今は小さな約束を蓄えて

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「ミートソーススパゲティを作ろう」と思い立ったのは外出自粛要請が出た週末の昼下がりだった。

朝起きて朝食を食べて、さて今日は家の中で何をやろうとぼんやりした頭で過ごしていたら(その間にSNSのタイムラインを追ったりエッセイ集を手に取ったりして)あっという間にお昼時になっていた。

何を食べようかと考えても、浮かんでくるものは最近作ったものばかり。これだけリモートワークやら外出自粛が続くと、はじめのうちは料理が捗ると喜んでいたものの、だんだんと同じようなメニューが並ぶようになり飽きてくる(要は僕に料理のバラエティがないのだ)。

さて、と悩み始めたところに、「あら。だったらあの時約束したミートソーススパゲティにしたら?」と妻から声がかかる。

約束のミートソーススパゲティ?聞けば話は半年前、妻の友人が我が家に遊びに来たときに遡る。

一緒に来ていた友人の娘さん(小学生低学年)と好きなご飯の話になった時に、彼女の口から「ミートソーススパゲティが好き」というのを聞くや「じゃあ練習して、次来た時に作ってあげるね」と僕は(いつもの軽い調子で)応えていたらしい。

よくあるその場限りの口約束だ。僕の方はとんと忘れていたのだが、今でも彼女はしっかりと憶えていて、半年経った今でも「ミートソーススパゲティはまだ?」と母親(つまり妻の友人)にせっついているとのこと。その話が妻に入り僕に「作れば」となったわけだ。

その話を聞いて、なんとも恥ずかしい気持ちになった。「これだから大人は…」と幻滅されないよう、彼女との小さな約束を果たすべく、練習がてらミートソーススパゲティを作ることにした。

作ってみたらとてもうまくいった。今はこんな状況なのでしばらくは会えないだろうれど、事態が収束したら食べにきてもらおう。

ひとつ楽しみな未来ができた。「おいしい」の声が待ち遠しい。

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3月最終週の日曜日の夜、札幌で弁護士をしている大学時代の友人から「今大丈夫?」とLINEが飛んできた。札幌と言えば、つい先日「非常事態宣言」があった都市だ。胸騒ぎがしつつ「大丈夫」と返すとすぐに電話が鳴った。

電話を取れば少し低いトーンで「久しぶり」から入る彼。しばらく最近の札幌の状況を聞いたり、こちらの東京の実情を伝えたりと近況報告が続く。胸のざわつきが抑えられずじれったくなって「なんかあった?」と聞けば、「いや…実は」と口ごもってから出た言葉が「12月×日空けておいてくれないかな?」だった。

そこで理解した。これはめでたい話なのだと。聞けば、かねてからお付き合いしていた女性と結婚式を挙げることにしたらしい。「こんなご時世だけど」と幾分申し訳なさそうに話しながら、それでも友人にはしっかり自分の口から伝えたいからと、わざわざ連絡をくれたのだ。

ほっと安心したのと嬉しさが混じって、そこからは大学時代に戻ったような会話の応酬が始まった。彼の大学時代の(ここでは言えないような)エピソードをいじり倒しては「それだけは結婚式で言わないでくれ」と釘を刺されて、笑い合って電話を切った。

気付けば少し身体が汗ばみ喉が枯れていた。テンションが上がり過ぎたようだ。

「12月か…」とひとり呟いては、この状況がどこまで続くかはわからないけれど、もし会えたなら記憶を飛ばすまで飲み散らかし、思いっ切り楽しんでやろうと小さく決心した。

またひとつ楽しみな未来ができた。

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4月1日は始まりの1日。入学式やら入社式やらで、新しい一歩を踏み出すことを祝す日だ。咲き始めた桜の景色も相まって、少しだけ無邪気にワクワクする日でもある。

