祈り

先日、とあるつくり手のベテランと若手の師弟対談の取材に同席した。ベテランはもう60歳間際で、若手はまだ20代後半。世の中の嗜好が急速に変わる中、ものづくりにおいて変えていくべきこと、変えてはいけないことなどを聞く企画だった。

取材場所には若手が先に入り、ベテランを待つ格好となった。慣れない取材とのことで幾分ソワソワして見えた。その初々しさが微笑ましかった。数分の後ベテランが部屋に入ってくる。開口一番若手を下の名前で呼ぶその間柄はまるで親子のようでもあり、普段の関係性の良好さが伺える。

終始和やかな空気で取材は進んだ。終盤に差し掛かったところで「つくり手として大切にしていることは?」という質問がライターからふたりに対して投げかけられた。

先に答えるよう促された若手は、少し照れたように「まだ僕なんかが語れるような立場ではないですが」と前置きした後、訥々と自身のものづくりに対する想いを語り始めた。

静かな口調の中に熱い理想が垣間見れるその話しぶりは、若手というよりむしろ老成さすら匂わせた。その意外さと言葉の芯の強さにしばらく惚けて聞き込んでしまったが、ふと隣にいるベテランの方に目線を移すと、じっと何かを考え込むように俯いていた。

若手が話し終え、ライターからベテランの方に改めて同じ質問を問いかけると、ベテランは俯いていた頭を上げゆっくりと天井を見上げた。数秒の沈黙の後、ふっと息を吐き出して「もう彼に全て話していただきました」と微笑み、若手の方を向いた。その表情は、晴れ晴れとしているようにも、慈しんでいるようにも、それでいて少しだけ寂しそうにも見えた。 

取材後の帰り道、天井を見上げたベテランの横顔が頭から離れなかった。あの刹那、彼は何を考えていたのだろう、と。その後の若手の方を見つめる、あの嬉しそうで寂しそうな表情は何を物語っていたのだろう、と。

答えは見つからないまま電車は地元の駅に着いてしまった。改札を出ると視線の端に地蔵さんが入り込む。理由はわからないが僕の地元の駅前には地蔵さんがいる。誰かがいつも手入れをしているのだろう、地蔵さんのまわりはいつも花が彩られ、夜は灯りも灯される。いつもは目もくれずに通り過ぎてしまう地蔵さんに目を向けると、目の前を颯爽と駆け抜けようとしたサラリーマン風の人が、地蔵さんの前でピタッと立ち止まり、そっと手を合わせて頭を下げているところだった。1秒にも満たない所作の後、その人はサッと頭を上げると急ぎ足で駅の改札に向かって行った。

頭を下げたその背中からは、何かを懸命に祈っているようにも、ただ毎日行っているルーティンのようにも見えた。それでも、一瞬でも足を止め、頭を下げるその後ろ姿になぜか目を奪われてしまった。

気を取り直して家に向かう。歩きながら、最近祈りを捧げるようなことをしただろうか?と頭を巡らせてみた。そしてため息が出た。忙しさにかまけてまったくしていない。そんな不届きな自身を恥ずかしんでいたら、さっきの取材の光景が頭に再び浮かびハッとした。

ひょっとしたらベテランは、あの刹那、祈っていたのではないだろうか。

成長著しい若手の姿を目にし、しっかりとした言葉を聞き、彼の未来に、ものづくりの将来に向けて小さく祈っていたのではないだろうか、と。前途揚々で希望に満ちていながらもその不確かな未来を想い、ベテランは喜び憂い、嬉しくて寂しい表情を作らせたのではないか?そんな風に思った。

近くの人か、遠くの人か、はたまた自分自身に向けてなのか。向ける先は千差万別あれど、祈るという所作に共通するのは「未来を想う」ということなのだと思う。

もしかしたら、明日疫病に罹るかもしれない。
もしかしたら、明日電車の中で襲われるかもしれない。

現実的なこととして(そうだ、それは本当に現実的なことなのだ)、明日我が身にどんなことが降りかかるかは誰にもわからない。目の前が真っ暗になるような、ため息が出るようなことは、こちらの都合にお構いなく引き起こされる。

