プレゼント

日が暮れ始める約束の時間の10分前、指定されたお店に入ればその方は既に奥のテーブル席でひとりビールを楽しんでいた。まさか先にいらっしゃると思っておらず、少し慌てる。

この日は僕が所属している会社の大ベテランの方との食事会だった。
「お待たせしてすみません」
「いえいえ。先に楽しんでます」
彼はベリーテイストのクラフトビールのグラスを掲げる。

その方と知り合ったのは1年前位になるだろうか。とある企画でご一緒した際に少しお話しした程度だった。なぜかそれ以降僕がやっていることをいつも目にかけてくれていて、新しい企画を世に出せば「いい企画です。これからも期待しています」とだけメールをくれたり、オフィスで僕を見つけるとわざわざ僕の席まで声をかけにきてくれては、しばし立ち話をしながらいろんなお話を聞かせてくれる。

多くの仕事がそうなのだと思うけれど、前例がないことに挑戦することは心許なくなるし胃も痛くなる。けれどこうして声をかけてもらうことで「もう少し頑張ってみよう」と日々踏ん張ることができている。まさに拠り所だ。

この日の食事会は、何度目かの立ち話の際に「今度はぜひビールを飲みながらでも」と思い切って声をかけたら「いいですね、ぜひ」となり実現した。

はじめは緊張したものの、美味しいクラフトビールのおかげもあって朗らかな時間を過ごすことができた。気づけばあっという間に陽はとっぷりと落ち、ディナーを楽しむお客さんで周りの席は賑わっていた。

「そろそろ」と腰を上げようとした時「そうそう。これを」と彼が筒状の箱を差し出してきた。箱を開ければグラウラー(ビールを持ち運べる水筒)が入っている。手にすると水筒にしては重い。首を傾げていると、このお店のビールが入っていると悪戯っぽい笑みを浮かべて教えてくれた。

こんな風にプレゼントをもらうとは予想だにしていなかったから、すぐに言葉が出てこなかった。そんな僕を尻目に「明日までは炭酸ももつだろうから、明日また楽しんでください」と彼は笑った。

「いや…なんかすみません」
やっとでてきた僕の言葉を受け、ゆっくりとした口調で
「これからも期待しています」
と彼は頭を下げ、スッと席を立った。

水筒を抱き抱えるようにして、ほろ酔いの頭で電車に揺られていた時にようやく気が付いた。

彼が先にお店に入っていたのは、僕に渡すプレゼントの水筒にビールを入れてもらうためだったのだと。そんなかわいらしいサプライズを、あれだけの地位の方が僕のためにやってくれたのだと思うと、思わずこみ上げるものがあって車窓が少し滲んだ。

小学校2年生になる甥っ子の誕生日が近くなったので、姉に甥っ子が今何を欲しがっているのかをLINEで聞く。ここ数年のほしいものリストはレゴシリーズだったから、今年も同じようなものだろうと思っていた。

1日経ち「『風の谷のナウシカ全巻セット』でよろしく」という返信を見た時には、思わず「え。ほんとに?」と声に出していた。

そしてすぐに先日の父親の墓参りの車中がフラッシュバックした。

その日の道中は義兄さんが運転するワゴン車の助手席に僕が座っていた。後部座席からはアニメの『風の谷のナウシカ』が流れているのがわかった。後部座席の甥っ子は映画のシーンを追いながら姉と賑やかに話し合っている。

僕は僕で、義兄さんと『風の谷のナウシカ』の原作(漫画)の話に華を咲かせていた。僕も義兄さんも原作がとても好きなのだ。

耳のいい子だ。おそらくその会話を聞いていたのだろう。

それで選んだのが漫画全巻だったのだ。

そのことに気付き、くすぐったいような、なんとも言えない高揚を感じた。

小学校2年生ではまだ難しいかもしれない。でもいつか、何年か先、この作品について話が盛り上がるかもしれない。そう思うととても嬉しくなって、姉にLINEの返信をする前にAmazonのページを開いていた。

