おいしい暮らし

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「あぁ。おいしい」

今年のGWは尾道を旅行していた。

今月のコラムは尾道の旅行について書こうと思い、パソコンを起ち上げ、書き始めようとしたところ、振り返って浮かんだ言葉が冒頭のそれだった。

それから旅行中何度言ったかわからない「おいしい」の記憶を辿っていくと楽しい気分になってきたので、今回は「おいしい」を追いかけることにしたい(なんだかもうお腹が空きそうだ)。

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今回の旅行の「おいしい」のファンファーレは、行きの新幹線が飾った。

午前11時前、静かに新幹線は東京駅を出発した。新幹線が動き出すのを乾杯の合図に見立ててプシュッと缶ビールを勢いよく開ける。そして即座にごくりと喉を鳴らす。そこで出てきたのがこの旅行で一回目の「おいしい」だった。新幹線が出発して1分、まだ品川駅にも着いていなかった。

実は「新幹線プシュッ」が僕は昔から大好きで、仕事の出張帰りの新幹線では必ずやるし(やらないとどうも気持ちよく帰宅できない)、旅行のときも必ずといっていいほどビールを飲むことにしている。

もちろんビールそのものが大好きなので、当然飲む度にいつも「おいしい」という言葉は出るのだけど、旅行の「行き」の新幹線の中で飲むビールが格別においしいと感じるのだ。さらに言わせてもらえば、新幹線の中で缶ビールを開ける「プシュッ」という音がすでに「おいしい」わけで、同じ車両に「プシュッ」とする人がいたなら駆けつけて乾杯したい気分になるほどだ。家で「プシュッ」としてもそんなに高揚しないのに、新幹線の中だととりわけ高揚してしまう。不思議だ。

午前中という時間帯から飲む背徳感からなのか(旅行の「行き」は大抵午前中だ)、旅する期待をビールが煽ってくれるからなのか、その辺はよくわからない。とにもかくにもこの旅の「おいしい」は新幹線から始まることとなった。

Processed with VSCO with u3 preset旅先では「地の物」を食べたい。そう思う人は多いのではないだろうか。僕の中で「地の物」はふたつある。ひとつは「ご当地料理」とも呼ばれる、その地域でとれた食材を使った料理であり、もうひとつは地元の人が愛着をもって食している「地元のご飯屋さん」である。

ご当地料理は旅通の友人に頼ればなんとかなる。しかし問題は後者である。こればかりは地元の人しかわからない。

そういう時は地元の人に聞くことにしている。今回宿泊した宿は、古民家をリノベーションした1日1組限定の宿で、そこに住んでいるご夫婦が運営していた。そのご夫婦に話を聞き、いくつかお店をピックアップしてもらった。

ピックアップしてもらったリストの中から、宿のご夫婦とも仲の良い方がひとりで切り盛りしているカレー屋さんに行くことにした。どうやらそのカレー屋さんは決まった休みの日があるわけではなく、いきなり休んだりすることもあるようで、宿の女将さんがわざわざ事前に連絡までしてくれた。

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そうしてカレー屋に行ったわけだけど、「○○という宿の女将さんに薦められてきました」というと「あぁ。聞いてます。ありがとうございます」と自然と会話ができて、もうその時点でだいぶ居心地がよくなっていた。

「カレー屋なんてね、ほんとにやめた方がいいですよ」といきなりぼやきだしたカレー屋の店主。カレーは仕込の時間がとにかく長いとは彼の弁で、1日のうち18時間厨房にいることもあるとのことだった。

そんなユニークな店主が作るカレーは絶品で、この旅行中の上位に入る「おいしい」を発することになった。遅い時間にお店に入ったこともあって、お店には僕ら一組しかおらず、カレーを食べながらも店主とずっと話すことができた。

元々尾道に住んでいてUターンしてきた過去、この場所でカレー屋を始めることにした理由、疲れると道後温泉に行くこと、とある雑誌のインタビューされたときの笑い話、尋常ではないモノのこだわりから大分のとある器作家と仲がよく、カレー屋にも関わらず器も大量に売っていること。