しかしながら今年は一切そういう空気を感じることができない。何より出社禁止の状況なので、新しい一歩を分かち合う人さえいない。

僕自身、仕事内容は変わらないものの組織を異動することになった。心機一転と言いたいところなのだが、なんともモヤモヤする船出となってしまった。

とはいえ、組織が変わることをSNS上で告げれば、数年前に仕事関係でつながり今ではすっかり仲良くさせてもらっている友人たちから「おめでとう」とメッセージが入る。しばらく彼らと「これからどんなことができるか?」「今度この課題について一緒に考えたいね」といったポジティブな会話を続けることになった。

時間にすれば数分程度の画面上のテキストのやりとりだ。それでも時間を忘れて会話に夢中になっていた。なんだか久しぶりに感じた高揚感だった。

やりとりは「この状況が空けたら会って話しましょう」で締め括った。

ひとつ小さな約束を交わすことができた。

旧い友とは過去を、今の友とは未来を見つめることができる。眺める方向は違くとも「温める」ということにおいては同じだ。

僕には両方とも必要で、それはこれからどんなことがあっても離したくないな、スマホの画面を閉じてそう思った。

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今、僕らは体験したことのない状況に置かれている。顔の見えない強敵との戦いはいつ終わるとも分からない状況だ。

終わりの見えない戦いに、世の中は苛立ち、焦り、時に強い言葉で誰かを追い詰めてしまう。それだけギリギリのところに僕らは立っているのだと思う。今はまだ現実的に余裕のある僕でさえ、見えない未来にはたと足が止まり何をしていいかわからなくなる瞬間がある。

僕ごときが何かを言える立場でないことは百も承知だ。それでも敢えて言わせてもらいたい。

言葉を掛け合い心を通わせてきた近い人、素晴らしい作品や素敵な商品、美味しい料理などで心を動かしてくれた遠くの人、今はそういう人たちと小さな約束を交わしてほしい。

いつか会いにいくよ
いつか食べにいくよ
いつか買いにいくよ
いつか観にいくよ

自分の中で勝手に交わす約束でもいい。それでもできればなるべく声をかけてほしい。それは相手のためだけではなく自分のためになるから。不思議とその約束は自分自身を温かく包んでくれるから。

そして忘れないでほしい。あなたには約束を交わす人は必ずいるということを。

今は大きな約束はいらない。小さな約束を溜め込もう。冬眠中のリスみたいに溜め込んでおこう。

文/写真:Takapi

わかったつもり

ED1E27A7-FDB4-4E47-95E8-F5C10E734D68「正月太り」以降、一向に体重が減る兆しを見せない。これはしっかり運動をせねばと思い立ち、まずは形から入るべくGARMINの腕時計を買った。

走った距離や歩数、心拍がわかるのはもちろん、睡眠時間やストレス、ボディバッテリーという自身の体力の状況までわかるということで、肌身離さず寝る時も着けるようになった。

毎日データを追いかけているけれど、これがなかなか興味深い。

1日の歩数が少ない日ほど体力が余っているのか深い睡眠の時間が少なかったり、過度なストレスだと思っていた仕事の打ち合わせが「休憩時間」と出たり、リラックスをしていると思っていた料理の時間が高いストレス指数を叩き出したり。

案外自分自身のことが一番わかっていないのかもしれない。弾き出されたデータを通して新しい自分と出会ってるようでなんとも気持ちがいい。

データを通して自分自身の状態がわかってくると、今度はデータを起点にして行動を決めるようになってくる。

先週よりも少し速く走ってみようとか、心拍をより抑えて長く走ってみようとか。さらには走ることだけではなく、睡眠時間があまり取れなかった翌日は早く寝てみたり、ストレス時間が続いているのがわかれば意図的に休憩時間を設けたり。そんな感じでデータが示す「正しさ」に合わせて行動を選択するようになった。