手を合わせ頭を下げるという所作をとらずとも、「未来を想う」人なら僕にだって数えるほどにはいる。彼ら彼女らが、とにかく無事で明日を迎えられますように。そう思ったところで僕は自然と空を見上げていた。秋晴れの夕暮れのオレンジが視界いっぱいに広がった。

数日後、眼鏡屋「Local」が新しい店舗「Place」を眼鏡屋の横にオープンさせたということで、挨拶がてら(冷やかしがてら)オープン日に遊びに行った。

お店に到着し、お店の前に所狭しと置かれた開店祝いの花たち、真新しいピカピカの格子状の窓、そして晴れやかで(少し疲れた)店主の顔を外から眺めたら、無事にオープンできてよかったと安心するとともに、このお店がこの街の人たちにとって、買い物をするだけではなく、ちょっとした憩う「場所」になれたらいいな、と願った。そしてドアの前で新しい木の匂いをかぐようにスーッと小さく息を吸った。ちょっと間が抜けているけど、これが僕なりの祈りなのかもな、と思った。

というわけで、これまで約4年間続けてきたこのコラムも、来月からは「Place」に場所を移すことになりました。毎月読んでいただいた方々が、月に1日、数分の時間、ほっと寛げるような、ふっと息を吐けるような「場所」になるよう、これからも書き続けていきますので、引き続きよろしくお願いします。

文/写真:Takapi

得意

「おふたりの家事分担を教えてください」
この質問にしばらく黙り込んでしまった。

とある雑誌の取材だった。その雑誌では、リモートワークが当たり前になり家にいることが増えた今、家事の効率化や家族の協力関係などを特集しているとのことで、かくかくしかじかいろんな伝手を経て、ついにうちに白羽の矢が立ったというわけだ。

取材前にいくつかの質問は投げてもらっていた。「家事の負担を楽にするための家電やツール」「家事をこなすための時短テクニック」など、質問を並べてみると「基本的に生活は辛い」という前提に立っているようで、「そんなに暮らすことは大変なのか」とまるで他人事のような感想を抱いていた。

その質問票の中に冒頭の質問もあった。答えを考えようとはしていたものの、なかなかうまい答えが見つからないでいた(妻に聞いても「たしかに難しい質問だ」とサラッと答えられただけだった)。

端的に言えば「やれる方がやれることをやる」が基本方針(と言えるほど決まった枠組みでもないけれど)の我が家では、「分担」という言葉で括れるほどキッチリと分けられることがないのだ。

リモートワークになる前から、早く帰ってきた方が夕飯を作ることになっていたし(ともに遅いときは惣菜に頼ったり)、夕飯を作ってもらった方は後片付けと食器洗いを行う、といったように、夫婦で明確に「分担作業」として線を引くより、互いの様子を見ながらやりくりする方が肌に合っていた。

そうは言っても、互いの体質というか、性質で切り分けられている家事もある。朝が弱い妻の代わりに朝食は僕が担当していたり、整理整頓が苦手な僕の代わりに家財一切の置き場所は妻が決めていたり…でもそれは「決め事」というよりは、一緒に暮らして気づいた互いの得意分野(もしくは不得意分野)を見ながら、フィットする方に役割を委ねるような、そんなゆるやかなものだ。これまでの夫婦生活の約10年間、一応なんら不自由なくこれで暮らしてきた(あくまで僕としては、だけど)。

だから四角四面に「役割分担」と問われると困ってしまう。そういうのは決めることではなくて、ふだんの会話や仕草を見て「わかってくる」ものであると思っている節があるからだ。

でも改めて家でやっている家事を振り返ると、そんな風にして「わかって」やっていることは不思議と苦にならないことに気付く。ならないばかりか、少しずつ向上のための工夫を積み重ねているようにも思う。10年前と今の「朝食のオムレツ」を並べたら、圧倒的に今のオムレツに軍配が上がるだろう。そういうものだ。

まぁ、こんなことを言っているけれど、うちのやり方が正しいとはまったく思わない。家族には家族の考え方がある。それはそれとして、誰かと長い期間共同生活をすることで「向いていること」がわかるというのはひとつの(そこそこ大きな)発見であるということはたしかだ。

ひょんなことからとある地域のプロジェクトに関わることになった。プロジェクトと言えば大袈裟だけど、要は地域の特産品を活かした「モノづくり」を、地域の人と外の人を巻き込んでやっていこうというもの。

