陽当たりのいい家に引っ越したからか途端に緑が欲しくなった。近所の観葉植物屋さんに行き、比較的大きめのシェフレラを買うことにした。

買ってはみたものの育て方が皆目わからないので(あまり植物を育てた経験もないしこれまで何度も枯らしてきている)、会計がてら店主に聞いてみたら「適度に水をやって適度に陽に当ててください」となんともあっさりとした回答。

不安そうな表情を察したのか「ただ、環境が変わると結構な量の葉が落ちます。その辺はあまり気にしないでくださいね」と諭された。どうやら植物も人間社会のようなストレスを感じるようだ。

その言葉通り、家に置いてからというもの日に日に葉は元気をなくしていき、10日くらい経った頃には3割くらいの葉が落ち、心なしか一回りから二回りくらい小さくなったような気さえしてきた。

店主の言っていた「結構な量」というのがどの程度のことなのか判然とせず、日に日に痩せこけていく(本当にそう見えるのだ)植物を見ているとこのまま枯れてしまうのではないかと次第に焦ってきた。

2週間経つ頃にはいてもたってもいられなくなり、改めてお店に行くことにした。痩せ細ったシェフレラの写真が写ったスマホを見せながら「こんな感じになってしまったのですが大丈夫なんですかね?」と聞けば、「あぁ、大丈夫ですよ。暖かくなればまた葉は出てきますから」と拍子抜けするくらいのんびりとした返事が返ってきた。

「今この状態で具体的にすることはあるのでしょうか?」と聞けば「適度な水と適度な陽」と前回と同じ回答だった。ひとつだけ付け加えてくれたのは「枯れていると思ったらもったいないと思うかもしれませんが迷わず切ってください」と言われたことくらいだ。

でも店主の話を聞いて不思議と安心している自分がいた。「あぁ。この子は今生きているんだ」と大袈裟にも生命の神秘を感じ始め、痩せ細ったシェフレラがとてもかわいらしく思えてきた(その後妻はシェフレラに名前をつけていた)。

家に帰り、シェフレラの枯れている枝を切り落としたら、シュッとした「体型」になったように見えた。エネルギーが充満しているようにすら見えてきた。現金なものだ。

それからというもの、朝起きて晴れていればベランダに出しては陽を当て、夕方には部屋に入れるということを毎日のように欠かさずに行っている(結構な重労働だ)。

このやり方が合っているかはわからない。けれど植物を見る時間が増えたことはたしかだ。そのおかげなのかわからないが、それ以降葉はほとんど落ちていない。

友人から年末に「今の職場を辞めようかと思っている」と連絡が入った。意気揚々と働く彼の姿はいろんなメディアなどを通じて見ていたし、時折仕事の話を聞いては順風満帆のように感じていた。好きなことを活かした仕事ができて羨ましいとすら思っていた。

だから驚いた。連絡をもらってすぐ返したメールには「話そう」と予定日の候補を幾つか出すくらいには驚いていた。

1週間後にオンラインで1時間程度話した。話を聞けば、かれこれ1年以上前から考えていたこと、散々考えた挙句に出した結論が「もうここにはいられない」というものだったことがわかった。

彼の口ぶりは淡々としていて、それが逆に言外に滲む彼の苦悩を見て取ることができてしまって、気の利いたことを言えなかった。相談に乗るつもりがまったく役に立てなかった。

次のステップについて聞けば、具体的なことはまだ決まっていないと言った。そしてひと呼吸置いて「まぁでも、これまでやってきたことがあるから」と笑った。

その表情には鈍い強さがあった。画面越しだったけれど、彼の目が一瞬滾ったようにすら見えた。

「まだまだやれるじゃん」と手放しで思った。たった一言だけどようやく安心することができた。安心ついでに「ところでさ…」と僕から仕事の相談を持ちかけていた(なんて最悪な友人なんだ)。

でも僕の話を聞いていた彼は心なしか嬉しそうだった。

この間自転車を買った自転車屋さんの店主がSNSでとあるネパール料理屋さんに行ったことをアップしていた。気になって調べてみたら自宅から徒歩圏内だったのでディナーコースを予約して妻と行くことにした。

