負荷をかける

ズーンと沈み込むような重さだった。

お盆を過ぎた頃、所用のため夕刻早めに在宅勤務を切り上げて、電車で数駅先まででかけた帰り道。21時をまわった世田谷線の駅の誰もいないベンチに腰掛けたとき、ベンチがまるでクッションのように硬質さを失い身体の重さに合わせて沈み込んでいくような感覚を覚えた。同時に身体全体にGがかかったような重さを感じた。そして抗えないような眠気が襲ってきた。

数10秒後に電車のアナウンスが鳴り、電車がホームに流れ込んできたのを合図に立ち上がろうとしても、腰を上げるのに手持ちのエネルギーをすべて絞り出すくらいの気概が必要だった。そのくらい重たかった。

「疲れたな」帰り道、家の近所の公園を横切る時にそう呟いていた。言葉にしてはじめて身体が、脳みそが、先ほど感じた重さが「疲れ」なのだと認識した。

疲れている。いや、もっと正確にいえば、身体の一部がずっと欠けているような感覚と言ったらいいのだろうか。筋肉・血液・その他身体を構成するパーツのひとつまたは複数の要素が減り続けている感覚だ。その要素は補充されぬままついにエマージェンシーをあげたとも言える。

補充されぬままの要素とは何か。おそらくここ半年の暮らしの変化によるものが大きい。そのくらいはわかる。

この半年で僕の暮らしは一変した。

朝早く起き満員電車に揺られる代わりに、朝はゆっくりと起き近所の公園を散歩し、気のすすまない対面の交渉ごとの代わりに、メールやslackで整頓された用件を伝え合意形成をはかり、空腹に耐えきれずお昼の定食のご飯を大盛りにする代わりに、昼は粗食にして午後3時にはコーヒーを淹れチョコレートを頬張り、雑談やら会議やらで仕事が捗らずに20時過ぎに会社を出る代わりに、19時にはあらかたの仕事を終え5キロほど近所をジョギングをしてシャワーを浴びてはビールを飲む暮らしになった。

効率化。

端的にいえばそうなのだろう。今の僕の暮らしは、これまで首を傾げながらも従ってきた「形式」からようやく解き放たれ、実に簡便にコトを進められるようになった。

エネルギー消費は確実に減っている。それなのに何かがずっと減り続けているような感覚がある。そしてそれはどうしようもない疲労感を伴っている。

マシーンのように効率化するだけでは人間はうまくいかないらしい。少なくとも僕はそうだ。「疲れ」についてもう少し考える必要がある。

これまでの人生で疲れていた頃を思い出して浮かんでくるのは、部活に明け暮れた高校生の頃と、右も左もわからない社会人なりたての頃だ。

陸上部だった僕は、毎朝5時に起き、ほぼ始発で電車に乗り込んでは学校に着くなり朝練をこなし、昼休みはトレーニングルームで筋トレ、放課後はみっちりと日が暮れるまで練習をする生活を送っていた。

これだけの練習量をこなせば当然帰宅後は何もする気が起きず、ご飯を食べ風呂に入ったらサッと勉強を済ませて(あるいは翌日に回して)すぐに寝るような生活だった。

今こうして振り返りながらも、あの練習量に耐えられたなと思うけれど、日々の練習で疲れきった身体も、翌朝になればほどよい筋肉痛を伴って、むしろエネルギーに満ちていた。早朝学校に着いた時には早く走りたくて仕方がなかった。

ひとつ思い出せるルールがある。それは特に練習を追い込んだ翌日に必ずやらされていた、サッカーやバスケなど陸上競技とは関係のないスポーツをするというレクリエーションだ。「積極的休養」と言われたそれは、完全に何もしない休息を与えるよりも軽い運動をすることで回復を早めるというものだった。

休養という名の「別の刺激」を与えることで身体の調子を整えることを当たり前にやっていて、その頃それはとても機能した。身体を酷使する練習ではなく、ただ楽しむためだけの運動は、身体が喜ぶのかバキバキの筋肉痛でも不思議と身体が動いた。さらに言えば、「別の刺激」を受けて回復した身体は、ひとまわり大きく強くなったような気にさえなった。

