外のテーブル

半年前にオープンしたばかりの、マンションの1室を改装したそのバルは、キッチンに面して大きな長方形のテーブルがひとつあるだけのシンプルな佇まい。大きなテーブルの3つの辺に1組ずつ着席するスタイルで、キッチンにいる店主と相対しながら囲むような格好になる。

マンションの一室がお店になるからお店に入るにはオートロックのインターホンを押す必要がある。マンションの前には看板も出ていないしネットを見てもほとんど情報も解禁していない。1日3組限定の、まさに「隠れ家」的なバルとも言える。

お店の特徴を言葉にすると、一見さんお断りの頑固な店主が構えたお店にも映るけれど、実際には、朗らかな雰囲気の女性がひとりで切り盛りしている。その雰囲気がそのまま反映されたようなやさしい味わいの料理と、それでいてたしかな目利きで選ばれたナチュールワインが気に入って定期的に通うようになった。

小さなお店でさらにテーブルを囲んでいるからか、自然とそこにいるすべてのお客さんの話が耳に入ってくる。それが邪魔にならないのはきっと、お店にいるすべての人たちのが寛いだ声をしているからだろう。そのアットホームさは徐々に客同士も打ち解けさせる。その雰囲気もあわせてこのお店の心地よさでもある。

先日訪れた時は僕ら夫婦が一番乗りだった。1杯目のワインを楽しみ終えた頃、残りの2組が来店してきた。

1組は友人同士と思われるベテランの女性3人組で、席に座るなり楽しそうに近況報告をしている。もう1組はお一人様の若い女性。緊張した面持ちでメニューと睨めっこしている様子を見ると大学生くらいにも見える(ここでは話をわかりやすくするためにその若い女性客を「女子大生」とする)。

3人組の方は常連なのか店主と軽い会話を始める。数分のやりとりの後、はじめのオーダーを受けた店主は、すぐさま女子大生に向き直り「今日はどうしましょう?」と笑顔で声をかける。その一言でメニューと睨めっこしていた女子大生の表情がふっと緩んだのがわかった。その後いくつかのやりとりを経てワインと数品の料理を決められたようだった。

それから30分くらいは各々が料理とワインに舌鼓を打ちながらそれぞれが会話を楽しんだ。その間も女子大生と店主は何度か言葉を交わしながら解けた空気が作られていた。そのやりとりが姉妹のようにも見えて微笑ましくてついつい目を向けてしまう。

均衡を破ったのは、店主から女子大生に向けられた「そういえば、この店はどうやって見つけてくれたのですか?」という質問だった。

その質問を聞いた僕ら2組は、示し合わせたように会話をピタッと止め彼女の回答を待った。少しの間を挟んで「実は、先月上京してきたばかりで」と話し始めたものだから、その場は突如として「人生の先輩達」が彼女の身の上話を聞く場に変わることになった。

聞けば、彼女は昨年社会人になったばかりで、半年前までは関西地方で教師をやっていたとのこと。夢見た職業ではあったもののこのコロナ禍だ。生徒にも会えないまま次第に自信をなくしていき、結果としては半年で教師を辞めることになった。運良くその後すぐに次の職場が東京で見つかり、先月から上京してきたということらしい。

話を聞きながら「そんなことがあったの」「大変だったわねぇ」「でも良かったわね」などと相槌を打つ僕らは完全に「保護者」と化していた。

「このお店はInstagramで知ったんです。とても雰囲気が良いなって。それで…来月友人が誕生日なんです。せっかくならこのお店でお祝いしたいなって思って、今日は下見としてひとりで来てみたんです」

それを聞いた「保護者」たちは「いい話ねぇ」「素敵!」などと囃し立てる。ずっと頷きながら話を聞いていた店主は「とても嬉しいです。こういうこともあるんですねぇ」と目を細めた。

