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2019/09/10

言葉ひとつ

 

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仕事柄取材と称して人の話を聞くことが多い。
ひとつのことに人生を賭けている人、とある分野の専門家…そんないわゆる「プロ」の話を聞いていると「この人は言葉を持っているなぁ」と感嘆することがよくある。

言葉を持っている。

こうして字面にするとなんだかしっくりこない。声に出した「言葉を持っている」と比べるとどこか頼りない。もっと言えば間が抜けて軽い。

時として言葉は、声にして初めて質量を伴うようなことがあるらしい。

それはそれとして、僕にとって「言葉を持っている」人は必ずしも理路整然と語ることに長けた人のことを指すわけではない。現にスラスラと美辞麗句を並べる営業マンの話は眠くなるだけだし、勢いに任せた強い言葉に耳を塞ぎたくなるようなこともある。

僕が「言葉を持っている」人だと感じるのは、話を聞いていてゾワゾワと腕毛が逆立つような、身体の中で言葉がこだまするような、そういう声を持っている人のこと。

どんな相手でもそうなるわけではいし、一度そう思った人でも次に話を聞いたらまったく何も感じないこともある。それは多分に聞き手である僕自身の「その時」の心持ちに左右されてしまう。

どうやら言葉は受け取る相手がいて初めて「持つ」ことができるようだ(あくまで僕にとってのことだけど)。
そんな言葉に出会うときは決まって、相手の言葉が僕自身の身体の中を駆け巡り、身体の内側から新しい言葉を作り出させようとしてくる。言葉が外に出たがっていることがわかる。

たまにしか起きない。けれどそういう幸運に立ち会える喜びのことを、言葉が「響く」というのだと思う。

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先日職場で新しいプロジェクトが立ち上がった。それは僕がこれまでずっとやりたかったことで、意気揚々としてはじめての打ち合わせに向かった。

プロジェクトリーダーの話が一通り終わったあと、「君はどうしたらいいと思う?」と話を振られた。僕は積年の想いを晴らすように、ほとんど息継ぎもせずに10分ほど話し続けた。話し終えたとき、思わず「疲れました」とこぼしてしまうくらいには一生懸命想いを伝えた。

話を横で聞いていたプロジェクトリーダーは「うんうん。そうだよね」と喜んでくれた。打ち合わせが終わって1時間ほど経った頃、リーダーからメンバー宛にメールが届いた。

長いメールだった。それは勢いに任せて書かれたと言うよりも、もはや殴り書きに近いような文章だった。文体は途中で崩れていたし、誤字もあった。

それでも画面に映された電子の字面が熱を帯びているのがわかった。その熱を受けて、気付けば僕は自席で泣きそうにすらなっていた。

そのメールの最後には「先ほどの○○さん(僕の名前だ)の言葉で背中を押されました。これは成功できると思う」と締めくくられていた。

言葉が「響いた」瞬間だった。

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仕事で岩手県に行った。当日の移動は車。当日集まったメンバー5人のうち運転ができるのが僕だけということで2日間ドライバーを任されることになった。

この5人は所属もチームもバラバラで、まだ数回一緒に仕事をした程度の関係だ。5人乗りのレンタカーで少し窮屈さを感じながらのドライブとなった。

2日目の仕事が終わり、レンタカーを返すときになって5人の距離が近づいたような感覚があった。おそらく5人全員が同じような感情でいたと思う。レンタカーを返し終わった後の、まるで文化祭が終わった後のような表情を5人揃ってしていたことでそれはわかった。

ドライブ中は大した話はしていない。懐かしのポップソングをBGMにして、学生の頃の恥ずかしい話や、ただただ下らない話を繰り広げていた。それでもそこにはなんともいえない親密さが伴い、閉ざされた小さな空間の中で反響する声は、ふだんよりも寛いだ声に聞こえた。