新卒で入社した会社は、入社2日目に「飛び込み営業」をさせるような体育会系の現場だった。慣れない社会人のしきたりに戸惑いながら終電近くまで残る業務、おそらく今ならパワハラ認定されるであろう上司の「かわいがり」、毎朝8時には出社しなくてはいけないしきたり(毎朝6時に起きていた)、そんな日々の中にあって、疲れは溜まっていく一方だった。朝の電車でいかに立ちながら睡眠をとるかが目下の課題だった。

それでも夜10時になれば「終電まで」と会社をいそいそと出て飲み行ったり、月金まで働き疲れ切っているはずの土曜日の朝に、河原に集合してはバーベキューをするような活動ぶりだった。

今思えばだいぶ無茶な日々だ。ストレスフルな仕事とは真反対の「楽しい刺激」をわざと入れていれることで相殺していたような気がする。それは高校生の頃の「積極的休養」となんら変わらない本能的な回復方法だった。

どうやら、意識的にせよ無意識的にせよ、自身にかかった負荷はただじっと座して回復するのを待つのではなく、別の負荷をかけることで回復をするようなことがあるらしい。

かかる負荷に代替する負荷。生きていく上では双方が必要というわけだ。

まぁ。とはいえ「それは当時若かったからだろう?」と言われればその通りなのだけど。

夜の街はまだ少し気が引けるからと、8月末の週末の午前中に友人らとブランチをすることにした。朝からビールを出すお店で、ほどよくお酒も入り2時間程度よく笑って話せた会だった。ほろ酔いで解散し、酔い覚ましのためひとりで渋谷のカフェに入った。

椅子に深く腰掛け、アイスコーヒーを一口すすった時、ほどよい疲労感が全身を包んでいるのがわかった。それは頭から爪先まで均等に行き渡ったような疲れだった。その疲れが心地よくてそのまましばらく微睡んだ。目を閉じれば周囲のザワザワとした人の気配を感じる。それが不思議と気持ちがいい。僕が僕自身から開放されるような感覚があった。

目が覚めた時、どこか浮遊するような軽さが身体を纏っていた。先日の駅のホームで感じた重さとは真逆の感覚だった。そして全身に残った倦怠感とは裏腹に頭は冴えていた。伸びをひとつしたら、疲れが雲散霧消するような、そんな予感に満ちていた。エネルギーが充填されていた。

効率化した「やりとり」の負荷に代替するもの、それは手を伸ばせば触れる距離で友人知人と非効率な(そしてそのほとんどが馬鹿し合いの)話をすることだったり、街の営みに身を任せては、その場の空気に馴染んでみることだったり、そんな「人の気」なのかもしれない。

僕には人の気が足りなかった。

そのことがわかったら拍子抜けしたように安心した。
それは今はまだ徐々にでも、ふだんの暮らしで充填できるものだから。

陽の高い帰り道の中、はずむような足取りで帰途についた。

文・写真:Takapi

知るを道楽する

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「はい。教えてください」

画面越しでその人は笑顔で挙手をした。オンライン飲み会の最中、僕が話した内容に対して(なんの話をしていたかは忘れてしまった)、そこんとこもっと詳しく教えてくださいよといわんばかりに、その人(僕より5歳くらい年下)は勢いよく手を挙げた。真上に挙げられた手は画面から見切れていた。

なんだかその光景が懐かしくて、それでいて清々しくて、飲み会が終わりパソコンを閉じた後も頭の片隅に残っていた。

僕が最後に挙手をして教えを請いたのはいつだろう。思い返してみたが思い出せない。大学生の頃のゼミだったろうか。社会人になってからは(なかば強制的な)「学び」の機会はたくさんあっても、勢いよく挙手をして誰かに教えを請うことはほとんどなくなってしまったようにも思う。