実際この体調管理が実を結び徐々に体重は落ち始めた。
しかしながら、時計を着けてから1か月後に僕は腰を思い切り痛めてしまった。

データを行動の拠り所にし過ぎた結果、腰が悲鳴を上げていることに気付かぬまま走り続け、ついに走っている最中に「グキッ」と痛めたというわけだ。

生まれてこのかた35年強、腰痛とは無縁だったので痛めた時は途方に暮れた。それでもなんとかその翌日も会社には行った。席に着いたもののデスクワークすらままならず、早めに切り上げてクリニックに行くことにした。

行ったクリニックでは専門のカウンセラーが身体を診てくれた。どうやら僕の腰痛は身体の硬さと姿勢の悪さが原因らしい。

言われてみれば、僕は子どもの頃から身体が絶望的に硬く、少年野球をやっていた時も高校生の陸上部時代も重点的に指導されたのは、柔軟体操やストレッチなど身体をほぐすことだった。

姿勢の悪さもよく指摘されていた(言動に伴う「姿勢」のことではない。それはそれで最近よく指摘されるが)。猫背で歩いていると「胸を張れ」と散々言われた。

どうやら突如目の前に現れたデータの「分かりやすさ」に没頭するあまり、普段なら見逃さない兆しへの注意が散漫になっていたようだ。

腰痛の顛末は、「わかりやすさ」の功罪をまざまざと見せつける結果となった。

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猫を飼うことにした。なぜと問われてもわからない。なんとなく、猫が家の中にいたら愉快だろうなぁという予感だけで飼うことを決めた。

ペットショップから連れて帰った日、彼女は怯え切っていた(メスのサイベリアンで名前は「にぼし」という)。写真にあるように、本棚の下のスペースから出てきてくれなかった。

翌日以降は急速に新しい環境にも飼い主にも慣れていった。おかげで、2週間が経った今では朝起きて「にぼし」が住む部屋(空いた部屋をまるまる猫専用の部屋にしている)を開ければ、「ニャー」と僕の脚にまとわりついてくれるまでになったし、放っておけば家中を縦横無尽に走り回るお転婆娘に変わってくれた。一安心だ。

当たり前だけど猫に言葉は通じない。何を考えているかもわからない。猫の本を買って、「この仕草の時はこんな気持ちです!」と言われてもそれが本当かどうかもわからない。

甘えたいのかと思って撫でると嫌がるように逃げたり、遊びたいのだと思っておもちゃをチラつけせてもつれなかったり。それでもだんだん差し出した「世話」が当たってきて、喉をゴロゴロとさせて気の抜けた顔を見せてくれるととても嬉しい。

手を変え品を変え「にぼし」と対峙してみて思うのは、わかることとわからないことを繰り返すことはとても楽しいということだ。そんな「わからないことと向き合う手間」が欲しくて僕は飼い始めたのかもしれない。まぁ、そんな小難しいことを考えるまでもなく、今日も「にぼし」はおそろしくかわいいのだけれど。

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「わかる」はひとつの快楽だ。しかしながら「わかりやすい」は、糖質の高い清涼飲料水のように喉を渇かす中毒性を持つ。

反面「わからない」はストレスだ。それでも「簡単にわかりようがない」という前提に立つことは、好奇心や想像力という生きていく上で必要な筋力を持ち続けることができる、と思っている。

その筋力は本当に途方もなく絶望的な「わからないこと」に出会ったときに、現実に立ち向かわせる唯一の対抗策になる。そして悲しいかな、ほぼ必ずと言っていいほど、どの人にも等しく「わからないこと」は降りかかる。付け加えるならばその「問い」にわかりやすい答えは存在しない。

これからも「わかりやすいモノサシ」はどんどん増えていくだろう。それはそれで歓迎すべきことなのだと思う。けれど気を付けなくてはいけないのは、わかりやすいモノサシに頼り過ぎれば好奇心は細くなり、いずれ思わぬところで怪我をすることがあるということだ。

