得意

「おふたりの家事分担を教えてください」
この質問にしばらく黙り込んでしまった。

とある雑誌の取材だった。その雑誌では、リモートワークが当たり前になり家にいることが増えた今、家事の効率化や家族の協力関係などを特集しているとのことで、かくかくしかじかいろんな伝手を経て、ついにうちに白羽の矢が立ったというわけだ。

取材前にいくつかの質問は投げてもらっていた。「家事の負担を楽にするための家電やツール」「家事をこなすための時短テクニック」など、質問を並べてみると「基本的に生活は辛い」という前提に立っているようで、「そんなに暮らすことは大変なのか」とまるで他人事のような感想を抱いていた。

その質問票の中に冒頭の質問もあった。答えを考えようとはしていたものの、なかなかうまい答えが見つからないでいた(妻に聞いても「たしかに難しい質問だ」とサラッと答えられただけだった)。

端的に言えば「やれる方がやれることをやる」が基本方針(と言えるほど決まった枠組みでもないけれど)の我が家では、「分担」という言葉で括れるほどキッチリと分けられることがないのだ。

リモートワークになる前から、早く帰ってきた方が夕飯を作ることになっていたし(ともに遅いときは惣菜に頼ったり)、夕飯を作ってもらった方は後片付けと食器洗いを行う、といったように、夫婦で明確に「分担作業」として線を引くより、互いの様子を見ながらやりくりする方が肌に合っていた。

そうは言っても、互いの体質というか、性質で切り分けられている家事もある。朝が弱い妻の代わりに朝食は僕が担当していたり、整理整頓が苦手な僕の代わりに家財一切の置き場所は妻が決めていたり…でもそれは「決め事」というよりは、一緒に暮らして気づいた互いの得意分野(もしくは不得意分野)を見ながら、フィットする方に役割を委ねるような、そんなゆるやかなものだ。これまでの夫婦生活の約10年間、一応なんら不自由なくこれで暮らしてきた(あくまで僕としては、だけど)。

だから四角四面に「役割分担」と問われると困ってしまう。そういうのは決めることではなくて、ふだんの会話や仕草を見て「わかってくる」ものであると思っている節があるからだ。

でも改めて家でやっている家事を振り返ると、そんな風にして「わかって」やっていることは不思議と苦にならないことに気付く。ならないばかりか、少しずつ向上のための工夫を積み重ねているようにも思う。10年前と今の「朝食のオムレツ」を並べたら、圧倒的に今のオムレツに軍配が上がるだろう。そういうものだ。

まぁ、こんなことを言っているけれど、うちのやり方が正しいとはまったく思わない。家族には家族の考え方がある。それはそれとして、誰かと長い期間共同生活をすることで「向いていること」がわかるというのはひとつの(そこそこ大きな)発見であるということはたしかだ。

ひょんなことからとある地域のプロジェクトに関わることになった。プロジェクトと言えば大袈裟だけど、要は地域の特産品を活かした「モノづくり」を、地域の人と外の人を巻き込んでやっていこうというもの。

その地に足を運んだことすらない僕に声をかけてくれた理由を尋ねれば「文章を書ける人だから」ということだ。プロジェクトの様子をレポートしてほしいとのことだった。

先日そのプロジェクトチーム(5人)のオンラインミーティングがあり、メンバーの自己紹介をすることになった。話すときの決め事は3つで、今やっていることと得意なことと苦手なことを話すように、という指示だった。

周りの人が颯爽と手を挙げて話し始めた。大学生からイラストレーターまで、年齢も経歴もバラバラな人の話を聞くのは面白い。そしてみんな活き活きとしている。すごい。ニコニコしながら(できていたはずだ)聞いていたら、僕の得意なことってなんだっけ?と悩み始めてしまった。「はじめまして」の人に話すのはなおさら難しい。自身のやっていることが「いかに狭い世界」で完結していたかを思い知らされる格好になった。結果として声をかけてもらった理由である「文章がそこそこ書ける」というなんとも締まりのない得意なことを話すことになった。