「知っている」ことに対価が払われる仕事においては、当然ながら「知らない」は遅れを取ることを意味する。「教えて」の一言で相手との立場が逆転することだってあり得る。

長年のそんな環境が、無垢に挙手をして「教えて」と伝える機会を逸しているのかもしれない。その環境はいみじくも「同じことを知っている」人をつなげ、ますます「知りたい」の好奇心を遠ざける(ような気がする)。

さらに言えば、一旦「教えてもらう」環境を手放してしまうと、いざ教えてもらおうと思ってもそれ相応のエネルギーが必要になってくる。

新しいことを「知る」ということは、異物を消化器系に放り込んで咀嚼するようなことだ。その結果拒絶反応だってアレルギーだって起こす可能性のある行為でもある。さらには消化するための身体の「空きスペース」も必要だ。満腹の状態では当たり前だけどちゃんと消化できない。だから、教えてもらうことにはそれ相応のエネルギーが必要になるというわけだ。

パソコンを閉じて感じたのは、僕にはその熱量が低下しているということ。そして付け加えるのであれば「空きスペース」も少なくなっているという懸念だ。

そのことに少し落ち込んだ。それは僕の中で「知らないことを知りたい」という好奇心が薄れているということを突きつけられたような気がしたからだ。

と、なかば暗い気持ちになったところで「あっ」と思い当たることがあった。手を挙げて自ら教えを請うことは減っても、最近は自然発生的に「知らない」ことに出会う機会が増えていることに気付いたのだ。

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年内に引越しをすることになった。7年前に新築で買った今の家を売り、僕の年齢と同じ築年数の物件をリノベーションすることにした。

先月から、リノベーションを担当していただくことになった建築士さんと週に一度オンラインで打ち合わせをしているのだけど、これがとても楽しい。

その方の話がそもそも面白い(話し始めると止まらない)というのはあるにせよ、入ってくる情報がすべて僕にとって真新しい情報で、聞くたびにじんわりと体温が上がる。身体全体が新しい情報を受け入れることを喜んでいるのがわかる。

毎回2時間程度の会話の中で、家の基本的な構造の話から海外のインテリアデザイナーの話に至るまで、ありとあらゆる「住まい」の知識が洪水のように飛び込んでくる。

新しい言葉が出る度にスマホを取り出してはメモをして、打ち合わせの後で調べるようにしているのだが、それでも毎回真新しい情報が更新されて追いきれなくなってくる。そんなアップアップする状態も楽しい。住まいひとつとっても「知らない」ことは無尽蔵にあることを知った。

「教えて」を阻むハードルのひとつが「環境」であるならば、自分の立場を離れて別の世界に踏み込むことは、真新しい「知らない」に出会うチャンスでもある。

何歳になっても心躍る体験だ。僕は今(おそらく)平熱が少し上がっているはずだ。

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料理家の友人から「○○さん(僕の名前)が好きそう」ということで一冊の本を送ってくれた。ひとりで出版社を立ち上げたという方のエッセイ本で、読み進めてわかったのはその方が出版された本の中の一冊が、僕の家の本棚に飾ってあり、個人的にもとても好きな一冊であるということだった。

その偶然が嬉しかった。埋まっていたはずの「知っている」エリアににポンっと空きスペースができたような気分になった。

ともすれば、何かを「知る」ということは、ひとつの事象を言葉で捉えることではなく、自身の中で積み上げてきた「知っている」の隙間に「知らない」をはめ合わせていく工程のようなものなのかもしれない。それはまるで永遠に埋まることのないパズルのピースをはめていくような途方もない作業のようにも見える。

そう考えると、「知る」ということは「知らない」を増やすためのひとつの「道楽」のようなものであると捉えることもできる。

そして「知っている」と「知らない」をつなぐアシストをしてくれるような人たちは、その道楽を道楽たらしめる貴重な存在だ。

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今日も「知っている」ことを誇示する強い言葉が僕の眼前を横切っていく。

強い言葉は「餌」だ。答えを求める「知らない」を我慢できない(もしくは「知る」を強要された)人たちの目の前には、都合のいい「知っている」が美味しそうにぶら下がっている。

その先には釣竿をもった「知っている人」が待っている。食いついた人はその一時の美味しさに歓喜し、「知っている人」から次の餌が与えられるのを待っている。そんな人たちを従えて、声の強い人はより強さを纏った「知っている人」になろうとする。

