OLIVER PEOPLES New Collection Fair

世界中のファッションフリークから人気のOLIVERPEOPLES。

2年振りにフェアを行える事となりました。

NEW COLLECTION FAIRと題して、

2021年に発表されたばかりの新作の受注会を行います。

最新作を実際に手に取って頂ける、またとない機会となります

是非、お越し下さい。

4/24(SAT),25(SUN)

11:00~19:00 LOCAL OPTICALにて

https://www.oliverpeoples.com/international

【イベントに際しまして】

御来店の際は必ずマスクの着用と入り口に設置したアルコール消毒液にて手指の消毒をお願いします。

基本的に解除上のご入店は2〜3組とさせていただきます

状況により、外にてお待ち頂く場合があります

数に限りがございますので、売り切れの場合がございます

受注会につきまして、お渡しまでのお時間をいただきます。(約1~2ヶ月)

こちらにつきましてはあらかじめご了承お願い致します。

カテゴリー: news

アドバイスと隙間

先月からジムに通い始めた。

外出が減ったことで持て余した体力はお腹周りに集中したようで、「余分な肉」がいよいよのっぴきならない状況まで追い込まれてきて、ついにはストレッチジーンズすら入らなくなってしまった。

身体が重くなればキレがなくなる。当然それは頭の働きにも影響する。ボーッとする時間が増えたし、集中力も格段に落ちたような気もする(単に年齢のせいかもしれない)。

そんな訳で、必要に駆られてジムに通うことにしたのだ。

ジムの入会時には、インストラクターがオリエンテーションとして一通り館内を案内してくれる。機材の使い方を教えてもらった後は、体組成計という筋肉量やら脂肪量やらがわかる体重計で身体を「スキャン」し、インストラクターから今後のプランについてアドバイスをもらってオリエンテーションは終了となる。

学生くらいの若い(マッチョな)インストラクターは、少しおどおどしながらもプリントされた数値を追いかけては丁寧に説明してくれた。聞けば、脚の筋肉はアスリート手前くらいの筋肉量があるのに、上半身は大人の平均以下の筋肉量しかないというアンバランスな身体であるようだ。

一通り説明を終えた彼は「選択肢はふたつです」とぎこちなくピースサインを作り、「全体をシェイプするか、上半身の筋肉量を増やすか、です」と締め括ってプリントを手渡してくれた。

インストラクターが去った後、手渡されたプリントの数値をしばらく眺めていると不思議と安心し始めている自分に気付いた。数値として現実を突きつけられたことで足りない部分がハッキリしたことと、インストラクターの「上半身の筋肉量を増やすべき」というシンプルなアドバイスのおかげでやるべきことがわかったからだ。

思えば、あれだけ年齢の離れた人にアドバイスを受けたことははじめてのことだった。なんだかそれも嬉しかった。プリントにはりつけていた目線を上げてジムを見渡せば、黙々と自身の身体と向き合いながら「それぞれの課題解決」に励んでいる人たちがいる。そんなバラバラな人たちを見ていると徐々にやる気が出てきた。プリントを畳んで急ぎ足でランニングマシーンに向かった。

それから現在まで週に2回は通えている。新しい習慣ができたようでとても気持ちがいい(お腹が凹む兆しはいまだ見えていない)。

社内の若手に話を聞く機会があった。2年前に社内の同期メンバーと「企業内大学」という社内の交流を促すコミュニティを立ち上げた彼女は、2年間草の根的に活動していたら、気づけばメンバーが数千人規模になっていて(すごい)、社内外からとても高い評価を受けているとのこと。これは話を聞かせてもらわねばとお願いしたのだ。

実は、彼女がその活動を始めた直後にも一度話したことがあった。なぜ当時彼女と話をしたのかは思い出せない。知人の伝手のそのまた伝手で繋がって話を聞いたような、そのくらい「たまたま」のことだったように思う。