その地に足を運んだことすらない僕に声をかけてくれた理由を尋ねれば「文章を書ける人だから」ということだ。プロジェクトの様子をレポートしてほしいとのことだった。

先日そのプロジェクトチーム(5人)のオンラインミーティングがあり、メンバーの自己紹介をすることになった。話すときの決め事は3つで、今やっていることと得意なことと苦手なことを話すように、という指示だった。

周りの人が颯爽と手を挙げて話し始めた。大学生からイラストレーターまで、年齢も経歴もバラバラな人の話を聞くのは面白い。そしてみんな活き活きとしている。すごい。ニコニコしながら(できていたはずだ)聞いていたら、僕の得意なことってなんだっけ?と悩み始めてしまった。「はじめまして」の人に話すのはなおさら難しい。自身のやっていることが「いかに狭い世界」で完結していたかを思い知らされる格好になった。結果として声をかけてもらった理由である「文章がそこそこ書ける」というなんとも締まりのない得意なことを話すことになった。

その後は、プロジェクトリーダーからこのプロジェクトの概要や狙いが改めて説明された。ひととおり説明が終わり、気になったことやわからなかったことなど、なんでもいいから意見を聞かせてほしいと言われた。

僕からは、説明の中では言及されなかったけれど、聞いてなんとなく感じたプロジェクトの魅力を「こういうこと?」と解釈を伝えた上で、「だとしたらこんな可能性があるのではないか?」といったようなことを話した。

大きく頷きながら聞いていたプロジェクトリーダーは、僕の話を聞き終えると、少しの間を置いて「まさにそれが考えていたことで、でもずっと言語化できなかったことだ…!」ととても喜んでくれた。その返事を聞いて、そういえば、と思った。これまで僕が仕事でやってきたのはこういうことだったのかもしれないな、と。もしかしたらこれが僕の「得意なこと」なのかもしれない、と。

広告代理店の営業の頃も、クライアントのところに足を運んで話を聞き続けては「つまり今一番のお悩みはこういうことですか?」を繰り返してきた。今やっている仕事も、社員の話を聞いては「こんなやり方もあるかも」と伝えることで、彼ら彼女らの次の一歩をアシストをすることが役割になっているような節はある。

意識的にせよ無意識的にせよ、自身の得意とすることはきっとひとつやふたつはあって、時に思いもよらないところで見出されることがある。ふだんの暮らしのやりとりの中にも、淡々と続けている仕事の中にも、ちょっとしたきっかけで、「得意」はこちらの都合に関係なく現れてくる。

ついついかっこいいスキルとか、天才的なアイデアとか、そんな「得意」が身につかないかと思ってしまうけれど(ちょっと今でも思っていたりする)、なかなかそうはいかないもので、さらには、仮に自分の中で「これは得意なことだ」と見つけられたとしても、それを発揮できる場所や役割が与えられるかと言えば、そこは運に委ねられたりする。

それでも、誰かとのやりとりの中で見出される「得意」は、実際的というか、無理がないというか、大袈裟なことはなくても誰かの役に立っている実感を与えてくれる。そんな得意を見出せたなら、なるべく背伸びをせず、ないものねだりをせずに、手元に見出された「得意」を温めていくようにしたい。

そして今朝も妻は「このオムレツ最高だわ」とつぶやきながら嬉しそうに食べている。

文・写真:Takapi

感動

いつものジムで軽く汗を流し、一息つこうとロビーで寛いでいたら、隣接しているスタジオから小気味いいビート音が流れ始めた。おそらくBTSだと思う(最近音楽に疎い)。その音楽に合わせて女性インストラクターの快活な声が響く。

「はい、◯◯のポーズ!」「腕を斜め上にー!」という声から察するにおそらくダンスレッスンだ。「なかなか合わないですねー」というインストラクターの言葉から、集団レッスンであることもわかる。「合わない」という割にその声から焦燥感のようなものは感じない。どことなく楽しそうですらある。きっと和気藹々とした初心者向けのレッスンなのだろう。

どんな人たちが受けているのだろうと少し興味が出て、帰り際チラッと覗いてみたら、少し禿げかかった白髪の初老のおじさんと目が合った。いや、正しくはレッスンスタジオに設置された鏡越しのおじさんと目が合った、ような気がしただけだった。彼はただ、鏡に映る自身の身体の動きを確認しながら一心不乱に手足を動かしていた。