その後は、プロジェクトリーダーからこのプロジェクトの概要や狙いが改めて説明された。ひととおり説明が終わり、気になったことやわからなかったことなど、なんでもいいから意見を聞かせてほしいと言われた。

僕からは、説明の中では言及されなかったけれど、聞いてなんとなく感じたプロジェクトの魅力を「こういうこと?」と解釈を伝えた上で、「だとしたらこんな可能性があるのではないか?」といったようなことを話した。

大きく頷きながら聞いていたプロジェクトリーダーは、僕の話を聞き終えると、少しの間を置いて「まさにそれが考えていたことで、でもずっと言語化できなかったことだ…!」ととても喜んでくれた。その返事を聞いて、そういえば、と思った。これまで僕が仕事でやってきたのはこういうことだったのかもしれないな、と。もしかしたらこれが僕の「得意なこと」なのかもしれない、と。

広告代理店の営業の頃も、クライアントのところに足を運んで話を聞き続けては「つまり今一番のお悩みはこういうことですか?」を繰り返してきた。今やっている仕事も、社員の話を聞いては「こんなやり方もあるかも」と伝えることで、彼ら彼女らの次の一歩をアシストをすることが役割になっているような節はある。

意識的にせよ無意識的にせよ、自身の得意とすることはきっとひとつやふたつはあって、時に思いもよらないところで見出されることがある。ふだんの暮らしのやりとりの中にも、淡々と続けている仕事の中にも、ちょっとしたきっかけで、「得意」はこちらの都合に関係なく現れてくる。

ついついかっこいいスキルとか、天才的なアイデアとか、そんな「得意」が身につかないかと思ってしまうけれど(ちょっと今でも思っていたりする)、なかなかそうはいかないもので、さらには、仮に自分の中で「これは得意なことだ」と見つけられたとしても、それを発揮できる場所や役割が与えられるかと言えば、そこは運に委ねられたりする。

それでも、誰かとのやりとりの中で見出される「得意」は、実際的というか、無理がないというか、大袈裟なことはなくても誰かの役に立っている実感を与えてくれる。そんな得意を見出せたなら、なるべく背伸びをせず、ないものねだりをせずに、手元に見出された「得意」を温めていくようにしたい。

そして今朝も妻は「このオムレツ最高だわ」とつぶやきながら嬉しそうに食べている。

文・写真:Takapi

感動

いつものジムで軽く汗を流し、一息つこうとロビーで寛いでいたら、隣接しているスタジオから小気味いいビート音が流れ始めた。おそらくBTSだと思う(最近音楽に疎い)。その音楽に合わせて女性インストラクターの快活な声が響く。

「はい、◯◯のポーズ!」「腕を斜め上にー!」という声から察するにおそらくダンスレッスンだ。「なかなか合わないですねー」というインストラクターの言葉から、集団レッスンであることもわかる。「合わない」という割にその声から焦燥感のようなものは感じない。どことなく楽しそうですらある。きっと和気藹々とした初心者向けのレッスンなのだろう。

どんな人たちが受けているのだろうと少し興味が出て、帰り際チラッと覗いてみたら、少し禿げかかった白髪の初老のおじさんと目が合った。いや、正しくはレッスンスタジオに設置された鏡越しのおじさんと目が合った、ような気がしただけだった。彼はただ、鏡に映る自身の身体の動きを確認しながら一心不乱に手足を動かしていた。

まさか初老のおじさんがいると思わず、驚きとともにスタジオ全体に目を移せば、10名近い「おじさん」達が一所懸命に踊っていた。数秒程度の観察だが、彼らの表情はインスタラクターの醸す雰囲気とは裏腹に真剣そのものだった。

