かっこいい人

CD1986F7-D204-4034-8A1A-423710C95950なんだかんだ「かっこいい人」に憧れ続けた人生だった。

幼稚園の頃は地球を守るヒーローに、中学生の頃はどんな女性も落とせそうな男前の俳優に、高校生の頃は世界で活躍するスポーツ選手や日本一売れている歌手に、大学生の頃は僕よりお酒が強くてモテるサークルの先輩に、社会人になってからはSNSで称賛される経営者に。

こんな風に「かっこいい」にも変遷はあって、その度に僕の世界は拡がったり縮まったりを繰り返してきた。ついでに言えば「かっこいい」は妬みや羨ましさと表裏の関係であり、コンプレックスの顕れでもある。だから「かっこいい」の変遷はコンプレックスの変遷でもあるわけだ。

社会人になり自分の「身の丈」がわかってくると、だんだんと「かっこいい」から目を逸らすことを覚えるようになっていく。それはつまり自分が羨ましくも目指したいと思っている「立ち位置」を放棄することでもある。そんな姿に対して「丸くなってしまった」とため息混じりに詰られることもあるし、「大人になったね」と背中をさすられることもある。

なんとも寂しい話だ。

なぜ今、改まってこんな話をしているのか。それは先日、敬愛するとあるアパレルのショップオーナーに飲みがてら人生相談をした折に言われた一言にある。

「君はかっこよくなりたいの?それともただかっこいいって言われたいだけなの?」

その言葉を受けてしばらく考え込んでしまった。それはショップオーナーが揶揄した後者側に僕が立っているということではなく(それもあるのだけれど)、「かっこいい」から目を逸らした「大人」になってしまったことを見透かされてるような気がしたからだ。

こんなことがあったから改めてじっくり頭の中で「かっこいい」と思える人を探してみることにした。それは今の自分のコンプレックスを覗くことでもある。おそらく痛みを伴う作業だ。それでも人生のあるタイミングでは必要な儀式なのだと思う。たぶん。

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定例の人事で僕は4月に部署異動をした。新しい部門の部長は見た目の年齢で言えば60歳手前くらい。はじめてお会いした時は「好好爺」という言葉が浮かぶほど朗らかな人柄に見えた。

コロナの影響でここ3ヶ月出社していないが、当たり前だけど仕事のメールは日々流れてくる。おおよそ50人強いる組織の面々から次々と報告メールや相談メールが飛んでくる。

正直現場の僕でさえ全部は見切れていない。そんな中部長はどのメールにも必ず返信をする。茶目っ気のある(少し古い)冗談を織り交ぜてメールの送り主を労う。

ひとりも置いていかずに組織を守らんとする覚悟のようなものがその所作から滲み出ている。

圧倒的なエネルギーでショベルカーのように仕事を進める人もいる。そんな人を羨んだ時期もあったのだけど、今は「好好爺」のように温かくもポジティブな空気を与えられる人に魅力を感じる。

かっこいい。

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大学卒業後、30年以上お酒造り一本でキャリアを積み上げてきた人に取材させてもらう機会があった。

僕が聞きたいと思っていたのは、これだけ長い時間、ひとつのことを極めるために自身を突き動かしているものは何なのだろうということだった。

しかし話を聞いてみるととても淡々としている。酒造りとは日々出会う小さな気付きをひとつずつ積み上げていくだけ。そんなことをポツポツと話す静かな佇まいを見て「突き動かす」という言葉は相応しくないと思えてきた。

「職人」と呼ばれる人は、何かに突き動かされて成り上がった結果の姿ではなく、自身の道を受け入れて、静かに向き合い続ける過程そのものなんだと気付かされた。

かっこいい。

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話を先日のショップオーナーとの飲み会に引き戻す。

二次会はオーナーが週4で通っているカウンターのみのバーへ連れていってもらった。「こんばんは」と入れば顔馴染みがすでにいてすぐに談笑が始まる。ものの数分で店内は一気に賑やかになった。

そこには東京で数店舗の居酒屋を経営する方や、最近近くにセレクトショップをオープンしたというお洒落なお兄さんなどもいてバラエティ豊かな面々が揃っていた。

違う畑の仕事をしている方々なのに、一同に会しているとまるで大学生のサークルのようにワイワイと話が尽きない。僕は話をただ聞くのが精一杯で、それでもふだん住んでいる場所とは違う世界に潜り込んだみたいで楽しかった。

帰り道、ひとり電車を待っているときに、ふと「羨ましい」ような「悔しい」ような、なんともいえない気持ちが沸き起こってきた。

今ならわかる。彼らはかっこよかったのだ。

先に上げた方々と二次会で出会った方々。彼らに共通するのは自身の「持ち場」をわかっているということだ。

そして静かな熱量に満ちた彼らの持ち場は「磁力」を伴って人を引き寄せる。さっきまでいたバーは、まさにそんな磁力の溜まり場だった。

僕はその「磁力」が羨ましくて悔しいのだ。足りないと思っているのだ。かっこいいと思うのだ。

それがわかると今度は清々しい気持ちになった。なんだ、まだやれることがたくさんあるではないか、と。

「かっこいい」は原動力だ。これからもたくさん羨んで妬んで、僕は自身の小さい世界を拡げていきたい。不格好を厭わずに。

文・写真:Takapi

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