そして一呼吸置いて、「いい日だ」と店主は呟いた。

テーブルを囲むということは人生を分かち合うことなのかもしれない。

まだ冷え込む夜道を歩きながらそんなことを思った。そのことを妻に伝えれば「大袈裟ね」と笑った。

大袈裟。たしかに言われてみればそうだ。テーブルを囲むということであれば、妻とはほぼ毎日食卓を囲んでいる。とは言え、ふだんの食卓を振り返って人生を分かち合うほどの会話をしているかと問われればノーだろう。ふだんの食卓の会話は、もっとなんというかぼんやりとしている。うすく流したテレビを見るともなく、明日の予定を聞いたり、今日の料理にコメントしたり、ちょっとした愚痴をこぼしたり、そんな風にして毎日の小一時間の食卓の時間は過ぎていく。

コロナ禍になり、互いに在宅で仕事をするようになってからは余計にふだんの食卓の会話は簡素になったような気がする。仕事を終えて間を置かずに食卓を囲むからなのか、単純に食卓を囲む回数が増えたからなのか、理由はわからないが今まで以上に食卓の会話はぼんやりとしているようにも思う(僕としては特段不満があるわけではないけれど)。

代わりに、といういわけでもないけれど、近所の「行きつけ」のお店に出かける機会が増えた。さっきのバルももちろんだが、朝早く起きて少し遠いカフェに自転車で行ったり、美味しいランチを食べに小さなカレー屋さんに行ったり、平日の昼時に仕事の合間を縫ってコーヒースタンドにコーヒー豆を買いに行くこともある。

不思議と「外のテーブル」では互いに饒舌になるらしく、お店の人との何気ない会話をきっかけにして、仕事の今後の展望だったり、いつか行きたい旅先のことだったり、ふたりの暮らしの将来についてだったり…ふだんの食卓よりも快活で前向きな会話が繰り広げられるのだ。

そんな「外のテーブル」のやりとりがとても良い息抜きになっていて、今の僕にはとてもフィットしている(妻がどう思っているかは知らない)。

もう結婚して10年が経つけれど、ようやくわかってきた夫婦関係を維持するささやかな秘訣は、僕らのことを「ちょっと知っててほとんど知らない人が待ってる場所」をいくつか持つことなのかもしれない(妻の意見は違うかもしれない)。

どんなに良好な関係でも、閉じこめれば空気は淀むもの。「外のテーブル」には空気を浄化する効果もあって、それはつまり人と人のつながりを取り戻す役割も持っているということだと思う(たまにつながりを「生み出す」ことさえあるのだ)。

「外のテーブル」は催促もせず、期待もかけずに今日も街で待ってくれている。それは暮らす上でとてつもなく大きな安心だ。このコロナ禍で、お店がなくなっていくのを目の当たりにしてようやく気付くことができた。

「外のテーブル」が続いていくことを願って。

文・写真:Takapi

アドバイスと隙間

先月からジムに通い始めた。

外出が減ったことで持て余した体力はお腹周りに集中したようで、「余分な肉」がいよいよのっぴきならない状況まで追い込まれてきて、ついにはストレッチジーンズすら入らなくなってしまった。

身体が重くなればキレがなくなる。当然それは頭の働きにも影響する。ボーッとする時間が増えたし、集中力も格段に落ちたような気もする(単に年齢のせいかもしれない)。

そんな訳で、必要に駆られてジムに通うことにしたのだ。

ジムの入会時には、インストラクターがオリエンテーションとして一通り館内を案内してくれる。機材の使い方を教えてもらった後は、体組成計という筋肉量やら脂肪量やらがわかる体重計で身体を「スキャン」し、インストラクターから今後のプランについてアドバイスをもらってオリエンテーションは終了となる。

学生くらいの若い(マッチョな)インストラクターは、少しおどおどしながらもプリントされた数値を追いかけては丁寧に説明してくれた。聞けば、脚の筋肉はアスリート手前くらいの筋肉量があるのに、上半身は大人の平均以下の筋肉量しかないというアンバランスな身体であるようだ。