その時は立ち上げたばかりの活動について、目指している将来像や現状の課題について聞かせてもらった。その視座の高さに圧倒されて「すごいねぇ」「うまくいくといいねぇ」というなんともぼんやりしたリアクションをしたような憶えがある。

今回改めて話を聞く中で、組織運営をする上で気をつけていることはあるか?という質問をしたら「実は、あの時いただいたアドバイスをメンバー間で大事にしているんです」と言うから驚いた。

僕が話していたというアドバイスの内容を聞いてもいまいち思い出せない。なんとも具体性のないアドバイスでもあった。というかそれはアドバイスですらなかった。なんとなく世の中に転がっている一般論をポンっと投げ込んだ、いわゆるその場しのぎの言葉だった。そのくらいはわかる。なんだか恥ずかしくなって「そんなこと言ったっけ?」と答えたら彼女は笑った。「そんな気がしました」と。

話を終えてしばらくしてからジワジワと嬉しさがこみ上げてきた。アドバイスを大事にしているという話はリップサービスだろう。それは別にどうでもいい。それよりも、無責任なりにも僕が話したことを憶えていたことが嬉しかった。

これまで僕自身も多くの方からアドバイスをもらってきた。時にアドバイスの顔をした叱責だったこともあったし、アドバイスをされていたはずがただ自慢話を聞かされていたというようなこともあった。

そのひとつひとつを細かく検分することは避けるけど、今でも心の引き出しにしまっては時折必要に応じて引っ張り出すようなアドバイス達を並べてみると、そのほとんどが「少し遠い場所」から届けられた言葉のように思う。

隣の部署のお偉いさんだったり、取引先の人だったり、このコラムを書かせてもらっている眼鏡屋の店主だったり。直接語り掛けられなくても、手にした本や歌から届く場合もある。小説の中にも、エッセイの中にも、詩の中にも、電車の中吊り広告の中にも、アドバイスのタネはいつでも目の前に転がっている。

もしかすると、アドバイスとは「する」ものではなくて、受け取った人の中で「なる」ものなのかもしれない。そしてここが重要なのだけど、自分の中にアドバイスをしまえるだけの「隙間」がないとアドバイスにはならないようだ。

隙間。

新しいことを始めんとする時の欠乏感だったり、何かを失った時の喪失感だったり、そんな隙間がある時にかけられた言葉が「アドバイス化」しやすいのだと、我が身を振り返って思う。先日のスポーツジムで受けたアドバイスはきっと、新しいことを始めようとする「隙間」が僕の中にあったから、すんなりとアドバイスになったのだと思う。

将来どうなるかわからないことを始めようとする時に生まれる心の隙間。
届いた言葉をアドバイスとして受け止められる隙間。

その隙間は不思議とワクワクするような高揚感を伴う。

なるべくならいつまでもその隙間を持っていたい。
4月は事を始めるにはうってつけの季節だ。
さて、今年は何を始めて「隙間」を作ろうか。

文/写真:Takapi

感性

この年齢になってはじめて絵を買った。

きっかけはとある雑貨屋で行われていた個展。器作家さんの個展だったのだけど、器以上に壁に飾られていた絵になにか引き込まれるものを感じて、店員さんに絵の作者を教えてもらった。

後日その方のInstagramを眺めていたら、タイミングよくオンラインでの発売予告をしていた。発売日は開始時間をドキドキしながら待った。まるで高校生の頃、好きなアーティストのCDをフラゲしにCDショップに行く時のような感覚だった。

無事に購入でき、2週間後にその作品は届いた。

作品はダンボールやら緩衝材やらビニールやらで丁重に梱包されていた。じれったさを噛み締めながら丁寧にひとつずつ剥がしていく。いざ作品を眼前にかざした時は、「あぁ」だとか「ふわぁ」だとか、いずれにせよ小さく声が漏れ出ていた。