その悪循環(そう悪循環だ)が今、各所で様々な弊害を生んでいるようにも見える。

ひとつ言えることがあれば、「知る」は果てのない所作の連続であり、ついでに言えば「知る」は自分の中にしか生まれないということだ。自身の中で築いた「知らない」の数の分だけ、その人だけの「知る」が生まれるものだから。

他人の中に自分の「知る」はないし、それを誰かに託してもいけないのだ。と僕は思う。

「教えて」の中にエネルギーがあり、「知らない」の中に道楽がある。

僕には、いや僕らには、両方必要だ。

文・写真:Takapi

かっこいい人

CD1986F7-D204-4034-8A1A-423710C95950なんだかんだ「かっこいい人」に憧れ続けた人生だった。

幼稚園の頃は地球を守るヒーローに、中学生の頃はどんな女性も落とせそうな男前の俳優に、高校生の頃は世界で活躍するスポーツ選手や日本一売れている歌手に、大学生の頃は僕よりお酒が強くてモテるサークルの先輩に、社会人になってからはSNSで称賛される経営者に。

こんな風に「かっこいい」にも変遷はあって、その度に僕の世界は拡がったり縮まったりを繰り返してきた。ついでに言えば「かっこいい」は妬みや羨ましさと表裏の関係であり、コンプレックスの顕れでもある。だから「かっこいい」の変遷はコンプレックスの変遷でもあるわけだ。

社会人になり自分の「身の丈」がわかってくると、だんだんと「かっこいい」から目を逸らすことを覚えるようになっていく。それはつまり自分が羨ましくも目指したいと思っている「立ち位置」を放棄することでもある。そんな姿に対して「丸くなってしまった」とため息混じりに詰られることもあるし、「大人になったね」と背中をさすられることもある。

なんとも寂しい話だ。

なぜ今、改まってこんな話をしているのか。それは先日、敬愛するとあるアパレルのショップオーナーに飲みがてら人生相談をした折に言われた一言にある。

「君はかっこよくなりたいの?それともただかっこいいって言われたいだけなの?」

その言葉を受けてしばらく考え込んでしまった。それはショップオーナーが揶揄した後者側に僕が立っているということではなく(それもあるのだけれど)、「かっこいい」から目を逸らした「大人」になってしまったことを見透かされてるような気がしたからだ。

こんなことがあったから改めてじっくり頭の中で「かっこいい」と思える人を探してみることにした。それは今の自分のコンプレックスを覗くことでもある。おそらく痛みを伴う作業だ。それでも人生のあるタイミングでは必要な儀式なのだと思う。たぶん。

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定例の人事で僕は4月に部署異動をした。新しい部門の部長は見た目の年齢で言えば60歳手前くらい。はじめてお会いした時は「好好爺」という言葉が浮かぶほど朗らかな人柄に見えた。

コロナの影響でここ3ヶ月出社していないが、当たり前だけど仕事のメールは日々流れてくる。おおよそ50人強いる組織の面々から次々と報告メールや相談メールが飛んでくる。

正直現場の僕でさえ全部は見切れていない。そんな中部長はどのメールにも必ず返信をする。茶目っ気のある(少し古い)冗談を織り交ぜてメールの送り主を労う。

ひとりも置いていかずに組織を守らんとする覚悟のようなものがその所作から滲み出ている。

圧倒的なエネルギーでショベルカーのように仕事を進める人もいる。そんな人を羨んだ時期もあったのだけど、今は「好好爺」のように温かくもポジティブな空気を与えられる人に魅力を感じる。

かっこいい。

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大学卒業後、30年以上お酒造り一本でキャリアを積み上げてきた人に取材させてもらう機会があった。

僕が聞きたいと思っていたのは、これだけ長い時間、ひとつのことを極めるために自身を突き動かしているものは何なのだろうということだった。

しかし話を聞いてみるととても淡々としている。酒造りとは日々出会う小さな気付きをひとつずつ積み上げていくだけ。そんなことをポツポツと話す静かな佇まいを見て「突き動かす」という言葉は相応しくないと思えてきた。