一通り説明を終えた彼は「選択肢はふたつです」とぎこちなくピースサインを作り、「全体をシェイプするか、上半身の筋肉量を増やすか、です」と締め括ってプリントを手渡してくれた。

インストラクターが去った後、手渡されたプリントの数値をしばらく眺めていると不思議と安心し始めている自分に気付いた。数値として現実を突きつけられたことで足りない部分がハッキリしたことと、インストラクターの「上半身の筋肉量を増やすべき」というシンプルなアドバイスのおかげでやるべきことがわかったからだ。

思えば、あれだけ年齢の離れた人にアドバイスを受けたことははじめてのことだった。なんだかそれも嬉しかった。プリントにはりつけていた目線を上げてジムを見渡せば、黙々と自身の身体と向き合いながら「それぞれの課題解決」に励んでいる人たちがいる。そんなバラバラな人たちを見ていると徐々にやる気が出てきた。プリントを畳んで急ぎ足でランニングマシーンに向かった。

それから現在まで週に2回は通えている。新しい習慣ができたようでとても気持ちがいい(お腹が凹む兆しはいまだ見えていない)。

社内の若手に話を聞く機会があった。2年前に社内の同期メンバーと「企業内大学」という社内の交流を促すコミュニティを立ち上げた彼女は、2年間草の根的に活動していたら、気づけばメンバーが数千人規模になっていて(すごい)、社内外からとても高い評価を受けているとのこと。これは話を聞かせてもらわねばとお願いしたのだ。

実は、彼女がその活動を始めた直後にも一度話したことがあった。なぜ当時彼女と話をしたのかは思い出せない。知人の伝手のそのまた伝手で繋がって話を聞いたような、そのくらい「たまたま」のことだったように思う。

その時は立ち上げたばかりの活動について、目指している将来像や現状の課題について聞かせてもらった。その視座の高さに圧倒されて「すごいねぇ」「うまくいくといいねぇ」というなんともぼんやりしたリアクションをしたような憶えがある。

今回改めて話を聞く中で、組織運営をする上で気をつけていることはあるか?という質問をしたら「実は、あの時いただいたアドバイスをメンバー間で大事にしているんです」と言うから驚いた。

僕が話していたというアドバイスの内容を聞いてもいまいち思い出せない。なんとも具体性のないアドバイスでもあった。というかそれはアドバイスですらなかった。なんとなく世の中に転がっている一般論をポンっと投げ込んだ、いわゆるその場しのぎの言葉だった。そのくらいはわかる。なんだか恥ずかしくなって「そんなこと言ったっけ?」と答えたら彼女は笑った。「そんな気がしました」と。

話を終えてしばらくしてからジワジワと嬉しさがこみ上げてきた。アドバイスを大事にしているという話はリップサービスだろう。それは別にどうでもいい。それよりも、無責任なりにも僕が話したことを憶えていたことが嬉しかった。

これまで僕自身も多くの方からアドバイスをもらってきた。時にアドバイスの顔をした叱責だったこともあったし、アドバイスをされていたはずがただ自慢話を聞かされていたというようなこともあった。

そのひとつひとつを細かく検分することは避けるけど、今でも心の引き出しにしまっては時折必要に応じて引っ張り出すようなアドバイス達を並べてみると、そのほとんどが「少し遠い場所」から届けられた言葉のように思う。

隣の部署のお偉いさんだったり、取引先の人だったり、このコラムを書かせてもらっている眼鏡屋の店主だったり。直接語り掛けられなくても、手にした本や歌から届く場合もある。小説の中にも、エッセイの中にも、詩の中にも、電車の中吊り広告の中にも、アドバイスのタネはいつでも目の前に転がっている。

もしかすると、アドバイスとは「する」ものではなくて、受け取った人の中で「なる」ものなのかもしれない。そしてここが重要なのだけど、自分の中にアドバイスをしまえるだけの「隙間」がないとアドバイスにはならないようだ。