不思議なものだ。これまで贈り続けたレゴたちは購入した直後から関心はなくなっていたのに(これまで贈ったレゴシリーズの名前をひとつも思い出せない)、プレゼントが『風の谷のナウシカ』となった途端、買って贈ることそのものが嬉しいと思っている。

次はどんな作品を欲しがるだろう。言われればなんだって贈ってあげたい。

僕は今月末に引越しを控えている。新しい住まいは新しい灯りで始めたいと思い立ち(単に今の家の照明に飽きただけだが)照明を探すことにした。

何軒かのインテリアショップに行ってもなかなか目当てのものが見つからない中、Instagramに流れてきた1軒の小さなお店が目に留まる。取り扱っているもの、写真の撮り方、店内の雰囲気が個人的に好みで、家からも近かったので行ってみることにした。

北欧ヴィンテージを中心に取り扱うそのお店は若い店主がひとりで切り盛りしていた。店内の商品は、どれもほどよく空間に「馴染んで」いるように見えた。だからか商品を見ていると、自分の次の家でどんな風に置かれるのかが想像ができた。

聞けば、店主は元々大手の家具屋さんで働いていたのだが、5年前に1人で店を構えることにしたとのこと。

「大規模な家具屋さんだと、どうしてもお客さんとのやりとりが少なくなってしまうんですよね。でもやはり大きな買い物ですから、売る側としても満足して買ってくれたという手応えがほしいと思って。だからひとりで小さく始めることにしました」

その話を聞いて、なぜこの店の商品がこれだけ「馴染んで」いるのかが納得できた。その後1時間近く店主と話し込み、結果としてダイニングとリビングの照明を買うことができた。

店主と話す中で、僕が今気になっている有名なデザイナーのヴィンテージのソファの話になった。僕がその商品を置く予定はあるのかと聞くと彼は少し申し訳なさそうに「しばらくはなさそうです」と答えた。

「個人的な感覚ですが、そのソファは必要以上に高い値がついてしまっている気がするんです。人気商品ですから、もちろん出せば売れます。以前数点並べた時は途端に買い占められました。僕としては、そういう買われ方よりも、あまり認知度のないデザイナーさんであっても僕が良いと思ったものを並べて、こうして話した上で気に入って買ってくれた方が嬉しいんです」

まるで彼の商売そのものがプレゼントみたいだと思った。さらにはそのプレゼントを受け取った買い手はとても幸せだな、とも思った。その商品に宿った愛着はきっと買い手にも伝わっているだろうから。

僕の次の家も愛着のある場所になりそうだ。

ひょっとしたら、プレゼントとは相手の未来を祈ることなのかもしれない。

僕らは誰かにプレゼントをすることで、相手の未来がちょっとでも良い方に向かってほしいと祈っているのではないだろうか。直接言葉にできない(もしかしたら潜在的に思っているだけかもしれない)ものだから、愛着のおけるモノに託すことで祈りの代替をしているのではないか。

大袈裟な話だ。でもその小さな祈りをプレゼントに託すというのはなんとも健気で美しい所作のようにも思える。

と、ここまで書いて気がついた。来週は妻の誕生日だった。

今回のコラムはここで切り上げ、日々の感謝の気持ちを込めて、引越し先の暮らしを祈るべくプレゼントを探すことにしよう。

文・写真:Takapi

布石

「振り返れば、あれがターニングポイントだったのかもしれない」

今やっている仕事の多くは、何かしらの事業や商品に中心的に関わった人の話を聞き、記事にして世の中に配信することだ。

話を聞く時は大抵その人の半生を遡ることになる。長大なドキュメンタリーを目の当たりにして興奮で身体が粟立つようなその感覚は、僕が仕事をしている中でも最も楽しい瞬間のひとつだ。

話の中で必ずと言っていいほど出てくるのが冒頭の言葉。

ターニングポイント。

言葉だけ聞けば、まるで大きな転換点のようにドラマチックに映る。実際にはほとんどの人は振り返ってはじめて「気づく」ことが多い。そう考えると「布石」や「種まき」という言葉の方がしっくりくる。