「職人」と呼ばれる人は、何かに突き動かされて成り上がった結果の姿ではなく、自身の道を受け入れて、静かに向き合い続ける過程そのものなんだと気付かされた。

かっこいい。

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話を先日のショップオーナーとの飲み会に引き戻す。

二次会はオーナーが週4で通っているカウンターのみのバーへ連れていってもらった。「こんばんは」と入れば顔馴染みがすでにいてすぐに談笑が始まる。ものの数分で店内は一気に賑やかになった。

そこには東京で数店舗の居酒屋を経営する方や、最近近くにセレクトショップをオープンしたというお洒落なお兄さんなどもいてバラエティ豊かな面々が揃っていた。

違う畑の仕事をしている方々なのに、一同に会しているとまるで大学生のサークルのようにワイワイと話が尽きない。僕は話をただ聞くのが精一杯で、それでもふだん住んでいる場所とは違う世界に潜り込んだみたいで楽しかった。

帰り道、ひとり電車を待っているときに、ふと「羨ましい」ような「悔しい」ような、なんともいえない気持ちが沸き起こってきた。

今ならわかる。彼らはかっこよかったのだ。

先に上げた方々と二次会で出会った方々。彼らに共通するのは自身の「持ち場」をわかっているということだ。

そして静かな熱量に満ちた彼らの持ち場は「磁力」を伴って人を引き寄せる。さっきまでいたバーは、まさにそんな磁力の溜まり場だった。

僕はその「磁力」が羨ましくて悔しいのだ。足りないと思っているのだ。かっこいいと思うのだ。

それがわかると今度は清々しい気持ちになった。なんだ、まだやれることがたくさんあるではないか、と。

「かっこいい」は原動力だ。これからもたくさん羨んで妬んで、僕は自身の小さい世界を拡げていきたい。不格好を厭わずに。

文・写真:Takapi

猫について

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僕は猫を飼っている。

猫の名前は「にぼし」といい、家に来たのは今年の2月末。なぜ猫を飼うことにしたのか、なぜ名前が「にぼし」なのか、そのあたりの記憶はとんと抜けている。なかば衝動的に「飼わなきゃ」と気持ちが高まり、それから1週間後くらいには家に来ていたような気がする。

猫を飼い始めた途端に新型ウイルスの影響で出社ができなくなり、かれこれ3ヶ月ほど昼夜を問わず一緒にいる格好になっている。そういった意味ではとてもいいタイミングというか、自分でも「持っているな」と思う。ひとつ懸念があるとすれば、これから毎日出社することになり半日以上猫に会えない暮らしになったとして、果たして僕はその暮らしに耐えられるだろうか、ということくらいだ。

今もこのコラムをリビングで打っている傍で、猫はソファで横になりながら一心不乱に毛繕いをしている。たまに目をやるとこちらの視線に気付きチラッと見上げてくる。そして数秒すればまた毛繕いに戻っていく。その所作すべてがかわいい。おそろしくかわいい。そんなことだから、もしこのコラムに誤字・脱字があっても、それは猫のせいなのでどうか許してほしい。ついでに今回は写真が多くなることも許してほしい。

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家に来たときは生後4ヶ月程度の体重2キロ弱の子猫だった。家に来た日はゲージから出すとすぐにリビングの棚の下の隙間に隠れたきり出てきてくれなかった。心配だよね、大丈夫かな、などとやたらに慌てふためながら棚の下に声をかけている僕に、妻はあっけらかんと「猫用のおもちゃで誘ってみたら?」と言った。妻は実家で猫を飼っている。

その妻の言葉のどこが琴線に触れたのかはわからない。なぜか反射的に僕は「そんな簡単な子じゃないよ」と彼女(猫は雌だ)の繊細さをアピールし始めていた。その後の数分の演説も甲斐なく「はいはい」と財布を渡され、しぶしぶ近所のドンキホーテに行き紐付きのねずみのおもちゃを買ってくることになった。