わかったつもりほど、こわいものはない。
かと言って、わからないと簡単に白旗を上げるのもつまらない。

結局のところ、大切なのは「わかる」と「わからない」を両天秤にかけながらバランスをとり続けることなのかもしれない。

ほら。バランスをとるのって案外筋力がいることだから。

文/写真:Takapi

声をかける

875FA325-5522-4408-810B-4CDC846CE59B朝スケジュール表を開いて、打ち合わせなどが少なく「今日は落ち着いてるな」と思える日は、決まって会社から徒歩5分程度のところにある小さな中華屋に行くことにしている。

満席になっても15名くらいしか入らないその中華屋は、まだ30代くらいと思われる声の大きな店主が料理を作り、とにかくよく喋る大柄なおばさんが給仕をしている。いつ行ってもこのコンビがわちゃわちゃと声を掛け合い時に客を巻き込みながらお店を回している。

僕がいつもここに通う理由は、麻婆豆腐がとにかく美味しいからだけではなく、この2人の掛け合い漫才が見たくて来ているというのも、きっとある。

その日も慌ただしい1月の中でポッカリ穴が空いたような日で(天気も冬なのに間延びしたような暖かさだった)、これは「中華日和」だと思い昼に行くことに決めた。

ちょうどお昼休みが終わるような時間だったからか、お客さんは数人しかいなかった。おばさんに「そこ適当に座って」と促され、着ていたカナダグースのコートを脱ぎ座ろうとした時だった。

「あれ。ひょっとしてファーを着けない派ですか?」そう厨房から店主に声を掛けられた。「ファーを着けない派」という言葉が僕が今しがた脱いだカナダグースのフードに備え付けられていたファーのことであり、僕がそれを外していることについて聞かれたのだと理解するのに数秒かかった。

言葉として理解はできてもその質問の意図もわかなかったので「なんだかクシャミしちゃいそうなんで外してるんです」とだけ答えた。

その回答を聞くなり「まじすか!?」と声を上げる店主。給仕のおばさんも「ああ、運命だねぇ」などと合いの手を入れるものだから余計にわからない。

いぶかる僕の表情を見て「あぁ、そうですよね」と店主は事情を教えてくれた。

一週間前に僕と同じ型のカナダグースを買ったのだけど、買った翌日に飼っている犬にファーを噛みちぎられてしまった。泣きそうになりながらファーだけ売ってるところを探すも見付からず途方に暮れていた、端的に言えばそういうことだった。店主の話に給仕のおばさんによる心情風景の描写が追加され、だいぶ大袈裟に仕立て上げられた悲劇を数分間聞くことになった。

そのやりとりが可笑しく、ひとつ漫談を聞いたような感覚に陥った僕は、その「出し物」にお返しをするかのように「じゃああげますよ、僕の」と言っていた。

まるで待ち構えていたかのように「まじすか!?」とテンションの上がる店主。「いやー、言ってみるもんだねぇ」とおばさんが返せば、「うん、よかったですね」と僕も笑って応える。

次回来る時に持ってくることを約束し、対価は「ランチ10回分無料」と交渉がひと段落したところで、おばさんが「あっ」と声を上げた。

「あなたの注文聞いてなかったわ」

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そんな微笑ましいやりとりがあったからか、その日は仕事が終わるまで時間がほのぼのと流れていたように思う。

帰りの電車の中もどこかのんびりとした気持ちでいた。帰宅ラッシュの時間はとうに過ぎ、立っている乗客もまばらな中、僕はドア横の手すりそばに立ち、スマホ版のKindleを開き読みかけの小説を読み始めた。

電車が発車し一駅目に着いたとき、僕が立っている方のドアが開き、数人の乗客が目の前を通り過ぎホームに降りていった。最後の乗客が降りようかという瞬間、「ドンッ」と僕が肩にかけていた鞄に衝撃が走った。そして次の瞬間、目の前に赤ら顔のおじさんが現れるやいなや罵声を浴びせられた。イヤホンをしていたので具体的な言葉は分からなかったがおそらく罵声なんだと思う。僕を睨みつける彼の苛立ちに満ちた目からそのくらいはわかった。

