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2018/09/10

明日の夕飯

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「明日の夕飯、何食べたい?」
とある平日の夜、食卓で面と向かって夕飯を食べている妻にそう声をかけていた。ふだんのいつも通りの会話の流れで、何も考えずに出てきた言葉だった。

「ちょっと待って。今それを聞くの?」
とふきだした妻。一拍置いて「あぁ。そっか」と納得した。今まさに夕飯を食べているこのときに翌日の夕飯の話をするというのはなんとも間が抜けている。「たしかにそうだね」と僕も笑った。

でもそのとき、なぜかは分からないけれど「こういうのはいいな」と思った。なんなら家族ってこういうものかもしれないと少し大げさなことさえ思った。妻にとってはただ迷惑な話かもしれないけれど。

結婚して8年になる。
その間大きな問題もなく(少なくとも僕の中では)、いわゆる夫婦生活を平穏に過ごしている。

あんな間の抜けた会話があったから、というわけではないけれどぼんやりと8年間を振り返ってみた。

いろんな場所にも行ったし、いろんなものも見てきた。
いろんな話もしたし、いろんなことを言われもした(大抵は尻を叩かれている)。

でもどれもぼんやりしている。
つまらなかった、印象に残っていない、ということではない。ただあまりに同じような(とても平穏な)時間を過ごしているからか、全体的にぼんやりしているのだ。「あぁ、いつもの雰囲気だ」という安心感に似たような感覚だけがある。

代わりに浮かんでくるのは「ありがとう」という声の響きだ。

妻は何をするにも「ありがとう」というのが口癖なようで、僕が食器を洗えば「ありがとう」(そのあとたまに妻が洗い直している)、僕が洗濯物を畳めば「ありがとう」(ついでに畳み方の指導もそのあと入る)、掃除をすれば「ありがとう」(来週はもう少し念入りにお願いね、もセットで)とまずは褒めながら礼を伝えてくれる。

この「ありがとう戦略」が効果てきめんで、その証拠としてこの8年間で僕の家事量が圧倒的に増えているのだ。そして何よりすごいのが(おそろしいのが)家事が「楽しい」と思えてしまっていることだ。なんなら「今日も家事に参加させてもらってありがとう」とさえ思っている。

「ありがとう戦略」で完全に術中にはまった僕だが、普段の暮らしの中で僕から「ありがとう」としっかり伝えたことはあまりないように思う(非難の声が聞こえる)。

ここで改めてお礼を申し上げたい(たぶん読んでないだろうけど)。

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普段の暮らしの中だけではなく、妻のありがたさを感じることはたくさんある。

たとえば、僕が車をぶつけてしまったとき、慌てふためいている僕の様子が可笑しいとケラケラと笑ってくれたことや、ふたりではじめて行ったキャンプのとき、火を起こせない僕を罵りながらも立派な火を起こしてくれたことなど、数え上げればキリがない。

たくさんあるのだけれど、今日はひとつだけ紹介させてもらう。

それは昨年仕事が行き詰ったときのことだ。
その頃の僕は何をやってもどうにもこうにもうまくいかず、むしろ動けば動くほど悪い方に向かうようで、なかば投げやりになっていた。

あまり仕事の愚痴は言わないように決めていたのだが、そのときはどうしても我慢ができず妻に気持ちを吐露した。長い話を聞き終えて妻はひとことだけ僕にこう言った。

「とりあえず言えるのは、悩んでいるなら楽しい方を選ぶことね。それが合っているか合ってないかなんてわからないけれど、少なくとも楽しんでいるあなたは恰好が良いとは思うから」

この一言のおかげで僕は今日もそこそこ楽しく仕事をすることができている。

先日この時の話を妻にしたところ、「あなたは悩むと外に飲みに行くから。それでお金が底をつきそうだったからそんな風に言ったわけ」とケラケラと笑って振り返っていた。

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理想の夫婦像などわからない。僕らには子どももいないから家族論など問われても答えようがない。

ひとつだけ言えるのは、親しき仲にも礼儀あり、そして笑いありだ。「ありがとう」さえ忘れずに、ネガティブをネタにさえできれば、たぶん、大抵のことはうまくいく、と思っている。

ちなみに冒頭の会話には少しだけ続きがある。

妻は僕の作ったナスの揚げ浸しを食べるや「天才か。食堂か」と褒めた後、「料理のスキルが上がっているから外食の必要性があまりなくなってきたなぁ」とこぼした。

来週からまたひとつ料理のレパートリーが増えそうである。

文・写真/Takapi

2018/08/10

なんか、いろいろと、あるんだよ

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「この打ち合わせ、やる意味があるのでしょうか」

目の前で繰り広げられている議論があまりに不毛に思えてつい口から出てしまった。先日の打ち合わせでのことだ。

途端に静まり返る会議室。その日初めてお会いした5人くらいの参加者の顔が一瞬で固くなったのが、視界に入らなくてもピンと張った空気でわかる。その時点で「あ。やってしまった」と後悔し始めていた。