近い将来や、それこそ明日のために、少しでも良い方に向かうように置いてきた大小様々の石たちが、立ち戻ってみた時に輝いて見えるようなことはあるようだ。

これまで多くの人から心を打つ話を聞いてきたけれど、彼ら(彼女ら)に共通点があるとすれば、それは何度も何度も飽きることなく繰り返し「石を置き続けてきた」という一点に尽きる。

置いた石によってはあらぬ方向に行くこともある。その度に右往左往しながらも石を置き続けていく。そうした先に、その人にしか作り得ない「道筋」ができる。唯一無二のその道筋は美しく、だから多くの人の胸を打つわけだ。

もちろん石を置き続けられる人とそうでない人はいる。では性懲りもなく石を置き続けられる人の源泉となるエネルギーはなんなのだろう?いつも気になっているのに聞きそびれてしまう。

先日オンライン会議でとあるプレゼンを行った。大枠の話を終えて出席者の反応を待っていると、それまでずっと黙って聞いていた目上の方が「よくわかりました。君の提案通りいきましょう。ありがとうございます」と労いの言葉をかけてくれた。

続けて「でもこれから大変そうね」と心配を口にした後「あ。でも君は大丈夫か。楽しそうだから」と笑った。聞こえ方によっては嫌味に取れる言葉だ。けれどその人から発せられた「楽しそう」の響きからは素直に嬉しさがこみ上げてきた。

パソコン上で会議から「退室」した後しばらく経っても「楽しそう」という言葉が頭の中にぼんやりと残っていた。

と同時に、ふたつの過去の出来事が頭に浮かんでいた。

小学生高学年の頃、僕は空き缶を拾いながら登校をしていた。

校舎の脇に突如として設置された空き缶のリサイクルボックスに気付くやいなや、誰から言われるわけでもなく(もしかしたら親からそそのかされたかもしれない)その翌日からゴミ袋を持って家を出ては、通学路に落ちている空き缶を拾いながら登校することにしたのだ。

いかにも優等生がやるようなことだ。僕自身そういった目を意識していなかったといえば嘘になると思う。それでも一定期間継続できたのは、それ自体が苦でなかったからだ。

空き缶を探すため道路脇に目を凝らせば、想像以上にゴミが多いことや、道端の雑草の花の数の多さに気付くことができた。これまで出会うことのなかった情報はただただ新鮮で、僕はそのひとつひとつの新しい情報に夢中になった。

その行動が周囲からは「楽しそう」に見られていたのだろうか。当初眺めるだけだった同級生たちの中から、ポツポツと空き缶を拾いながら登校する人が出てきた。

「楽しそう」に振る舞うことで周りの人を巻き込むことができると知ったはじめての体験だった。

広告代理店の営業時代、僕らに足りないのは知名度と実績だった。そもそも会社名すら知られていない代理店だったから会ってもらうことすら難しかった。

あれこれと打ち手を繰り出すものの、なかなかこれといった必勝法は見つからなかった。僕にできることはクライアントの話をしつこいくらいに聞くことと、当初新しい手法がどんどん出てきた「インターネット広告」について、どんな小さいネタでも欠かさず情報提供に伺ったことくらい。

それでも数年も同じようなことをしていると、不思議とコンペで勝てるようになってきた。あるコンペで大手広告代理店からの切り替えに成功した際、担当者に勝因を聞いてみたら、そこで返ってきた答えが「いや、なんか○○さん(僕の名前だ)、仕事楽しそうだから」だった。

会社に戻り上長にその旨を伝えるとなんともいえない表情をしていた。苦虫を噛むような、拍子抜けするような表情をしていたのを憶えている。

楽しそうに見えることは、時に人を安心させ、信頼に繋がることさえある。この体験は今でも、うまくいかなくなった時にそっと顔を出しては僕を勇気づけてくれる。

こうして振り返ってみると、僕は「楽しそう」と言われる度に少しずつ見える景色が変わっていったように思う。自分の立っていた場所に薄い石が1枚分敷かれ、ほんの少しだけ高い場所から世界を見ることができたようなアップデート感がある。