気付けば2時間強も話し込み、挙句にはお皿が入った紙袋をふたつぶら下げて宿に帰ることになった。

宿に帰れば、宿の女将さんが「さっき、カレー屋の店主から連絡があって、ほんとにいいお客さんだったって。彼、今日はぐっすり寝れるみたいよ(笑)」と教えてくれた。

とても気持ちのいい夜だった。今振り返ってもカレーの味が思い出せるほど(一口目が玉ねぎの甘さが飛び込み、徐々に辛味が顔を出す独特な味わい)で、また食べたい気持ちになっている。

とはいえ一皿のカレーだ。カレーそのものは東京でも食べれるし、美味しいカレー屋さんは山ほどある。でも今回の旅で行ったカレー屋さんは間違いなくそこでしか食べることのできないカレーで、とても「おいしい」カレーだった。

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もちろん「ご当地料理」も楽しんできたわけだが、せっかくの旅行なので少し贅沢な料理を堪能させてもらうことにした。

旅通の知人が薦めてくれた予約のなかなかとれないワインバルに、新進気鋭のシェフが監修したホテルのコースディナーをいただいた。その地でとれた食材を一流の料理家が振る舞う料理は「地の空気」も纏っているのか、東京の高級レストランでも再現できないような味わいで、口に含むごとにため息が出るほどおいしかった。

こんな風にいつもより少しお金を払って食を楽しむことはつまり、サーブに時間をかけてもらえるということでもある。それは単に料理をじっくり堪能できるというだけではなく、振る舞ってくれる人との会話を楽しめるということでもあって、そうやって話を聞くことで、舌と耳で料理を楽しめるから「おいしい」となるわけだ。

ついで言えばそんな特別な体験は、後日会った友人なんかに「あそこで食べた鯛のカルパッチョがね…!」などと「おいしい」表情をして自慢げに語ることで土産話してしても活きてくるから二度おいしかったりする。

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旅から帰ってきた翌日。旅の疲れからか、いつもより遅く起きた朝に頭にパッと浮かび無性に食べたくなったのが、地元の駅そばにある中華チェーン店の炒飯だった。

のろのろと起き上がり、普段着に着替えて中華店に行き「ラーメン・炒飯・餃子セット」を頼み、ジョッキビールでひとり乾杯し、ふぅと息をついてからレンゲですくった炒飯の一口目の塩っぱさにぎゅっと目を瞑り「あぁ。おいしい」と小さくつぶやいていた。

今しがた「少しお金を払ってでもいいものを」と言ったそばから翻すようだけど、こういう料理もたまらなく「おいしい」。食べ過ぎると身体に悪いと言われ注意されるこんな料理も、ほろ酔いの中でコンビニの灯りに吸い寄せられて買うハーゲンダッツも…「おいしい」はいつでも発言する自由を僕らに与えてくれている。

旅先のおいしい。
ふだんのおいしい。
特別なおいしい。
誰かと食べるおいしい。

「おいしい」という言葉のそばにたたずむ、ホッと安心する気持ちや、ワーッと高揚する気持ち、そんな気持ちで彩られる暮らしはたぶん、とても楽しい。

そんなわけで、「おいしい」の種類をたくさん持つことがすなわち「おいしい」思いをして暮らせるひとつのコツなのではないかと、僕なんかは思うのだ。

文・写真:Takapi

 

リセット

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4月1日。午前11時から始まった会社の会議の途中、突然隣の女性が「あっ」と小さく声を上げた。

「どうしました?」と声をかければ「元号発表、そろそろじゃない?」と焦った様子だ。そういえば、と会議室に集まった10人弱のメンバー全員が一斉にソワソワし出した。

気を利かせた上司が「みんなで新しい時代を見届けよっか」と一声かけ、会議室のモニターに映されたエクセルの資料はインターネット中継に切り替えられた。

元号発表が予定さていた11時半を10分ほど過ぎた頃、画面越しに官房長官は現れ、緊張し切った表情で新元号が書かれた額を掲げた。

令和。

一瞬会議室が静寂に包まれる。
回線が悪く音声が途絶えていたため、読み方が判断できずに上司が「れいわ?って読むのかな」と首を傾げる。慌ててTwitterで実況を追えば「れいわ」であることがわかり、みな一様に小さな声で「れいわ」と口にし出した。

その様子はまるで、新元号を自身の身体に取り込むための儀式のように見えた。

10秒ほどそうしていただろうか。
「なんか、かっこいいですねぇ。シュッとしてて」と口を開いたのは、先ほど元号の話を切り出した女性だ。それを聞いた周りのメンバーも「たしかに」「凛としてていい」などと口にした。

