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2019/06/10

美容室にて

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毎月10日に公開しているこちらのコラム。

ちょうどよく月にひとつ書くことが見つかればいいのだけれど、そんなことは全くなくて、毎月1日になると10日後に迫った公開に向けて「うーん」と唸りながら、テーマをひねり出している。

テーマさえ決まればもう大丈夫かと言えばそれも違う。書き出してみて「あ。やっぱりコッチかな」「いや、そもそもこのテーマだと一言で終わってしまう」とか、文字通り右往左往しながら毎回書いているわけで、スラッと書けたことは今まで一度もない。

今回だって例に漏れず悩んでいる。今日も美容室で、髪を洗ってもらいながらここ1ヶ月で使えそうなネタがないか記憶を探ってみた。気付けば気持ちよさでウトウトしてしまい、まったくネタが思い浮かばなかった(なぜ美容室のシャンプーはあんなに眠くなるのだろう)。

美容室を出て近くの喫茶店に入って(その間に下北沢「珉亭」でピンク色のチャーハンとラガービールで一息ついて)募る焦りをもてあましながら(若干の眠気を伴って)ノートパソコンと向き合っている。

ここまで数百文字を使って、何の役にも立たないことをダラダラと書いていることに気が滅入ってきているのだけれど、美容室で髪を切ってもらっている自分を振り返り、ピンとくるものがあった(書き出してみるものだ)。

それは美容室で髪を切ってもらっているときに「会話をするか」という問題だ。今回はそんなことについて書こうと思う。

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「君さ。いつかサービス精神に殺されると思うよ」
先日の飲み会で、いきなり友人から面と向かってこう宣言された。

その友人は出会ってから1年くらいの仲だ。そんな彼が、初対面のときの僕を思い出して「サービス精神に殺される」と思ったらしい。

聞けば、初対面の僕は関西人と間違えるほどのテンションの高さでよく喋り、とにかくノリが良かったそうだ。彼にとってはそれはそれで好印象だったらしいのだけど、仲良くなるにつれ、元来の僕の薄暗い性格が分かってきたらしく(ちなみに薄暗い性格の方も好きらしい。変わった友人だ)、あんな風に毎回振る舞っていたら疲れるだろう?と、そんな気遣いから「サービス精神に殺される」という発言に至ったというわけだ。

そこで前述の美容室の会話の話に戻るのだけど、僕は美容室であってもタクシーであっても、よっぽど私生活で嫌なことがあったり、くたくたに疲れていない限り自分から「話しかけて」しまうのだ。

それは断じて「ネアカ」で人と話しているのが好きだからという理由ではない。本来の僕は人の目を見て3秒と話せないくらいには人見知りする性格だ(たまに「どこ見てるの?」と言われる)。ではなぜ話しかけるかと言えば、よく言われる、「沈黙が耐えられない」というのもあるのだけれど、それ以上に相手の目を本来の「僕自身」から逸らせたいというのが本当の理由だ。

要は、自信がないのだ。だから相手が僕のことを「値踏みする」隙を与えないように、話しかけることでごまかしてる。ごまかすというよりは煙に巻こうとしているという方が正しいのかもしれない。

「誰もそんなにお前のことなんて見てないよ」という嘲笑が聞こえる。僕ももちろんそれは認識している。だがこればかりは防衛本能のようなもので致し方ない。

そんなことだから、髪を切ってもらいながらずっと雑誌を見たり、スマホを触っている人を美容室で見かけると「なんて強者なんだ…」と、憧憬を通り越して畏敬の念すら抱いてしまう。

今日は意を決して、髪を切ってもらいながら雑誌に目を通そうとしてみた。でもダメだった。全然頭に文字が入ってこない。間もなく美容師さんが「オリンピックのチケット予約しました?」なんて聞いてくるものだから、ここぞとばかりにオリンピックの話から、僕が高校の頃に青春を捧げた陸上部の話までお届けすることになってしまった。

雑誌は表紙を開いたところでずっと膝の上で鎮座していた(『ポパイ』最新号だった)。

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と、いわゆるコンプレックスにも近い弱みがあるわけなのだけど、最近はこんな自分の癖について「ま。それでもいっか」と受け入れられるようになってきた。いや、むしろ心地よくなってきたと言ってもいい。