「楽しそう」な人に人は集まり、次の楽しいことを持ち込んでくれる。僕について言えば、それはほとんど100%確信に近い経験則だ。

時に人はいろんな「モノサシ」を引っ張り出しては、自身の身の丈を測り、勝手に焦ったり傷付いたりする。そんなことやめればいいのに、ついついやってしまう。

僕自身も時折そのモノサシを持ち出してしまう。自信を失くした時、何か満たされない時、そのモノサシは顔を出して僕を誘惑する。モノサシを使って誰かよりも優位にいることをたしかめたいのだ。

でも、いろんな人の話を聞いてきてわかっているのは、置いた石の数が多ければ多いほど「道筋」はユニークになっていくということであり、そのユニークさはモノサシを遠ざけるということだ。

道筋が複雑になればなるほど自身を測ること自体難しくなる。自身を測れずしてどうやって他人と比べられるのだろう。現に話を聞いた人の中でモノサシを持ち出しては立ち止まっているような人に会うことはなかった。

僕でいえば、置き続けてきた「輝く石」は「楽しそう」ということになるのかもしれない。もちろん人によって違うのだろう。そもそもそれはひとつではないはずだ。

僕は僕で、今日も明日も性懲りもなく「楽しそう」を見つけていくことにする。
それが現時点における未来への布石になりそうだから。

文・写真:Takapi

負荷をかける

ズーンと沈み込むような重さだった。

お盆を過ぎた頃、所用のため夕刻早めに在宅勤務を切り上げて、電車で数駅先まででかけた帰り道。21時をまわった世田谷線の駅の誰もいないベンチに腰掛けたとき、ベンチがまるでクッションのように硬質さを失い身体の重さに合わせて沈み込んでいくような感覚を覚えた。同時に身体全体にGがかかったような重さを感じた。そして抗えないような眠気が襲ってきた。

数10秒後に電車のアナウンスが鳴り、電車がホームに流れ込んできたのを合図に立ち上がろうとしても、腰を上げるのに手持ちのエネルギーをすべて絞り出すくらいの気概が必要だった。そのくらい重たかった。

「疲れたな」帰り道、家の近所の公園を横切る時にそう呟いていた。言葉にしてはじめて身体が、脳みそが、先ほど感じた重さが「疲れ」なのだと認識した。

疲れている。いや、もっと正確にいえば、身体の一部がずっと欠けているような感覚と言ったらいいのだろうか。筋肉・血液・その他身体を構成するパーツのひとつまたは複数の要素が減り続けている感覚だ。その要素は補充されぬままついにエマージェンシーをあげたとも言える。

補充されぬままの要素とは何か。おそらくここ半年の暮らしの変化によるものが大きい。そのくらいはわかる。

この半年で僕の暮らしは一変した。

朝早く起き満員電車に揺られる代わりに、朝はゆっくりと起き近所の公園を散歩し、気のすすまない対面の交渉ごとの代わりに、メールやslackで整頓された用件を伝え合意形成をはかり、空腹に耐えきれずお昼の定食のご飯を大盛りにする代わりに、昼は粗食にして午後3時にはコーヒーを淹れチョコレートを頬張り、雑談やら会議やらで仕事が捗らずに20時過ぎに会社を出る代わりに、19時にはあらかたの仕事を終え5キロほど近所をジョギングをしてシャワーを浴びてはビールを飲む暮らしになった。