鬼気迫るようなおじさんの表情と、思うように動いていない(であろう)チグハグなダンスを見ていたら、なんとなく居心地が悪くなってしまって、足早にそこを後にした。

ジムを出て少し歩いていたらしてふいに込み上げるものがあった。急なことで一瞬たじろいだ。鼻の奥がツンとして少し目が潤みさえした。

なんだこれは?突発的な感情の波に溺れながらその出所を頭の中に求めた。でも探らずともほんとはわかっていた。

僕は感動したのだ。真剣な表情でチグハグなダンスしていたおじさん達に感動してしまったのだ。

その足で行きつけの洋食屋さんに入り、カウンターに座って、今しがた起きた感情について思いを巡らせてみた。

なぜ僕はあのおじさん達に感動したのか、いくら考えても理由がわからなかった。同情ではない、憐憫でもない、そういう類の感情ではないことはわかった。でもそれ以上いくら考えても理由が出てこなかった。

考えることを諦めて、ぼんやりとシェフの動きを目で追うことにした。この洋食屋のシェフの一片の無駄を許さない所作がとても好きなのだ。

このお店の名物はハンバーグ。半数以上の人がお昼時に注文をする。シェフは注文を受けると静かにフライパンに火を点し、バットから「タネ」を取り出すと、2度3度自身の両手でキャッチボールをしてそっとフライパンに載せる。載せたらその間にキッチンまわりやまな板を専用のふきんで拭く。一定の時間が立ったらフライパンに水を差し蓋をする。焼き上がる間にまたシンク周りをふきんで拭く。

そのひとつひとつの動作を見ていると、きっと数千回、ひょっと数万回と繰り返されてきた所作なんだろうということはわかる。それだけ一切無駄のない動きだ。一連の所作には厳格な雰囲気さえ漂う。なるほどシェフの持ち場は「聖域」と呼ばれる理由がわかる。シェフの面立ちにもそれは表れている。きれいな坊主頭に一筋の険しさが宿る表情はまるで修行僧だ。それでも料理ができあがればいつも慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、太く穏やかな声で「お待たせしました」とカウンター越しに差し出してくれる。

言うまでもないが、ここで出されるハンバーグはとても美味い(前にも書いた気がする)。この日も夢中になって皿と向き合い、ものの数分で完食した。

水を一口飲み、ホッと一息入れてキッチンに目をやれば、数分前と寸分変わらない厳格な背中がフライパンと向き合っている。シンクやステンレスの壁は汚れひとつなく、それでいて新品とは違う使い古された親密な光を放っている。

「ごちそうさまです」大きな背中に頭を下げて席を立つ。勘定を済ませ店を出る時には「ありがとうございます」とシェフが背中に声をかけてくれる。

その声を背負ったまま店を後にした。みぞおちあたりが温かい。その温もりはきっと料理だけではないはずだ。

ここにもひとつの感動があった。

今年はこれまでになく感動を強要された夏だった。そして感動を疑った夏でもあった。

1年順延された祭典には、遅々として進まない感染症対策に対する市井の苛立ちを、「スポーツの感動」で覆い隠さんとするような狙いが見えてしまって、いざ祭典が始まっても、自身の感情に蓋をするように、画面越しのアスリートから目を逸らす日々が続いた。

そんなことだから、メダルをとった歓喜の声がテレビ越しやSNSのタイムラインに上がる度に、なんとも行き場のない感情とやり合う羽目にもなった。感動に尻込みする数週間だった。

本当ならもっと気安く感動したい。けれど「道具」にされた感動からは距離を置きたい。まわりの空気にも流されたくもない。なかなか難しい。考えすぎなのかもしれない。

翻って、先日のジムと洋食屋で感じた小さな感動は、湯船に浸かるような気分の良さがある。鼓舞するような強さはないけれど、ゆっくりと染み渡る滋養のような温かさがある。

感動なんて小さくたっていいし、誰に理解されなくてもいい。

身体の器官なのか、頼りない心なのかはわからないけれど、「自分自身の中を通った感動」だけは僕自身がしっかりと把握してあげたいし、できるだけ手放さずにいたい。

文・写真:Takapi

固執

半年前くらいにInstagramをぼんやりと眺めていた時に再会してしまったのが事の始まりだった。今から25年前、中学生の頃、あまりにもプレミアムがつき過ぎて手の届かなかったエアマックス。そのエアマックスの中でも、散々リバイバルされ続けている「ドル箱」の95でも97でもなければ、その独特なデザインから賛否がわかれた96でもない。ほとんど注目もされずに歴史の彼方に追いやられてしまった「エアマックス96 Ⅱ」がスクリーンの中に突如として現れたのだ。