まさか初老のおじさんがいると思わず、驚きとともにスタジオ全体に目を移せば、10名近い「おじさん」達が一所懸命に踊っていた。数秒程度の観察だが、彼らの表情はインスタラクターの醸す雰囲気とは裏腹に真剣そのものだった。

鬼気迫るようなおじさんの表情と、思うように動いていない(であろう)チグハグなダンスを見ていたら、なんとなく居心地が悪くなってしまって、足早にそこを後にした。

ジムを出て少し歩いていたらしてふいに込み上げるものがあった。急なことで一瞬たじろいだ。鼻の奥がツンとして少し目が潤みさえした。

なんだこれは?突発的な感情の波に溺れながらその出所を頭の中に求めた。でも探らずともほんとはわかっていた。

僕は感動したのだ。真剣な表情でチグハグなダンスしていたおじさん達に感動してしまったのだ。

その足で行きつけの洋食屋さんに入り、カウンターに座って、今しがた起きた感情について思いを巡らせてみた。

なぜ僕はあのおじさん達に感動したのか、いくら考えても理由がわからなかった。同情ではない、憐憫でもない、そういう類の感情ではないことはわかった。でもそれ以上いくら考えても理由が出てこなかった。

考えることを諦めて、ぼんやりとシェフの動きを目で追うことにした。この洋食屋のシェフの一片の無駄を許さない所作がとても好きなのだ。

このお店の名物はハンバーグ。半数以上の人がお昼時に注文をする。シェフは注文を受けると静かにフライパンに火を点し、バットから「タネ」を取り出すと、2度3度自身の両手でキャッチボールをしてそっとフライパンに載せる。載せたらその間にキッチンまわりやまな板を専用のふきんで拭く。一定の時間が立ったらフライパンに水を差し蓋をする。焼き上がる間にまたシンク周りをふきんで拭く。

そのひとつひとつの動作を見ていると、きっと数千回、ひょっと数万回と繰り返されてきた所作なんだろうということはわかる。それだけ一切無駄のない動きだ。一連の所作には厳格な雰囲気さえ漂う。なるほどシェフの持ち場は「聖域」と呼ばれる理由がわかる。シェフの面立ちにもそれは表れている。きれいな坊主頭に一筋の険しさが宿る表情はまるで修行僧だ。それでも料理ができあがればいつも慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、太く穏やかな声で「お待たせしました」とカウンター越しに差し出してくれる。

言うまでもないが、ここで出されるハンバーグはとても美味い(前にも書いた気がする)。この日も夢中になって皿と向き合い、ものの数分で完食した。

水を一口飲み、ホッと一息入れてキッチンに目をやれば、数分前と寸分変わらない厳格な背中がフライパンと向き合っている。シンクやステンレスの壁は汚れひとつなく、それでいて新品とは違う使い古された親密な光を放っている。

「ごちそうさまです」大きな背中に頭を下げて席を立つ。勘定を済ませ店を出る時には「ありがとうございます」とシェフが背中に声をかけてくれる。

その声を背負ったまま店を後にした。みぞおちあたりが温かい。その温もりはきっと料理だけではないはずだ。

ここにもひとつの感動があった。

今年はこれまでになく感動を強要された夏だった。そして感動を疑った夏でもあった。

1年順延された祭典には、遅々として進まない感染症対策に対する市井の苛立ちを、「スポーツの感動」で覆い隠さんとするような狙いが見えてしまって、いざ祭典が始まっても、自身の感情に蓋をするように、画面越しのアスリートから目を逸らす日々が続いた。

そんなことだから、メダルをとった歓喜の声がテレビ越しやSNSのタイムラインに上がる度に、なんとも行き場のない感情とやり合う羽目にもなった。感動に尻込みする数週間だった。