大仰な言葉でなくても、強い想いでなくても、言葉は「通じる」ことがある。
通じた言葉はそのまま、気持ちまで通じさせるようなことだってある。

そして、それは面と向かって発せられる言葉だけとは限らないようだ。

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夏の終わり特有の、夕暮れ時に降る雨。

早めに仕事を切り上げた日、オフィスを出て駅に向かう道すがら、交差点で待つ人たちの多くが空を見上げていた。中にはスマホを取り出して空に向けている人もいた。つられて見上げればそこには虹がかかっていた。

思わず僕もスマホを取り出し空に向けた。
たったそれだけのことだ。それだけのことなのに、その瞬間僕は胸が高鳴るを感じていた。

それは運よく虹を拝められたからではなくて、その時、その場所で、いや、遠く離れた場所でも、同じように虹を見上げては、写真を撮っている人がいるということが嬉しくなったのだ。名前も知らない、年齢も違う、働いている環境だって、育った環境だって違う人が、同じ空に同じ想いを重ねているという事実に、ただただ感動したのだ。

想いは言葉だ。
その人たちと僕は、その瞬間たしかに同じ言葉で「通じて」いたのだ。

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僕らは言葉ひとつで通じ合うことができる。
言葉ひとつで人を勇気づけることもあれば、言葉ひとつで人を殺すことだってある。
そして、言葉がなんの役にも立たない時だってあることも知っている。

言葉ひとつ。
その重さと軽さを忘れないで暮らしていきたい。

文・写真:Takapi

2019/08/13

夏季休暇のお知らせ

8月19日(水)〜23日(金)は
夏期休暇とさせて頂きます。
宜しくお願いいたします。

2019/08/10

3mmくらいの、いいこと

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今年の梅雨は長かった。晴れ間が顔を出さない日々は体調にも陰を落とすのか、あちこちから不調の声が上がっていたように思う。僕も僕でなんとなくフワフワしていた。

7月末にようやく梅雨が明けたと思ったら、連日35度を超える猛暑が続いている。朝から30度を超える気温の中最寄り駅まで歩き、そこから満員電車で小一時間圧迫されるのは、思っている以上にこたえる。ここ数日は会社に着く頃には疲れきっている。

あれだけ晴れを待ち望んでいたのに、晴れを喜んだのは2日くらいで、その後はもうそろそろ雨降ってくれないかなと願っていたりする。薄情なものだ。

でも気持ちなんて案外そんなものなのかもしれない。あちらを立てればこちらが立たず、僕らはいつも「ないものねだりのシーソーゲーム」をして暮らしていて、そんな危ういバランスの上で時に昇ったり時に落っこちたりしてどうにか帳尻を合わせているのかもしれない。

だから気の塞ぐことがあれば、台風が通り過ぎるのを待つようにじっとしていればいいし、浸るほどの喜びに出会えたなら、一時の晴れ間と思ってありがたいと感じ入ればいい。

ひとつ言えることは、良いことも悪いこともそんなに「長続きはしない」ということだ。

なんてことはない、ただの一般論だ。

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僕はといえば、6月7月は忙しさも相まって、感情の起伏に翻弄された日々を過ごしていた。気分だけは季節を先取りして「夏バテ気味」の状態だった。

その反動なのか延長線上なのかはわからないが、ここ数週間を振り返ると微笑ましい出来事が手元に残っている。

並べてみると些細なことに見える。でもそれらはどれも3㎜くらい気持ちが上向くような出来事だった。

「3㎜くらい上向く気持ち」とは、たとえるなら木陰に入った瞬間にスーッと涼しい風が吹き抜けたときの、ホッと胸をなでおろすような、目尻が下がるような、忙しければ素通りしてしまうくらいの気持ちの変化だ。

木陰をたとえに持ち出したのは、今僕が空調の効き過ぎたカフェで氷の溶け始めた薄いアイスティーを飲みながら原稿に向き合っているからだ。要は単純に木陰が恋しいのだ(冷房がキツすぎてクシャミが止まらない)。

そして僕の後ろの席からは、夏バテのせいか新聞を膝の上に拡げたままうたた寝を始めたおじさんのいびきが聞こえてくる。

蛇足だ。本題に戻る。

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夏も本番を迎えると、胃腸が求めるご飯はふたつに分かれる。麻婆豆腐のような力強い味か、慈愛に満ちたやさしい味だ。少なくともそれ以外の選択肢を僕は知らない。