「胸をつかまれる」というのはああいうことを指すだろう。なぜかその姿が頭に居座ってしまい、その日以降毎日のようにgoogleで、NIKEの公式オンラインショップで、Instagramで「エアマックス96 Ⅱ」を探す日々が続いた。

中学生当時を振り返っても、その商品は仲間内では大した評価ではなかったと思う。おそらく誰も履いていなかったのではないだろうか。むしろ履いていたら「ダサい」と笑われるような代物だったかもしれない。

しかしながら25年ぶりに「エアマックス96 Ⅱ」に再会してからというもの、頭の中のほとんどが「エアマックス96 Ⅱ」で占められた。固執していると言ってもいいくらいにその姿を追い求めた。

よくよく調べると昨年末くらいにリバイバル商品として出されていたらしい。しかしながら公式ショップには既に姿はなく、あやしげなオンラインショップでは定価の1.5倍〜3倍くらいの値段で売られているだけ。さすがにそこで買う勇気はなかった。それでもInstagramで「エアマックス96 Ⅱ」を見つけると、その度に胸がはやるような気持ちに苛まれた。

入手することはできないだろうとなかば諦めていた7月某日、「エアマックス96 Ⅱ」は再び公式ショップで姿を現した。「なぜ?」「ほんとに?」胸の高鳴りを抑え、手汗のかいた指で何度もそのサイトが本物かを確かめ、5分後に購入ボタンを押した。

ここまでおおよそ半年ばかり「エアマックス96 Ⅱ」に固執させ続けたものの正体は一体なんだったのだろう。青春時代特有の「何か」を取り戻したかったのか、もしくはあの頃に踏ん切りをつけたかったのか。その理由は今でもわからないけれど、もし「こじらせ消費」という言葉があるのであれば、今回の行動は間違いなくそれに当たると言える。

さて、購入して二日後に届いた「エアマックス96 Ⅱ」だが、散々あれだけ気持ちがたかぶっていたくせに、いざ手元に届いた瞬間から徐々に気持ちが冷めている自分がいた。いや、白状すれば手に届いた瞬間にはもう飽きてすらいた。

あれだけ欲しがっていた「もの」は一体なんだったのだろう。ぼんやりと見えてしまいそうなその恐ろしい正体から目を逸らすように、ほとんど毎朝「エアマックス96 Ⅱ」を履いて散歩をしている。

固執と聞いてもうひとつ頭に浮かんだのが家で使っているカレーのスプーンだ。

どこにでも売ってそうななんて事のないスプーンなのだが、子どもの頃からずっと使っていて、結婚してもなお実家から持ってきてはずっと使い続けている。ここ数年、器好きが高じて毎月のように買い付けては毎度置く場所に頭を悩ませる中にあって、カレースプーンだけは不思議とどんなスプーンを見ても「響かない」のだ。

以前、何かの景品で「カレー用に開発されたスプーン」なるものを頂戴したことがあった。なにやらカレーのルーと具材がちょうどよく乗る深さを計算されて作られたものらしく、ものは試しと使ってみた。

しかしながらどうも僕の口にはフィットしなかった。口に運んだ時の「カレー感」が弱いのだ。カレー感というのはどんなものかを聞かれてもうまく答えることはできないのだが、とにかく言えるのは、最高の「カレー感」を堪能できるのは子どもの頃から使っているスプーンなのだ。頂戴した「カレー用スプーン」はひき出しの奥にしまわれることになった。