効率化。

端的にいえばそうなのだろう。今の僕の暮らしは、これまで首を傾げながらも従ってきた「形式」からようやく解き放たれ、実に簡便にコトを進められるようになった。

エネルギー消費は確実に減っている。それなのに何かがずっと減り続けているような感覚がある。そしてそれはどうしようもない疲労感を伴っている。

マシーンのように効率化するだけでは人間はうまくいかないらしい。少なくとも僕はそうだ。「疲れ」についてもう少し考える必要がある。

これまでの人生で疲れていた頃を思い出して浮かんでくるのは、部活に明け暮れた高校生の頃と、右も左もわからない社会人なりたての頃だ。

陸上部だった僕は、毎朝5時に起き、ほぼ始発で電車に乗り込んでは学校に着くなり朝練をこなし、昼休みはトレーニングルームで筋トレ、放課後はみっちりと日が暮れるまで練習をする生活を送っていた。

これだけの練習量をこなせば当然帰宅後は何もする気が起きず、ご飯を食べ風呂に入ったらサッと勉強を済ませて(あるいは翌日に回して)すぐに寝るような生活だった。

今こうして振り返りながらも、あの練習量に耐えられたなと思うけれど、日々の練習で疲れきった身体も、翌朝になればほどよい筋肉痛を伴って、むしろエネルギーに満ちていた。早朝学校に着いた時には早く走りたくて仕方がなかった。

ひとつ思い出せるルールがある。それは特に練習を追い込んだ翌日に必ずやらされていた、サッカーやバスケなど陸上競技とは関係のないスポーツをするというレクリエーションだ。「積極的休養」と言われたそれは、完全に何もしない休息を与えるよりも軽い運動をすることで回復を早めるというものだった。

休養という名の「別の刺激」を与えることで身体の調子を整えることを当たり前にやっていて、その頃それはとても機能した。身体を酷使する練習ではなく、ただ楽しむためだけの運動は、身体が喜ぶのかバキバキの筋肉痛でも不思議と身体が動いた。さらに言えば、「別の刺激」を受けて回復した身体は、ひとまわり大きく強くなったような気にさえなった。

新卒で入社した会社は、入社2日目に「飛び込み営業」をさせるような体育会系の現場だった。慣れない社会人のしきたりに戸惑いながら終電近くまで残る業務、おそらく今ならパワハラ認定されるであろう上司の「かわいがり」、毎朝8時には出社しなくてはいけないしきたり(毎朝6時に起きていた)、そんな日々の中にあって、疲れは溜まっていく一方だった。朝の電車でいかに立ちながら睡眠をとるかが目下の課題だった。

それでも夜10時になれば「終電まで」と会社をいそいそと出て飲み行ったり、月金まで働き疲れ切っているはずの土曜日の朝に、河原に集合してはバーベキューをするような活動ぶりだった。

今思えばだいぶ無茶な日々だ。ストレスフルな仕事とは真反対の「楽しい刺激」をわざと入れていれることで相殺していたような気がする。それは高校生の頃の「積極的休養」となんら変わらない本能的な回復方法だった。

どうやら、意識的にせよ無意識的にせよ、自身にかかった負荷はただじっと座して回復するのを待つのではなく、別の負荷をかけることで回復をするようなことがあるらしい。

かかる負荷に代替する負荷。生きていく上では双方が必要というわけだ。

まぁ。とはいえ「それは当時若かったからだろう?」と言われればその通りなのだけど。

夜の街はまだ少し気が引けるからと、8月末の週末の午前中に友人らとブランチをすることにした。朝からビールを出すお店で、ほどよくお酒も入り2時間程度よく笑って話せた会だった。ほろ酔いで解散し、酔い覚ましのためひとりで渋谷のカフェに入った。

椅子に深く腰掛け、アイスコーヒーを一口すすった時、ほどよい疲労感が全身を包んでいるのがわかった。それは頭から爪先まで均等に行き渡ったような疲れだった。その疲れが心地よくてそのまましばらく微睡んだ。目を閉じれば周囲のザワザワとした人の気配を感じる。それが不思議と気持ちがいい。僕が僕自身から開放されるような感覚があった。