料理もワインもとても美味しかったのだけど、住宅街にあるとは思えない空気感のあるお店の佇まいや、思わず飾りたくなるような美しい器たち、知識のないネパール料理について懇切丁寧に説明してくれる接客など…ひとつひとつにとても手をかけていることがわかるお店だった。

僕らは最後の客だったこともあって、運よくお店の方と閉店の時間までお話をさせてもらうことができた。その方は器が好きで、器好きが高じて好きな作家さんひとりひとりにお声がけしてお皿を作ってもらっていたり、日本では入手できないオイルのためだけにネパールに飛んだりと、ひとつのお店を作りあげるのにそこまでやるのかとため息が出るようなお話をたくさん聞くことができた。

「お店を出すからにはまた来たいと思ってもらえる理由を作り上げること。後は、やり切る信念なんでしょうね」とこんなご時世の中における飲食店のあり方について、ゆっくりとだけれど力強く話してくれた。

「美味しかったです。御馳走様でした」と席を立てば「こちらこそ楽しいお話をありがとうございました」と頭を下げられた。

来月もまた来ようと妻と話しながら帰途についた。

自身の中にある好奇心の芽を育てるのは難しい。「好き」から始めたことは「飽き」とも背中合わせだ。好奇心や好きな気持ちをくじかれることが続くと「もういいや」とあっさり手放してしまうことも多い。

適度な量の水を与え、陽に当てることを怠らず、枯れてしまった箇所を切り取ったりして、そうやって日々育つための工夫を飽きることなくし続けてようやく太い幹ができるのだと思う。

なんてことのない一般論だ。けれどそこに具体的なノウハウはないということを、太い幹を携えた人たちの目は物語っている。ノウハウだけでは足りないし、熱量だけでも続かないのだ。

さて新年。
言葉にした翌月からは忘れてしまうような抱負を語ることはもう控えることにしよう。

それよりも、この年齢までそこそこ育ててきた幹に目を向けてあげたい。葉を伸ばすことだけに気をとられるのではなく、枯れかけている枝にも気を配ってあげたい。

淡々とした工夫をつづけていく。
小さな工夫の連続が強い根を張らせ、いつかは花だって咲かせると思うから。

文/写真:Takapi

伝手

数ヶ月間のリノベーション期間を要して先月末に新居に引越しをした。リノベーションをリードしていただいた設計事務所の方々が素晴らしく、引っ越して10日経ってもなお、毎朝コーヒーを飲みながら「良い家だ」とつぶやいている(カーテンもなければ引越し用のダンボールも散乱しているけれど)。

今度の家は都内へのアクセスが若干良くなることもあって、健康を鑑みて自転車を買うことにした。近所に「TOKYO BIKE」を扱う自転車屋(雑貨屋とも言える)さんを見つけたのでそこで購入した。

引っ越して数日後の週末に自転車を引き取りに行った。店主もTOKYO BIKEを乗っていることもあり、丁寧に自転車のメンテナンス方法についても指南してくれた。

「できることなら、2週間に1回はタイヤの空気を入れてください」

「え。そんなに?」僕は少したじろぐ。そもそも2週間に1回くらいしかこの自転車に乗らないかもしれないとは口に出せずに「はぁ」とだけ答える。

そんな僕の心内を察したのか「近所ですし。フラッと遊びに来てくれればタイヤの空気は入れますよ」と店主は言った。そして僕が手にしていたコーヒーカップを指差して「コーヒー飲みついでにでも来てください」と笑った。近くのコーヒースタンドに立ち寄ってコーヒーを買って飲みながらこのお店まで歩いてきたのだ。

聞けば、そのコーヒースタンドの店員さんもここで自転車を購入しているらしく、とても仲が良いのだとか。お店同士の付き合い中に誘ってくれたような気分で心地いい。近所に伝手ができた気分だ。

とりあえず、これで新居におけるコーヒーと自転車について憂いはなくなった。幸先がいい。「身長に合わせました」と設定されたサドルは思ったよりも高くて勢いよく乗った直後に少しふらついたけれど。