隙間。

新しいことを始めんとする時の欠乏感だったり、何かを失った時の喪失感だったり、そんな隙間がある時にかけられた言葉が「アドバイス化」しやすいのだと、我が身を振り返って思う。先日のスポーツジムで受けたアドバイスはきっと、新しいことを始めようとする「隙間」が僕の中にあったから、すんなりとアドバイスになったのだと思う。

将来どうなるかわからないことを始めようとする時に生まれる心の隙間。
届いた言葉をアドバイスとして受け止められる隙間。

その隙間は不思議とワクワクするような高揚感を伴う。

なるべくならいつまでもその隙間を持っていたい。
4月は事を始めるにはうってつけの季節だ。
さて、今年は何を始めて「隙間」を作ろうか。

文/写真:Takapi

感性

この年齢になってはじめて絵を買った。

きっかけはとある雑貨屋で行われていた個展。器作家さんの個展だったのだけど、器以上に壁に飾られていた絵になにか引き込まれるものを感じて、店員さんに絵の作者を教えてもらった。

後日その方のInstagramを眺めていたら、タイミングよくオンラインでの発売予告をしていた。発売日は開始時間をドキドキしながら待った。まるで高校生の頃、好きなアーティストのCDをフラゲしにCDショップに行く時のような感覚だった。

無事に購入でき、2週間後にその作品は届いた。

作品はダンボールやら緩衝材やらビニールやらで丁重に梱包されていた。じれったさを噛み締めながら丁寧にひとつずつ剥がしていく。いざ作品を眼前にかざした時は、「あぁ」だとか「ふわぁ」だとか、いずれにせよ小さく声が漏れ出ていた。

手に取って絵を見つめていると、すぐに何故か手に持っているのが心許なくなってしまい、早々にダイニングの壁に飾ることにした(それが冒頭の写真だ)。

作品を目の前にしてしばらく眺めていると不思議な感覚に陥った。いくつかの言葉が断片的に頭を通り過ぎてはその作品を言葉で表そうとするのだ。

「躍動感のある青々しい風が吹いたかと思えば、その奥に水面も揺れない静謐な泉があるような、温かいような冷たいような、生々しいような無機質のような」そんな風にして言葉が頭の中を駆け巡っていった。

その日以降、作品を目にする度に、波打ち際で揺蕩うような、草原の中そよ風に吹かれるような、大袈裟に言えばそんな感覚を楽しんでいる。

おいしいナチュールワインと料理のペアリングを楽しめるレストランが近所にある。先月行ったばかりなのに早くももう一度行きたくなってしまって先日再訪した。

月替わりでコース料理を変えるお店なので新しい料理を楽しみたいというのもひとつの理由だったけれど、カウンター席で料理とお酒を楽しみながらシェフやソムリエとの会話を楽しめるのも大きな理由であったと思う。

今回も前回同様、感動の連続だった。シンプルな調理なのに組み合わせのアイデアが光る料理と、料理の味わいをしっかり引き立てるお酒の応酬に呆けていると、シェフがつと「なぜもう1回来てくれたのですか?」と聞いた。前回僕らが来たことを覚えてくれていたらしい。

新しいコースを楽しみたかったから、話が面白いから、と当初頭の中にあった理由を並べてみたものの、話し出すとなんとなく違う気がしてきて、「うーん、なんでなんでしょうね?」と聞き返してしまった。