目が覚めた時、どこか浮遊するような軽さが身体を纏っていた。先日の駅のホームで感じた重さとは真逆の感覚だった。そして全身に残った倦怠感とは裏腹に頭は冴えていた。伸びをひとつしたら、疲れが雲散霧消するような、そんな予感に満ちていた。エネルギーが充填されていた。

効率化した「やりとり」の負荷に代替するもの、それは手を伸ばせば触れる距離で友人知人と非効率な(そしてそのほとんどが馬鹿し合いの)話をすることだったり、街の営みに身を任せては、その場の空気に馴染んでみることだったり、そんな「人の気」なのかもしれない。

僕には人の気が足りなかった。

そのことがわかったら拍子抜けしたように安心した。
それは今はまだ徐々にでも、ふだんの暮らしで充填できるものだから。

陽の高い帰り道の中、はずむような足取りで帰途についた。

文・写真:Takapi

知るを道楽する

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「はい。教えてください」

画面越しでその人は笑顔で挙手をした。オンライン飲み会の最中、僕が話した内容に対して(なんの話をしていたかは忘れてしまった)、そこんとこもっと詳しく教えてくださいよといわんばかりに、その人(僕より5歳くらい年下)は勢いよく手を挙げた。真上に挙げられた手は画面から見切れていた。

なんだかその光景が懐かしくて、それでいて清々しくて、飲み会が終わりパソコンを閉じた後も頭の片隅に残っていた。

僕が最後に挙手をして教えを請いたのはいつだろう。思い返してみたが思い出せない。大学生の頃のゼミだったろうか。社会人になってからは(なかば強制的な)「学び」の機会はたくさんあっても、勢いよく挙手をして誰かに教えを請うことはほとんどなくなってしまったようにも思う。

「知っている」ことに対価が払われる仕事においては、当然ながら「知らない」は遅れを取ることを意味する。「教えて」の一言で相手との立場が逆転することだってあり得る。

長年のそんな環境が、無垢に挙手をして「教えて」と伝える機会を逸しているのかもしれない。その環境はいみじくも「同じことを知っている」人をつなげ、ますます「知りたい」の好奇心を遠ざける(ような気がする)。

さらに言えば、一旦「教えてもらう」環境を手放してしまうと、いざ教えてもらおうと思ってもそれ相応のエネルギーが必要になってくる。

新しいことを「知る」ということは、異物を消化器系に放り込んで咀嚼するようなことだ。その結果拒絶反応だってアレルギーだって起こす可能性のある行為でもある。さらには消化するための身体の「空きスペース」も必要だ。満腹の状態では当たり前だけどちゃんと消化できない。だから、教えてもらうことにはそれ相応のエネルギーが必要になるというわけだ。

パソコンを閉じて感じたのは、僕にはその熱量が低下しているということ。そして付け加えるのであれば「空きスペース」も少なくなっているという懸念だ。

そのことに少し落ち込んだ。それは僕の中で「知らないことを知りたい」という好奇心が薄れているということを突きつけられたような気がしたからだ。

と、なかば暗い気持ちになったところで「あっ」と思い当たることがあった。手を挙げて自ら教えを請うことは減っても、最近は自然発生的に「知らない」ことに出会う機会が増えていることに気付いたのだ。

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年内に引越しをすることになった。7年前に新築で買った今の家を売り、僕の年齢と同じ築年数の物件をリノベーションすることにした。

先月から、リノベーションを担当していただくことになった建築士さんと週に一度オンラインで打ち合わせをしているのだけど、これがとても楽しい。

その方の話がそもそも面白い(話し始めると止まらない)というのはあるにせよ、入ってくる情報がすべて僕にとって真新しい情報で、聞くたびにじんわりと体温が上がる。身体全体が新しい情報を受け入れることを喜んでいるのがわかる。

毎回2時間程度の会話の中で、家の基本的な構造の話から海外のインテリアデザイナーの話に至るまで、ありとあらゆる「住まい」の知識が洪水のように飛び込んでくる。

新しい言葉が出る度にスマホを取り出してはメモをして、打ち合わせの後で調べるようにしているのだが、それでも毎回真新しい情報が更新されて追いきれなくなってくる。そんなアップアップする状態も楽しい。住まいひとつとっても「知らない」ことは無尽蔵にあることを知った。