咄嗟のことで僕は何も反応ができないまま、罵声を浴びせたおじさんは悠々と電車を降り(既にその背中には満足気な雰囲気すら漂わせていた)、ドアはおとなしく閉まった。

ドアが閉まってから徐々に今起きたことがわかってきた。鞄に感じた衝撃は、罵声を浴びせたおじさんが殴ったものだったのだと。そして彼はきっと、僕の鞄が邪魔になって降りづらかったことに対して積年の恨みをぶつけるかのごとく罵声を浴びせたのだということ。

状況がわかると、今度は突き上げるような怒りが腹から喉元近くまでせり上がってきた。「見ず知らずの人に後ろから殴りかかり、罵声を浴びせる権利がどこにあるんだ」と思ったら脳内ではさっきの場面がプレイバックされ始めた。繰り返されたシーンでは、ドアが閉まる前に僕も電車を降り彼を追いかけ、彼の肩を掴んでいた(肩を掴んだ後はここでは自粛するけれど自分でも驚くくらい残酷なことをしていた)。

おいおい。これでは彼とやってることが変わらないではないか…と思ったらさっきまでせり上がってきた怒りの代わりに苦々しい後味の悪さが胃のあたりに居座ることになった。ムカムカする胃をさすりながら僕は「今日はあったかいスープの出番だな」と思った

社会人になってから、理不尽なことを突きつけられ怒りに震えたり、眼の前が真っ暗になるくらい突発的な悲しみに出会うことが増えた。そんな経験から得た、僕にとっての唯一の対応策が「あたたかい飲み物」を飲むことなのだ。この日も例に漏れず家に帰り冷蔵庫にある余った野菜をふんだんに使った中華スープを作ることにした。

でき上がったあたたかいスープを一口すすった時には、帰りの電車にあった嫌な出来事は嘘のように身体の中から雲散霧消していた。スープを飲み終えた頃になってようやく、昼間の中華屋の出来事がフラッシュバックされ、僕はこの家のどこかにしまったはずの「ファー」を探すため席を立った。

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翌朝、仕事の都合でいつもより少しだけ遅い時間に家を出た。マンションを出ると、少し先、距離にして10数メートルくらいの場所にホウキをはいている初老のマンションの管理人さんがいた。その管理人さんの表情は朝の陽を受けているからかとても柔和に見えた。距離が離れているにも関わらずそういう雰囲気は伝わるものらしい。なんなら微笑みすら携えているようにも見えた。

その管理人さんの横をランドセルを背負った小学生くらいの男子が通ろうとしている。管理人のおじさんが少年に気付くと「おはようございます」と、10メートル以上離れた僕にまでハッキリと聞こえる声で挨拶をした。

見た目の年齢よりもはるかに若々しい声だった。小学生は僕から見ると背中越しだったので何を言ったのかは聞き取れなかったけれど、お辞儀をするのは見えたから、きっと挨拶は交わされていたのだと思う。

声は、かけて、応えて、はじめてその人の手元に届くもの。それは決して一方的に投げつけるものではないことを、管理人さんの爽やかな声と小学生の背中は教えていた。

「あぁ。良い光景だな」と思いながら歩いていけば、近づく僕に気付いた管理人さんが「気を付けていってらっしゃい」と声をかけてくれた。声をかけられた瞬間胸が弾むのがわかった。咄嗟に僕は「はい。いってきます」と返していた。

挨拶を交わして数歩歩いたところで僕はふと空を見上げた。なんだか久し振りに空を見上げた気がした。頬に当たる風は相変わらず冷たいけれどこの日は心地良く感じた。

凛とした空気を肺いっぱいに吸い込み、「よし」と腹の中で声をかけて、僕は駅へと急いだ。右手にカナダグースのファーを入れた紙袋を握りしめて。

文/写真:Takapi

兆し

285FE80E-3ED0-490D-8747-4243B51369472020年がスタートした。令和になってからはじめての年越しであり、干支でいえばはじまりの「子」であり、オリンピックが東京に帰ってくる年でもある。なんとも縁起のよさそうな1年だ。タイトルの通り、既にいい兆しが見えているようにも思える。

