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2019/08/13

夏季休暇のお知らせ

8月19日(水)〜23日(金)は
夏期休暇とさせて頂きます。
宜しくお願いいたします。

2019/08/10

3mmくらいの、いいこと

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今年の梅雨は長かった。晴れ間が顔を出さない日々は体調にも陰を落とすのか、あちこちから不調の声が上がっていたように思う。僕も僕でなんとなくフワフワしていた。

7月末にようやく梅雨が明けたと思ったら、連日35度を超える猛暑が続いている。朝から30度を超える気温の中最寄り駅まで歩き、そこから満員電車で小一時間圧迫されるのは、思っている以上にこたえる。ここ数日は会社に着く頃には疲れきっている。

あれだけ晴れを待ち望んでいたのに、晴れを喜んだのは2日くらいで、その後はもうそろそろ雨降ってくれないかなと願っていたりする。薄情なものだ。

でも気持ちなんて案外そんなものなのかもしれない。あちらを立てればこちらが立たず、僕らはいつも「ないものねだりのシーソーゲーム」をして暮らしていて、そんな危ういバランスの上で時に昇ったり時に落っこちたりしてどうにか帳尻を合わせているのかもしれない。

だから気の塞ぐことがあれば、台風が通り過ぎるのを待つようにじっとしていればいいし、浸るほどの喜びに出会えたなら、一時の晴れ間と思ってありがたいと感じ入ればいい。

ひとつ言えることは、良いことも悪いこともそんなに「長続きはしない」ということだ。

なんてことはない、ただの一般論だ。

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僕はといえば、6月7月は忙しさも相まって、感情の起伏に翻弄された日々を過ごしていた。気分だけは季節を先取りして「夏バテ気味」の状態だった。

その反動なのか延長線上なのかはわからないが、ここ数週間を振り返ると微笑ましい出来事が手元に残っている。

並べてみると些細なことに見える。でもそれらはどれも3㎜くらい気持ちが上向くような出来事だった。

「3㎜くらい上向く気持ち」とは、たとえるなら木陰に入った瞬間にスーッと涼しい風が吹き抜けたときの、ホッと胸をなでおろすような、目尻が下がるような、忙しければ素通りしてしまうくらいの気持ちの変化だ。

木陰をたとえに持ち出したのは、今僕が空調の効き過ぎたカフェで氷の溶け始めた薄いアイスティーを飲みながら原稿に向き合っているからだ。要は単純に木陰が恋しいのだ(冷房がキツすぎてクシャミが止まらない)。

そして僕の後ろの席からは、夏バテのせいか新聞を膝の上に拡げたままうたた寝を始めたおじさんのいびきが聞こえてくる。

蛇足だ。本題に戻る。

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夏も本番を迎えると、胃腸が求めるご飯はふたつに分かれる。麻婆豆腐のような力強い味か、慈愛に満ちたやさしい味だ。少なくともそれ以外の選択肢を僕は知らない。

その日の昼時はたまたま後者を選んだ。職場から徒歩5分程度にある、和食がメインの定食屋さんだった。

15種類くらい定食の中から今の僕が一番求めたのは「ナスの煮びたし」だった。

10分ほど待っていると、1/3ほどつゆで埋まった丸いおおぶりのボウルの真ん中にテカテカとしたナスがどんと置かれた、それは見事な「ナスの煮びたし」が運ばれてきた。

「うまそうだなぁ…」思わずそうこぼした僕の声を受けて、料理を運んできた店主は「ふふ。これは今出してるメニューの中でも特にオススメだから。ま。食べてみて」とプリプリの満面の笑みで言い放ってさっと厨房に帰っていった。

その言葉通り本当に美味しかった。そして、ちゃんと時間をかけて作っていることがわかる料理だった。そうゆうのは不思議とわかるのだ。夏バテ気味で猫背になっていた背中がスッと伸びるような味だった。

「いやぁ、ほんとに美味しかったです」会計時にそう伝えると、「でしょう?もーーう、手間がかかってますから」と育て上げた弟子を世に送り出す師匠のような面持ちで料理のコツを丁寧に教えてくれた。

店を出てからオフィスに戻る足取りは軽く、視界が3㎜くらい上がったような気分だった。

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いつも仲良くしてもらっている友人に仕事で用があり、金曜の夕方に彼のオフィスにお邪魔することになった。

話は30分程度で終わり、時間も半端だから一杯だけ飲もうかという話になり、日が暮れる間際に近くのバルに入った。

ハッピーアワーということもありガヤガヤとした店内だった。カウンターに男がふたり腰かけ、ビールとハイボールを1杯ずつ頼んだ。

飲み会のような間延びした時間を過ごすわけではないから、少しだけ早口で互いの仕事の状況を伝え合う。そこから矢継ぎ早に賛同と意見を繰り返した。軽いトレーニングのような応酬になった。

