兆し

285FE80E-3ED0-490D-8747-4243B51369472020年がスタートした。令和になってからはじめての年越しであり、干支でいえばはじまりの「子」であり、オリンピックが東京に帰ってくる年でもある。なんとも縁起のよさそうな1年だ。タイトルの通り、既にいい兆しが見えているようにも思える。

このコラムも3回目の年明けを経験することになった。毎年のことだが、年はじめのコラムはいつも頭を抱えることになる。

それはどうしても「今年1年の抱負」を書くことを暗黙のうちに自分に課してしまうからであり、書き出していくうちに「これは昨年も言っていたことだ」と、1年かけてもなんら進歩のない自分自身が分かって絶望的な気持ちになるからだ。

とは言え、年末には1年の振り返りを行い(大抵は関わった人に感謝を伝え)、年始には「1年の計は元旦にあり」よろしく新年の抱負を掲げるのはごく当たり前の風景でもある。

とかくここ数年は、SNS上などで決意に漲る言葉をよく目の当たりにするようになった。新年の抱負を掲げなければ新しい年を迎えてはいけないのではないかと萎縮するほどに、並ぶ抱負は瑞々しく清々しい。

抱負とはつまり決意表明でもあるわけだから、この時期のSNSは「強い言葉」で彩られることになる。

強い言葉。
僕にとっては、煽られるほどに前向きな言葉も楽観的に過ぎる「優しさ」に満ちた言葉も同じくらい強く感じる。そして、強い言葉はわかりやすく食わせやすい。端的に言えば、強い言葉は「大味」に映る。

その風潮を否定するつもりはさらさらない。前向きな言葉は自らをも鼓舞することもあるし、優しさに満ちた言葉は触れた人をやさしく愛撫することだってある。

ただ、料理と同じように刺激の強い味付けをされたものは少し時間を置いて胃もたれを起こすか、喉が渇いてくる。

それでもまた時間を置いて「欲しくなって」しまう。この繰り返しの先に訪れるのは言わずもがなだ。

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料理の話になったものだから、昨年仕事でご一緒した数名の料理家の方の顔が浮かんだ。

皆さんとても気持ちの良い方たちだった。その気持ちの良さは「外連味(けれんみ)がない」という一言で表現することができる。

料理には順序がある。手間がある。そのすべてに理(ことわり)がある。そして扱うもののほとんどは「自然物」である。

コントロールできないものに向き合い、時間と経験からくる工夫を駆使することで美味しいものにする。それら工程はすべて手元で行い、作られたものは自分もしくは誰かの身体に入り、その人自身を形成する一部になる。

そんな仕事をしているからか、料理家の方の言葉はいつもするすると腹に落ちやすくて気持ちがいい。

1年のはじまりだからと肩に力を入れて言葉を「作り上げる」のもいい。けれど、今手元にある「素材」と向き合い、どう工夫すれば美味しい「結果」になるかをじっくり考えても良いんじゃないかと思う。その過程で出てくる言葉はきっと、胃もたれせずに喉も渇かない、日々を健やかに過ごす自分だけの「レシピ」になるはずだと、料理家さんの言葉は教えてくれる。

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仕事関連で知り合った友人たちと年始恒例の新年会を行った。酒が入り会話が盛り上がってきたところで「今年はどんな1年にしたいですか?」という質問が出た。

僕はこの質問に対する友人たちからの返答が好きだ。それは内容自体が面白いとか心が躍るとかそういう類のものではない。

僕がこの質問をすると決まって彼らは、昨年どんなことをやってきて、どんなことに気付いたかをまず話す。そしてその中で少しだけ光って見える兆しを拾い上げることで今年の展望とする「視線の置き所」が好きなのだ。

そして当たり前だけど、彼らには一昨年もそれ以前の年も、これまでずっと積み上げてきた年月がある。

彼らの話を聞いていると、未来というのは自身が踏みしめて歩いてきた実感の中にしか生まれないということを改めて知ることができる。

その「実感」は僕に安心を与えてくれる。一歩また一歩と、牛歩なれど歩いてきた自身を肯定してくれるような気持ちになるのだ。

今年も彼らの話を聞けたことで、ふっと心拍が下がるのを感じた。そして「今年もなんとかなりそうだな」と思うことができた。

同時に思った。これまで生きてきた30数年を振り返れば大抵のことは「なんとかなって」いるではないかと。色んなことが起こった1年でも、年末の「良いお年を」という一言でどうせ回収できているではないかと(僕だけかもしれないけれど)。

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年末年始の連休の最終日。正午を少し回った時間にコーヒー豆を買いに出かけた。

歩けば頬に当たる風は凛として冷たい。けれど瞼に感じる陽射しの中に春の暖かさを感じる。ここにも着実に積み重ねているひとつの兆しがあった。

今年はどんな兆しを感じる1年になるのだろう。

コーヒー豆を買い、家に帰る道すがら、陽射しを受けた背が汗ばむのを感じながらそんなことを思った。

気が付けば少し足早になっていた。

文/写真:Takapi