その話は一旦そこで終わり、その後も引き続き料理とお酒についての話を楽しんだ。話を聞いているとシェフは「ふつうは」という言葉が口癖であることに気づいた。

「春であれば“ふつう”は料理に緑を使いたがるのだけど」
「コース料理は“ふつう”はひとつわかりやすいピークを持っていきたくなるのだけど」

それら発言の後には、「でも」が続く。

「僕は早春であれば“黄色”の方がしっくりくる」
「ピークを持ってきたがるのはシェフのエゴだと思う。僕はあまり作為的なことをしたくない」

その話を聞いてひとつのことが思い当たった。
前回食べた料理のことをほとんど思い出せないのだ。

とても美味しい記憶がある。驚いた味わいもある。感動の連続のはずなのに、その場を括る言葉が見つからないのだ。

それはきっと、シェフの出す料理が「これまで僕が経験したことと類似するものがない」からなのだと思う。

メインは上質な肉をシンプルに焼いたもの、とか、春なら瑞々しい野菜を使った料理、とか、大抵は「重ねられた」記憶を引っ張り出して、その記憶と比較しながら、適当な言葉を見つけてようやくその対象を言葉で括ることができる。

けれどこのレストランの料理にはその比較対象がない。だから記憶がするっと抜けていってしまったのではないだろうか。

そして手元に残る記憶は「いい体験だった」という感覚だけ。

このお店に行きたい理由がようやくわかった。
言語化できないものを体験したいからだ。

その理由がわかったのはお店を出た後だった。
このことを伝えにまた来月も足を運ばなくては、と思った。

今の仕事について、業界向けのセミナーに登壇する機会をいただいた。その中で「感性はどう維持しているのか?」という質問をもらった。

「うーん」としばらく唸ってしまった。僕自身、とてもではないが感性が「ある」とは思えないからだ。結局その場では答えられず会は終わった。

感性。

磨くや腐るといった言葉がセットになるように、その言葉には鍛錬と継続の必要性を感じるニュアンスがある。少しマッチョな言葉だ。

それはそれとして僕にとって「感性を感じる人」というのはいる。それは大雑把に言ってしまえば「手仕事」をしている人だ。

触れることを通して対象物を深く知り、その蓄積された「知覚」をもって、新しいモノを作り世の中に向けてアウトプットする人たちは皆、僕にとって感性を感じる人だ。

絵を描く作家もそうだし、料理を振る舞うシェフもそうだ。今着ている服だって着けている眼鏡だって、このコラムを書き込んでいるラップトップだってそうだ。そう考えると僕は「感性を感じる人」に常に囲まれ接しながら暮らしている。

感性を維持するというのは、僕にとって言えば、「感性を感じる人」が提供したものに触れる機会を通して、なるべく言葉を尽くしてみることで(それは往々にして言葉になりきれないのだけど)あって、言い換えれは「感性を受け取る」というようなことなのかもしれない。

では感性を受け取るといいことがあるのか?
それははっきり言ってわからない。

けれど「言葉で表すのが難しい感動が大なり小なり暮らしの中にたくさんある」というのは、常に正解を求められる日々の暮らしにおいて、一時のアクティビティのような爽快感を感じることではある。

だから僕は今日も明日も、ダイニングに飾られた絵を眺めることにする。

文/写真:Takapi

人柄

子どもの頃から感情が顔に出るタイプと言われてきた。

「もう話飽きてるでしょう?」
「あ。またふてくされた」

こんなことを幼少期から大学生くらいまで言われ続けてきたように思う。

30代も後半に差し掛かり、それなりに訓練をして表情をコントロールできるようになったつもりでいるけれど、時折「わかりやすい人」と評されることがあることを鑑みると、大して変われていないのかもしれない。

そんなシンドロームを抱えながら生きているわけだけど、人の運だけはいいようで、一緒に仕事をする人や友人にはいつも恵まれている。

不思議と僕のまわりの友人たちはゆったりと構えて見守ってくれる人が多く、さらには稀に僕のことを「いい人柄だね」と褒めてくれさえする人さえいる。

先日も、とある案件を一緒に進めている職場の先輩に「君の人柄の勝利だねぇ」と言われた。

難しい案件にも嫌な顔ひとつ見せずに協力してくれた方々の話をしている時だった。「本当にありがたいことです」という僕の言葉を受けて先輩から出てきた言葉がそれだった。

いい人とも、人格者とも、人たらしとも違う、人柄(ついでに言えば、いい人と言われたことは一度もない)。

人柄ってなんだろう。

僕が所属している職場の、立場も年齢もだいぶ上の方に取材をする機会があった。

取材の依頼メールを送るとすぐに快諾の返事をいただいた。翌日には、事前情報として取材内容に関する資料や過去の出来事をまとめたドキュメントを送ってくれた(パワーポイントで15ページくらいあった)。