一通り盛り上がった後で、誰が促すわけでもなく小さく拍手が起こった。

そしてそのまま会議はお開きとなった。会議室を出るとき「なんにしてもめでたいなぁ。いいことが起きそうだな」と口にした上司の表情は、心なしか明るく嬉々としているように見えた。

僕はと言えば、みんなの輪に入り同じように高揚した気分でいながら、ひとつの言葉が頭に浮かんでいた。

リセット。

リセットという言葉には過去を断ち切り、未来への一歩を踏み出すような力強さがある。とはいえ、大学の卒業や転職といったような、環境が大きく変わるようなリセットと違い、元号が変わるからと言って僕らの暮らしが突如として変わるわけではない。

それでも今回のような「区切り」によって、自身がリセットされているような感覚になるばかりか、前向きな気持ちにすらなってくるから不思議だ。それは脳というよりむしろ遺伝子レベルで仕向けられているような気になってくる。

あの会議室の、皆が一様に高揚し「さぁ、私たちの新しいスタートだ」という明るい雰囲気を見れば余計にそう思えてしまう。

翻って今までの僕自身のリセットを振り返ってみると、卒業や転職などのタイミングでは、(大袈裟に言えば)それまでの人生の「振り返り」と「決意表明」をしていた。これまでどんなことを達成できて、何ができなかったか、そして僕はこの先の人生でどうしていきたいかなどと、口に出さずとも思案はしていたように思う。

しかしながら、今回のような「時代のリセット」には、テレビで大々的に「平成を振り返る」という番組が組まれ、否が応にも過去を顧みる機会はあれど、自身の人生に対して「振り返り」をしたかと言えば、首を横に振ることになる。

都合がいいなぁと思う。「振り返り」もしないままに、時代の区切りに合わせて自分の未来もひっくるめて手放しで期待している(僕を含めた)人の気持ちに都合のよさを感じる。

でもなんというか、今僕はそんな都合のよさに救いを感じている。こういう気持ちは悪くないな、愛でたいな、と素直に思っている。一昔前ならそんな風に思わなかったかもしれないけれど。

因みに、先の会議で中断したものは、業績の「振り返り」だった。

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4月はじめの週末の午前中、近所の公園には満開の桜を見に人が集まり、早いところではシートを敷いて酒を飲み交わし宴会が始まっていた。

賑やかな公園を横切っていたら、先日の会議室の元号中継のことを思い出した。そして続けてこう思った。

もしあのときひとりで元号発表を見ていたら、会議室で拍手が起こるくらい前向きな気持ちになれただろうか、と。

数秒逡巡して「なれなかっただろうな」とぼんやり思った。

気持ちは高揚しただろう。でもそこに、手放しの期待を込めた前向きさは持ち合わせられなかっただろうな、と。

そこではたと思い出した。

実はこのコラムの記念すべき一回目のタイトルは『区切ること』だった。その内容は、意識的に小さくとも自分の中で「区切り」を持つことが(サウナに行くとか、料理をするとか)、自分自身を少しずつアップデートしていくことにつながるのではないか、という話だった。それはつまり、自分の中の小さな「リセット」を繰り返すことと言い換えることもできる。

今挙げたようなひとりで行うリセットと、今回の元号のようにみんなで分け合うリセットの間には、大きく隔てるものがあった。いやむしろ、対極にあるものだということがわかった。

ひとりのリセットは内省を伴う「意志」であり、分け合うリセットは期待を伴う「祝祭」であるということだ。そしてひとりのリセットは過去と未来を結ぶ「線」になるが、分け合うリセットは、人と人を結ぶ「輪」になるということだ。

僕はこれまでずっとひとりでリセットをしていたように思う。分け合うリセットは、先日の会議室のように、今眼の前で繰り広げられている花見客のように、笑顔が溢れてあったかくて良いなぁと、僕もそんなリセットをしていきたいなぁと、はじめて強く思った。

さて、新しい季節だ。
季節の変わりも「リセット」とするならば、気の合う仲間を呼んで祝祭の宴でも開こうか。

文・写真:Takapi

 

 

 

 

ゴールを掲げる

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「君にとって、最終的に辿り着きたいゴールはなんだろう?」

最近知り合った人生の大先輩に仕事の悩みを聞いてもらったとき、僕の話を聞き終えた彼からそう問われた。

彼は続けて「君が今話してくれたことはたぶん間違ってないし、とても面白いと思う」と僕の考えに同意を示した後、「でもね」と少し間を開けてからこう言った。

「君が辿り着きたいゴールが明確になれば、それが周りの人から見たら“目印”になって、たぶん一気にコトが動き出すと思うよ」

辿り着きたいゴール?
目印になる?