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「こんなもので出てくるわけないよね。軽く見てごめんね」と思いながらネズミのおもちゃを袋から取り出すやいなや、猫は勢いよく棚の下から飛び出しねずみを奪い取り戯れ始めた。そのあまりの豹変ぶりに拍子抜けしたものの、はちゃめちゃに飛び回る元気いっぱいの猫を見てとりあえず胸を撫で下ろした。

人は知らず知らずのうちに、相手を斟酌したつもりの身勝手な「思いやり」をかけてしまうことがある。「彼(彼女)はこう思っているはずだ」の思い込みが対話を断絶させ、余計に関係がこじれてしまうことだってある。

身勝手な思いやりを捨て、対話を試みてみること、そしてその方法に歴史や専門家の声(時にインターネット)を頼ることは、結果はどうあれ「ひとつ前に進める」には大事なのではないか、そんな基本的な社会人としての姿勢を猫は教えてくれた(大袈裟すぎる気付きかもしれない)。

それからというもの、我が家の猫は丸めた紙屑やゴルフボール、段ボールやお菓子を包装したビニール袋(なぜかこれが一番興奮するらしく、ビニール袋のすれた音がするだけで駆け寄ってくる)など、数々の遊び道具を開発してきた。そんなところからも発想の自由さと今を楽しむたくましさを学ばせてもらっている。そして僕は僕で猫と遊ぶ時間が日に日に伸びてきている(仕事の休憩時間が伸びてきている)。

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飼い始めの頃は、寝ている間に何をするのか不安でもあったので、寝る時間になると普段使っていない部屋に誘い込み(それこそ「ねずみ」を使って)、おびき寄せたら急いで扉を閉めて閉じ込めていた。飼い始めて1ヶ月半くらいはそうしていたように思う。

しかし、だんだんと閉じ込められるのがわかってきたのか、2ヶ月と経たないくらいの頃から、寝る時間になり「おびき寄せの儀式」が始まるとドアの前に座り込みを始めるようになった。

そんなことをされるとだんだんと可哀想になってきて、妻に相談を持ちかければ「私はそもそも部屋に閉じ込めなくても大丈夫派なんだけど」とまたしてもあっけらかんと言われ(そんなことに派閥があるとは思えないのだが)、若干の不安を残しつつドアを開放することにした。

翌朝以降、明け方5時過ぎくらいになると耳元で「ゴロゴロ」と喉を鳴らしては起こしにきてくれるようになってしまった。それでもぐずっていると「ニャー」とくる。これは堪らない。しぶしぶ日が昇る時間から起きることになった(妻は静かに寝息を立てている)。

しかしながら、それからというもの睡眠不足でくたびれた僕の表情と裏腹に、猫の顔がどんどん柔和になっていった。やはりずっとひとりで寝るのは寂しかったんだな、とちょっと鼻の奥がくすぐったくなるような感傷に浸った。

ついつい猫の写真も多くなる。妻に見せれば「変わらないじゃない?」の一言。そんなことはないと写真を並べてみると、たしかに以前となんら変わらない猫の顔がある。ひょっとしたら柔和に見せていたのは、これまで閉じ込めていた後ろめたさから解放された自分の心持ちの方だったのかもしれない。

またひとつ猫から学びを得ることになった。

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ここ1ヶ月くらいは在宅勤務は続いてるものの、仕事も以前の活気を取り戻しつつある。資料作成に夢中になったり、オンラインでの会議が増えてくると、だんだんと猫と一緒にいる時間が剥がされていく。

心なしか猫の鳴き声が大きくなり、鳴く頻度も上がってきた。猫のガイドブックによれば、この鳴き声は「遊んで」のサインとのことなので、パソコン作業の時間の合間をぬって「ねずみ」やその他玩具を引っ張り出しては遊ぶようにしていた。

それでも遊びながら常に頭に仕事のことが過ぎる。だからついついおざなりになってしまう。そんな僕の気持ちを見抜き、怒ったように鳴き声はますます大きくなった。不満をそのまま吐き出すようなその声にだんだんと僕自身も苛立つようになってしまった。

