶えていたことが嬉しかった。

これまで僕自身も多くの方からアドバイスをもらってきた。時にアドバイスの顔をした叱責だったこともあったし、アドバイスをされていたはずがただ自慢話を聞かされていたというようなこともあった。

そのひとつひとつを細かく検分することは避けるけど、今でも心の引き出しにしまっては時折必要に応じて引っ張り出すようなアドバイス達を並べてみると、そのほとんどが「少し遠い場所」から届けられた言葉のように思う。

隣の部署のお偉いさんだったり、取引先の人だったり、このコラムを書かせてもらっている眼鏡屋の店主だったり。直接語り掛けられなくても、手にした本や歌から届く場合もある。小説の中にも、エッセイの中にも、詩の中にも、電車の中吊り広告の中にも、アドバイスのタネはいつでも目の前に転がっている。

もしかすると、アドバイスとは「する」ものではなくて、受け取った人の中で「なる」ものなのかもしれない。そしてここが重要なのだけど、自分の中にアドバイスをしまえるだけの「隙間」がないとアドバイスにはならないようだ。

隙間。

新しいことを始めんとする時の欠乏感だったり、何かを失った時の喪失感だったり、そんな隙間がある時にかけられた言葉が「アドバイス化」しやすいのだと、我が身を振り返って思う。先日のスポーツジムで受けたアドバイスはきっと、新しいことを始めようとする「隙間」が僕の中にあったから、すんなりとアドバイスになったのだと思う。

将来どうなるかわからないことを始めようとする時に生まれる心の隙間。
届いた言葉をアドバイスとして受け止められる隙間。

その隙間は不思議とワクワクするような高揚感を伴う。

なるべくならいつまでもその隙間を持っていたい。
4月は事を始めるにはうってつけの季節だ。
さて、今年は何を始めて「隙間」を作ろうか。

文/写真:Takapi