このコラムも3回目の年明けを経験することになった。毎年のことだが、年はじめのコラムはいつも頭を抱えることになる。

それはどうしても「今年1年の抱負」を書くことを暗黙のうちに自分に課してしまうからであり、書き出していくうちに「これは昨年も言っていたことだ」と、1年かけてもなんら進歩のない自分自身が分かって絶望的な気持ちになるからだ。

とは言え、年末には1年の振り返りを行い(大抵は関わった人に感謝を伝え)、年始には「1年の計は元旦にあり」よろしく新年の抱負を掲げるのはごく当たり前の風景でもある。

とかくここ数年は、SNS上などで決意に漲る言葉をよく目の当たりにするようになった。新年の抱負を掲げなければ新しい年を迎えてはいけないのではないかと萎縮するほどに、並ぶ抱負は瑞々しく清々しい。

抱負とはつまり決意表明でもあるわけだから、この時期のSNSは「強い言葉」で彩られることになる。

強い言葉。
僕にとっては、煽られるほどに前向きな言葉も楽観的に過ぎる「優しさ」に満ちた言葉も同じくらい強く感じる。そして、強い言葉はわかりやすく食わせやすい。端的に言えば、強い言葉は「大味」に映る。

その風潮を否定するつもりはさらさらない。前向きな言葉は自らをも鼓舞することもあるし、優しさに満ちた言葉は触れた人をやさしく愛撫することだってある。

ただ、料理と同じように刺激の強い味付けをされたものは少し時間を置いて胃もたれを起こすか、喉が渇いてくる。

それでもまた時間を置いて「欲しくなって」しまう。この繰り返しの先に訪れるのは言わずもがなだ。

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料理の話になったものだから、昨年仕事でご一緒した数名の料理家の方の顔が浮かんだ。

皆さんとても気持ちの良い方たちだった。その気持ちの良さは「外連味(けれんみ)がない」という一言で表現することができる。

料理には順序がある。手間がある。そのすべてに理(ことわり)がある。そして扱うもののほとんどは「自然物」である。

コントロールできないものに向き合い、時間と経験からくる工夫を駆使することで美味しいものにする。それら工程はすべて手元で行い、作られたものは自分もしくは誰かの身体に入り、その人自身を形成する一部になる。

そんな仕事をしているからか、料理家の方の言葉はいつもするすると腹に落ちやすくて気持ちがいい。

1年のはじまりだからと肩に力を入れて言葉を「作り上げる」のもいい。けれど、今手元にある「素材」と向き合い、どう工夫すれば美味しい「結果」になるかをじっくり考えても良いんじゃないかと思う。その過程で出てくる言葉はきっと、胃もたれせずに喉も渇かない、日々を健やかに過ごす自分だけの「レシピ」になるはずだと、料理家さんの言葉は教えてくれる。

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仕事関連で知り合った友人たちと年始恒例の新年会を行った。酒が入り会話が盛り上がってきたところで「今年はどんな1年にしたいですか?」という質問が出た。

僕はこの質問に対する友人たちからの返答が好きだ。それは内容自体が面白いとか心が躍るとかそういう類のものではない。

僕がこの質問をすると決まって彼らは、昨年どんなことをやってきて、どんなことに気付いたかをまず話す。そしてその中で少しだけ光って見える兆しを拾い上げることで今年の展望とする「視線の置き所」が好きなのだ。

そして当たり前だけど、彼らには一昨年もそれ以前の年も、これまでずっと積み上げてきた年月がある。

彼らの話を聞いていると、未来というのは自身が踏みしめて歩いてきた実感の中にしか生まれないということを改めて知ることができる。

その「実感」は僕に安心を与えてくれる。一歩また一歩と、牛歩なれど歩いてきた自身を肯定してくれるような気持ちになるのだ。

今年も彼らの話を聞けたことで、ふっと心拍が下がるのを感じた。そして「今年もなんとかなりそうだな」と思うことができた。

同時に思った。これまで生きてきた30数年を振り返れば大抵のことは「なんとかなって」いるではないかと。色んなことが起こった1年でも、年末の「良いお年を」という一言でどうせ回収できているではないかと(僕だけかもしれないけれど)。