取り繕おうとまた口を開いたところで「意味がない」と発言した自分なりの理由をまくし立てるばかりで、参加者の顔が固まるどころかどんどん暗くなっていってしまった。

結果として数分の“演説”で空気を変えることは難しく、会議の長の「とりあえず1回持ち帰りましょう」の一言に救われる形で会議はお開きということになった。

会議が終わり、組んでいた足をほどき立ち上がったときに、おしりから太腿にかけて張りのような、凝りのような軽い痛みを感じた。

張りつめていたのは僕の気持ちの方で、固くなっていたのは僕の態度の方だったことに、そのときになってようやく気付いた。

オフィスの自席に戻り、固くなった太腿の筋肉をトントンと叩きながら、ひょっとしたらこの痛みは天敵から身を守るために威嚇する小動物のような、生物の生存本能なのかもしれないなと、ぼんやり思った。

威嚇してまで守りたいと思うものはいまいち浮かんでこないのだけれど、僕を威嚇させた根っこの感情はわかる。

怯えであり不安だ。
でもいったい僕は何に怯え不安を抱いていたのだろう。

数時間後、先ほどの会議に参加した人から僕宛にメールが届いた。

「今度、○○さん(僕の名前)のご経験をメンバーに教えてもらえないでしょうか。今までやってきたことの中で大事にしてきた想いをお聞かせください」

メールを読み、まわりの方に気を遣わせてしまったことを恥じるかたわらで、ふっと全身の力が抜け安心している自分がいた。

つまりは単純なことで、僕を怯え不安にさせていたものは「わからない」という感情だ。

相手の本心がわからない、自分自身がどういう目で見られているかわからない、そんな「わからない」に怯え、強い言葉で威嚇し距離を置くことで自分を守ろうとしたのだ。

「わかる」ためにやれることのひとつは「安心」を与え合うこと。そしてそのスタートのためにやれることは、もうこのメールに書かれている。

「すいません、ここからはもう大丈夫です」

声にせずにつぶやき、「ありがとうございます」と返信する。

この年齢になってもこんなことでつまずくのかと、自分の未熟さに呆れ、苦笑いが込み上げ思わずうつむく。

力が抜けだらしなく開いた太ももが目に入った。

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10年位前に一緒の職場で働いていた同僚と数年ぶりに再会し、外苑前の小さな酒場のカウンター席で酒を飲み交わした。

彼は今の職場で副部長という肩書をもち、幼稚園に上がる子どもがひとりいて、奥さんのお腹の中には二人目の子どもがいるらしい。

10年前に比べて少し落ち着いた雰囲気をまとった彼は「いろいろ、おめでとう」という僕の言葉に静かな笑顔で返したあと「いろんなことに気を遣う年齢になったなぁ」と独り言のように言葉を落とした。

仕事の話、健康の話、家族の話、年齢を重ねるほど取り巻く境遇は似てくるようで、「あぁお前もか」などと慰めなのか励ましなのか分からないような声をかけては「なんか、いろいろあるな」と芋焼酎のロックをすすった。彼も同じ酒を飲んでいた。

22時前に酒場を出ると、この時間になっても熱をまとっている風が肌を撫でる。彼はひとつ先の駅まで歩いていくということで、酒場そばの地下鉄の入口で「じゃあ、また」と僕らは小さく手を振って別れた。

帰りの電車の中、さっきの酒場での会話を振り返っていたら「なんか、いろいろ」と口から小さく漏れた。それだけ「なんか、いろいろ」が多かった宴だった。

家に帰ったらコーヒーを飲もうと思った。

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自分ではどうしようもできないことが増えた。
一方で自分がどうにかしなくてはいけないことも増えた。
経験からわかることが増える一方で、その正しさが脆いこともわかるようになった。

要は、「なんか、いろいろある」年齢になった。

今年の酷暑をしのぐ手段が空調のきいた部屋に逃げ込むこと以外にないように、無理に足掻かず、笑顔でかわしたり、じっと我慢したり、話を逸らしていれば、大抵のことはそのうち時間が解決してくれるものだというのがわかってきたのも、この年齢になってきてからだ。

そんな風にわかったつもりになったとしても、僕はこれからもひとつずつ不器用に向き合いながら、少しずつ安心できる場所を増やしていくのだろう。そしてまた明日も気の合う仲間と肩を並べて飲んでいるのだろうと、これまたたしかな予感として感じている。

何とも急に老け込んだ締めになってしまった。きっと夏バテのせいだ。

それでも「時には起こせよムーブメント」と平成の名曲を心に忍ばせて、何かを叫んで自分を壊す準備だけはしておこうと、平成最後の夏に僕は小さく決意をしたところだ。

文・写真/Takapi

2018/07/28

夏期休暇のお知らせ

8月22日(水)〜24日(金)は
夏期休暇とさせて頂きます。
宜しくお願いいたします。