美容室にて

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毎月10日に公開しているこちらのコラム。

ちょうどよく月にひとつ書くことが見つかればいいのだけれど、そんなことは全くなくて、毎月1日になると10日後に迫った公開に向けて「うーん」と唸りながら、テーマをひねり出している。

テーマさえ決まればもう大丈夫かと言えばそれも違う。書き出してみて「あ。やっぱりコッチかな」「いや、そもそもこのテーマだと一言で終わってしまう」とか、文字通り右往左往しながら毎回書いているわけで、スラッと書けたことは今まで一度もない。

今回だって例に漏れず悩んでいる。今日も美容室で、髪を洗ってもらいながらここ1ヶ月で使えそうなネタがないか記憶を探ってみた。気付けば気持ちよさでウトウトしてしまい、まったくネタが思い浮かばなかった(なぜ美容室のシャンプーはあんなに眠くなるのだろう)。

美容室を出て近くの喫茶店に入って(その間に下北沢「珉亭」でピンク色のチャーハンとラガービールで一息ついて)募る焦りをもてあましながら(若干の眠気を伴って)ノートパソコンと向き合っている。

ここまで数百文字を使って、何の役にも立たないことをダラダラと書いていることに気が滅入ってきているのだけれど、美容室で髪を切ってもらっている自分を振り返り、ピンとくるものがあった(書き出してみるものだ)。

それは美容室で髪を切ってもらっているときに「会話をするか」という問題だ。今回はそんなことについて書こうと思う。

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「君さ。いつかサービス精神に殺されると思うよ」
先日の飲み会で、いきなり友人から面と向かってこう宣言された。

その友人は出会ってから1年くらいの仲だ。そんな彼が、初対面のときの僕を思い出して「サービス精神に殺される」と思ったらしい。

聞けば、初対面の僕は関西人と間違えるほどのテンションの高さでよく喋り、とにかくノリが良かったそうだ。彼にとってはそれはそれで好印象だったらしいのだけど、仲良くなるにつれ、元来の僕の薄暗い性格が分かってきたらしく(ちなみに薄暗い性格の方も好きらしい。変わった友人だ)、あんな風に毎回振る舞っていたら疲れるだろう?と、そんな気遣いから「サービス精神に殺される」という発言に至ったというわけだ。

そこで前述の美容室の会話の話に戻るのだけど、僕は美容室であってもタクシーであっても、よっぽど私生活で嫌なことがあったり、くたくたに疲れていない限り自分から「話しかけて」しまうのだ。

それは断じて「ネアカ」で人と話しているのが好きだからという理由ではない。本来の僕は人の目を見て3秒と話せないくらいには人見知りする性格だ(たまに「どこ見てるの?」と言われる)。ではなぜ話しかけるかと言えば、よく言われる、「沈黙が耐えられない」というのもあるのだけれど、それ以上に相手の目を本来の「僕自身」から逸らせたいというのが本当の理由だ。

要は、自信がないのだ。だから相手が僕のことを「値踏みする」隙を与えないように、話しかけることでごまかしてる。ごまかすというよりは煙に巻こうとしているという方が正しいのかもしれない。

「誰もそんなにお前のことなんて見てないよ」という嘲笑が聞こえる。僕ももちろんそれは認識している。だがこればかりは防衛本能のようなもので致し方ない。

そんなことだから、髪を切ってもらいながらずっと雑誌を見たり、スマホを触っている人を美容室で見かけると「なんて強者なんだ…」と、憧憬を通り越して畏敬の念すら抱いてしまう。

今日は意を決して、髪を切ってもらいながら雑誌に目を通そうとしてみた。でもダメだった。全然頭に文字が入ってこない。間もなく美容師さんが「オリンピックのチケット予約しました?」なんて聞いてくるものだから、ここぞとばかりにオリンピックの話から、僕が高校の頃に青春を捧げた陸上部の話までお届けすることになってしまった。

雑誌は表紙を開いたところでずっと膝の上で鎮座していた(『ポパイ』最新号だった)。

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と、いわゆるコンプレックスにも近い弱みがあるわけなのだけど、最近はこんな自分の癖について「ま。それでもいっか」と受け入れられるようになってきた。いや、むしろ心地よくなってきたと言ってもいい。

何がそんな風に変えたのか。それは、そういう「サービス精神」が散々繰り返されてきたことで慣れてきたというのもあるし、単純にそういう場が楽しいものならいいじゃん、という楽観的なものもある。けど一番はこのコラムやブログやSNSなどを通じて言葉を届ける機会が増えてきたことにある。

人間は多面的だし、複層的だ。少なくとも僕はそう思っている。晴れの日もあれば雨の日もあるように、気持ちだって考え方だって振れ幅があって当たり前だし、その全体性こそが「僕自身」なのだと思っている。

僕は、言葉を届けられるようになってはじめて、天秤の釣り合いが取れるように「サービス精神」まみれの自分とバランスが取れるようになった。のだと思う。

そんなわけで、僕はこれからも会った時のサービス精神を怠らず、こうして言葉にして届けることも諦めずに、バランスをとっていくことにする。

そしていつかは、美容室で「すいません。もう少し前髪切ってくれませんか?」とバランスの悪い前髪に注文をつけられるようになりたい。

文・写真:Takapi