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年末年始の連休の最終日。正午を少し回った時間にコーヒー豆を買いに出かけた。

歩けば頬に当たる風は凛として冷たい。けれど瞼に感じる陽射しの中に春の暖かさを感じる。ここにも着実に積み重ねているひとつの兆しがあった。

今年はどんな兆しを感じる1年になるのだろう。

コーヒー豆を買い、家に帰る道すがら、陽射しを受けた背が汗ばむのを感じながらそんなことを思った。

気が付けば少し足早になっていた。

文/写真:Takapi

タクシーの窓越しで

DCEA1893-D9E4-4243-BD75-12B953545D0A仕事で関わった方から声をかけられ、ほとんど初対面の方たち数名と代官山のクラフトビール屋さんでお酒を飲み交わした。

宴は盛り上がりそのまま二次会に行くことに。少し離れたバーに行こうとタクシーをつかまえ4人で乗り込む。5人乗りのセダンに初対面の僕らは身を寄せるような形で座ることになった。

ほろ酔いの中の「密室」は不思議と気持ちを落ち着かせる。微睡んだような会話を楽しみながら窓の外を通り過ぎていくイルミネーションをぼんやりとした目で追いかけていた。

夜に乗るタクシーが好きだ。なんで好きなんだろうなぁと考えていたら、渋谷のスクランブル交差点で信号につかまりタクシーが停車した。

思い起こせば渋谷のスクランブル交差点を車の中から眺めるのは初めてだ。手の届く場所に大勢の人が行き交っていて、同じようにほろ酔いで談笑する人もいれば、黙々と目的地を目指しひた歩いている様子の人もいる。

近いのに遠い。とても遠い。その場に流れている音も熱もウインドウで遮断されて僕には届かない。ただそれだけで「距離」は作ることができてしまう。でも不思議とその距離が僕に高揚感を抱かせた。

ふだんの自分を覗いているような感覚とでも言えばいいのだろうか。あの交差点を横切っている人の中に「自分」を探すような、そんな感覚なのかもしれない。

「交差点の僕」はどんな顔をして歩いているのだろう。これからデートなのだろうか。気の乗らない接待なのだろうか。近くて遠い人になった途端に軽々しく想像してしまっている自分の凶暴さに気づく。さっき感じた「高揚感」は、自分の中の凶暴さが顔を出したからだった。

数秒後、タクシーは動き出しその景色は後ろに通り過ぎていった。「密室」の会話に戻っていった時には、近くて遠い距離にいた人たちは跡形もなく頭から消え去っていた。 FDBF7963-D968-4215-985B-4F341F140C7E 12月。鍋が美味しくなる季節だ。1年間続けてきた料理家さんとの仕事も今月は「鍋」にすることにした。仕事場(つまり先生のお家)で鍋を作り、撮影や取材が終わったあとメンバー全員で囲むことになった。

「少し早い忘年会ですね」と言いながらこの日ばかりは少しお酒を入れて談笑モードに。ひとつの鍋をみんなが箸でつつく行為がそうさせるのか、普段よりも距離が近づいたように感じた。メンバーも同じ心持ちだったのか、仕事以外の話なんかも出て終始和やかな会になった。

僕はガスバーナーの火を眺めながら、なんだか「焚き火」みたいだなぁと、仕事を放り投げた頭で思っていた。 「焚き火」なんて言葉が浮かんでしまったものだから、小学生の時に行った林間学校のキャンプファイヤーの光景が目の前を過ぎることになる。そしてその数秒後には漫画でしか見たことのないような、原始時代の洞窟の中の家族の風景が浮かんだ。

