ただ春を待つ

期待に期待し過ぎない

「君の文章は特別うまいわけじゃないんだよね。でも、なんとなくだけど、普段本を読まないような人たちが君の言葉に触れたら『文章って面白いかも』って思うような気がするわけ。だからお願いね、このコラム」

今振り返れば褒められているのかけなされているのかわかないような誘い文句だ。

しかしながらそのときはなぜか(たぶん酒も入っていたからだろう)すごく嬉しくて「ぜひやらせてください!」と意気込んで返事をしてしまった(ような気がする)。

そんなきっかけで始まったこのコラム。「楽しみにしてるから」と僕の書く文章に一切注文をつけずに原稿をただ待ってくれている少し変わった眼鏡屋の店主がいてくれるおかげで、こうして無事に3回目を書かせてもらっている。

30代もなかばに差し掛かった僕にとって「ただ待ってくれている」人がいるというのがこんなにもありがたいことだとは思わなかった。

ただ待っている人、もしくはただ待ってくれている人はいますか?という質問を投げかけたら「はい」と答えられる人は少ないのではないだろうか(少なくとも同年代では)。

僕らは社会に出るとまず「待たせる」ことは相手の時間を奪う失礼な行為だと教えられる。時は金なり、タイムイズマネーだと叩き込まれる。そして待たせない技術が身についてくるようになると自然と(必然と)待つことができない体質になっていく。

そんなわけで「ただ待つ」「ただ待たせる」というのは、大人になるほど実はすごく難しい。

だからこそとてもありがたく感じる。大袈裟に言えばそれは、子どもの頃に夕方の公園で逆上がりに挑戦する姿を、何も言わずに見守ってくれた親の眼差しを背中に受けるような安心感に似ている。

あなたにはただ待っている人はいますか?ただ待ってくれている人はいますか?

さて3月。慌ただしい季節だ。

暖かくなったと思ったらまたすぐ寒くなってを繰り返すこの気温の変化をやり過ごすだけでも慌ただしいのに、「新生活」や「新年度」という名の“こしらえられた”スタート地点に向かって、なかったはずのゴールを無理矢理掲げられ、3月末までにゴールテープを切ることを急かされソワソワして落ち着かない日々を過ごしていることでしょう(僕だけかもしれないけれど)。

それでも少しずつ気温が上がり、木々に彩りが加わっていくのを見るのは何度見てもワクワクするもの。僕の経験則から言わせてもらえば、今年もほぼ100%の確率で桜は咲き、ほぼ100%の確率で花を見上げては、過去と今と未来を振り返り思案しながら“ひとひら”の希望を胸に抱いてひとりしんみりしたり、ときに友人と酒を飲みかわし談笑し記憶をなくすことと思います(僕だけかもしれないけれど)。

とにかく言いたいことは、毎年しっかりと全日本人の期待にこたえてくれる桜には「ありがとう」という言葉しか浮かばないということだ。

文章を「ただ待つ」こと。桜の開花を「期待する」こと。
ともに待つ行為ではあるものの、期待には期待する側が「明確な結果」を想定しているという点で「ただ待つ」とは大きく意味が異なる。

「期」という漢字には「決める」「約束する」という意味があることから、期待とは「両者で取り決めた約束ごとを“達成する”まで待つ」ということだと捉えることもできる。そして大事なことは、“大人”になってしまった僕らには達成するまでに「なるべく待たせない」というルールもこなさなくてはならない。

とても重たいし面倒だ。できれば「そんなに期待しないでよ」と思っていながらも、まったく誰からも期待されなければ寂しくなったりふてくされてしまうのも紛れもない気持ち(というか性)でもあって、なかなかに悩ましい。

とはいえ僕がこうしてここで文章を書かせてもらってから、稀に(ほんとにごく稀に)「コラム面白かったです。これからも楽しみにしています」と言われるようになった。

僕の友人は、僕がこうしてここでコラムを書いていることを「楽しそう」だと面白がってくれていて「楽しみながら書いている君のワクワクをおすそわけしてもらっているよ。ありがとう」と言ってくれた。

そんな言葉をかけてもらうとやはり僕も嬉しくなって、その度に「次はその人が楽しんでもらえるように少し頑張ろう」とひとり心の中で約束をしていたりする。

待ってくれている人のためにひっそりと日々の暮らしや行いでさり気なく「応えて」いく関係。
応えてもらったら「ありがとう」と言うだけで何も求めずにまた次の一歩を楽しみに「待つ」という関係。

できれば一人でも二人でもいいからそういう関係でいたいと思うし、僕の周りの人にもそういう相手を見つけてほしいと思う。

友人でも夫婦でも同僚でもその他どんな関係でも、うまくいき続けることなんてそうそうない。いつだって難題は降りかかり、その度にぶつかったり一緒に落ち込んだりしながら日々つたない関係の糸を紡ぎ直して僕らは暮らしている。

でもね。

「そんなあなたの次の一歩を楽しみにして待っています」というやさしい期待が、そっと僕らの背中を押してくれる。そんな気もしているんです。

さぁ。今年もそろそろ桜が咲くようです。
楽しみに待ちましょう。桜を、春を。
大切な人の次の一歩を。

文・写真:Takapi