どうしたものかと悩み妻に相談すれば「あぁ、これは発情期だから」とあっさり答えを用意していた。よく見れば猫の挙動が少し普段と違う。インターネットで調べればまさに発情期そのものの挙動だった。なるほど。生理的なことであれば仕方ない。そう思ったら鳴き声が全然気にならなくなった。

妻の「大体1週間程度よ」の予言通り、数日後にはピタッと鳴き声が止み、挙動もいつも通りになった。

ここにも人間関係に代替できる学びがあった。

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当たり前だが猫は言葉の通じない生き物だ。予想のできない仕草を目の当たりにする度にあたふたする毎日を過ごしている。それでも、こんな風に猫が送るシグナルは小さな発見に満ちている。

最近は暑くなってきたら窓を開けて過ごしているが、そうすると猫は飽きることなくずっと外を網戸越しに眺めている。猫は猫で、新しい世界に日々学びワクワクしているのかもしれない。カーテンからはみ出した尻尾が小刻みに揺れていることがそれを表している(違うかもしれない)。

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なにはともあれ猫と暮らすようになってよかった。

今日も彼女は僕を見上げてくる。何かを試すように、注文するように、甘えるように。僕はその度に、彼女を満足させるものは何か、過去のパターンや参考書(やネット)を駆使して回答を示す。そして彼女のリアクションにいちいち一喜一憂しながら暮らしている。

僕は猫に飼われている。

文・写真:Takapi

想像力さん

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これだけ人と会わない日が続くのは生まれてはじめてのことかもしれない。ここ1か月はほとんど妻とにぼし(飼い猫)としか対面していない。

それでも日々情報は大量に流れ込んでくる。様々な立場から様々な人が発する感情を伴った声は、生々しい質感を伴ってまるで油膜のように僕の身体にまとわりついては思考する隙間を埋めていく。

これまでは、通勤のために電車に乗ったり、飲み会のためにお店に行ったり、その時々でいろんな人を眺めたり話したりすることで思考する隙間が与えられていたように思う。そんな風にしてなんとなく五感全体で把握していた「空気感」みたいなものがシャットアウトされているからか、いざ目から入ってくる情報を通じて何か思うことがあっても、ピント外れなことを思っているかもしれない、ひょっとしたら誰かを傷つけ損なうかもしれない、と自信がなくなって言葉が出てこない。しまいには「今何ができるか」を考えることさえ及び腰になってしまう。

つくづく思考は呼吸のようなものだと思わされる。息苦しさの中で思考は正常に機能しないのだ。

今僕たちは「人の気持ちになって考えましょう」という、小学校の道徳の時間で掲げられたお題を「実技」として突き付けられている。しかしながら、生々しい感情の濁流を目の前にしては、僕の想像力はあっさりと白旗を挙げざるを得ない。ましてや想像だけで何かを判断すること自体が人を軽んじてる気にすらなってしまう。「想像せよ」という言葉そのものがなんて想像力のない言葉なんだと痛感する。

出だしからとても暗いトーンになってしまった。

僕自身も少し疲れているのかもしれない。毎日のように誰かが誰かを詰り、ここぞとばかりに「正義」を振りかざしている様子を目の当たりにしていると、感情は乗り移らずとも都度手に汗をかくような、心拍がクッと上がるような感覚になる。そういうアップダウンに息切れしているのだと思う。

誰かがインターネット上に放り投げた言葉は、たとえ僕に向けられてなくても、距離を無視して直接胸に飛び込んでくることがあるようだ。

僕には今、隙間が必要だ。

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そんなことだから、先月くらいから日記をつけるようになった。日々感じたことをなるべく解釈を加えず、うまく言おうとせず、誰に向けるでもなく書き記しておくことが今の僕には必要な気がしたのだ。

日記を始めて1ヶ月くらい経つけれど、1日の中で自分の気持ちを反芻し書き記す行為は、リフレッシュするのか今のところ心地が良い。毎朝同じ時間に通勤することで仕事のスイッチを入れていたように、1日数分の書き記す行為が、漫然と同じ景色の中で過ごすだけの時間を切り替えるスイッチになっている。