年末だ。例年通り今年も職場では、慌てるように今年を省みては、振り返りもままならぬまま来年の計画を立てることを始めている。それはそれで楽しい作業なのだけど、来年1年間の行方をうらなうものでもあるから、楽しみながらもどこか気が張り詰めている時期でもある。

先日そんな「種まき」のための打ち合わせでのこと。今年手掛けたことを振り返りつつ来年のあるべき方向性を僕から提案する会だった。

ひとしきりプレゼンテーションが終わると、会場は概ね賛同の空気になり、「それではその方向で来年もよろしく」と会を収めることになった。

ほっと一息入れてパソコンを閉じかけた時に、参加者のひとりが「あっ」と声をあげた。

「あのさ。今の話を聞いて別件を思い出してしまったのだけど、そっちも相談していいかな」と申し訳なさそうに手を合わせてきた。どうやらなかなかに重たい問題を抱えた案件のようだ。

その雰囲気がおかしくてフッと場が和む。僕としては頼りにしてもらうのはありがたいことだから、「ぜひ。来週にでも打ち合わせしましょう」と返してようやく会議はお開きになった。

会議室を後にして自席に戻った後、ふと力が抜けて思わず大きく息を吐いていた。それは安堵の息だった。大袈裟だけど、この職場でやってきたことが報われたような充足感すらあった。

仕事におけるひとつの(大きな)やりがいは「誰かの伝手になること」なのかもしれない。そんなことに長年社会に身を置きながらようやくわかったような気がした。

来年も誰かの伝手になれるだろうか。デスクで考えてみたらいくつかの顔が浮かんだ。「悪くない」そう思った。これから仕事で思い悩んだ時には「伝手にしてくれている」誰かの顔を思い出すことにしようと静かに決めた。

新居の近くには昔ながらの商店街もあって、その通りを歩くのが日課のようになりつつある。先日はお昼ご飯を食べに古い中華屋さんに足を運んだ。おじいちゃんがひとりで厨房を回しているその小さなその中華屋さんは、こんなご時世だというのに満席で、いかに地元に愛されているかがわかる。

テーブルが4席とカウンターが5席程度の小さな店内を見渡せば、サラリーマンや工事現場の人、学生さんや若いカップルとお客さんに統一感はなく、さながら町の縮図を見ているようだった。その中に混ざってテーブルに座ると、少しずつ心拍が落ち着いていくのがわかった。この「町中華」の安心感はなんなんだろう?と賑やかな会話を片耳で聞きながら思う。

思い始めた矢先に常連らしいひとりの青年がお店に入る。迷わずに近くのカウンターに腰掛けるとメニューも開かずに慣れた口調で厨房に向けて注文する。「はいよ」と厨房からはそっけない返事が返ってくる。

その受け答えを見て「ここにも伝手はあるんだな」と思った。そんな伝手でつながれた常連客の賑やかさが僕の感じた安心感なんだとわかった。

今年は新しい脅威との闘いの1年だったように思う。その脅威は、人とのつながりを現実的にも精神的にも薄めては、身体の中にある「人のエネルギー」のようなものを今もなお、削ぎ続けている。

それでも、いや、だからこそ、僕らが生きていくには「伝手」が必要だということに、意識的にも無意識的にも気付けた1年であった気もするのだ。それはふだんの暮らしの中にいくつも息づきながらあたたかい毛布のように心地よく自身を包んでいてくれることを教えてくれている。

「居心地が良い」というのはもしかしたら、大きな伝手や小さな伝手、さまざまな伝手の上で安心して寝転がって過ごすような時間のことなのかもしれない。

このコラムは居心地のいい新居のワークスペースで書いている。そして新居を設計してくれたのは、他ならぬ眼鏡屋さんの伝手でお願いした方だ。

来年も伝手のありがたみを感じながら過ごしていきたい。

それではみなさん、良いお年を。

文・写真:Takapi

プレゼント

日が暮れ始める約束の時間の10分前、指定されたお店に入ればその方は既に奥のテーブル席でひとりビールを楽しんでいた。まさか先にいらっしゃると思っておらず、少し慌てる。