その後もまるで広告代理店の営業のようなスピード感で、数回に分けて事前情報を届けてくれた。文面もとても丁寧で、メールを受け取る度にパソコンに向かって頭を下げる日々だった。

迎えた取材当日。端的に言えばその場はとても熱いものとなった。まるで2倍速のビデオを見ているかのような早口で、取材陣が置いてけぼりになるほど1時間休みなく喋りまくっていただいた。

手元を覗けば、ノートと手帳が開いていて、そこにはビッシリとメモが書かれていた。間違えのないように、漏れがないようにと、時折視線をノートに落とすのを見る度に、身が引き締まるとともにありがたさで胸がぎゅうっとなった。

僕からもいくつか質問をさせていただいた。その中で最近読んだ書籍の話をした。聞いた話と通じるものがあったから紹介したのだけど、その方は書籍名を聞くやいなやすぐに手元のノートにメモを書き込んでいた。

取材が終わった時にはその方の額にはうっすらと汗が滲んでいた。よほど消耗したのだろう、立ち上がる時にはフラッとしたようにも見えた。その拍子で手帳から付箋が数枚落ちた。慌てて拾ったその付箋にも隙間のないほどメモが書かれていた。

取材部屋から退室される際、僕ら取材陣に向けて「期待しています」とかけていただいた声はガラガラに枯れていた。

昨年の夏頃オープンした近所の焼き鳥屋さんが、このご時世もあり、昼間に鳥蕎麦を振る舞うことにチャレンジしていた。Instagramで見かけた写真があまりに美味しそうで、平日の昼間に伺うことにした。

このお店に入るのははじめて。入ればカウンターばかり10席ほどの小さなお店だ。店主は予想に違わず少し強面の兄ちゃんといった風情だった。眉間にシワを寄せながら鍋と向き合う背中を眺めながら(実際に表情は見えていないけれど、背中を見ていると眉間にシワを寄せているのが想像できた)頼んだ鳥蕎麦を待つことにした。

5分ほどで鳥蕎麦が出てきた。一口すすって期待を超えるその美味しさに思わず「うまい…」とこぼしていた。隣を見れば妻も目を見開いている。どうやら同じ感想のようだ。

美味しい料理はつい箸が進んでしまうもので、黙々と麺をすする度に、「うん、うまい」「あー、いいわ」などと妻とユニゾンしていたら、ものの数分で食べ終えてしまった。

食べ終えて一息ついた頃、それまで黙々と鍋に向き合っていた店主がクルッと僕に向き直り「足りましたか?」と聞いた。

あまりに突然だったので何について聞いているのか瞬時にわからず、呆けた顔で店主の顔を見返すことしかできなかった。店主の視線が僕が飲み干したどんぶりに移ったことで、ようやく鳥蕎麦の量のことだとわかった。

改めて店主の顔を見上げると、強面とは裏腹にとてもピュアな目をしているものだから(フレンチブルドックが頭に浮かんだ)、しっかりと答えてあげなくてはと思い「すでにもう一杯食べたくなっているくらい美味しかったんですけど、お腹はいっぱいになりました」と返せば、クシャッと表情を崩して「あぁ、よかったです」と笑った。

そこからは、本来夜から営業する焼き鳥屋がランチ時の鳥蕎麦提供にチャレンジした理由や、現時点における鳥蕎麦の課題点について熱っぽく話してくれたり(課題はないように見えたけれど)、ふだん提供している鶏の質へのこだわりなどを丁寧に教えてくれた。話し始めると店主の目はますます「フレンチブルドッグみ」を増し、ついでに言えばとても楽しそうだった。

