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2021/11/10

祈り

先日、とあるつくり手のベテランと若手の師弟対談の取材に同席した。ベテランはもう60歳間際で、若手はまだ20代後半。世の中の嗜好が急速に変わる中、ものづくりにおいて変えていくべきこと、変えてはいけないことなどを聞く企画だった。

取材場所には若手が先に入り、ベテランを待つ格好となった。慣れない取材とのことで幾分ソワソワして見えた。その初々しさが微笑ましかった。数分の後ベテランが部屋に入ってくる。開口一番若手を下の名前で呼ぶその間柄はまるで親子のようでもあり、普段の関係性の良好さが伺える。

終始和やかな空気で取材は進んだ。終盤に差し掛かったところで「つくり手として大切にしていることは?」という質問がライターからふたりに対して投げかけられた。

先に答えるよう促された若手は、少し照れたように「まだ僕なんかが語れるような立場ではないですが」と前置きした後、訥々と自身のものづくりに対する想いを語り始めた。

静かな口調の中に熱い理想が垣間見れるその話しぶりは、若手というよりむしろ老成さすら匂わせた。その意外さと言葉の芯の強さにしばらく惚けて聞き込んでしまったが、ふと隣にいるベテランの方に目線を移すと、じっと何かを考え込むように俯いていた。

若手が話し終え、ライターからベテランの方に改めて同じ質問を問いかけると、ベテランは俯いていた頭を上げゆっくりと天井を見上げた。数秒の沈黙の後、ふっと息を吐き出して「もう彼に全て話していただきました」と微笑み、若手の方を向いた。その表情は、晴れ晴れとしているようにも、慈しんでいるようにも、それでいて少しだけ寂しそうにも見えた。 

取材後の帰り道、天井を見上げたベテランの横顔が頭から離れなかった。あの刹那、彼は何を考えていたのだろう、と。その後の若手の方を見つめる、あの嬉しそうで寂しそうな表情は何を物語っていたのだろう、と。

答えは見つからないまま電車は地元の駅に着いてしまった。改札を出ると視線の端に地蔵さんが入り込む。理由はわからないが僕の地元の駅前には地蔵さんがいる。誰かがいつも手入れをしているのだろう、地蔵さんのまわりはいつも花が彩られ、夜は灯りも灯される。いつもは目もくれずに通り過ぎてしまう地蔵さんに目を向けると、目の前を颯爽と駆け抜けようとしたサラリーマン風の人が、地蔵さんの前でピタッと立ち止まり、そっと手を合わせて頭を下げているところだった。1秒にも満たない所作の後、その人はサッと頭を上げると急ぎ足で駅の改札に向かって行った。

頭を下げたその背中からは、何かを懸命に祈っているようにも、ただ毎日行っているルーティンのようにも見えた。それでも、一瞬でも足を止め、頭を下げるその後ろ姿になぜか目を奪われてしまった。

気を取り直して家に向かう。歩きながら、最近祈りを捧げるようなことをしただろうか?と頭を巡らせてみた。そしてため息が出た。忙しさにかまけてまったくしていない。そんな不届きな自身を恥ずかしんでいたら、さっきの取材の光景が頭に再び浮かびハッとした。

ひょっとしたらベテランは、あの刹那、祈っていたのではないだろうか。

成長著しい若手の姿を目にし、しっかりとした言葉を聞き、彼の未来に、ものづくりの将来に向けて小さく祈っていたのではないだろうか、と。前途揚々で希望に満ちていながらもその不確かな未来を想い、ベテランは喜び憂い、嬉しくて寂しい表情を作らせたのではないか?そんな風に思った。

近くの人か、遠くの人か、はたまた自分自身に向けてなのか。向ける先は千差万別あれど、祈るという所作に共通するのは「未来を想う」ということなのだと思う。

もしかしたら、明日疫病に罹るかもしれない。
もしかしたら、明日電車の中で襲われるかもしれない。

現実的なこととして(そうだ、それは本当に現実的なことなのだ)、明日我が身にどんなことが降りかかるかは誰にもわからない。目の前が真っ暗になるような、ため息が出るようなことは、こちらの都合にお構いなく引き起こされる。