手に取って絵を見つめていると、すぐに何故か手に持っているのが心許なくなってしまい、早々にダイニングの壁に飾ることにした(それが冒頭の写真だ)。

作品を目の前にしてしばらく眺めていると不思議な感覚に陥った。いくつかの言葉が断片的に頭を通り過ぎてはその作品を言葉で表そうとするのだ。

「躍動感のある青々しい風が吹いたかと思えば、その奥に水面も揺れない静謐な泉があるような、温かいような冷たいような、生々しいような無機質のような」そんな風にして言葉が頭の中を駆け巡っていった。

その日以降、作品を目にする度に、波打ち際で揺蕩うような、草原の中そよ風に吹かれるような、大袈裟に言えばそんな感覚を楽しんでいる。

おいしいナチュールワインと料理のペアリングを楽しめるレストランが近所にある。先月行ったばかりなのに早くももう一度行きたくなってしまって先日再訪した。

月替わりでコース料理を変えるお店なので新しい料理を楽しみたいというのもひとつの理由だったけれど、カウンター席で料理とお酒を楽しみながらシェフやソムリエとの会話を楽しめるのも大きな理由であったと思う。

今回も前回同様、感動の連続だった。シンプルな調理なのに組み合わせのアイデアが光る料理と、料理の味わいをしっかり引き立てるお酒の応酬に呆けていると、シェフがつと「なぜもう1回来てくれたのですか?」と聞いた。前回僕らが来たことを覚えてくれていたらしい。

新しいコースを楽しみたかったから、話が面白いから、と当初頭の中にあった理由を並べてみたものの、話し出すとなんとなく違う気がしてきて、「うーん、なんでなんでしょうね?」と聞き返してしまった。

その話は一旦そこで終わり、その後も引き続き料理とお酒についての話を楽しんだ。話を聞いているとシェフは「ふつうは」という言葉が口癖であることに気づいた。

「春であれば“ふつう”は料理に緑を使いたがるのだけど」
「コース料理は“ふつう”はひとつわかりやすいピークを持っていきたくなるのだけど」

それら発言の後には、「でも」が続く。

「僕は早春であれば“黄色”の方がしっくりくる」
「ピークを持ってきたがるのはシェフのエゴだと思う。僕はあまり作為的なことをしたくない」

その話を聞いてひとつのことが思い当たった。
前回食べた料理のことをほとんど思い出せないのだ。

とても美味しい記憶がある。驚いた味わいもある。感動の連続のはずなのに、その場を括る言葉が見つからないのだ。

それはきっと、シェフの出す料理が「これまで僕が経験したことと類似するものがない」からなのだと思う。

メインは上質な肉をシンプルに焼いたもの、とか、春なら瑞々しい野菜を使った料理、とか、大抵は「重ねられた」記憶を引っ張り出して、その記憶と比較しながら、適当な言葉を見つけてようやくその対象を言葉で括ることができる。

けれどこのレストランの料理にはその比較対象がない。だから記憶がするっと抜けていってしまったのではないだろうか。

そして手元に残る記憶は「いい体験だった」という感覚だけ。

このお店に行きたい理由がようやくわかった。
言語化できないものを体験したいからだ。

その理由がわかったのはお店を出た後だった。
このことを伝えにまた来月も足を運ばなくては、と思った。

今の仕事について、業界向けのセミナーに登壇する機会をいただいた。その中で「感性はどう維持しているのか?」という質問をもらった。

「うーん」としばらく唸ってしまった。僕自身、とてもではないが感性が「ある」とは思えないからだ。結局その場では答えられず会は終わった。

感性。

磨くや腐るといった言葉がセットになるように、その言葉には鍛錬と継続の必要性を感じるニュアンスがある。少しマッチョな言葉だ。

それはそれとして僕にとって「感性を感じる人」というのはいる。それは大雑把に言ってしまえば「手仕事」をしている人だ。

触れることを通して対象物を深く知り、その蓄積された「知覚」をもって、新しいモノを作り世の中に向けてアウトプットする人たちは皆、僕にとって感性を感じる人だ。

絵を描く作家もそうだし、料理を振る舞うシェフもそうだ。今着ている服だって着けている眼鏡だって、このコラムを書き込んでいるラップトップだってそうだ。そう考えると僕は「感性を感じる人」に常に囲まれ接しながら暮らしている。

