家の中で

 

「 今日は水曜日、明日は休みか。」

そう思って、暦をみると火曜。

 

家にいる時間が多くなり

曜日感覚も鈍ってきているのだなと感じた。

 

事実、休みの日の外出や、仕事帰りのみちくさ

そんなことをしなくなって数ヶ月経つので

色々なルーティーンが壊れ感覚が鈍っているのだと思う。

 

最近はこの世の中が落ち着いたら

この服を着て、その帽子をかぶり、あの靴を履いて…

とパソコン眺めながら、妄想を膨らますことが

楽しみの一つ

 

もちろん、眼鏡もそうあって欲しいなと。

 

 

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カテゴリー: news

長く付き合うために

LOCALは小さなお店です。

あってほしいもの、いてほしいもの

それだけを仕入れています。

 

その一つ一つがとても大切であり

お客さんのもとでも

長く愛用してもらえるように。

 

やっと出来上がりました。

そんな眼鏡達をケアする

『 LOCAL  CLEANING KIT  』

 

 

 

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¥1,550(+TAX)      300mm×300mm

 

拭くために十分な大きさと、裏面のシリコン加工が手にしっかりとフィットレンズのコーティングに負担をかけず、細部の汚れまで取りやすくなっています。

 

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LIVRERの洗剤開発の技術を借り、レンズの汚れを落とすことに特化しています。ご使用後、空の容器をご持参頂くと、洗浄液のみ¥900(+tax)にて補充致します。

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カテゴリー: news

想像力さん

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これだけ人と会わない日が続くのは生まれてはじめてのことかもしれない。ここ1か月はほとんど妻とにぼし(飼い猫)としか対面していない。

それでも日々情報は大量に流れ込んでくる。様々な立場から様々な人が発する感情を伴った声は、生々しい質感を伴ってまるで油膜のように僕の身体にまとわりついては思考する隙間を埋めていく。

これまでは、通勤のために電車に乗ったり、飲み会のためにお店に行ったり、その時々でいろんな人を眺めたり話したりすることで思考する隙間が与えられていたように思う。そんな風にしてなんとなく五感全体で把握していた「空気感」みたいなものがシャットアウトされているからか、いざ目から入ってくる情報を通じて何か思うことがあっても、ピント外れなことを思っているかもしれない、ひょっとしたら誰かを傷つけ損なうかもしれない、と自信がなくなって言葉が出てこない。しまいには「今何ができるか」を考えることさえ及び腰になってしまう。

つくづく思考は呼吸のようなものだと思わされる。息苦しさの中で思考は正常に機能しないのだ。

今僕たちは「人の気持ちになって考えましょう」という、小学校の道徳の時間で掲げられたお題を「実技」として突き付けられている。しかしながら、生々しい感情の濁流を目の前にしては、僕の想像力はあっさりと白旗を挙げざるを得ない。ましてや想像だけで何かを判断すること自体が人を軽んじてる気にすらなってしまう。「想像せよ」という言葉そのものがなんて想像力のない言葉なんだと痛感する。

出だしからとても暗いトーンになってしまった。

僕自身も少し疲れているのかもしれない。毎日のように誰かが誰かを詰り、ここぞとばかりに「正義」を振りかざしている様子を目の当たりにしていると、感情は乗り移らずとも都度手に汗をかくような、心拍がクッと上がるような感覚になる。そういうアップダウンに息切れしているのだと思う。

誰かがインターネット上に放り投げた言葉は、たとえ僕に向けられてなくても、距離を無視して直接胸に飛び込んでくることがあるようだ。

僕には今、隙間が必要だ。

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そんなことだから、先月くらいから日記をつけるようになった。日々感じたことをなるべく解釈を加えず、うまく言おうとせず、誰に向けるでもなく書き記しておくことが今の僕には必要な気がしたのだ。

日記を始めて1ヶ月くらい経つけれど、1日の中で自分の気持ちを反芻し書き記す行為は、リフレッシュするのか今のところ心地が良い。毎朝同じ時間に通勤することで仕事のスイッチを入れていたように、1日数分の書き記す行為が、漫然と同じ景色の中で過ごすだけの時間を切り替えるスイッチになっている。

書き始めてからひとつ気付いたことは、ほとんど家にいるにも関わらず、書くことは案外あるということだ。仕事でやりとりした人との何気ない会話の中から、散歩中に目にした木々の変化の中から気付くことはあって、そういうところから感情をすくいあげる行為は、身体のストレッチのように「ほぐす」役割をしてくれている。

思えば僕たちは、ふだんの暮らしの中で意図せずとも常に何かを想像しては判断を繰り返していた。ランチのお店を探す時も、上司に声をかけるタイミングを模索する時も、満員電車の中でせめぎ合う位置どりも、すべてその刹那、自分や誰かの数秒後を想像しながら判断をしている。