手を合わせ頭を下げるという所作をとらずとも、「未来を想う」人なら僕にだって数えるほどにはいる。彼ら彼女らが、とにかく無事で明日を迎えられますように。そう思ったところで僕は自然と空を見上げていた。秋晴れの夕暮れのオレンジが視界いっぱいに広がった。

数日後、眼鏡屋「Local」が新しい店舗「Place」を眼鏡屋の横にオープンさせたということで、挨拶がてら(冷やかしがてら)オープン日に遊びに行った。

お店に到着し、お店の前に所狭しと置かれた開店祝いの花たち、真新しいピカピカの格子状の窓、そして晴れやかで(少し疲れた)店主の顔を外から眺めたら、無事にオープンできてよかったと安心するとともに、このお店がこの街の人たちにとって、買い物をするだけではなく、ちょっとした憩う「場所」になれたらいいな、と願った。そしてドアの前で新しい木の匂いをかぐようにスーッと小さく息を吸った。ちょっと間が抜けているけど、これが僕なりの祈りなのかもな、と思った。

というわけで、これまで約4年間続けてきたこのコラムも、来月からは「Place」に場所を移すことになりました。毎月読んでいただいた方々が、月に1日、数分の時間、ほっと寛げるような、ふっと息を吐けるような「場所」になるよう、これからも書き続けていきますので、引き続きよろしくお願いします。

文/写真:Takapi

2021/10/13

EYEVAN7285 Fair

今日、10月13日でLOCALは開店し8年を迎えられました。

月末には姉妹店PLACEも開店します。

お客様には日頃からのご愛顧心から感謝し、御礼申し上げます。

 さて、コロナの影響も先が見えつつある、今日この頃、感染対策を行いつつフェアの開催を決めました。

「 EYEVAN7285 」https://eyevan7285.com

現代の工芸品と紹介されている通り

「眼鏡」という枠の中

約400工程もの作業を経て丁寧に時間をかけて作り上げ

今、本当に美しいと思える物をかたちにしています。

ご来店される方が混み具合で

不安にならないよう会期も長く開催します。

ご来店心よりお待ちしております。

「 EYEVAN7285 Fair 」

10/16(金)ー11/21(日) 11:00-19:00

2021/10/10

得意

「おふたりの家事分担を教えてください」
この質問にしばらく黙り込んでしまった。

とある雑誌の取材だった。その雑誌では、リモートワークが当たり前になり家にいることが増えた今、家事の効率化や家族の協力関係などを特集しているとのことで、かくかくしかじかいろんな伝手を経て、ついにうちに白羽の矢が立ったというわけだ。

取材前にいくつかの質問は投げてもらっていた。「家事の負担を楽にするための家電やツール」「家事をこなすための時短テクニック」など、質問を並べてみると「基本的に生活は辛い」という前提に立っているようで、「そんなに暮らすことは大変なのか」とまるで他人事のような感想を抱いていた。

その質問票の中に冒頭の質問もあった。答えを考えようとはしていたものの、なかなかうまい答えが見つからないでいた(妻に聞いても「たしかに難しい質問だ」とサラッと答えられただけだった)。

端的に言えば「やれる方がやれることをやる」が基本方針(と言えるほど決まった枠組みでもないけれど)の我が家では、「分担」という言葉で括れるほどキッチリと分けられることがないのだ。

リモートワークになる前から、早く帰ってきた方が夕飯を作ることになっていたし(ともに遅いときは惣菜に頼ったり)、夕飯を作ってもらった方は後片付けと食器洗いを行う、といったように、夫婦で明確に「分担作業」として線を引くより、互いの様子を見ながらやりくりする方が肌に合っていた。

そうは言っても、互いの体質というか、性質で切り分けられている家事もある。朝が弱い妻の代わりに朝食は僕が担当していたり、整理整頓が苦手な僕の代わりに家財一切の置き場所は妻が決めていたり…でもそれは「決め事」というよりは、一緒に暮らして気づいた互いの得意分野(もしくは不得意分野)を見ながら、フィットする方に役割を委ねるような、そんなゆるやかなものだ。これまでの夫婦生活の約10年間、一応なんら不自由なくこれで暮らしてきた(あくまで僕としては、だけど)。

だから四角四面に「役割分担」と問われると困ってしまう。そういうのは決めることではなくて、ふだんの会話や仕草を見て「わかってくる」ものであると思っている節があるからだ。