感性を維持するというのは、僕にとって言えば、「感性を感じる人」が提供したものに触れる機会を通して、なるべく言葉を尽くしてみることで(それは往々にして言葉になりきれないのだけど)あって、言い換えれは「感性を受け取る」というようなことなのかもしれない。

では感性を受け取るといいことがあるのか?
それははっきり言ってわからない。

けれど「言葉で表すのが難しい感動が大なり小なり暮らしの中にたくさんある」というのは、常に正解を求められる日々の暮らしにおいて、一時のアクティビティのような爽快感を感じることではある。

だから僕は今日も明日も、ダイニングに飾られた絵を眺めることにする。

文/写真:Takapi

人柄

子どもの頃から感情が顔に出るタイプと言われてきた。

「もう話飽きてるでしょう?」
「あ。またふてくされた」

こんなことを幼少期から大学生くらいまで言われ続けてきたように思う。

30代も後半に差し掛かり、それなりに訓練をして表情をコントロールできるようになったつもりでいるけれど、時折「わかりやすい人」と評されることがあることを鑑みると、大して変われていないのかもしれない。

そんなシンドロームを抱えながら生きているわけだけど、人の運だけはいいようで、一緒に仕事をする人や友人にはいつも恵まれている。

不思議と僕のまわりの友人たちはゆったりと構えて見守ってくれる人が多く、さらには稀に僕のことを「いい人柄だね」と褒めてくれさえする人さえいる。

先日も、とある案件を一緒に進めている職場の先輩に「君の人柄の勝利だねぇ」と言われた。

難しい案件にも嫌な顔ひとつ見せずに協力してくれた方々の話をしている時だった。「本当にありがたいことです」という僕の言葉を受けて先輩から出てきた言葉がそれだった。

いい人とも、人格者とも、人たらしとも違う、人柄(ついでに言えば、いい人と言われたことは一度もない)。

人柄ってなんだろう。

僕が所属している職場の、立場も年齢もだいぶ上の方に取材をする機会があった。

取材の依頼メールを送るとすぐに快諾の返事をいただいた。翌日には、事前情報として取材内容に関する資料や過去の出来事をまとめたドキュメントを送ってくれた(パワーポイントで15ページくらいあった)。

その後もまるで広告代理店の営業のようなスピード感で、数回に分けて事前情報を届けてくれた。文面もとても丁寧で、メールを受け取る度にパソコンに向かって頭を下げる日々だった。

迎えた取材当日。端的に言えばその場はとても熱いものとなった。まるで2倍速のビデオを見ているかのような早口で、取材陣が置いてけぼりになるほど1時間休みなく喋りまくっていただいた。

手元を覗けば、ノートと手帳が開いていて、そこにはビッシリとメモが書かれていた。間違えのないように、漏れがないようにと、時折視線をノートに落とすのを見る度に、身が引き締まるとともにありがたさで胸がぎゅうっとなった。

僕からもいくつか質問をさせていただいた。その中で最近読んだ書籍の話をした。聞いた話と通じるものがあったから紹介したのだけど、その方は書籍名を聞くやいなやすぐに手元のノートにメモを書き込んでいた。

取材が終わった時にはその方の額にはうっすらと汗が滲んでいた。よほど消耗したのだろう、立ち上がる時にはフラッとしたようにも見えた。その拍子で手帳から付箋が数枚落ちた。慌てて拾ったその付箋にも隙間のないほどメモが書かれていた。

