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2019/02/10

高を括るな

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数年ぶりにマラソンのレースに出た。といっても距離はたかだか10マイル(16キロ)程度の市民マラソンだ。

高校時代は陸上部だった(と言ってももう20年近く前の話だが)。走ること自体は苦ではないし、実際に週末はジョギングをするのが日課だった。

1年くらい前までは。

ここ最近は忙しさを理由にしてほとんど走っていなかった。そんなことだから、レース前に練習できずに本番を迎えることになった。

ぶっつけ本番である。とはいえ所詮16キロだ、ゆるりと走れば大丈夫だろうとナメてかかっていた。

甘かった。折り返しを迎えるくらいから膝に痛みを感じるようになり、残り5キロを切ったあたりから気が遠くなりかけるほど痛くなった。走り終わってからはしばらく階段の昇り降りができないくらいにまで悪化した。

「錆びついているなぁ」

帰宅後、膝にロキソニンテープを貼りながらそう呟いていた。

言うまでもないけれど、筋肉痛はその2日後に来た。

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最近はありがたいことに宴の席にお呼ばれする機会が多かった。

楽しい宴ばかりならいいのだけれど、そうはいかないのがサラリーマンのつらいところだ。

時には明らかに不愉快な宴会に当たることだってある。 正確に言えば、宴会の中で不愉快な人に当たるということだけれど。

「どうしてこの人は、人の話を最後まで聞かずに『それはこういうことだから』とわかったようなことを言えるのだろう」「一体どんな立場からこの人は、よく知りもしない人に対して『あいつはダメだ』と決めつけるようなことを言えるのだろう」

大抵僕が不愉快になる人は大抵そんな「人種」だ。

狭量になっている。それはわかっている。

僕にしたって、こうしてこの場で不愉快な人を挙げ、読んでくれた方から「そうだ」と同意の声をもらうことで溜飲を下げようとしている。そのこと自体が、今挙げた「人種」がやっていることとほとんど変わらないのだから。

ガヤガヤとした席上、悦に浸った表情で「正論」を押し付けてくる人に僕は、反論するでもなく「はぁ」と話を聞きながらその場をやり過ごしていた。

「高を括られているなぁ」

いささか飲み過ぎた帰り道の電車の中でそう思った。

言うまでもないけれど、翌日には二日酔いの頭痛とともに話の内容はほとんど忘れていた。

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錆びつくこと、高を括ること。

いみじくもこれらは固く結びついている。高を括れば知らぬ間に錆びつくということだ。

同じようなことは今までやってきた。
同じようなことを今まで見てきた。

こんな言葉を並べて、今目の前で起きていることから目を逸らし、自身の貧相な経験に照らし合わせて「ま。そんなものでしょう」と高を括る。それが後になって取り返しのつかない「痛み」を招くことになる。

いや、むしろ痛みがあれば良い。大抵の場合は痛みにすら気付かずに知らぬ間に動けなくなることの方が多い。現に僕は、今回走らなければ自分が錆びついていることすら気付かなかったのだ。

当たり前のことだけど、筋肉は見ているだけではつかない。落ちる一方なのだ。

「同じような」ことと片付けて今を退けている間に、「今」はどんどん未来に向かって動いていく。

同じような」ことの間にどれだけの汗が流れているか。
「同じような」ことの間にどれだけの想いが溢れているか。

どんなに「同じような」ことに見えたとしても「同じ」ことなどほとんどありえない。 いや、あえて断言しよう。絶対に、ありえない。

こんなに強く言っているのは、僕自身がそうなってしまう可能性をいつでも抱えているからだ。だからこれは、僕自身に対しての忠告でもある。

高を括るな。

痛みと引き換えに得た教訓はことさら大きかった。

そしてこのコラムを書き終えたら走りに行くことにしよう。

文・写真/Takapi

2019/02/01

delightful tool personal order

「 それどこの靴ですか? 」

少し酔っていた僕に男性が聞いてきました。

「 寺田さんの靴です。」

そう答えていました。
そして男性は少し訝しげな顔をし

「 ありがとう。」

そう言って去って行きました。

今ならしっかり紹介できるのに。

日常生活の一足としての靴

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是非、HPをご覧になっていらして下さい。

http://www.delightfultool.com

『 delightful tool personal order 』@LOCALOPTICAL

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2019/01/10

僕の占い師

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大物政治家や有名作家など、いわゆる各界の著名人が、思い悩んだときの最後の心の拠り所として占い師に頼るという話を、年末の酒の席で聞いた。

