今は小さな約束を蓄えて

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「ミートソーススパゲティを作ろう」と思い立ったのは外出自粛要請が出た週末の昼下がりだった。

朝起きて朝食を食べて、さて今日は家の中で何をやろうとぼんやりした頭で過ごしていたら(その間にSNSのタイムラインを追ったりエッセイ集を手に取ったりして)あっという間にお昼時になっていた。

何を食べようかと考えても、浮かんでくるものは最近作ったものばかり。これだけリモートワークやら外出自粛が続くと、はじめのうちは料理が捗ると喜んでいたものの、だんだんと同じようなメニューが並ぶようになり飽きてくる(要は僕に料理のバラエティがないのだ)。

さて、と悩み始めたところに、「あら。だったらあの時約束したミートソーススパゲティにしたら?」と妻から声がかかる。

約束のミートソーススパゲティ?聞けば話は半年前、妻の友人が我が家に遊びに来たときに遡る。

一緒に来ていた友人の娘さん(小学生低学年)と好きなご飯の話になった時に、彼女の口から「ミートソーススパゲティが好き」というのを聞くや「じゃあ練習して、次来た時に作ってあげるね」と僕は(いつもの軽い調子で)応えていたらしい。

よくあるその場限りの口約束だ。僕の方はとんと忘れていたのだが、今でも彼女はしっかりと憶えていて、半年経った今でも「ミートソーススパゲティはまだ?」と母親(つまり妻の友人)にせっついているとのこと。その話が妻に入り僕に「作れば」となったわけだ。

その話を聞いて、なんとも恥ずかしい気持ちになった。「これだから大人は…」と幻滅されないよう、彼女との小さな約束を果たすべく、練習がてらミートソーススパゲティを作ることにした。

作ってみたらとてもうまくいった。今はこんな状況なのでしばらくは会えないだろうれど、事態が収束したら食べにきてもらおう。

ひとつ楽しみな未来ができた。「おいしい」の声が待ち遠しい。

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3月最終週の日曜日の夜、札幌で弁護士をしている大学時代の友人から「今大丈夫?」とLINEが飛んできた。札幌と言えば、つい先日「非常事態宣言」があった都市だ。胸騒ぎがしつつ「大丈夫」と返すとすぐに電話が鳴った。

電話を取れば少し低いトーンで「久しぶり」から入る彼。しばらく最近の札幌の状況を聞いたり、こちらの東京の実情を伝えたりと近況報告が続く。胸のざわつきが抑えられずじれったくなって「なんかあった?」と聞けば、「いや…実は」と口ごもってから出た言葉が「12月×日空けておいてくれないかな?」だった。

そこで理解した。これはめでたい話なのだと。聞けば、かねてからお付き合いしていた女性と結婚式を挙げることにしたらしい。「こんなご時世だけど」と幾分申し訳なさそうに話しながら、それでも友人にはしっかり自分の口から伝えたいからと、わざわざ連絡をくれたのだ。

ほっと安心したのと嬉しさが混じって、そこからは大学時代に戻ったような会話の応酬が始まった。彼の大学時代の(ここでは言えないような)エピソードをいじり倒しては「それだけは結婚式で言わないでくれ」と釘を刺されて、笑い合って電話を切った。

気付けば少し身体が汗ばみ喉が枯れていた。テンションが上がり過ぎたようだ。

「12月か…」とひとり呟いては、この状況がどこまで続くかはわからないけれど、もし会えたなら記憶を飛ばすまで飲み散らかし、思いっ切り楽しんでやろうと小さく決心した。

またひとつ楽しみな未来ができた。

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4月1日は始まりの1日。入学式やら入社式やらで、新しい一歩を踏み出すことを祝す日だ。咲き始めた桜の景色も相まって、少しだけ無邪気にワクワクする日でもある。

しかしながら今年は一切そういう空気を感じることができない。何より出社禁止の状況なので、新しい一歩を分かち合う人さえいない。

僕自身、仕事内容は変わらないものの組織を異動することになった。心機一転と言いたいところなのだが、なんともモヤモヤする船出となってしまった。

とはいえ、組織が変わることをSNS上で告げれば、数年前に仕事関係でつながり今ではすっかり仲良くさせてもらっている友人たちから「おめでとう」とメッセージが入る。しばらく彼らと「これからどんなことができるか?」「今度この課題について一緒に考えたいね」といったポジティブな会話を続けることになった。

時間にすれば数分程度の画面上のテキストのやりとりだ。それでも時間を忘れて会話に夢中になっていた。なんだか久しぶりに感じた高揚感だった。

やりとりは「この状況が空けたら会って話しましょう」で締め括った。

ひとつ小さな約束を交わすことができた。

旧い友とは過去を、今の友とは未来を見つめることができる。眺める方向は違くとも「温める」ということにおいては同じだ。

僕には両方とも必要で、それはこれからどんなことがあっても離したくないな、スマホの画面を閉じてそう思った。

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今、僕らは体験したことのない状況に置かれている。顔の見えない強敵との戦いはいつ終わるとも分からない状況だ。

終わりの見えない戦いに、世の中は苛立ち、焦り、時に強い言葉で誰かを追い詰めてしまう。それだけギリギリのところに僕らは立っているのだと思う。今はまだ現実的に余裕のある僕でさえ、見えない未来にはたと足が止まり何をしていいかわからなくなる瞬間がある。

僕ごときが何かを言える立場でないことは百も承知だ。それでも敢えて言わせてもらいたい。

言葉を掛け合い心を通わせてきた近い人、素晴らしい作品や素敵な商品、美味しい料理などで心を動かしてくれた遠くの人、今はそういう人たちと小さな約束を交わしてほしい。

いつか会いにいくよ
いつか食べにいくよ
いつか買いにいくよ
いつか観にいくよ

自分の中で勝手に交わす約束でもいい。それでもできればなるべく声をかけてほしい。それは相手のためだけではなく自分のためになるから。不思議とその約束は自分自身を温かく包んでくれるから。

そして忘れないでほしい。あなたには約束を交わす人は必ずいるということを。

今は大きな約束はいらない。小さな約束を溜め込もう。冬眠中のリスみたいに溜め込んでおこう。

文/写真:Takapi