何がそんな風に変えたのか。それは、そういう「サービス精神」が散々繰り返されてきたことで慣れてきたというのもあるし、単純にそういう場が楽しいものならいいじゃん、という楽観的なものもある。けど一番はこのコラムやブログやSNSなどを通じて言葉を届ける機会が増えてきたことにある。

人間は多面的だし、複層的だ。少なくとも僕はそう思っている。晴れの日もあれば雨の日もあるように、気持ちだって考え方だって振れ幅があって当たり前だし、その全体性こそが「僕自身」なのだと思っている。

僕は、言葉を届けられるようになってはじめて、天秤の釣り合いが取れるように「サービス精神」まみれの自分とバランスが取れるようになった。のだと思う。

そんなわけで、僕はこれからも会った時のサービス精神を怠らず、こうして言葉にして届けることも諦めずに、バランスをとっていくことにする。

そしていつかは、美容室で「すいません。もう少し前髪切ってくれませんか?」とバランスの悪い前髪に注文をつけられるようになりたい。

文・写真:Takapi

2019/05/10

おいしい暮らし

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「あぁ。おいしい」

今年のGWは尾道を旅行していた。

今月のコラムは尾道の旅行について書こうと思い、パソコンを起ち上げ、書き始めようとしたところ、振り返って浮かんだ言葉が冒頭のそれだった。

それから旅行中何度言ったかわからない「おいしい」の記憶を辿っていくと楽しい気分になってきたので、今回は「おいしい」を追いかけることにしたい(なんだかもうお腹が空きそうだ)。

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今回の旅行の「おいしい」のファンファーレは、行きの新幹線が飾った。

午前11時前、静かに新幹線は東京駅を出発した。新幹線が動き出すのを乾杯の合図に見立ててプシュッと缶ビールを勢いよく開ける。そして即座にごくりと喉を鳴らす。そこで出てきたのがこの旅行で一回目の「おいしい」だった。新幹線が出発して1分、まだ品川駅にも着いていなかった。

実は「新幹線プシュッ」が僕は昔から大好きで、仕事の出張帰りの新幹線では必ずやるし(やらないとどうも気持ちよく帰宅できない)、旅行のときも必ずといっていいほどビールを飲むことにしている。

もちろんビールそのものが大好きなので、当然飲む度にいつも「おいしい」という言葉は出るのだけど、旅行の「行き」の新幹線の中で飲むビールが格別においしいと感じるのだ。さらに言わせてもらえば、新幹線の中で缶ビールを開ける「プシュッ」という音がすでに「おいしい」わけで、同じ車両に「プシュッ」とする人がいたなら駆けつけて乾杯したい気分になるほどだ。家で「プシュッ」としてもそんなに高揚しないのに、新幹線の中だととりわけ高揚してしまう。不思議だ。

午前中という時間帯から飲む背徳感からなのか(旅行の「行き」は大抵午前中だ)、旅する期待をビールが煽ってくれるからなのか、その辺はよくわからない。とにもかくにもこの旅の「おいしい」は新幹線から始まることとなった。

Processed with VSCO with u3 preset旅先では「地の物」を食べたい。そう思う人は多いのではないだろうか。僕の中で「地の物」はふたつある。ひとつは「ご当地料理」とも呼ばれる、その地域でとれた食材を使った料理であり、もうひとつは地元の人が愛着をもって食している「地元のご飯屋さん」である。

ご当地料理は旅通の友人に頼ればなんとかなる。しかし問題は後者である。こればかりは地元の人しかわからない。

そういう時は地元の人に聞くことにしている。今回宿泊した宿は、古民家をリノベーションした1日1組限定の宿で、そこに住んでいるご夫婦が運営していた。そのご夫婦に話を聞き、いくつかお店をピックアップしてもらった。

ピックアップしてもらったリストの中から、宿のご夫婦とも仲の良い方がひとりで切り盛りしているカレー屋さんに行くことにした。どうやらそのカレー屋さんは決まった休みの日があるわけではなく、いきなり休んだりすることもあるようで、宿の女将さんがわざわざ事前に連絡までしてくれた。

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そうしてカレー屋に行ったわけだけど、「○○という宿の女将さんに薦められてきました」というと「あぁ。聞いてます。ありがとうございます」と自然と会話ができて、もうその時点でだいぶ居心地がよくなっていた。