この日は僕が所属している会社の大ベテランの方との食事会だった。
「お待たせしてすみません」
「いえいえ。先に楽しんでます」
彼はベリーテイストのクラフトビールのグラスを掲げる。

その方と知り合ったのは1年前位になるだろうか。とある企画でご一緒した際に少しお話しした程度だった。なぜかそれ以降僕がやっていることをいつも目にかけてくれていて、新しい企画を世に出せば「いい企画です。これからも期待しています」とだけメールをくれたり、オフィスで僕を見つけるとわざわざ僕の席まで声をかけにきてくれては、しばし立ち話をしながらいろんなお話を聞かせてくれる。

多くの仕事がそうなのだと思うけれど、前例がないことに挑戦することは心許なくなるし胃も痛くなる。けれどこうして声をかけてもらうことで「もう少し頑張ってみよう」と日々踏ん張ることができている。まさに拠り所だ。

この日の食事会は、何度目かの立ち話の際に「今度はぜひビールを飲みながらでも」と思い切って声をかけたら「いいですね、ぜひ」となり実現した。

はじめは緊張したものの、美味しいクラフトビールのおかげもあって朗らかな時間を過ごすことができた。気づけばあっという間に陽はとっぷりと落ち、ディナーを楽しむお客さんで周りの席は賑わっていた。

「そろそろ」と腰を上げようとした時「そうそう。これを」と彼が筒状の箱を差し出してきた。箱を開ければグラウラー(ビールを持ち運べる水筒)が入っている。手にすると水筒にしては重い。首を傾げていると、このお店のビールが入っていると悪戯っぽい笑みを浮かべて教えてくれた。

こんな風にプレゼントをもらうとは予想だにしていなかったから、すぐに言葉が出てこなかった。そんな僕を尻目に「明日までは炭酸ももつだろうから、明日また楽しんでください」と彼は笑った。

「いや…なんかすみません」
やっとでてきた僕の言葉を受け、ゆっくりとした口調で
「これからも期待しています」
と彼は頭を下げ、スッと席を立った。

水筒を抱き抱えるようにして、ほろ酔いの頭で電車に揺られていた時にようやく気が付いた。

彼が先にお店に入っていたのは、僕に渡すプレゼントの水筒にビールを入れてもらうためだったのだと。そんなかわいらしいサプライズを、あれだけの地位の方が僕のためにやってくれたのだと思うと、思わずこみ上げるものがあって車窓が少し滲んだ。

小学校2年生になる甥っ子の誕生日が近くなったので、姉に甥っ子が今何を欲しがっているのかをLINEで聞く。ここ数年のほしいものリストはレゴシリーズだったから、今年も同じようなものだろうと思っていた。

1日経ち「『風の谷のナウシカ全巻セット』でよろしく」という返信を見た時には、思わず「え。ほんとに?」と声に出していた。

そしてすぐに先日の父親の墓参りの車中がフラッシュバックした。

その日の道中は義兄さんが運転するワゴン車の助手席に僕が座っていた。後部座席からはアニメの『風の谷のナウシカ』が流れているのがわかった。後部座席の甥っ子は映画のシーンを追いながら姉と賑やかに話し合っている。

僕は僕で、義兄さんと『風の谷のナウシカ』の原作(漫画)の話に華を咲かせていた。僕も義兄さんも原作がとても好きなのだ。

耳のいい子だ。おそらくその会話を聞いていたのだろう。

それで選んだのが漫画全巻だったのだ。

そのことに気付き、くすぐったいような、なんとも言えない高揚を感じた。

小学校2年生ではまだ難しいかもしれない。でもいつか、何年か先、この作品について話が盛り上がるかもしれない。そう思うととても嬉しくなって、姉にLINEの返信をする前にAmazonのページを開いていた。

不思議なものだ。これまで贈り続けたレゴたちは購入した直後から関心はなくなっていたのに(これまで贈ったレゴシリーズの名前をひとつも思い出せない)、プレゼントが『風の谷のナウシカ』となった途端、買って贈ることそのものが嬉しいと思っている。