こうした事態になって、ふだん使いまくっていた「想像力さん」も手持ち無沙汰になっているのだろう。その余ったエネルギーを手元にあるものに集中投下しているのではないか、そんな気がする。だから先述したようにメディアから流れてくる言葉にもいつも以上に痛みを感じてしまうのだと思う。

「想像力さん」を自分に向ければほぐすことができる。
ほぐれれば呼吸はうまくできる。

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仕事に関していえば、幸い今のところ仕事を進めるという点だけで見ればそこまで大きな影響は出ていない。

とは言え対面で話す時に感じる「相手の気持ちが漏れ出る空気感」みたいなものはどうしても汲み取ることができない。だから特に初対面の人や関係性が薄い人とコミュニケーションをする時には余計に気を遣うようになった。これがとても疲れる。仕事を終えたときにはグッタリとしてしまう。

反面、毎日会社でデスクを並べ仕事をしていたメンバーと定期的に行うオンラインの会話に親近感を感じるようにもなった。

「知っている仲」とイヤホンを通じて耳だけで接続される距離感は、会社で対面する距離感よりも不思議といっそう近く感じる。それが少しくすぐったくて嬉しくもある。たとえるならば、学生の頃友人たちが待つ教室に飛び込んでいくような感覚とでも言うのだろうか。

物理的な距離が生まれることで精神的に距離が縮まることもあるようだ。

そうは言っても、打ち合わせの最後はいつも「早く飲みに行きたいね」で締めるのだが。

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大学の友人から「話そう」と誘いが入り、急遽LINEをつないで4人で顔を合わせた。4人はそれぞれ全く異なる仕事についていて、今回の件で経済的にもろに打撃を受けている友人もいれば、小さなお子さんを抱えて在宅勤務が大変だという友人もいた。ひとつだけ共通することがあるとすれば、皆一様に疲れがにじんだ表情をしていたということだ(僕が一番気楽に見えた)。

立場が違うから、おいそれと「こうあるべきだ」「こうでなきゃダメだ」なんて不安や不満は出てこない。そういった感情を抱えているのは当然ながらわかっているし、慰め合うような仲でもない。だから会話は淡々と近況を述べるに留まった。そんな気遣いとも強がりとも取れるような友人の話を聞きながら、そんな友人を持てたことがなんだか嬉しかった。

話の中で「みんな大変だなぁ」という当たり障りのない僕の発言を受けて、友人は「みんな何かしら抱えてる。だからさ、こんな時期に一番大切なのは想像力だと思うんだ」と言った。そして少し間を開けて「それだけは忘れちゃいけないんだよ。だってそれは誰かを想うことでもあるから」と続けた。

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人と距離ができたことで、その距離を想像で埋めることが増えた。でもそれは時に乱暴な妄想であったり、時に自分の都合のいい解釈に陥ってしまうことがある。想像力を養うつもりが、アンテナを張り間違えれば怒りや苛立ちを増幅するだけになる。そしてそれは凶器にだってなりうるのだ。

望むと望まざるに関わらず、僕らは想像することをやめることはできない。そうであれば少しでも優しい想像力を養いたい。

それはもしかしたら今は会えない近い他人を想うことなのかもしれない。自分自身と向き合うことなのかもしれない。

答えはわからないけれど、僕はこれからも「想像力さん」とちゃんと手を繋いでいきたい。

文・写真:Takapi

今は小さな約束を蓄えて

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「ミートソーススパゲティを作ろう」と思い立ったのは外出自粛要請が出た週末の昼下がりだった。

朝起きて朝食を食べて、さて今日は家の中で何をやろうとぼんやりした頭で過ごしていたら(その間にSNSのタイムラインを追ったりエッセイ集を手に取ったりして)あっという間にお昼時になっていた。

何を食べようかと考えても、浮かんでくるものは最近作ったものばかり。これだけリモートワークやら外出自粛が続くと、はじめのうちは料理が捗ると喜んでいたものの、だんだんと同じようなメニューが並ぶようになり飽きてくる(要は僕に料理のバラエティがないのだ)。

さて、と悩み始めたところに、「あら。だったらあの時約束したミートソーススパゲティにしたら?」と妻から声がかかる。

約束のミートソーススパゲティ?聞けば話は半年前、妻の友人が我が家に遊びに来たときに遡る。

一緒に来ていた友人の娘さん(小学生低学年)と好きなご飯の話になった時に、彼女の口から「ミートソーススパゲティが好き」というのを聞くや「じゃあ練習して、次来た時に作ってあげるね」と僕は(いつもの軽い調子で)応えていたらしい。

よくあるその場限りの口約束だ。僕の方はとんと忘れていたのだが、今でも彼女はしっかりと憶えていて、半年経った今でも「ミートソーススパゲティはまだ?」と母親(つまり妻の友人)にせっついているとのこと。その話が妻に入り僕に「作れば」となったわけだ。

その話を聞いて、なんとも恥ずかしい気持ちになった。「これだから大人は…」と幻滅されないよう、彼女との小さな約束を果たすべく、練習がてらミートソーススパゲティを作ることにした。