本当ならもっと気安く感動したい。けれど「道具」にされた感動からは距離を置きたい。まわりの空気にも流されたくもない。なかなか難しい。考えすぎなのかもしれない。

翻って、先日のジムと洋食屋で感じた小さな感動は、湯船に浸かるような気分の良さがある。鼓舞するような強さはないけれど、ゆっくりと染み渡る滋養のような温かさがある。

感動なんて小さくたっていいし、誰に理解されなくてもいい。

身体の器官なのか、頼りない心なのかはわからないけれど、「自分自身の中を通った感動」だけは僕自身がしっかりと把握してあげたいし、できるだけ手放さずにいたい。

文・写真:Takapi

固執

半年前くらいにInstagramをぼんやりと眺めていた時に再会してしまったのが事の始まりだった。今から25年前、中学生の頃、あまりにもプレミアムがつき過ぎて手の届かなかったエアマックス。そのエアマックスの中でも、散々リバイバルされ続けている「ドル箱」の95でも97でもなければ、その独特なデザインから賛否がわかれた96でもない。ほとんど注目もされずに歴史の彼方に追いやられてしまった「エアマックス96 Ⅱ」がスクリーンの中に突如として現れたのだ。

「胸をつかまれる」というのはああいうことを指すだろう。なぜかその姿が頭に居座ってしまい、その日以降毎日のようにgoogleで、NIKEの公式オンラインショップで、Instagramで「エアマックス96 Ⅱ」を探す日々が続いた。

中学生当時を振り返っても、その商品は仲間内では大した評価ではなかったと思う。おそらく誰も履いていなかったのではないだろうか。むしろ履いていたら「ダサい」と笑われるような代物だったかもしれない。

しかしながら25年ぶりに「エアマックス96 Ⅱ」に再会してからというもの、頭の中のほとんどが「エアマックス96 Ⅱ」で占められた。固執していると言ってもいいくらいにその姿を追い求めた。

よくよく調べると昨年末くらいにリバイバル商品として出されていたらしい。しかしながら公式ショップには既に姿はなく、あやしげなオンラインショップでは定価の1.5倍〜3倍くらいの値段で売られているだけ。さすがにそこで買う勇気はなかった。それでもInstagramで「エアマックス96 Ⅱ」を見つけると、その度に胸がはやるような気持ちに苛まれた。

入手することはできないだろうとなかば諦めていた7月某日、「エアマックス96 Ⅱ」は再び公式ショップで姿を現した。「なぜ?」「ほんとに?」胸の高鳴りを抑え、手汗のかいた指で何度もそのサイトが本物かを確かめ、5分後に購入ボタンを押した。

ここまでおおよそ半年ばかり「エアマックス96 Ⅱ」に固執させ続けたものの正体は一体なんだったのだろう。青春時代特有の「何か」を取り戻したかったのか、もしくはあの頃に踏ん切りをつけたかったのか。その理由は今でもわからないけれど、もし「こじらせ消費」という言葉があるのであれば、今回の行動は間違いなくそれに当たると言える。

さて、購入して二日後に届いた「エアマックス96 Ⅱ」だが、散々あれだけ気持ちがたかぶっていたくせに、いざ手元に届いた瞬間から徐々に気持ちが冷めている自分がいた。いや、白状すれば手に届いた瞬間にはもう飽きてすらいた。

あれだけ欲しがっていた「もの」は一体なんだったのだろう。ぼんやりと見えてしまいそうなその恐ろしい正体から目を逸らすように、ほとんど毎朝「エアマックス96 Ⅱ」を履いて散歩をしている。

固執と聞いてもうひとつ頭に浮かんだのが家で使っているカレーのスプーンだ。

どこにでも売ってそうななんて事のないスプーンなのだが、子どもの頃からずっと使っていて、結婚してもなお実家から持ってきてはずっと使い続けている。ここ数年、器好きが高じて毎月のように買い付けては毎度置く場所に頭を悩ませる中にあって、カレースプーンだけは不思議とどんなスプーンを見ても「響かない」のだ。

以前、何かの景品で「カレー用に開発されたスプーン」なるものを頂戴したことがあった。なにやらカレーのルーと具材がちょうどよく乗る深さを計算されて作られたものらしく、ものは試しと使ってみた。

しかしながらどうも僕の口にはフィットしなかった。口に運んだ時の「カレー感」が弱いのだ。カレー感というのはどんなものかを聞かれてもうまく答えることはできないのだが、とにかく言えるのは、最高の「カレー感」を堪能できるのは子どもの頃から使っているスプーンなのだ。頂戴した「カレー用スプーン」はひき出しの奥にしまわれることになった。

