得意

「おふたりの家事分担を教えてください」
この質問にしばらく黙り込んでしまった。

とある雑誌の取材だった。その雑誌では、リモートワークが当たり前になり家にいることが増えた今、家事の効率化や家族の協力関係などを特集しているとのことで、かくかくしかじかいろんな伝手を経て、ついにうちに白羽の矢が立ったというわけだ。

取材前にいくつかの質問は投げてもらっていた。「家事の負担を楽にするための家電やツール」「家事をこなすための時短テクニック」など、質問を並べてみると「基本的に生活は辛い」という前提に立っているようで、「そんなに暮らすことは大変なのか」とまるで他人事のような感想を抱いていた。

その質問票の中に冒頭の質問もあった。答えを考えようとはしていたものの、なかなかうまい答えが見つからないでいた(妻に聞いても「たしかに難しい質問だ」とサラッと答えられただけだった)。

端的に言えば「やれる方がやれることをやる」が基本方針(と言えるほど決まった枠組みでもないけれど)の我が家では、「分担」という言葉で括れるほどキッチリと分けられることがないのだ。

リモートワークになる前から、早く帰ってきた方が夕飯を作ることになっていたし(ともに遅いときは惣菜に頼ったり)、夕飯を作ってもらった方は後片付けと食器洗いを行う、といったように、夫婦で明確に「分担作業」として線を引くより、互いの様子を見ながらやりくりする方が肌に合っていた。

そうは言っても、互いの体質というか、性質で切り分けられている家事もある。朝が弱い妻の代わりに朝食は僕が担当していたり、整理整頓が苦手な僕の代わりに家財一切の置き場所は妻が決めていたり…でもそれは「決め事」というよりは、一緒に暮らして気づいた互いの得意分野(もしくは不得意分野)を見ながら、フィットする方に役割を委ねるような、そんなゆるやかなものだ。これまでの夫婦生活の約10年間、一応なんら不自由なくこれで暮らしてきた(あくまで僕としては、だけど)。

だから四角四面に「役割分担」と問われると困ってしまう。そういうのは決めることではなくて、ふだんの会話や仕草を見て「わかってくる」ものであると思っている節があるからだ。

でも改めて家でやっている家事を振り返ると、そんな風にして「わかって」やっていることは不思議と苦にならないことに気付く。ならないばかりか、少しずつ向上のための工夫を積み重ねているようにも思う。10年前と今の「朝食のオムレツ」を並べたら、圧倒的に今のオムレツに軍配が上がるだろう。そういうものだ。

まぁ、こんなことを言っているけれど、うちのやり方が正しいとはまったく思わない。家族には家族の考え方がある。それはそれとして、誰かと長い期間共同生活をすることで「向いていること」がわかるというのはひとつの(そこそこ大きな)発見であるということはたしかだ。

ひょんなことからとある地域のプロジェクトに関わることになった。プロジェクトと言えば大袈裟だけど、要は地域の特産品を活かした「モノづくり」を、地域の人と外の人を巻き込んでやっていこうというもの。

その地に足を運んだことすらない僕に声をかけてくれた理由を尋ねれば「文章を書ける人だから」ということだ。プロジェクトの様子をレポートしてほしいとのことだった。

先日そのプロジェクトチーム(5人)のオンラインミーティングがあり、メンバーの自己紹介をすることになった。話すときの決め事は3つで、今やっていることと得意なことと苦手なことを話すように、という指示だった。

周りの人が颯爽と手を挙げて話し始めた。大学生からイラストレーターまで、年齢も経歴もバラバラな人の話を聞くのは面白い。そしてみんな活き活きとしている。すごい。ニコニコしながら(できていたはずだ)聞いていたら、僕の得意なことってなんだっけ?と悩み始めてしまった。「はじめまして」の人に話すのはなおさら難しい。自身のやっていることが「いかに狭い世界」で完結していたかを思い知らされる格好になった。結果として声をかけてもらった理由である「文章がそこそこ書ける」というなんとも締まりのない得意なことを話すことになった。

その後は、プロジェクトリーダーからこのプロジェクトの概要や狙いが改めて説明された。ひととおり説明が終わり、気になったことやわからなかったことなど、なんでもいいから意見を聞かせてほしいと言われた。

僕からは、説明の中では言及されなかったけれど、聞いてなんとなく感じたプロジェクトの魅力を「こういうこと?」と解釈を伝えた上で、「だとしたらこんな可能性があるのではないか?」といったようなことを話した。

大きく頷きながら聞いていたプロジェクトリーダーは、僕の話を聞き終えると、少しの間を置いて「まさにそれが考えていたことで、でもずっと言語化できなかったことだ…!」ととても喜んでくれた。その返事を聞いて、そういえば、と思った。これまで僕が仕事でやってきたのはこういうことだったのかもしれないな、と。もしかしたらこれが僕の「得意なこと」なのかもしれない、と。

広告代理店の営業の頃も、クライアントのところに足を運んで話を聞き続けては「つまり今一番のお悩みはこういうことですか?」を繰り返してきた。今やっている仕事も、社員の話を聞いては「こんなやり方もあるかも」と伝えることで、彼ら彼女らの次の一歩をアシストをすることが役割になっているような節はある。

意識的にせよ無意識的にせよ、自身の得意とすることはきっとひとつやふたつはあって、時に思いもよらないところで見出されることがある。ふだんの暮らしのやりとりの中にも、淡々と続けている仕事の中にも、ちょっとしたきっかけで、「得意」はこちらの都合に関係なく現れてくる。

ついついかっこいいスキルとか、天才的なアイデアとか、そんな「得意」が身につかないかと思ってしまうけれど(ちょっと今でも思っていたりする)、なかなかそうはいかないもので、さらには、仮に自分の中で「これは得意なことだ」と見つけられたとしても、それを発揮できる場所や役割が与えられるかと言えば、そこは運に委ねられたりする。

それでも、誰かとのやりとりの中で見出される「得意」は、実際的というか、無理がないというか、大袈裟なことはなくても誰かの役に立っている実感を与えてくれる。そんな得意を見出せたなら、なるべく背伸びをせず、ないものねだりをせずに、手元に見出された「得意」を温めていくようにしたい。

そして今朝も妻は「このオムレツ最高だわ」とつぶやきながら嬉しそうに食べている。

文・写真:Takapi

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