次はどんな作品を欲しがるだろう。言われればなんだって贈ってあげたい。

僕は今月末に引越しを控えている。新しい住まいは新しい灯りで始めたいと思い立ち(単に今の家の照明に飽きただけだが)照明を探すことにした。

何軒かのインテリアショップに行ってもなかなか目当てのものが見つからない中、Instagramに流れてきた1軒の小さなお店が目に留まる。取り扱っているもの、写真の撮り方、店内の雰囲気が個人的に好みで、家からも近かったので行ってみることにした。

北欧ヴィンテージを中心に取り扱うそのお店は若い店主がひとりで切り盛りしていた。店内の商品は、どれもほどよく空間に「馴染んで」いるように見えた。だからか商品を見ていると、自分の次の家でどんな風に置かれるのかが想像ができた。

聞けば、店主は元々大手の家具屋さんで働いていたのだが、5年前に1人で店を構えることにしたとのこと。

「大規模な家具屋さんだと、どうしてもお客さんとのやりとりが少なくなってしまうんですよね。でもやはり大きな買い物ですから、売る側としても満足して買ってくれたという手応えがほしいと思って。だからひとりで小さく始めることにしました」

その話を聞いて、なぜこの店の商品がこれだけ「馴染んで」いるのかが納得できた。その後1時間近く店主と話し込み、結果としてダイニングとリビングの照明を買うことができた。

店主と話す中で、僕が今気になっている有名なデザイナーのヴィンテージのソファの話になった。僕がその商品を置く予定はあるのかと聞くと彼は少し申し訳なさそうに「しばらくはなさそうです」と答えた。

「個人的な感覚ですが、そのソファは必要以上に高い値がついてしまっている気がするんです。人気商品ですから、もちろん出せば売れます。以前数点並べた時は途端に買い占められました。僕としては、そういう買われ方よりも、あまり認知度のないデザイナーさんであっても僕が良いと思ったものを並べて、こうして話した上で気に入って買ってくれた方が嬉しいんです」

まるで彼の商売そのものがプレゼントみたいだと思った。さらにはそのプレゼントを受け取った買い手はとても幸せだな、とも思った。その商品に宿った愛着はきっと買い手にも伝わっているだろうから。

僕の次の家も愛着のある場所になりそうだ。

ひょっとしたら、プレゼントとは相手の未来を祈ることなのかもしれない。

僕らは誰かにプレゼントをすることで、相手の未来がちょっとでも良い方に向かってほしいと祈っているのではないだろうか。直接言葉にできない(もしかしたら潜在的に思っているだけかもしれない)ものだから、愛着のおけるモノに託すことで祈りの代替をしているのではないか。

大袈裟な話だ。でもその小さな祈りをプレゼントに託すというのはなんとも健気で美しい所作のようにも思える。

と、ここまで書いて気がついた。来週は妻の誕生日だった。

今回のコラムはここで切り上げ、日々の感謝の気持ちを込めて、引越し先の暮らしを祈るべくプレゼントを探すことにしよう。

文・写真:Takapi

布石

「振り返れば、あれがターニングポイントだったのかもしれない」

今やっている仕事の多くは、何かしらの事業や商品に中心的に関わった人の話を聞き、記事にして世の中に配信することだ。

話を聞く時は大抵その人の半生を遡ることになる。長大なドキュメンタリーを目の当たりにして興奮で身体が粟立つようなその感覚は、僕が仕事をしている中でも最も楽しい瞬間のひとつだ。

話の中で必ずと言っていいほど出てくるのが冒頭の言葉。

ターニングポイント。

言葉だけ聞けば、まるで大きな転換点のようにドラマチックに映る。実際にはほとんどの人は振り返ってはじめて「気づく」ことが多い。そう考えると「布石」や「種まき」という言葉の方がしっくりくる。

近い将来や、それこそ明日のために、少しでも良い方に向かうように置いてきた大小様々の石たちが、立ち戻ってみた時に輝いて見えるようなことはあるようだ。

これまで多くの人から心を打つ話を聞いてきたけれど、彼ら(彼女ら)に共通点があるとすれば、それは何度も何度も飽きることなく繰り返し「石を置き続けてきた」という一点に尽きる。