どんなに多くの取り巻きを抱えても結局は神頼みなのかと嘲笑する声もあれば、いやむしろ自分の影響力が大きくなっていくほど人が信用できずに頼れるものがなくなるんだと同情する声も上がったが、話は終着せずに曖昧なまま途切れ、次の楽しい話題に移っていった。

そんな忘年会から10日ほど経ち、新年を迎え、毎年恒例の新年の抱負たるものを考えるために、頭の中で昨年の自分の振る舞いの「棚卸し」をしはじめたときに、先ほどの話が頭に浮かんだ。

果たして僕にとっての「占い師」は誰なのだろうと。

色んな人からのアドバイスやら忠告やらその他インターネット上に転がる無数のレコメンドの声を潜り抜けて僕にとって「決め手」となる声はどんなものか。

それを知ることがすなわち、今の自分の立ち位置を俯瞰で捉えられると思ったのだ。

しかし思い巡らせたところで浮かんできたのは中学生の頃の僕自身だった。

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中学生の頃、同じ部活で3年間をともに過ごした同級生から、卒業間近になって「僕は君のおかげで変われたんだよ」という感謝の言葉をもらったことがある。

聞けば、彼は自身の引っ込み思案な性格がコンプレックスだったそうで、僕と出会い、部活を通して僕と関わるうちに「こんな風に開けっぴろげに生きたら楽しくなるのか…!」ということに気付き(今振り返るとあまり褒められてないな)、次第に性格を変え、クラスにも友達ができて…最終的にはとても楽しい中学ライフを過ごすことができた、ということだった。

その話を聞いたとき、素直に嬉しいと思う反面、少し戸惑ったことを憶えている。なぜなら僕は彼に対してさして思い入れがあるわけでもなく(申し訳ない)、ただ「楽しいは正義」という思春期にありがちなポリシーの元にした言動を振りまいていただけで、彼の引っ込み思案な性格を変えようなどと露ほども思っていなかったからだ。

とはいえこうして僕の言動が、良くも悪くも彼の人生観まで変えてしまったことは間違いない事実である。

なぜ彼が僕の言葉や行動が「決め手」になってしまったのだろう。

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翻って僕自身のことを振り返ると、少なからず「決め手」となる人はいるみたいだ。

たとえば友人のFさんは、僕が仕事のことで相談する度に「その話面白いね」「君はもっと可能性があるよ」といつも軽い調子で背中を押してくれる。

同じような声をかけてくれる人は他にもいる。それでも彼の言葉は不思議とスッと腹落ちしてしまう。

そんな彼のアドバイスを聞いたある日の夜、僕は半分酔った頭でとある企業のエントリーシートを書き上げた。

結果として僕は今、そのエントリーシートを提出した企業で働いている。

たとえば、前職で一緒に働いたSさんは「この本は良かったよ」「あなたにそれは似合わない」といつもふわっと教え諭してくれる。

彼女の言うことはたまに毒気はあるものの「まぁ、彼女が言うなら失敗しないんだろうな」といつも僕は簡単に頷いてしまう。

結果として僕は彼女が薦めた眼鏡屋で眼鏡を買い、こうして毎月コラムを書かせてもらっている。

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中学生の頃の僕と先に挙げたふたりを並べてみる。
ひとつ見える共通点は相手との距離感で、すなわちそれは「近すぎない」ということになる。

必ずしも近くにいる人が「決め手」になるということではないらしい。

たしかに、思春期の頃に親のおせっかいな言葉が鬱陶しく感じたり、逆に好きになった人や仕事で一緒になった人に強い期待をかけて相手を怯ませて損なってしまったことも「近すぎた」ことが原因だったように思う。

時に人は、「相手を理解したい」という言葉を掲げて距離を詰めてしまうことがある。しかしながら「君をわかりたい」という思いやりは、「僕をわかってよ」という強烈な欲と裏表の関係でもある。

先述したSさんの話に戻せば、一緒に働いていた当時、立場上上司であった僕は彼女に「頑張るからついてきてほしい」と勇んで伝えたことがあった。

そのときに彼女は「え。私は君についていくつもりはないよ。ただ君が楽しいと思うことは一緒にやれると思う」と答えてくれたことがあった。

僕はその言葉で救われた。
その距離が温かかった。

今さらながらそんなことに気付いた。

僕にとっての「占い師」には心地よい距離感がある。そしてどうやら僕の今年の抱負はその辺にあるようだ。

今年もみなさん、ほどよい距離感でよろしくお願いします。

文/写真:Takapi