「教えて」を阻むハードルのひとつが「環境」であるならば、自分の立場を離れて別の世界に踏み込むことは、真新しい「知らない」に出会うチャンスでもある。

何歳になっても心躍る体験だ。僕は今(おそらく)平熱が少し上がっているはずだ。

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料理家の友人から「○○さん(僕の名前)が好きそう」ということで一冊の本を送ってくれた。ひとりで出版社を立ち上げたという方のエッセイ本で、読み進めてわかったのはその方が出版された本の中の一冊が、僕の家の本棚に飾ってあり、個人的にもとても好きな一冊であるということだった。

その偶然が嬉しかった。埋まっていたはずの「知っている」エリアににポンっと空きスペースができたような気分になった。

ともすれば、何かを「知る」ということは、ひとつの事象を言葉で捉えることではなく、自身の中で積み上げてきた「知っている」の隙間に「知らない」をはめ合わせていく工程のようなものなのかもしれない。それはまるで永遠に埋まることのないパズルのピースをはめていくような途方もない作業のようにも見える。

そう考えると、「知る」ということは「知らない」を増やすためのひとつの「道楽」のようなものであると捉えることもできる。

そして「知っている」と「知らない」をつなぐアシストをしてくれるような人たちは、その道楽を道楽たらしめる貴重な存在だ。

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今日も「知っている」ことを誇示する強い言葉が僕の眼前を横切っていく。

強い言葉は「餌」だ。答えを求める「知らない」を我慢できない(もしくは「知る」を強要された)人たちの目の前には、都合のいい「知っている」が美味しそうにぶら下がっている。

その先には釣竿をもった「知っている人」が待っている。食いついた人はその一時の美味しさに歓喜し、「知っている人」から次の餌が与えられるのを待っている。そんな人たちを従えて、声の強い人はより強さを纏った「知っている人」になろうとする。

その悪循環(そう悪循環だ)が今、各所で様々な弊害を生んでいるようにも見える。

ひとつ言えることがあれば、「知る」は果てのない所作の連続であり、ついでに言えば「知る」は自分の中にしか生まれないということだ。自身の中で築いた「知らない」の数の分だけ、その人だけの「知る」が生まれるものだから。

他人の中に自分の「知る」はないし、それを誰かに託してもいけないのだ。と僕は思う。

「教えて」の中にエネルギーがあり、「知らない」の中に道楽がある。

僕には、いや僕らには、両方必要だ。

文・写真:Takapi

かっこいい人

CD1986F7-D204-4034-8A1A-423710C95950なんだかんだ「かっこいい人」に憧れ続けた人生だった。

幼稚園の頃は地球を守るヒーローに、中学生の頃はどんな女性も落とせそうな男前の俳優に、高校生の頃は世界で活躍するスポーツ選手や日本一売れている歌手に、大学生の頃は僕よりお酒が強くてモテるサークルの先輩に、社会人になってからはSNSで称賛される経営者に。

こんな風に「かっこいい」にも変遷はあって、その度に僕の世界は拡がったり縮まったりを繰り返してきた。ついでに言えば「かっこいい」は妬みや羨ましさと表裏の関係であり、コンプレックスの顕れでもある。だから「かっこいい」の変遷はコンプレックスの変遷でもあるわけだ。

社会人になり自分の「身の丈」がわかってくると、だんだんと「かっこいい」から目を逸らすことを覚えるようになっていく。それはつまり自分が羨ましくも目指したいと思っている「立ち位置」を放棄することでもある。そんな姿に対して「丸くなってしまった」とため息混じりに詰られることもあるし、「大人になったね」と背中をさすられることもある。