でも改めて家でやっている家事を振り返ると、そんな風にして「わかって」やっていることは不思議と苦にならないことに気付く。ならないばかりか、少しずつ向上のための工夫を積み重ねているようにも思う。10年前と今の「朝食のオムレツ」を並べたら、圧倒的に今のオムレツに軍配が上がるだろう。そういうものだ。

まぁ、こんなことを言っているけれど、うちのやり方が正しいとはまったく思わない。家族には家族の考え方がある。それはそれとして、誰かと長い期間共同生活をすることで「向いていること」がわかるというのはひとつの(そこそこ大きな)発見であるということはたしかだ。

ひょんなことからとある地域のプロジェクトに関わることになった。プロジェクトと言えば大袈裟だけど、要は地域の特産品を活かした「モノづくり」を、地域の人と外の人を巻き込んでやっていこうというもの。

その地に足を運んだことすらない僕に声をかけてくれた理由を尋ねれば「文章を書ける人だから」ということだ。プロジェクトの様子をレポートしてほしいとのことだった。

先日そのプロジェクトチーム(5人)のオンラインミーティングがあり、メンバーの自己紹介をすることになった。話すときの決め事は3つで、今やっていることと得意なことと苦手なことを話すように、という指示だった。

周りの人が颯爽と手を挙げて話し始めた。大学生からイラストレーターまで、年齢も経歴もバラバラな人の話を聞くのは面白い。そしてみんな活き活きとしている。すごい。ニコニコしながら(できていたはずだ)聞いていたら、僕の得意なことってなんだっけ?と悩み始めてしまった。「はじめまして」の人に話すのはなおさら難しい。自身のやっていることが「いかに狭い世界」で完結していたかを思い知らされる格好になった。結果として声をかけてもらった理由である「文章がそこそこ書ける」というなんとも締まりのない得意なことを話すことになった。

その後は、プロジェクトリーダーからこのプロジェクトの概要や狙いが改めて説明された。ひととおり説明が終わり、気になったことやわからなかったことなど、なんでもいいから意見を聞かせてほしいと言われた。

僕からは、説明の中では言及されなかったけれど、聞いてなんとなく感じたプロジェクトの魅力を「こういうこと?」と解釈を伝えた上で、「だとしたらこんな可能性があるのではないか?」といったようなことを話した。

大きく頷きながら聞いていたプロジェクトリーダーは、僕の話を聞き終えると、少しの間を置いて「まさにそれが考えていたことで、でもずっと言語化できなかったことだ…!」ととても喜んでくれた。その返事を聞いて、そういえば、と思った。これまで僕が仕事でやってきたのはこういうことだったのかもしれないな、と。もしかしたらこれが僕の「得意なこと」なのかもしれない、と。

広告代理店の営業の頃も、クライアントのところに足を運んで話を聞き続けては「つまり今一番のお悩みはこういうことですか?」を繰り返してきた。今やっている仕事も、社員の話を聞いては「こんなやり方もあるかも」と伝えることで、彼ら彼女らの次の一歩をアシストをすることが役割になっているような節はある。

意識的にせよ無意識的にせよ、自身の得意とすることはきっとひとつやふたつはあって、時に思いもよらないところで見出されることがある。ふだんの暮らしのやりとりの中にも、淡々と続けている仕事の中にも、ちょっとしたきっかけで、「得意」はこちらの都合に関係なく現れてくる。

ついついかっこいいスキルとか、天才的なアイデアとか、そんな「得意」が身につかないかと思ってしまうけれど(ちょっと今でも思っていたりする)、なかなかそうはいかないもので、さらには、仮に自分の中で「これは得意なことだ」と見つけられたとしても、それを発揮できる場所や役割が与えられるかと言えば、そこは運に委ねられたりする。

それでも、誰かとのやりとりの中で見出される「得意」は、実際的というか、無理がないというか、大袈裟なことはなくても誰かの役に立っている実感を与えてくれる。そんな得意を見出せたなら、なるべく背伸びをせず、ないものねだりをせずに、手元に見出された「得意」を温めていくようにしたい。

そして今朝も妻は「このオムレツ最高だわ」とつぶやきながら嬉しそうに食べている。

文・写真:Takapi