取材部屋から退室される際、僕ら取材陣に向けて「期待しています」とかけていただいた声はガラガラに枯れていた。

昨年の夏頃オープンした近所の焼き鳥屋さんが、このご時世もあり、昼間に鳥蕎麦を振る舞うことにチャレンジしていた。Instagramで見かけた写真があまりに美味しそうで、平日の昼間に伺うことにした。

このお店に入るのははじめて。入ればカウンターばかり10席ほどの小さなお店だ。店主は予想に違わず少し強面の兄ちゃんといった風情だった。眉間にシワを寄せながら鍋と向き合う背中を眺めながら(実際に表情は見えていないけれど、背中を見ていると眉間にシワを寄せているのが想像できた)頼んだ鳥蕎麦を待つことにした。

5分ほどで鳥蕎麦が出てきた。一口すすって期待を超えるその美味しさに思わず「うまい…」とこぼしていた。隣を見れば妻も目を見開いている。どうやら同じ感想のようだ。

美味しい料理はつい箸が進んでしまうもので、黙々と麺をすする度に、「うん、うまい」「あー、いいわ」などと妻とユニゾンしていたら、ものの数分で食べ終えてしまった。

食べ終えて一息ついた頃、それまで黙々と鍋に向き合っていた店主がクルッと僕に向き直り「足りましたか?」と聞いた。

あまりに突然だったので何について聞いているのか瞬時にわからず、呆けた顔で店主の顔を見返すことしかできなかった。店主の視線が僕が飲み干したどんぶりに移ったことで、ようやく鳥蕎麦の量のことだとわかった。

改めて店主の顔を見上げると、強面とは裏腹にとてもピュアな目をしているものだから(フレンチブルドックが頭に浮かんだ)、しっかりと答えてあげなくてはと思い「すでにもう一杯食べたくなっているくらい美味しかったんですけど、お腹はいっぱいになりました」と返せば、クシャッと表情を崩して「あぁ、よかったです」と笑った。

そこからは、本来夜から営業する焼き鳥屋がランチ時の鳥蕎麦提供にチャレンジした理由や、現時点における鳥蕎麦の課題点について熱っぽく話してくれたり(課題はないように見えたけれど)、ふだん提供している鶏の質へのこだわりなどを丁寧に教えてくれた。話し始めると店主の目はますます「フレンチブルドッグみ」を増し、ついでに言えばとても楽しそうだった。

このご時世でお店は大変な筈だ。それでも目の前の料理の話となると無心になってしまう人のようだ。ひとしきり話した後、今度は少し離れた席の人に鷄チャーシューの作り方をレクチャーしていた。

「落ち着いたら夜にじっくり楽しみに来ますね」と伝えて僕らは店を後にした。

人柄は「滲み出る」ものと言う。でもこの年になってわかってきたのは、人柄は「漏れ出てしまう」ものだということだ。

その人自身が心血を注いでいること、こだわり抜きたいと思っていること、それをわかってほしくて無心になって伝える愛くるしい姿に、僕らは「人柄」を感じてしまうのかもしれない。

時に熱が入リ過ぎて置いてけぼりにしてしまうこともある。でも彼らから放熱される温かさは、とても心地よくて、しばし当たっていきたいと思わせてくれる。そしてまるで焚き火に集うように、彼らの周辺に人垣が作られていく。

僕自身を振り返って、無心になれているほどの熱源があるかと問われれば首を傾げざるをえない。けれど、好きではないものを好きとは言わないという態度だけは、性分として持っている気はする。ひょっとしたらそんな性分に心地よさを感じている人がいるのかもしれない。

もう少しで冬が終わる。
今年も例年通りとはいかない春を迎えることになりそうだ。
会いたい人にも会えず、うすら寒い春になるかもしれない。

せっかく会えるなら、人柄を感じる人と一緒に過ごしたい。
人柄を感じられる人でいたい。

文/写真:Takapi

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