なんとも寂しい話だ。

なぜ今、改まってこんな話をしているのか。それは先日、敬愛するとあるアパレルのショップオーナーに飲みがてら人生相談をした折に言われた一言にある。

「君はかっこよくなりたいの?それともただかっこいいって言われたいだけなの?」

その言葉を受けてしばらく考え込んでしまった。それはショップオーナーが揶揄した後者側に僕が立っているということではなく(それもあるのだけれど)、「かっこいい」から目を逸らした「大人」になってしまったことを見透かされてるような気がしたからだ。

こんなことがあったから改めてじっくり頭の中で「かっこいい」と思える人を探してみることにした。それは今の自分のコンプレックスを覗くことでもある。おそらく痛みを伴う作業だ。それでも人生のあるタイミングでは必要な儀式なのだと思う。たぶん。

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定例の人事で僕は4月に部署異動をした。新しい部門の部長は見た目の年齢で言えば60歳手前くらい。はじめてお会いした時は「好好爺」という言葉が浮かぶほど朗らかな人柄に見えた。

コロナの影響でここ3ヶ月出社していないが、当たり前だけど仕事のメールは日々流れてくる。おおよそ50人強いる組織の面々から次々と報告メールや相談メールが飛んでくる。

正直現場の僕でさえ全部は見切れていない。そんな中部長はどのメールにも必ず返信をする。茶目っ気のある(少し古い)冗談を織り交ぜてメールの送り主を労う。

ひとりも置いていかずに組織を守らんとする覚悟のようなものがその所作から滲み出ている。

圧倒的なエネルギーでショベルカーのように仕事を進める人もいる。そんな人を羨んだ時期もあったのだけど、今は「好好爺」のように温かくもポジティブな空気を与えられる人に魅力を感じる。

かっこいい。

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大学卒業後、30年以上お酒造り一本でキャリアを積み上げてきた人に取材させてもらう機会があった。

僕が聞きたいと思っていたのは、これだけ長い時間、ひとつのことを極めるために自身を突き動かしているものは何なのだろうということだった。

しかし話を聞いてみるととても淡々としている。酒造りとは日々出会う小さな気付きをひとつずつ積み上げていくだけ。そんなことをポツポツと話す静かな佇まいを見て「突き動かす」という言葉は相応しくないと思えてきた。

「職人」と呼ばれる人は、何かに突き動かされて成り上がった結果の姿ではなく、自身の道を受け入れて、静かに向き合い続ける過程そのものなんだと気付かされた。

かっこいい。

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話を先日のショップオーナーとの飲み会に引き戻す。

二次会はオーナーが週4で通っているカウンターのみのバーへ連れていってもらった。「こんばんは」と入れば顔馴染みがすでにいてすぐに談笑が始まる。ものの数分で店内は一気に賑やかになった。

そこには東京で数店舗の居酒屋を経営する方や、最近近くにセレクトショップをオープンしたというお洒落なお兄さんなどもいてバラエティ豊かな面々が揃っていた。

違う畑の仕事をしている方々なのに、一同に会しているとまるで大学生のサークルのようにワイワイと話が尽きない。僕は話をただ聞くのが精一杯で、それでもふだん住んでいる場所とは違う世界に潜り込んだみたいで楽しかった。

帰り道、ひとり電車を待っているときに、ふと「羨ましい」ような「悔しい」ような、なんともいえない気持ちが沸き起こってきた。

今ならわかる。彼らはかっこよかったのだ。

先に上げた方々と二次会で出会った方々。彼らに共通するのは自身の「持ち場」をわかっているということだ。

そして静かな熱量に満ちた彼らの持ち場は「磁力」を伴って人を引き寄せる。さっきまでいたバーは、まさにそんな磁力の溜まり場だった。

僕はその「磁力」が羨ましくて悔しいのだ。足りないと思っているのだ。かっこいいと思うのだ。

それがわかると今度は清々しい気持ちになった。なんだ、まだやれることがたくさんあるではないか、と。

「かっこいい」は原動力だ。これからもたくさん羨んで妬んで、僕は自身の小さい世界を拡げていきたい。不格好を厭わずに。

文・写真:Takapi