このスプーンについて言えば、愛着という言葉をこえて固執していると言われても否定はできない。ついでに言えば、カレーの味の好みは大人になってガラリと変わっている。にも関わらずフィットするスプーンだけは変わらないというのも不思議だ。固執だ。

同じように、偏屈なまでに固執していたものにランニングシューズがある。中学高校と陸上部でずっとMIZUNOを履いていたこともあって、大人になり、ジョギングがささやかな趣味になった時も、選んだシューズはMIZUNO一択だった。それ以外のメーカーは評判やクチコミを受け付けないほどのMIZUNO信者だった。

それが数年前からはNIKEを履いて走っている。きっかけは箱根駅伝のランナーが全員NIKEの、しかも同じシューズを履いていたことだった(さらに言えばそのシューズそのものがものすごくかっこよかった)。その光景を目の当たりにして、それまでのMIZUNOへの偏狭なくらいの愛情はなんだったのかと思うくらい、あっさりとNIKEに鞍替えしてしまった。

こんなことだから、ある日突然出会った運命的なスプーンにあっさり目移りする日もそう遠くはないのかもしれない。

何かを無性に手に入れたくなったり(手に入れた途端にすぐ飽きたり)、はたまたそれ以外を一切受け付けなくなるようなことはある。その衝動のような思い入れは、時に愛着という優しいベールに隠されることもあれば、「見る目がある」と賞賛されることだってある。

でも、欲しがることも受け付けないことも、「それ以外が見えなくなる」という意味においてはそんなに変わらない。さらに言えば、ふとしたきっかけで180度変わることだってある。それだけ、人の気持ちは移ろいやすく、留まりやすく、かたい上にもろいのだ。

何を選び何を拒むのか、その裏側で何を欲しがっているのか。わからないことの方が多いし、わかる必要もないことの方が多いけれど(いちいちひとつひとつ吟味していられない)、時に立ち止まっては、その愛着の裏に、固執の手前に、何があるのかを自身に問いかけてみるのもいいかもしれない。

日々世の中で起こる事象に対して、脊髄反射的な「イエス・ノー」「好感・嫌悪」「良い・悪い」「かっこいい・ださい」といった二極化した言葉が流れる中にあって、自身の中のささやかな「固執」の元を知ることは、大きな濁流に飲まれることを止めるひとつの方策のようにも思うのだ。

文/写真:Takapi

おまけ

近所にある鮮魚店に週に1度くらいの頻度で通っている。魚がただただ美味しいというのもあるけれど(切り身はスーパーの2倍くらいの厚みがあってジューシーだし、自家製の塩辛はちょうどいい塩梅で絶品)、それ以上にご機嫌な店主のおじいさんとの数分の会話が楽しいというのが通う理由でもある。

「今日はイサキのバター焼きなんてどう?」
「スーパーの魚がなんであんなに安いか知ってる?」

などと時に料理の先生に、時に経済評論家になって話しかけてくれる。たまに同じ話になることを差し置いても面白い。なにより話の間ずっとニコニコとしているおじいさんを見ているだけでなんだか元気をもらってしまうのだ。

振り返ればもう半年近く通っていることになる鮮魚店だけど、ここ2ヶ月くらいは行けば2回に1回はおまけをくれるようになった。

ふだんは手が伸びないような小さな蒲鉾をニコニコしたままサッと袋に入れてくれたり、「いっぱい食べなさいよ」とブリの切り身をひとつおまけしてくれたりする(ひょっとしたら僕のことを大学生くらいに思っているのかもしれない)。

そんなことがあったからか、スーパーで魚をとんと買わなくなった。時折夜が遅くなってスーパーで魚を買ってしまうと、なんだか悪いような気持ちにすらなってくるから不思議だ。小商の真髄を見ているような気分でもある(大袈裟だけど)。