書き始めてからひとつ気付いたことは、ほとんど家にいるにも関わらず、書くことは案外あるということだ。仕事でやりとりした人との何気ない会話の中から、散歩中に目にした木々の変化の中から気付くことはあって、そういうところから感情をすくいあげる行為は、身体のストレッチのように「ほぐす」役割をしてくれている。

思えば僕たちは、ふだんの暮らしの中で意図せずとも常に何かを想像しては判断を繰り返していた。ランチのお店を探す時も、上司に声をかけるタイミングを模索する時も、満員電車の中でせめぎ合う位置どりも、すべてその刹那、自分や誰かの数秒後を想像しながら判断をしている。

こうした事態になって、ふだん使いまくっていた「想像力さん」も手持ち無沙汰になっているのだろう。その余ったエネルギーを手元にあるものに集中投下しているのではないか、そんな気がする。だから先述したようにメディアから流れてくる言葉にもいつも以上に痛みを感じてしまうのだと思う。

「想像力さん」を自分に向ければほぐすことができる。
ほぐれれば呼吸はうまくできる。

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仕事に関していえば、幸い今のところ仕事を進めるという点だけで見ればそこまで大きな影響は出ていない。

とは言え対面で話す時に感じる「相手の気持ちが漏れ出る空気感」みたいなものはどうしても汲み取ることができない。だから特に初対面の人や関係性が薄い人とコミュニケーションをする時には余計に気を遣うようになった。これがとても疲れる。仕事を終えたときにはグッタリとしてしまう。

反面、毎日会社でデスクを並べ仕事をしていたメンバーと定期的に行うオンラインの会話に親近感を感じるようにもなった。

「知っている仲」とイヤホンを通じて耳だけで接続される距離感は、会社で対面する距離感よりも不思議といっそう近く感じる。それが少しくすぐったくて嬉しくもある。たとえるならば、学生の頃友人たちが待つ教室に飛び込んでいくような感覚とでも言うのだろうか。

物理的な距離が生まれることで精神的に距離が縮まることもあるようだ。

そうは言っても、打ち合わせの最後はいつも「早く飲みに行きたいね」で締めるのだが。

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大学の友人から「話そう」と誘いが入り、急遽LINEをつないで4人で顔を合わせた。4人はそれぞれ全く異なる仕事についていて、今回の件で経済的にもろに打撃を受けている友人もいれば、小さなお子さんを抱えて在宅勤務が大変だという友人もいた。ひとつだけ共通することがあるとすれば、皆一様に疲れがにじんだ表情をしていたということだ(僕が一番気楽に見えた)。

立場が違うから、おいそれと「こうあるべきだ」「こうでなきゃダメだ」なんて不安や不満は出てこない。そういった感情を抱えているのは当然ながらわかっているし、慰め合うような仲でもない。だから会話は淡々と近況を述べるに留まった。そんな気遣いとも強がりとも取れるような友人の話を聞きながら、そんな友人を持てたことがなんだか嬉しかった。

話の中で「みんな大変だなぁ」という当たり障りのない僕の発言を受けて、友人は「みんな何かしら抱えてる。だからさ、こんな時期に一番大切なのは想像力だと思うんだ」と言った。そして少し間を開けて「それだけは忘れちゃいけないんだよ。だってそれは誰かを想うことでもあるから」と続けた。

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人と距離ができたことで、その距離を想像で埋めることが増えた。でもそれは時に乱暴な妄想であったり、時に自分の都合のいい解釈に陥ってしまうことがある。想像力を養うつもりが、アンテナを張り間違えれば怒りや苛立ちを増幅するだけになる。そしてそれは凶器にだってなりうるのだ。

望むと望まざるに関わらず、僕らは想像することをやめることはできない。そうであれば少しでも優しい想像力を養いたい。

それはもしかしたら今は会えない近い他人を想うことなのかもしれない。自分自身と向き合うことなのかもしれない。

答えはわからないけれど、僕はこれからも「想像力さん」とちゃんと手を繋いでいきたい。

文・写真:Takapi