置いた石によってはあらぬ方向に行くこともある。その度に右往左往しながらも石を置き続けていく。そうした先に、その人にしか作り得ない「道筋」ができる。唯一無二のその道筋は美しく、だから多くの人の胸を打つわけだ。

もちろん石を置き続けられる人とそうでない人はいる。では性懲りもなく石を置き続けられる人の源泉となるエネルギーはなんなのだろう?いつも気になっているのに聞きそびれてしまう。

先日オンライン会議でとあるプレゼンを行った。大枠の話を終えて出席者の反応を待っていると、それまでずっと黙って聞いていた目上の方が「よくわかりました。君の提案通りいきましょう。ありがとうございます」と労いの言葉をかけてくれた。

続けて「でもこれから大変そうね」と心配を口にした後「あ。でも君は大丈夫か。楽しそうだから」と笑った。聞こえ方によっては嫌味に取れる言葉だ。けれどその人から発せられた「楽しそう」の響きからは素直に嬉しさがこみ上げてきた。

パソコン上で会議から「退室」した後しばらく経っても「楽しそう」という言葉が頭の中にぼんやりと残っていた。

と同時に、ふたつの過去の出来事が頭に浮かんでいた。

小学生高学年の頃、僕は空き缶を拾いながら登校をしていた。

校舎の脇に突如として設置された空き缶のリサイクルボックスに気付くやいなや、誰から言われるわけでもなく(もしかしたら親からそそのかされたかもしれない)その翌日からゴミ袋を持って家を出ては、通学路に落ちている空き缶を拾いながら登校することにしたのだ。

いかにも優等生がやるようなことだ。僕自身そういった目を意識していなかったといえば嘘になると思う。それでも一定期間継続できたのは、それ自体が苦でなかったからだ。

空き缶を探すため道路脇に目を凝らせば、想像以上にゴミが多いことや、道端の雑草の花の数の多さに気付くことができた。これまで出会うことのなかった情報はただただ新鮮で、僕はそのひとつひとつの新しい情報に夢中になった。

その行動が周囲からは「楽しそう」に見られていたのだろうか。当初眺めるだけだった同級生たちの中から、ポツポツと空き缶を拾いながら登校する人が出てきた。

「楽しそう」に振る舞うことで周りの人を巻き込むことができると知ったはじめての体験だった。

広告代理店の営業時代、僕らに足りないのは知名度と実績だった。そもそも会社名すら知られていない代理店だったから会ってもらうことすら難しかった。

あれこれと打ち手を繰り出すものの、なかなかこれといった必勝法は見つからなかった。僕にできることはクライアントの話をしつこいくらいに聞くことと、当初新しい手法がどんどん出てきた「インターネット広告」について、どんな小さいネタでも欠かさず情報提供に伺ったことくらい。

それでも数年も同じようなことをしていると、不思議とコンペで勝てるようになってきた。あるコンペで大手広告代理店からの切り替えに成功した際、担当者に勝因を聞いてみたら、そこで返ってきた答えが「いや、なんか○○さん(僕の名前だ)、仕事楽しそうだから」だった。

会社に戻り上長にその旨を伝えるとなんともいえない表情をしていた。苦虫を噛むような、拍子抜けするような表情をしていたのを憶えている。

楽しそうに見えることは、時に人を安心させ、信頼に繋がることさえある。この体験は今でも、うまくいかなくなった時にそっと顔を出しては僕を勇気づけてくれる。

こうして振り返ってみると、僕は「楽しそう」と言われる度に少しずつ見える景色が変わっていったように思う。自分の立っていた場所に薄い石が1枚分敷かれ、ほんの少しだけ高い場所から世界を見ることができたようなアップデート感がある。