このご時世でお店は大変な筈だ。それでも目の前の料理の話となると無心になってしまう人のようだ。ひとしきり話した後、今度は少し離れた席の人に鷄チャーシューの作り方をレクチャーしていた。

「落ち着いたら夜にじっくり楽しみに来ますね」と伝えて僕らは店を後にした。

人柄は「滲み出る」ものと言う。でもこの年になってわかってきたのは、人柄は「漏れ出てしまう」ものだということだ。

その人自身が心血を注いでいること、こだわり抜きたいと思っていること、それをわかってほしくて無心になって伝える愛くるしい姿に、僕らは「人柄」を感じてしまうのかもしれない。

時に熱が入リ過ぎて置いてけぼりにしてしまうこともある。でも彼らから放熱される温かさは、とても心地よくて、しばし当たっていきたいと思わせてくれる。そしてまるで焚き火に集うように、彼らの周辺に人垣が作られていく。

僕自身を振り返って、無心になれているほどの熱源があるかと問われれば首を傾げざるをえない。けれど、好きではないものを好きとは言わないという態度だけは、性分として持っている気はする。ひょっとしたらそんな性分に心地よさを感じている人がいるのかもしれない。

もう少しで冬が終わる。
今年も例年通りとはいかない春を迎えることになりそうだ。
会いたい人にも会えず、うすら寒い春になるかもしれない。

せっかく会えるなら、人柄を感じる人と一緒に過ごしたい。
人柄を感じられる人でいたい。

文/写真:Takapi

陽当たりのいい家に引っ越したからか途端に緑が欲しくなった。近所の観葉植物屋さんに行き、比較的大きめのシェフレラを買うことにした。

買ってはみたものの育て方が皆目わからないので(あまり植物を育てた経験もないしこれまで何度も枯らしてきている)、会計がてら店主に聞いてみたら「適度に水をやって適度に陽に当ててください」となんともあっさりとした回答。

不安そうな表情を察したのか「ただ、環境が変わると結構な量の葉が落ちます。その辺はあまり気にしないでくださいね」と諭された。どうやら植物も人間社会のようなストレスを感じるようだ。

その言葉通り、家に置いてからというもの日に日に葉は元気をなくしていき、10日くらい経った頃には3割くらいの葉が落ち、心なしか一回りから二回りくらい小さくなったような気さえしてきた。

店主の言っていた「結構な量」というのがどの程度のことなのか判然とせず、日に日に痩せこけていく(本当にそう見えるのだ)植物を見ているとこのまま枯れてしまうのではないかと次第に焦ってきた。

2週間経つ頃にはいてもたってもいられなくなり、改めてお店に行くことにした。痩せ細ったシェフレラの写真が写ったスマホを見せながら「こんな感じになってしまったのですが大丈夫なんですかね?」と聞けば、「あぁ、大丈夫ですよ。暖かくなればまた葉は出てきますから」と拍子抜けするくらいのんびりとした返事が返ってきた。

「今この状態で具体的にすることはあるのでしょうか?」と聞けば「適度な水と適度な陽」と前回と同じ回答だった。ひとつだけ付け加えてくれたのは「枯れていると思ったらもったいないと思うかもしれませんが迷わず切ってください」と言われたことくらいだ。

でも店主の話を聞いて不思議と安心している自分がいた。「あぁ。この子は今生きているんだ」と大袈裟にも生命の神秘を感じ始め、痩せ細ったシェフレラがとてもかわいらしく思えてきた(その後妻はシェフレラに名前をつけていた)。

家に帰り、シェフレラの枯れている枝を切り落としたら、シュッとした「体型」になったように見えた。エネルギーが充満しているようにすら見えてきた。現金なものだ。

それからというもの、朝起きて晴れていればベランダに出しては陽を当て、夕方には部屋に入れるということを毎日のように欠かさずに行っている(結構な重労働だ)。

このやり方が合っているかはわからない。けれど植物を見る時間が増えたことはたしかだ。そのおかげなのかわからないが、それ以降葉はほとんど落ちていない。

友人から年末に「今の職場を辞めようかと思っている」と連絡が入った。意気揚々と働く彼の姿はいろんなメディアなどを通じて見ていたし、時折仕事の話を聞いては順風満帆のように感じていた。好きなことを活かした仕事ができて羨ましいとすら思っていた。