「カレー屋なんてね、ほんとにやめた方がいいですよ」といきなりぼやきだしたカレー屋の店主。カレーは仕込の時間がとにかく長いとは彼の弁で、1日のうち18時間厨房にいることもあるとのことだった。

そんなユニークな店主が作るカレーは絶品で、この旅行中の上位に入る「おいしい」を発することになった。遅い時間にお店に入ったこともあって、お店には僕ら一組しかおらず、カレーを食べながらも店主とずっと話すことができた。

元々尾道に住んでいてUターンしてきた過去、この場所でカレー屋を始めることにした理由、疲れると道後温泉に行くこと、とある雑誌のインタビューされたときの笑い話、尋常ではないモノのこだわりから大分のとある器作家と仲がよく、カレー屋にも関わらず器も大量に売っていること。

気付けば2時間強も話し込み、挙句にはお皿が入った紙袋をふたつぶら下げて宿に帰ることになった。

宿に帰れば、宿の女将さんが「さっき、カレー屋の店主から連絡があって、ほんとにいいお客さんだったって。彼、今日はぐっすり寝れるみたいよ(笑)」と教えてくれた。

とても気持ちのいい夜だった。今振り返ってもカレーの味が思い出せるほど(一口目が玉ねぎの甘さが飛び込み、徐々に辛味が顔を出す独特な味わい)で、また食べたい気持ちになっている。

とはいえ一皿のカレーだ。カレーそのものは東京でも食べれるし、美味しいカレー屋さんは山ほどある。でも今回の旅で行ったカレー屋さんは間違いなくそこでしか食べることのできないカレーで、とても「おいしい」カレーだった。

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もちろん「ご当地料理」も楽しんできたわけだが、せっかくの旅行なので少し贅沢な料理を堪能させてもらうことにした。

旅通の知人が薦めてくれた予約のなかなかとれないワインバルに、新進気鋭のシェフが監修したホテルのコースディナーをいただいた。その地でとれた食材を一流の料理家が振る舞う料理は「地の空気」も纏っているのか、東京の高級レストランでも再現できないような味わいで、口に含むごとにため息が出るほどおいしかった。

こんな風にいつもより少しお金を払って食を楽しむことはつまり、サーブに時間をかけてもらえるということでもある。それは単に料理をじっくり堪能できるというだけではなく、振る舞ってくれる人との会話を楽しめるということでもあって、そうやって話を聞くことで、舌と耳で料理を楽しめるから「おいしい」となるわけだ。

ついで言えばそんな特別な体験は、後日会った友人なんかに「あそこで食べた鯛のカルパッチョがね…!」などと「おいしい」表情をして自慢げに語ることで土産話してしても活きてくるから二度おいしかったりする。

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旅から帰ってきた翌日。旅の疲れからか、いつもより遅く起きた朝に頭にパッと浮かび無性に食べたくなったのが、地元の駅そばにある中華チェーン店の炒飯だった。

のろのろと起き上がり、普段着に着替えて中華店に行き「ラーメン・炒飯・餃子セット」を頼み、ジョッキビールでひとり乾杯し、ふぅと息をついてからレンゲですくった炒飯の一口目の塩っぱさにぎゅっと目を瞑り「あぁ。おいしい」と小さくつぶやいていた。

今しがた「少しお金を払ってでもいいものを」と言ったそばから翻すようだけど、こういう料理もたまらなく「おいしい」。食べ過ぎると身体に悪いと言われ注意されるこんな料理も、ほろ酔いの中でコンビニの灯りに吸い寄せられて買うハーゲンダッツも…「おいしい」はいつでも発言する自由を僕らに与えてくれている。

旅先のおいしい。
ふだんのおいしい。
特別なおいしい。
誰かと食べるおいしい。

「おいしい」という言葉のそばにたたずむ、ホッと安心する気持ちや、ワーッと高揚する気持ち、そんな気持ちで彩られる暮らしはたぶん、とても楽しい。

そんなわけで、「おいしい」の種類をたくさん持つことがすなわち「おいしい」思いをして暮らせるひとつのコツなのではないかと、僕なんかは思うのだ。

文・写真:Takapi

 

2019/04/22

臨時休業のお知らせ

都合により

6月17日(月)

は臨時休業致します。

ご迷惑お掛け致しますが、よろしくお願い致します。