このスプーンについて言えば、愛着という言葉をこえて固執していると言われても否定はできない。ついでに言えば、カレーの味の好みは大人になってガラリと変わっている。にも関わらずフィットするスプーンだけは変わらないというのも不思議だ。固執だ。

同じように、偏屈なまでに固執していたものにランニングシューズがある。中学高校と陸上部でずっとMIZUNOを履いていたこともあって、大人になり、ジョギングがささやかな趣味になった時も、選んだシューズはMIZUNO一択だった。それ以外のメーカーは評判やクチコミを受け付けないほどのMIZUNO信者だった。

それが数年前からはNIKEを履いて走っている。きっかけは箱根駅伝のランナーが全員NIKEの、しかも同じシューズを履いていたことだった(さらに言えばそのシューズそのものがものすごくかっこよかった)。その光景を目の当たりにして、それまでのMIZUNOへの偏狭なくらいの愛情はなんだったのかと思うくらい、あっさりとNIKEに鞍替えしてしまった。

こんなことだから、ある日突然出会った運命的なスプーンにあっさり目移りする日もそう遠くはないのかもしれない。

何かを無性に手に入れたくなったり(手に入れた途端にすぐ飽きたり)、はたまたそれ以外を一切受け付けなくなるようなことはある。その衝動のような思い入れは、時に愛着という優しいベールに隠されることもあれば、「見る目がある」と賞賛されることだってある。

でも、欲しがることも受け付けないことも、「それ以外が見えなくなる」という意味においてはそんなに変わらない。さらに言えば、ふとしたきっかけで180度変わることだってある。それだけ、人の気持ちは移ろいやすく、留まりやすく、かたい上にもろいのだ。

何を選び何を拒むのか、その裏側で何を欲しがっているのか。わからないことの方が多いし、わかる必要もないことの方が多いけれど(いちいちひとつひとつ吟味していられない)、時に立ち止まっては、その愛着の裏に、固執の手前に、何があるのかを自身に問いかけてみるのもいいかもしれない。

日々世の中で起こる事象に対して、脊髄反射的な「イエス・ノー」「好感・嫌悪」「良い・悪い」「かっこいい・ださい」といった二極化した言葉が流れる中にあって、自身の中のささやかな「固執」の元を知ることは、大きな濁流に飲まれることを止めるひとつの方策のようにも思うのだ。

文/写真:Takapi

おまけ

近所にある鮮魚店に週に1度くらいの頻度で通っている。魚がただただ美味しいというのもあるけれど(切り身はスーパーの2倍くらいの厚みがあってジューシーだし、自家製の塩辛はちょうどいい塩梅で絶品)、それ以上にご機嫌な店主のおじいさんとの数分の会話が楽しいというのが通う理由でもある。

「今日はイサキのバター焼きなんてどう?」
「スーパーの魚がなんであんなに安いか知ってる?」

などと時に料理の先生に、時に経済評論家になって話しかけてくれる。たまに同じ話になることを差し置いても面白い。なにより話の間ずっとニコニコとしているおじいさんを見ているだけでなんだか元気をもらってしまうのだ。

振り返ればもう半年近く通っていることになる鮮魚店だけど、ここ2ヶ月くらいは行けば2回に1回はおまけをくれるようになった。

ふだんは手が伸びないような小さな蒲鉾をニコニコしたままサッと袋に入れてくれたり、「いっぱい食べなさいよ」とブリの切り身をひとつおまけしてくれたりする(ひょっとしたら僕のことを大学生くらいに思っているのかもしれない)。

そんなことがあったからか、スーパーで魚をとんと買わなくなった。時折夜が遅くなってスーパーで魚を買ってしまうと、なんだか悪いような気持ちにすらなってくるから不思議だ。小商の真髄を見ているような気分でもある(大袈裟だけど)。

もうひとつ贔屓にしているお店が近所のコーヒースタンド。かれこれ1年近く我が家のコーヒーはここのコーヒー豆だ。

おそらく僕と年齢が近いであろうカップルが切り盛りしているこのお店は、常に常連さんが顔を出しているような、朗らかな会話が行き来している心地いい空間でもある。当然ながらコーヒーは美味いし、自家製のお菓子も美味しい。