もうひとつ贔屓にしているお店が近所のコーヒースタンド。かれこれ1年近く我が家のコーヒーはここのコーヒー豆だ。

おそらく僕と年齢が近いであろうカップルが切り盛りしているこのお店は、常に常連さんが顔を出しているような、朗らかな会話が行き来している心地いい空間でもある。当然ながらコーヒーは美味いし、自家製のお菓子も美味しい。

行けば少し会話をする程度だが、そのちょっとした世間話(今日は雨ですねー、先日の『アド街』見ました?)が、在宅勤務続きで結論ありきの会話に浸り切ってしまった身を、束の間現実に引き戻してくれる。

先日行った時は「ちょうど焼き上がったんで」とクッキーをひとつサービスしてくれた。そのさりげない「おまけ」の仕方がくすぐったくて、帰ってからすぐにコーヒーを淹れてクッキーを食べた。

鮮魚屋さんもコーヒー屋さんも徒歩圏内にある。この街に引っ越してきてよかったと最近しみじみ感じる。

なんにしても「おまけ」をされるのは気持ちがいい。なんとなく「お世話になっています。これからもよろしくね」と言われている気がする。そう考えると、もちつもたれつの間に「おまけ」があるとも言える。

人によっては恩着せがましくて嫌、という考えもあると思う。僕も昔はそんなことを思っていたような気がする。「タダより高いものはない」と幼少期の教えはなかなか抜けないもの。少しでも「おまけ」されると腰が引ける、というかむしろ疑っていたような節もあった。

でも最近は、「おまけ」を受けることで僕の中で芽生える強制力のない小さな責任感みたいなものが気持ちがいい。それが住んでいる街に点々とある、というのもまた。

「おまけ」されたことがたて続いたものだから、ふと自身はこれまで「おまけ」をしたことがあっただろうか?と振り返ってみた。

サラリーマンとして生きてきたので鮮魚店やコーヒースタンドのようにモノで「おまけ」をすることは実質的にはできてきていない。では何をもって「おまけ」なのだろう?とちょっと考えてみる。

近いかもしれないと思ったのが「奢る」という行為だ。お世話になった人に「これからもよろしくね」と奢る行為は「おまけ」に近いのではないのだろうか。現に奢ってもらった記憶をいくつか紐解くと(大抵酔っ払っているので薄い膜のかかった記憶だけど)、奢ってくれた方々は皆口を揃えて「これからも頼むよ」「頑張れよ」といった声をかけてくれていた。

そんなゆるい期待を込めた「おまけ」を、これまでたくさん受けてきたことに改めて気付かされた。

そしてそこまで振り返って愕然とした。奢ってもらった記憶はたくさん引っ張り出せるのだけど、奢った記憶となるとほとんど思い出せないのだ。この年齢になってさえ、僕は圧倒的に奢ってもらってばかりなのだ。自身の薄情さに辟易とする。

感染症のせいで実質的に奢ることができない今のうちに、奢りたい人リストを作り上げておきたい。

先日久しぶりに出社して後輩と顔を合わせた。ふだんオンラインでテキストのやりとりはしていたものの、やはり面と向かうと嬉しいもので、しばらくはとりとめのない雑談に花を咲かせた。

リモートワークが浸透してきて効率よく仕事が捗るようになった反面、これまで当たり前にできていた雑談が気軽にできなくなった。そんなことだからか、世の中的にも雑談の必要性が説かれる機会が増えたように見える。ただ時にその「必要性」は、肩に力の入った言葉に映ることがあって、余計に雑談ならではの気軽さを遠ざけてしまう。

「雑談をしましょう」と言葉だけ眺めれば爽やかに映るけれど、僕なんかは雑談って意図して自ら「する」ようなものではなく、勝手に「なる」ものなのでしょう?と、「雑談しよう」の標語が出てくる度にいつも首を傾げていた。