数万年も前から、人類はこうして火を囲むことで「仲間意識」を養っては生き延びてきたのかもしれない。そんな生き延びるための知見がDNAに書き込まれ、焚き火は今こうして僕らの目の前の鍋に姿を変え、仲間意識を「団欒」にやさしく置き換えて生き延びようとしているのかもしれない。

お酒の入った頭は飛躍に飛躍を重ね、1000年後にはどうなっているのだろう…と思ったところで「もう1杯飲みますか?」と仕事仲間から声をかけられ、意識は握っていたコップに着地した。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA          Processed with VSCO with u3 preset 社会人経験が数年の若手の方や大学生がいる飲み会に参加した(飲んでばっかりだな)。その中で社会人2年目くらいの方から転職するという報告があった。聞けば、今いる会社のビジョンに共感できない、やっていることの意味が見い出せない、といったような理由だった。まわりからは「うんうん、そうだね」「決意できてよかったね」というポジティブな声が行き交っていた。

そのやりとりを眺めていて突然何かが僕を内側から小突いた、と思ったときにはもう口から言葉が出ていた。「どんな決断も否定はしないけど、今の君の決断が『逃げた』という自覚だけはしておいた方が良いよ」と僕は言っていた。

一瞬で場が引いていくのが分かった。ただでさえ、だいぶ年上の自分が参加していることで気を遣わせている上に、説教まがいのこの発言だ。何より僕自身が引いていた。たとえ思ったとしても口にすべき言葉ではない。そんなことくらいわかっているつもりだったのに。

「まずいな」と思い場を繕おうとして言葉を探す。しかしながら出てきた言葉は余計に説教くさく、さらに場を凍らせることになった。 ひと通り話し終えると、今度は言葉がまったく出なくなってしまった。見かねた友人が投げ縄のように別の話題を放り込んでくれたおかげで、その場は和やかさを取り戻すことができた。

その後は楽しい会にはなったものの、僕はお腹のあたりに鈍い痛みのような、重石のようなものが乗っているような違和感を残したまま参加することになった。 飲み会の後半、談笑する頭の傍らでふと、新卒で入社した広告代理店の営業時代の、一番忙しい年末の「挨拶まわり」の映像が浮かんだ。こんな「カレンダー」を渡した程度で来年も仕事がもらえるようなら僕の仕事もなめられたもんだな、と当時のへそ曲がりな頭の中が蘇ってきた。

同時に思い出していた。「来年こそはナンバーワン営業マンになってやる」と、来年の自分に想いを託すようにカレンダーを渡しまわっていた健気で強気で弱い自分を。

そこでようやくわかった。さっきの言葉は「いつかの自分」にかけたものだったのだと。そして本当は続けてこう言いたかったのだと。 「いろんなことがあってアタフタし続けているけれど、それでもなんとか楽しくやってるよ」 DD3CEF9C-1424-4E09-81CA-2A99B86CC803 好むと好まらざるに関わらず僕たちは、ちょっとした目の前の出来事をきっかけにして、自身の過去に立ち戻ったり、知らない誰かに自分を重ねるようなことをしてしまう。そしてつい要らない言葉を口にしてしまったり、凶暴な想像力を働かせてしまったりする。

どんなに会話を重ね信頼を培っても、自身が積み上げてきた経験や今置かれている境遇が、あっという間に相手と距離をつくってしまうことがある。そう、それはタクシーのウインドウのように。

人と人が分かり合うって難しい。

それでも年末になると思うのだ。気の合う仲間と鍋を囲み馬鹿笑いして過ごした忘年会の帰り道に、酔った頭で振り返りながら思うのだ。

僕たちは、分かり合うことはできなくても「分かち合う」ことで乗り越えられるものがあるということを。そしてそんな積み重ねが「いつか」の自分を温め、「これから」の自分を肯定しうるということも。

年末は目の前の時間を分かち合うことができる季節だ。なるべくなら温かい気持ちで触れ合い、別れ際はこんな言葉で締めくくりたい。

今年もありがとう。よいお年を。

文・写真/Takapi