作ってみたらとてもうまくいった。今はこんな状況なのでしばらくは会えないだろうれど、事態が収束したら食べにきてもらおう。

ひとつ楽しみな未来ができた。「おいしい」の声が待ち遠しい。

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3月最終週の日曜日の夜、札幌で弁護士をしている大学時代の友人から「今大丈夫?」とLINEが飛んできた。札幌と言えば、つい先日「非常事態宣言」があった都市だ。胸騒ぎがしつつ「大丈夫」と返すとすぐに電話が鳴った。

電話を取れば少し低いトーンで「久しぶり」から入る彼。しばらく最近の札幌の状況を聞いたり、こちらの東京の実情を伝えたりと近況報告が続く。胸のざわつきが抑えられずじれったくなって「なんかあった?」と聞けば、「いや…実は」と口ごもってから出た言葉が「12月×日空けておいてくれないかな?」だった。

そこで理解した。これはめでたい話なのだと。聞けば、かねてからお付き合いしていた女性と結婚式を挙げることにしたらしい。「こんなご時世だけど」と幾分申し訳なさそうに話しながら、それでも友人にはしっかり自分の口から伝えたいからと、わざわざ連絡をくれたのだ。

ほっと安心したのと嬉しさが混じって、そこからは大学時代に戻ったような会話の応酬が始まった。彼の大学時代の(ここでは言えないような)エピソードをいじり倒しては「それだけは結婚式で言わないでくれ」と釘を刺されて、笑い合って電話を切った。

気付けば少し身体が汗ばみ喉が枯れていた。テンションが上がり過ぎたようだ。

「12月か…」とひとり呟いては、この状況がどこまで続くかはわからないけれど、もし会えたなら記憶を飛ばすまで飲み散らかし、思いっ切り楽しんでやろうと小さく決心した。

またひとつ楽しみな未来ができた。

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4月1日は始まりの1日。入学式やら入社式やらで、新しい一歩を踏み出すことを祝す日だ。咲き始めた桜の景色も相まって、少しだけ無邪気にワクワクする日でもある。

しかしながら今年は一切そういう空気を感じることができない。何より出社禁止の状況なので、新しい一歩を分かち合う人さえいない。

僕自身、仕事内容は変わらないものの組織を異動することになった。心機一転と言いたいところなのだが、なんともモヤモヤする船出となってしまった。

とはいえ、組織が変わることをSNS上で告げれば、数年前に仕事関係でつながり今ではすっかり仲良くさせてもらっている友人たちから「おめでとう」とメッセージが入る。しばらく彼らと「これからどんなことができるか?」「今度この課題について一緒に考えたいね」といったポジティブな会話を続けることになった。

時間にすれば数分程度の画面上のテキストのやりとりだ。それでも時間を忘れて会話に夢中になっていた。なんだか久しぶりに感じた高揚感だった。

やりとりは「この状況が空けたら会って話しましょう」で締め括った。

ひとつ小さな約束を交わすことができた。

旧い友とは過去を、今の友とは未来を見つめることができる。眺める方向は違くとも「温める」ということにおいては同じだ。

僕には両方とも必要で、それはこれからどんなことがあっても離したくないな、スマホの画面を閉じてそう思った。

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今、僕らは体験したことのない状況に置かれている。顔の見えない強敵との戦いはいつ終わるとも分からない状況だ。

終わりの見えない戦いに、世の中は苛立ち、焦り、時に強い言葉で誰かを追い詰めてしまう。それだけギリギリのところに僕らは立っているのだと思う。今はまだ現実的に余裕のある僕でさえ、見えない未来にはたと足が止まり何をしていいかわからなくなる瞬間がある。

僕ごときが何かを言える立場でないことは百も承知だ。それでも敢えて言わせてもらいたい。

言葉を掛け合い心を通わせてきた近い人、素晴らしい作品や素敵な商品、美味しい料理などで心を動かしてくれた遠くの人、今はそういう人たちと小さな約束を交わしてほしい。

いつか会いにいくよ
いつか食べにいくよ
いつか買いにいくよ
いつか観にいくよ

自分の中で勝手に交わす約束でもいい。それでもできればなるべく声をかけてほしい。それは相手のためだけではなく自分のためになるから。不思議とその約束は自分自身を温かく包んでくれるから。

そして忘れないでほしい。あなたには約束を交わす人は必ずいるということを。

今は大きな約束はいらない。小さな約束を溜め込もう。冬眠中のリスみたいに溜め込んでおこう。

文/写真:Takapi

こんな状況下で、店を開けていること自体が

悪しきこと

そう思われることも覚悟して、営業を続けています。

 

ショッピングモールが、百貨店が、チェーン店が閉まり

眼鏡店も例外ではありません。

 

僕にとって、眼鏡が掛けられないことは

生活に支障が出てくることなので

 

どんな眼鏡でも

もし、困ったことがあれば

いつでも来て下さい

僕はお店にいます。

 

 

LOCAL 矢田

 

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