それでも、雑談でもおしゃべりでもいいけれど、会えば気軽にとりとめのない話をしたい人というのはたしかにいる。話すことはなんでもいい。昨日食べたものでも、最近感動した本でも、気になり出したお腹まわりのことでもいい。そんな人たちを思い浮かべてみると、共通するのは「これからもよろしく」と思う顔ばかりだ。

雑談やおしゃべりというのはもしかしたら、もっとも小さくてもっともお金のかからない「おまけ」なのかもしれない。そうであれば、僕が今できるのは積極果敢に雑談を「する」ことである。天邪鬼を気取って首を傾げている場合ではない。潔く前言撤回させてもらいたい。

心地よく暮らすために、街にも人間関係にも「おまけ」が溢れている方がいい。
「引き続きお世話になります」とゆるい責任を抱えていきたい。

文/写真:Takapi

距離感

本来であれば、大学時代のサークルの友人の結婚式に参加するため、北海道に行っているはずだった。

式の日取りが決まった半年前から、結婚式に招待されたサークルの仲間同士でLINEグループを作っては、前日入りするかどうか、何をして遊ぶか、など賑やかな会話が行き交っていた。僕も久々の再会を楽しみにしていた。

それがGW前後で東京・北海道で緊急事態宣言が発出されてから雲行きが一気に怪しくなった。

それからというもの「1日くらいなら大丈夫だろう」「それでも、もし感染してしまったら」と頭の中の楽観と悲観がしのぎを削って戦う日々が続いた。悩みに悩んだ挙句、式の2週間前に欠席する旨を伝えた。聞けば周りの友人のほとんどは現地で参加することにしたようだった。

式の前日、新郎になる友人からzoomのURLが送られてきた。ニュースなどでは見て知っていた「zoom結婚式」だ。
まさか僕が体験することになるとは。果たして画面越しにみる結婚式を楽しむことができるのか、まったく自信がなかったから(というか無謀な挑戦に見えた)、近くのクラフトビール屋さんでしこたまビールを買って当日を迎えることにした。

当日、定刻にzoomに入れば、無人のチャペルが目に入る。神父が立つ場所の近くから会場全体をぼんやり映していた。少しして参列者が入ってくる。現地のネット環境が悪いのか画像が粗い上にBGMも途切れ途切れだ。

予想通り式は淡々と進行した。何度も見てきた光景だ。進行は見なくてもわかる。時折画面に目を向けて式の進行具合を確かめつつ、ビールを飲んだりスマホを覗いては時間を持て余していた。

それでもふたりが宣誓をするシーンでは、彼らの言葉を拾わんとパソコンの画面にスマホを向けて動画を撮った。そして小さく「おめでとう」と呟いていた。

滞りなく式は終了し、画面は披露宴会場に切り替わった。
無人の披露宴会場に式場のスタッフの方々が忙しく目の前を行ったりきたりしている。

やれやれ、この画面をあと2時間以上も見続けるのか。こんなことなら無理してでも行くべきだったな、と少しげんなりして2本目のビールを開ける。

ほどなくして披露宴会場にゲストが続々と入ってくる。画像は粗く音声は途切れ途切れのまま。友人たちを見つけることもできない。

事前情報として、このご時世だから全員マスクは必須、お酒も提供されずに会話も最小限に、という「お触れ」が出ていることは知っていた。そんなことだから画面越しに始まった披露宴は、僕が知っているそれとはほど遠く、どちらかというと豪華なビジネスカンファレンスを覗いているような感覚になった。

要はとても静かなのだ。かすかに聴こえるBGMと司会者の抑制のきいた声が響くだけ。そこに重ねるように単調な「ご挨拶」が続く。だんだんと眠くなってくる。たまらずスマホを取り出し、現地参加している友人たちのLINEグループを開く。

「スピーチ間延びしてない?」
とメッセージを送ってみる。

ほどなくして数人からメッセージが返ってくる。
「新郎の目が死んでる笑」
「司会者が○○(芸人)に似てる」
送られてきたメッセージにはご丁寧に死んだ目をした新郎の写真と、司会者の写真が添えられている。