だから驚いた。連絡をもらってすぐ返したメールには「話そう」と予定日の候補を幾つか出すくらいには驚いていた。

1週間後にオンラインで1時間程度話した。話を聞けば、かれこれ1年以上前から考えていたこと、散々考えた挙句に出した結論が「もうここにはいられない」というものだったことがわかった。

彼の口ぶりは淡々としていて、それが逆に言外に滲む彼の苦悩を見て取ることができてしまって、気の利いたことを言えなかった。相談に乗るつもりがまったく役に立てなかった。

次のステップについて聞けば、具体的なことはまだ決まっていないと言った。そしてひと呼吸置いて「まぁでも、これまでやってきたことがあるから」と笑った。

その表情には鈍い強さがあった。画面越しだったけれど、彼の目が一瞬滾ったようにすら見えた。

「まだまだやれるじゃん」と手放しで思った。たった一言だけどようやく安心することができた。安心ついでに「ところでさ…」と僕から仕事の相談を持ちかけていた(なんて最悪な友人なんだ)。

でも僕の話を聞いていた彼は心なしか嬉しそうだった。

この間自転車を買った自転車屋さんの店主がSNSでとあるネパール料理屋さんに行ったことをアップしていた。気になって調べてみたら自宅から徒歩圏内だったのでディナーコースを予約して妻と行くことにした。

料理もワインもとても美味しかったのだけど、住宅街にあるとは思えない空気感のあるお店の佇まいや、思わず飾りたくなるような美しい器たち、知識のないネパール料理について懇切丁寧に説明してくれる接客など…ひとつひとつにとても手をかけていることがわかるお店だった。

僕らは最後の客だったこともあって、運よくお店の方と閉店の時間までお話をさせてもらうことができた。その方は器が好きで、器好きが高じて好きな作家さんひとりひとりにお声がけしてお皿を作ってもらっていたり、日本では入手できないオイルのためだけにネパールに飛んだりと、ひとつのお店を作りあげるのにそこまでやるのかとため息が出るようなお話をたくさん聞くことができた。

「お店を出すからにはまた来たいと思ってもらえる理由を作り上げること。後は、やり切る信念なんでしょうね」とこんなご時世の中における飲食店のあり方について、ゆっくりとだけれど力強く話してくれた。

「美味しかったです。御馳走様でした」と席を立てば「こちらこそ楽しいお話をありがとうございました」と頭を下げられた。

来月もまた来ようと妻と話しながら帰途についた。

自身の中にある好奇心の芽を育てるのは難しい。「好き」から始めたことは「飽き」とも背中合わせだ。好奇心や好きな気持ちをくじかれることが続くと「もういいや」とあっさり手放してしまうことも多い。

適度な量の水を与え、陽に当てることを怠らず、枯れてしまった箇所を切り取ったりして、そうやって日々育つための工夫を飽きることなくし続けてようやく太い幹ができるのだと思う。

なんてことのない一般論だ。けれどそこに具体的なノウハウはないということを、太い幹を携えた人たちの目は物語っている。ノウハウだけでは足りないし、熱量だけでも続かないのだ。

さて新年。
言葉にした翌月からは忘れてしまうような抱負を語ることはもう控えることにしよう。

それよりも、この年齢までそこそこ育ててきた幹に目を向けてあげたい。葉を伸ばすことだけに気をとられるのではなく、枯れかけている枝にも気を配ってあげたい。

淡々とした工夫をつづけていく。
小さな工夫の連続が強い根を張らせ、いつかは花だって咲かせると思うから。

文/写真:Takapi