「楽しそう」な人に人は集まり、次の楽しいことを持ち込んでくれる。僕について言えば、それはほとんど100%確信に近い経験則だ。

時に人はいろんな「モノサシ」を引っ張り出しては、自身の身の丈を測り、勝手に焦ったり傷付いたりする。そんなことやめればいいのに、ついついやってしまう。

僕自身も時折そのモノサシを持ち出してしまう。自信を失くした時、何か満たされない時、そのモノサシは顔を出して僕を誘惑する。モノサシを使って誰かよりも優位にいることをたしかめたいのだ。

でも、いろんな人の話を聞いてきてわかっているのは、置いた石の数が多ければ多いほど「道筋」はユニークになっていくということであり、そのユニークさはモノサシを遠ざけるということだ。

道筋が複雑になればなるほど自身を測ること自体難しくなる。自身を測れずしてどうやって他人と比べられるのだろう。現に話を聞いた人の中でモノサシを持ち出しては立ち止まっているような人に会うことはなかった。

僕でいえば、置き続けてきた「輝く石」は「楽しそう」ということになるのかもしれない。もちろん人によって違うのだろう。そもそもそれはひとつではないはずだ。

僕は僕で、今日も明日も性懲りもなく「楽しそう」を見つけていくことにする。
それが現時点における未来への布石になりそうだから。

文・写真:Takapi

負荷をかける

ズーンと沈み込むような重さだった。

お盆を過ぎた頃、所用のため夕刻早めに在宅勤務を切り上げて、電車で数駅先まででかけた帰り道。21時をまわった世田谷線の駅の誰もいないベンチに腰掛けたとき、ベンチがまるでクッションのように硬質さを失い身体の重さに合わせて沈み込んでいくような感覚を覚えた。同時に身体全体にGがかかったような重さを感じた。そして抗えないような眠気が襲ってきた。

数10秒後に電車のアナウンスが鳴り、電車がホームに流れ込んできたのを合図に立ち上がろうとしても、腰を上げるのに手持ちのエネルギーをすべて絞り出すくらいの気概が必要だった。そのくらい重たかった。

「疲れたな」帰り道、家の近所の公園を横切る時にそう呟いていた。言葉にしてはじめて身体が、脳みそが、先ほど感じた重さが「疲れ」なのだと認識した。

疲れている。いや、もっと正確にいえば、身体の一部がずっと欠けているような感覚と言ったらいいのだろうか。筋肉・血液・その他身体を構成するパーツのひとつまたは複数の要素が減り続けている感覚だ。その要素は補充されぬままついにエマージェンシーをあげたとも言える。

補充されぬままの要素とは何か。おそらくここ半年の暮らしの変化によるものが大きい。そのくらいはわかる。

この半年で僕の暮らしは一変した。

朝早く起き満員電車に揺られる代わりに、朝はゆっくりと起き近所の公園を散歩し、気のすすまない対面の交渉ごとの代わりに、メールやslackで整頓された用件を伝え合意形成をはかり、空腹に耐えきれずお昼の定食のご飯を大盛りにする代わりに、昼は粗食にして午後3時にはコーヒーを淹れチョコレートを頬張り、雑談やら会議やらで仕事が捗らずに20時過ぎに会社を出る代わりに、19時にはあらかたの仕事を終え5キロほど近所をジョギングをしてシャワーを浴びてはビールを飲む暮らしになった。

効率化。

端的にいえばそうなのだろう。今の僕の暮らしは、これまで首を傾げながらも従ってきた「形式」からようやく解き放たれ、実に簡便にコトを進められるようになった。

エネルギー消費は確実に減っている。それなのに何かがずっと減り続けているような感覚がある。そしてそれはどうしようもない疲労感を伴っている。

マシーンのように効率化するだけでは人間はうまくいかないらしい。少なくとも僕はそうだ。「疲れ」についてもう少し考える必要がある。

これまでの人生で疲れていた頃を思い出して浮かんでくるのは、部活に明け暮れた高校生の頃と、右も左もわからない社会人なりたての頃だ。

陸上部だった僕は、毎朝5時に起き、ほぼ始発で電車に乗り込んでは学校に着くなり朝練をこなし、昼休みはトレーニングルームで筋トレ、放課後はみっちりと日が暮れるまで練習をする生活を送っていた。