そこから何かのスイッチが入ったのか、ほぼ2時間ずっと友人たちと「おしゃべり」をすることになった。
不思議な感覚だった。画面越しにいるはずの遠く離れた友人たちとスマホ上で会話をしている。でもそれがなんとも楽しい。

披露宴が終わる頃、1分程度の動画が送られてきた。
気を利かせた友人が、新郎と友人達の席を回っては僕宛のメッセージを集めてくれた。

お酒が入ってないからか、一様に面白味のないコメントだったけれど、ふいにこみ上げてくるものがあった。わざわざ動画を撮ってくれたことが嬉しかったのもある。ただそれ以上に感じたのは「あぁ、みんな生きてたんだな」という当たり前のことだった。

そしてその時になってようやく、今僕らは距離を隔てているのだということを実感した。実感したら余計に友人たちに会いたくなった。新郎に「おめでとう」と直接声をかけたくなった。

気持ちを鎮めるように一度スマホを脇に置き、ビールを一口飲んでから「ありがとう。飲みたいね」とだけ返信をした。

リモートで仕事をすることが当たり前になり、オンラインのやりとりにも不足を感じないようになった。わざわざ会いに行って互いの意志を確認をせずとも仕事ができてしまうことに、そして一度も会わずに仕事が終わることにすら不安も不満も感じなくなってきた。

今進行しているプロジェクトも新しいパートナーさんと進行している。しかしながらいまだ一度も会えていない。週に1度程度のオンラインの打ち合わせを繰り返し丁寧に意思疎通をしてきたつもりだったし、うまくいっているようにも思えていた。しかしながらここにきて、それは思い込みだったことに気づかされることになった。

出てきたアウトプットがどうしてもこちら側の意図を反映しているものに思えないのだ。なんならやっつけ仕事のようにすら思えるような出来栄えだ。

これまで何度も打ち合わせをして伝えてきたことはなんだったのだ。口には出さずとも出てくる語気は強くなってしまう。パートナーさんも僕の空気を感じたのか身構えるような口調になる。空気が硬くなっていくのがわかる。

「このままではいけない」咄嗟に繕うように、改めて今回のプロジェクトにかける思い入れを話すことにした。上がってしまった体温を鎮めるように丁寧に説明するつもりが、思いと反してどんどん熱を帯びた口調になってしまう。自分でもわかるくらい支離滅裂な内容でもあった。

「ようやくわかったような気がします」
一通り話し終えて息切れした僕の呼吸が戻るのを待ってからパートナーさんはそう言った。

「え。今ので?」こちらとしてはまったく手応えがない。
「ここまで伝えていただいたのははじめてです。大変失礼しました。次は大丈夫だと思います」
そこまで言うと、パートナーさんにようやく笑顔が戻った。

その後は事務的な打ち合わせを経て「退室」となった。画面から人の姿が消えてからようやく大きく息をつくことができた。そこではじめて脇と掌と首筋が汗ばんでいることに気づいた。

好むと好まざるに関わらず、1年以上前から蔓延している感染症は、実質的な人との距離を遠ざけることと引き換えに、人間関係における「距離感」を極めてゼロに近づけることに成功した。

距離感の喪失は「どこでもドア」さながらインスタントに会える機会を拵えられる反面、これまで対面して伝えられていた機微を奪ってしまう。その弊害が今いろんなところで噴出しているような気もする。個人的なことであれ、社会的なことであれ。

距離が奪われるということは、本来そこにたどりつくまでの道程をショートカットすることであり、その道程とはつまり「想像する」ということなのだと思う。

友人の結婚式に遠隔で参加し、仕事で画面越しに汗をかいたことでわかったことは、逆説的なようだけど「距離がある」ことを知ることで取り戻せることがあるかもしれないということだ。

紛れもなく今日も、そこに人はいる。
一定の距離を置いて、そこにいる。

その距離を思うこと。
その距離を忘れないでいたい。

文・写真:Takapi