祈り

先日、とあるつくり手のベテランと若手の師弟対談の取材に同席した。ベテランはもう60歳間際で、若手はまだ20代後半。世の中の嗜好が急速に変わる中、ものづくりにおいて変えていくべきこと、変えてはいけないことなどを聞く企画だった。

取材場所には若手が先に入り、ベテランを待つ格好となった。慣れない取材とのことで幾分ソワソワして見えた。その初々しさが微笑ましかった。数分の後ベテランが部屋に入ってくる。開口一番若手を下の名前で呼ぶその間柄はまるで親子のようでもあり、普段の関係性の良好さが伺える。

終始和やかな空気で取材は進んだ。終盤に差し掛かったところで「つくり手として大切にしていることは?」という質問がライターからふたりに対して投げかけられた。

先に答えるよう促された若手は、少し照れたように「まだ僕なんかが語れるような立場ではないですが」と前置きした後、訥々と自身のものづくりに対する想いを語り始めた。

静かな口調の中に熱い理想が垣間見れるその話しぶりは、若手というよりむしろ老成さすら匂わせた。その意外さと言葉の芯の強さにしばらく惚けて聞き込んでしまったが、ふと隣にいるベテランの方に目線を移すと、じっと何かを考え込むように俯いていた。

若手が話し終え、ライターからベテランの方に改めて同じ質問を問いかけると、ベテランは俯いていた頭を上げゆっくりと天井を見上げた。数秒の沈黙の後、ふっと息を吐き出して「もう彼に全て話していただきました」と微笑み、若手の方を向いた。その表情は、晴れ晴れとしているようにも、慈しんでいるようにも、それでいて少しだけ寂しそうにも見えた。 

取材後の帰り道、天井を見上げたベテランの横顔が頭から離れなかった。あの刹那、彼は何を考えていたのだろう、と。その後の若手の方を見つめる、あの嬉しそうで寂しそうな表情は何を物語っていたのだろう、と。

答えは見つからないまま電車は地元の駅に着いてしまった。改札を出ると視線の端に地蔵さんが入り込む。理由はわからないが僕の地元の駅前には地蔵さんがいる。誰かがいつも手入れをしているのだろう、地蔵さんのまわりはいつも花が彩られ、夜は灯りも灯される。いつもは目もくれずに通り過ぎてしまう地蔵さんに目を向けると、目の前を颯爽と駆け抜けようとしたサラリーマン風の人が、地蔵さんの前でピタッと立ち止まり、そっと手を合わせて頭を下げているところだった。1秒にも満たない所作の後、その人はサッと頭を上げると急ぎ足で駅の改札に向かって行った。

頭を下げたその背中からは、何かを懸命に祈っているようにも、ただ毎日行っているルーティンのようにも見えた。それでも、一瞬でも足を止め、頭を下げるその後ろ姿になぜか目を奪われてしまった。

気を取り直して家に向かう。歩きながら、最近祈りを捧げるようなことをしただろうか?と頭を巡らせてみた。そしてため息が出た。忙しさにかまけてまったくしていない。そんな不届きな自身を恥ずかしんでいたら、さっきの取材の光景が頭に再び浮かびハッとした。

ひょっとしたらベテランは、あの刹那、祈っていたのではないだろうか。

成長著しい若手の姿を目にし、しっかりとした言葉を聞き、彼の未来に、ものづくりの将来に向けて小さく祈っていたのではないだろうか、と。前途揚々で希望に満ちていながらもその不確かな未来を想い、ベテランは喜び憂い、嬉しくて寂しい表情を作らせたのではないか?そんな風に思った。

近くの人か、遠くの人か、はたまた自分自身に向けてなのか。向ける先は千差万別あれど、祈るという所作に共通するのは「未来を想う」ということなのだと思う。

もしかしたら、明日疫病に罹るかもしれない。
もしかしたら、明日電車の中で襲われるかもしれない。

現実的なこととして(そうだ、それは本当に現実的なことなのだ)、明日我が身にどんなことが降りかかるかは誰にもわからない。目の前が真っ暗になるような、ため息が出るようなことは、こちらの都合にお構いなく引き起こされる。

手を合わせ頭を下げるという所作をとらずとも、「未来を想う」人なら僕にだって数えるほどにはいる。彼ら彼女らが、とにかく無事で明日を迎えられますように。そう思ったところで僕は自然と空を見上げていた。秋晴れの夕暮れのオレンジが視界いっぱいに広がった。

数日後、眼鏡屋「Local」が新しい店舗「Place」を眼鏡屋の横にオープンさせたということで、挨拶がてら(冷やかしがてら)オープン日に遊びに行った。

お店に到着し、お店の前に所狭しと置かれた開店祝いの花たち、真新しいピカピカの格子状の窓、そして晴れやかで(少し疲れた)店主の顔を外から眺めたら、無事にオープンできてよかったと安心するとともに、このお店がこの街の人たちにとって、買い物をするだけではなく、ちょっとした憩う「場所」になれたらいいな、と願った。そしてドアの前で新しい木の匂いをかぐようにスーッと小さく息を吸った。ちょっと間が抜けているけど、これが僕なりの祈りなのかもな、と思った。

というわけで、これまで約4年間続けてきたこのコラムも、来月からは「Place」に場所を移すことになりました。毎月読んでいただいた方々が、月に1日、数分の時間、ほっと寛げるような、ふっと息を吐けるような「場所」になるよう、これからも書き続けていきますので、引き続きよろしくお願いします。

文/写真:Takapi