これだけの練習量をこなせば当然帰宅後は何もする気が起きず、ご飯を食べ風呂に入ったらサッと勉強を済ませて(あるいは翌日に回して)すぐに寝るような生活だった。

今こうして振り返りながらも、あの練習量に耐えられたなと思うけれど、日々の練習で疲れきった身体も、翌朝になればほどよい筋肉痛を伴って、むしろエネルギーに満ちていた。早朝学校に着いた時には早く走りたくて仕方がなかった。

ひとつ思い出せるルールがある。それは特に練習を追い込んだ翌日に必ずやらされていた、サッカーやバスケなど陸上競技とは関係のないスポーツをするというレクリエーションだ。「積極的休養」と言われたそれは、完全に何もしない休息を与えるよりも軽い運動をすることで回復を早めるというものだった。

休養という名の「別の刺激」を与えることで身体の調子を整えることを当たり前にやっていて、その頃それはとても機能した。身体を酷使する練習ではなく、ただ楽しむためだけの運動は、身体が喜ぶのかバキバキの筋肉痛でも不思議と身体が動いた。さらに言えば、「別の刺激」を受けて回復した身体は、ひとまわり大きく強くなったような気にさえなった。

新卒で入社した会社は、入社2日目に「飛び込み営業」をさせるような体育会系の現場だった。慣れない社会人のしきたりに戸惑いながら終電近くまで残る業務、おそらく今ならパワハラ認定されるであろう上司の「かわいがり」、毎朝8時には出社しなくてはいけないしきたり(毎朝6時に起きていた)、そんな日々の中にあって、疲れは溜まっていく一方だった。朝の電車でいかに立ちながら睡眠をとるかが目下の課題だった。

それでも夜10時になれば「終電まで」と会社をいそいそと出て飲み行ったり、月金まで働き疲れ切っているはずの土曜日の朝に、河原に集合してはバーベキューをするような活動ぶりだった。

今思えばだいぶ無茶な日々だ。ストレスフルな仕事とは真反対の「楽しい刺激」をわざと入れていれることで相殺していたような気がする。それは高校生の頃の「積極的休養」となんら変わらない本能的な回復方法だった。

どうやら、意識的にせよ無意識的にせよ、自身にかかった負荷はただじっと座して回復するのを待つのではなく、別の負荷をかけることで回復をするようなことがあるらしい。

かかる負荷に代替する負荷。生きていく上では双方が必要というわけだ。

まぁ。とはいえ「それは当時若かったからだろう?」と言われればその通りなのだけど。

夜の街はまだ少し気が引けるからと、8月末の週末の午前中に友人らとブランチをすることにした。朝からビールを出すお店で、ほどよくお酒も入り2時間程度よく笑って話せた会だった。ほろ酔いで解散し、酔い覚ましのためひとりで渋谷のカフェに入った。

椅子に深く腰掛け、アイスコーヒーを一口すすった時、ほどよい疲労感が全身を包んでいるのがわかった。それは頭から爪先まで均等に行き渡ったような疲れだった。その疲れが心地よくてそのまましばらく微睡んだ。目を閉じれば周囲のザワザワとした人の気配を感じる。それが不思議と気持ちがいい。僕が僕自身から開放されるような感覚があった。

目が覚めた時、どこか浮遊するような軽さが身体を纏っていた。先日の駅のホームで感じた重さとは真逆の感覚だった。そして全身に残った倦怠感とは裏腹に頭は冴えていた。伸びをひとつしたら、疲れが雲散霧消するような、そんな予感に満ちていた。エネルギーが充填されていた。

効率化した「やりとり」の負荷に代替するもの、それは手を伸ばせば触れる距離で友人知人と非効率な(そしてそのほとんどが馬鹿し合いの)話をすることだったり、街の営みに身を任せては、その場の空気に馴染んでみることだったり、そんな「人の気」なのかもしれない。

僕には人の気が足りなかった。

そのことがわかったら拍子抜けしたように安心した。
それは今はまだ徐々にでも、ふだんの暮らしで充填できるものだから。

陽の高い帰り道の中、はずむような足取りで帰途についた。

文・写真:Takapi