行けば少し会話をする程度だが、そのちょっとした世間話(今日は雨ですねー、先日の『アド街』見ました?)が、在宅勤務続きで結論ありきの会話に浸り切ってしまった身を、束の間現実に引き戻してくれる。

先日行った時は「ちょうど焼き上がったんで」とクッキーをひとつサービスしてくれた。そのさりげない「おまけ」の仕方がくすぐったくて、帰ってからすぐにコーヒーを淹れてクッキーを食べた。

鮮魚屋さんもコーヒー屋さんも徒歩圏内にある。この街に引っ越してきてよかったと最近しみじみ感じる。

なんにしても「おまけ」をされるのは気持ちがいい。なんとなく「お世話になっています。これからもよろしくね」と言われている気がする。そう考えると、もちつもたれつの間に「おまけ」があるとも言える。

人によっては恩着せがましくて嫌、という考えもあると思う。僕も昔はそんなことを思っていたような気がする。「タダより高いものはない」と幼少期の教えはなかなか抜けないもの。少しでも「おまけ」されると腰が引ける、というかむしろ疑っていたような節もあった。

でも最近は、「おまけ」を受けることで僕の中で芽生える強制力のない小さな責任感みたいなものが気持ちがいい。それが住んでいる街に点々とある、というのもまた。

「おまけ」されたことがたて続いたものだから、ふと自身はこれまで「おまけ」をしたことがあっただろうか?と振り返ってみた。

サラリーマンとして生きてきたので鮮魚店やコーヒースタンドのようにモノで「おまけ」をすることは実質的にはできてきていない。では何をもって「おまけ」なのだろう?とちょっと考えてみる。

近いかもしれないと思ったのが「奢る」という行為だ。お世話になった人に「これからもよろしくね」と奢る行為は「おまけ」に近いのではないのだろうか。現に奢ってもらった記憶をいくつか紐解くと(大抵酔っ払っているので薄い膜のかかった記憶だけど)、奢ってくれた方々は皆口を揃えて「これからも頼むよ」「頑張れよ」といった声をかけてくれていた。

そんなゆるい期待を込めた「おまけ」を、これまでたくさん受けてきたことに改めて気付かされた。

そしてそこまで振り返って愕然とした。奢ってもらった記憶はたくさん引っ張り出せるのだけど、奢った記憶となるとほとんど思い出せないのだ。この年齢になってさえ、僕は圧倒的に奢ってもらってばかりなのだ。自身の薄情さに辟易とする。

感染症のせいで実質的に奢ることができない今のうちに、奢りたい人リストを作り上げておきたい。

先日久しぶりに出社して後輩と顔を合わせた。ふだんオンラインでテキストのやりとりはしていたものの、やはり面と向かうと嬉しいもので、しばらくはとりとめのない雑談に花を咲かせた。

リモートワークが浸透してきて効率よく仕事が捗るようになった反面、これまで当たり前にできていた雑談が気軽にできなくなった。そんなことだからか、世の中的にも雑談の必要性が説かれる機会が増えたように見える。ただ時にその「必要性」は、肩に力の入った言葉に映ることがあって、余計に雑談ならではの気軽さを遠ざけてしまう。

「雑談をしましょう」と言葉だけ眺めれば爽やかに映るけれど、僕なんかは雑談って意図して自ら「する」ようなものではなく、勝手に「なる」ものなのでしょう?と、「雑談しよう」の標語が出てくる度にいつも首を傾げていた。

それでも、雑談でもおしゃべりでもいいけれど、会えば気軽にとりとめのない話をしたい人というのはたしかにいる。話すことはなんでもいい。昨日食べたものでも、最近感動した本でも、気になり出したお腹まわりのことでもいい。そんな人たちを思い浮かべてみると、共通するのは「これからもよろしく」と思う顔ばかりだ。

雑談やおしゃべりというのはもしかしたら、もっとも小さくてもっともお金のかからない「おまけ」なのかもしれない。そうであれば、僕が今できるのは積極果敢に雑談を「する」ことである。天邪鬼を気取って首を傾げている場合ではない。潔く前言撤回させてもらいたい。

心地よく暮らすために、街にも人間関係にも「おまけ」が溢れている方がいい。
「引き続きお世話になります」とゆるい責任を抱えていきたい。

文/写真:Takapi