その日の昼時はたまたま後者を選んだ。職場から徒歩5分程度にある、和食がメインの定食屋さんだった。

15種類くらい定食の中から今の僕が一番求めたのは「ナスの煮びたし」だった。

10分ほど待っていると、1/3ほどつゆで埋まった丸いおおぶりのボウルの真ん中にテカテカとしたナスがどんと置かれた、それは見事な「ナスの煮びたし」が運ばれてきた。

「うまそうだなぁ…」思わずそうこぼした僕の声を受けて、料理を運んできた店主は「ふふ。これは今出してるメニューの中でも特にオススメだから。ま。食べてみて」とプリプリの満面の笑みで言い放ってさっと厨房に帰っていった。

その言葉通り本当に美味しかった。そして、ちゃんと時間をかけて作っていることがわかる料理だった。そうゆうのは不思議とわかるのだ。夏バテ気味で猫背になっていた背中がスッと伸びるような味だった。

「いやぁ、ほんとに美味しかったです」会計時にそう伝えると、「でしょう?もーーう、手間がかかってますから」と育て上げた弟子を世に送り出す師匠のような面持ちで料理のコツを丁寧に教えてくれた。

店を出てからオフィスに戻る足取りは軽く、視界が3㎜くらい上がったような気分だった。

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いつも仲良くしてもらっている友人に仕事で用があり、金曜の夕方に彼のオフィスにお邪魔することになった。

話は30分程度で終わり、時間も半端だから一杯だけ飲もうかという話になり、日が暮れる間際に近くのバルに入った。

ハッピーアワーということもありガヤガヤとした店内だった。カウンターに男がふたり腰かけ、ビールとハイボールを1杯ずつ頼んだ。

飲み会のような間延びした時間を過ごすわけではないから、少しだけ早口で互いの仕事の状況を伝え合う。そこから矢継ぎ早に賛同と意見を繰り返した。軽いトレーニングのような応酬になった。

アーモンドをつまみながらお互いに2杯ずつ飲んだ。2杯目が空にになり、会話がひと段落ついたタイミングで「そろそろ行きましょうか」と切り上げることになった。時計を見れば30分程度しか経っていなかった。

店を出ると「頑張っていきましょう。では!」とアッサリと手を振って別れた。

駅に向かい歩きだして50Mくらい経った頃、早歩きになっていることに気付いた。「これから」に立ち向かうべく3㎜くらい前のめりで歩いているような感覚だった。我に返り周りを見渡せば、とっぷりと日は落ち、街は夜の喧騒に包まれていた。

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朝オフィスに行くと、机の上に5cm四方の紙とクッキーが置いてあった。紙を見れば隣で働く後輩の置き手紙があった。

そこには、とあるミーティングでもらったお土産のクッキーをおすそ分けします、と癖のある丸文字で書かれていた。

紙の半分を使って絵も描かれていた。犬なのか熊なのか見分けがつかず3秒ほど逡巡したが、それを眺めていたらふっと頬が緩み、呼応するように身体全体の力が緩んだ。肩が3㎜くらい落ちるような感覚だった。

思えば手書きの文も手描きの絵もしばらくもらっていなかった。これだけメールやSNSでその人が「発した」言葉を受け取っていても、実感として人柄を感じるのはこんなちょっとした手書きだということに少しおかしみを感じた。

その紙をひとしきり眺めた後、打ち合わせで使うプリントが入ったファイルにそっとしまった。ゲン担ぎのような気持ちだったのかもしれない。でもなんとなく、その日は気持ちよく仕事ができたような気がした。

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今年の長梅雨とその後の酷暑。人は「大きな変動」に弱い。少なくとも僕は、弱い。

それでも日常の中にはいつでも3㎜くらい心が動くような出来事が溢れている。そしてそれはちょっした心持ち次第で、良い方に傾けてくれることもあるらしい。

3㎜くらいの、いいこと。
少しずつ積み上げていきたい。そんな小さな出来事に気付ける人でいたい。

文・写真:Takapi