アーモンドをつまみながらお互いに2杯ずつ飲んだ。2杯目が空にになり、会話がひと段落ついたタイミングで「そろそろ行きましょうか」と切り上げることになった。時計を見れば30分程度しか経っていなかった。

店を出ると「頑張っていきましょう。では!」とアッサリと手を振って別れた。

駅に向かい歩きだして50Mくらい経った頃、早歩きになっていることに気付いた。「これから」に立ち向かうべく3㎜くらい前のめりで歩いているような感覚だった。我に返り周りを見渡せば、とっぷりと日は落ち、街は夜の喧騒に包まれていた。

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朝オフィスに行くと、机の上に5cm四方の紙とクッキーが置いてあった。紙を見れば隣で働く後輩の置き手紙があった。

そこには、とあるミーティングでもらったお土産のクッキーをおすそ分けします、と癖のある丸文字で書かれていた。

紙の半分を使って絵も描かれていた。犬なのか熊なのか見分けがつかず3秒ほど逡巡したが、それを眺めていたらふっと頬が緩み、呼応するように身体全体の力が緩んだ。肩が3㎜くらい落ちるような感覚だった。

思えば手書きの文も手描きの絵もしばらくもらっていなかった。これだけメールやSNSでその人が「発した」言葉を受け取っていても、実感として人柄を感じるのはこんなちょっとした手書きだということに少しおかしみを感じた。

その紙をひとしきり眺めた後、打ち合わせで使うプリントが入ったファイルにそっとしまった。ゲン担ぎのような気持ちだったのかもしれない。でもなんとなく、その日は気持ちよく仕事ができたような気がした。

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今年の長梅雨とその後の酷暑。人は「大きな変動」に弱い。少なくとも僕は、弱い。

それでも日常の中にはいつでも3㎜くらい心が動くような出来事が溢れている。そしてそれはちょっした心持ち次第で、良い方に傾けてくれることもあるらしい。

3㎜くらいの、いいこと。
少しずつ積み上げていきたい。そんな小さな出来事に気付ける人でいたい。

文・写真:Takapi

2019/07/10

嬉しい寂しい

OLYMPUS DIGITAL CAMERA          Processed with VSCO with u3 preset子どもの頃から集団行動に馴染めなかった。はっきり言って苦手だった。

少年野球を小学1年生から6年間続けていたのだけど、大会でチームが敗戦したときに、メンバーが悔し泣きをしているそばで、猛打賞だった僕はどうしても「泣きの輪」に入れず(一応悔しそうな顔はしていたはずだ)内心ほくそ笑んでいたくらいには苦手だった。

だから、中学校以降は個人競技の陸上部に入部した。それはそれで楽しかったしやりがいがあった。

社会人になり、「社会性」というお行儀を叩き込まれるわけだが、そのひとつが「輪の中に入り、その中の人と同じ想いでいる」という所作だった。

持ち前の演技力で、なんとかその場しのぎでやり過ごせているつもりでいた。

しかしながら、1社目を退職するその日、恒例のお別れ会の「最後のあいさつ」という演説中もまったく感動的な空気を作れずに、場をしらけさせたばかりでなく、同僚にマイクを渡して僕との思い出を語ってもらい、ようやく場がまとまり、その同僚に盛大な拍手が向けられたこともあった。

先日、会社の研修があった。アセッサーと呼ばれる「人間観察」のプロに、丸3日間ひたすら監視され、最後の面談で「君さ、人当たりは良いけど、人に興味ないよね」と言われ、思わず「ご名答!」と拍手を贈りそうになった。

さすがに大人の所作としてその場を取り繕うことはできる。それでも相変わらず集団の輪の中で「同じ想い」でいることができないのだ。もっと言えばそこに漂う空気感に薄ら寒さすら感じてしまうのだ。

そういう態度は、しばらく経つとアセッサーよろしく大抵バレてしまう。小学生の頃から今でも続く僕の小さなコンプレックスである。

僕は、集団行動が苦手だ。

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先月、足掛け半年にわたるプロジェクトが終わりを迎えた。最終的には30名程度が関わる大きなプロジェクトだった。

プロジェクトが走りはじめの頃は難航していた。僕の持論やこだわりを周りにぶつけては、自身の説明力の欠落を棚上げして「違う」とダダをこねていた。それでも辛抱強く僕の隣で「この人が言っているのはこういうことでして…」と僕を擁護しながらわかりやすく周りに説明してくれる同僚がいた。

要はとんでもなく優秀な人で、その人がいたおかげで話はどんどんまとまり始め、チームにリズムが生まれ、僕からは出てこないアイデアがいくつも生まれた。彼がいたから、チームは最後まで心地よい雰囲気のままプロジェクトを進めることができ、最高の形で終わることができた。

プロジェクトが終わったとき、僕は気付いたらチームメンバーに「集合写真を撮りましょう」と口にしていた。あれだけ集団行動が苦手だった僕が「同じ想い」を形に残したいと思ったのだ。

帰り道、ずっと隣で支えてくれた彼からメールが入った。

「おかげさまで“思い出”となる案件になりました。ありがとうございました!」

「思い出」なんて言葉、久しく使ってなかったなぁ、と思わず頬が緩んだ。一旦メールを閉じ、さっき撮った写真を見返してから、彼に一言だけ返信をした。

「また、同じような思い出作っていこう」

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先月末で、半年間一緒に仕事をしていた後輩が職場を離れることになった。

とにかくよく笑う子だった。そして最後まで誰かを非難する言葉を聞くことはなかった(僕は散々口にしていたように思う)。いるだけで場が明るく前向きになるような、素直でていねいな人だった(本当にそんな人はいるんです)。

その人柄のまま、仕事ぶりもとてもていねいで、抜けがちな僕の仕事をいつもさり気なくフォローしてくれていた。周りからの信頼も篤く、いつも彼女には相談ごとが舞い込むような空気があった。

僕とは対極にいる人だ。そう思っていた。僕はいつもブルドーザーのように自分の意思のまま「進める」ことが最優先で、チームメンバーの考えていることは二の次だった。いや、正直に言えば、今まで人が考えていることを気にすらしていなかったように思う。

だから彼女にしてあげたことはほとんどなかった。ただ毎日のように僕が理想を語り、彼女自身のやりたいことを聞いた。そしてなるべく彼女が具体的に動けるように「足場」を用意した。そのくらいしかできなかった。

結果的には、彼女の求心力もあって、半年の間とはいえ今までやれなかった取り組みをいくつか打ち出すことができた。そのうちのいくつかは成功と言っていいものもあった。

最終出勤日。終業時間まであと1時間程度ということろで彼女は突然隣で泣き出した。あまりのことで戸惑った僕は(そもそもそういうのに慣れていない)バカみたいに「おつかれさま」と繰り返し口にすることしかできなかった。

帰り道の電車の中「感謝しかないんです」とメールが送られてきた。おそらく僕以外の関わった人全員に同じような言葉を送っているんだろうなと、僕は少し笑った。律儀な人だ。そう思った。

そして「あぁ。寂しいな」と呟いていた。

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先日、仕事で小さなトラブルが起きた。なんとか収束させようと、パートナー会社の若いスタッフ(まだ新卒2年目くらいか)が一生懸命に関係各所に駆け回り、調整をはかってくれた。

「ご迷惑をかけて申し訳ないです。なんとかします」と週末の深夜、電話口で話すそのスタッフの切迫した真剣な声に(とても早口な人なのだ)、僕は自然と「なんとか無事に終わったら飲みにでも行きましょうか」と口にしていた。

一瞬の間のあと、「ぜひ!まだ行けてないですし!」とこれまた早口で高揚した声で返してくれた。社交辞令かもしれないし、ただの飲みの口約束だ。でも僕はその彼の言葉がとても嬉しかった。電話を切った後、鼻にツンとくるものがあった。

オフィスを出たとき、昼間のジメッとした空気が嘘のように澄んだ空が待っていた。

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僕は、集団行動が苦手だ。

理由は先に述べた通りだ。「同じ想いでいよう」という同調圧力がどうしても苦手なのだ。その言葉に内包されている「足並みを揃えつつ、誰かのために頑張りなさい」という押しつけがましさがどうも馴染まないのだ。そんな綺麗事だけでうまくいくはずがないと、心のどこかで思っているのだ。

でも僕は気付き始めている。

誰かのために頑張るのではなくて、誰かがいるから頑張れるということ。その先に「同じ想い」が待っているということ。さらにその先には、嬉しさと寂しさが待っているということ。その寂しさは、また誰かと喜びを交換したいと思わせてくれるということ。

たぶん、人はそんな簡単に変われない。僕は僕で、これからも集団行動は苦手なままなんだろう。それでも、今年の梅雨時に関わってくれた人からもらった嬉しさと寂しさは、また味わってみたいとも思っている。

僕は今、ほんの少しだけ、集団行動をしたくなってきている。

文・写真:Takapi