僕は彼の問いにうまく答えられず、曖昧に「うーん、ゴール、あった方が良いんですかねぇ」と返事をしていた。

僕の返事に彼は小さく笑い、「ゴール、言葉にできるといいね」と言って席を立った。

事務所に戻り、打ち合わせをしている最中も彼の言葉が頭から離れなかった。

正直に言えば、目の前で「君のゴールはどこだ?」と突きつけられた時、僕の鼓動は早くなり胸が騒ぎ、少し慌てさえした。

それはおそらく「ゴール」という言葉に対するアレルギー反応に近い感情だ。

では一体何が僕の琴線に触れたのか。その正体が分からずにモヤモヤとしていた。

僕にとってのゴール、誰かにとっての目印。

30代も半ばになり、無邪気に「将来、こういう人になりたい」などとは言えなくなった。そして言わないまま過ごしていたら辿り着きたいゴールが眼前から消えていた。

その代わりに視界は前より横や後ろに向くようになった。気付けば周りの人にとってのゴールを後押しすることを自分の喜びとして感じるようになっていた。

それが心地良いし、大袈裟に言えば幸せだとも思っている。

彼の言葉に僕が慌てたのは、今のこの気持ちが「嘘だ」ということではない。

モヤモヤの正体に辿り着くために記憶を戻すことする。僕がまだ青臭くゴールを目印にして走っていた頃に。

過去を振り返り導き出された答えは、ゴールに対する怯えであり、そして、光だった。

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僕は高校生の頃は陸上部で、短距離を専門種目としていた。

高校2年の夏まではいたって平凡な選手だった。

それでも秋口くらいから徐々に成績が伸びてきて、東京都のトップ選手の仲間入りができる一歩手前まできていた。

あのトップ選手の中に入りたい。
そうハッキリと思うようになった。

そして高校2年の冬、ふたつの目標を掲げた。

ひとつは100Mで10秒台を出すこと。
もうひとつは関東大会に出場すること。

陸上をやっていた人ならわかると思うが、多くの陸上選手にとって100M走で10秒台を出すというのはひとつのステータスであり、憧れの境地でもある。

関東大会というのは東京都大会で6位までに入賞した人間だけが出場できる大会であり、これも多くの陸上競技者にとってひとつの目標の場所でもある(その次には全国大会、つまりインターハイがある)。

僕はその目標を公言することにした。チームメンバー、監督に宣言した。それから「100M10秒台!関東大会出場!」とテーピングにマジックで書いて自宅の机の上に貼り付けもした。

そんな風に僕が目標を掲げたことで、周りのチームメンバーも次々と目標を口にし始めた。

目標を公言したチームメンバーは、今まで以上に練習に打ち込むようになった。不思議なのだけれど、練習に打ち込むほど彼らは活き活きと楽しそうに見えた。何より声を掛け合う機会が増えた。そしてお互いの練習を手伝ったり、アドバイスをし合うようにもなっていた。

同じチームとは言え、大会に出れるのは選抜された数名で、隣で走るメンバーは仲間でありながらライバルでもある。それにも関わらず、互いを高め合う気運が外から見てもわかった。チーム全体が確実に「強く」なっていくのを肌で感じていた。

僕にとってはそれが楽しかった。

その後の詳しい流れは省くが、結果として僕は高校3年生の初夏に、掲げた目標をふたつとも達成することができた。

もちろん嬉しかった。ただ飛び跳ねるほど喜んだかと言ったら「ノー」で、むしろ安堵の気持ちの方が強く、さらに言えば焦りに似たような感覚でもあった。

まだ速くなれるかもしれない、もっと上の世界を見てみたいと思っていた。

もっと上の世界へ。そう思った僕はただただ練習を追い込んだ。到達したい目の前の「ゴール」は掲げず、ただ「上を」の一心で遮二無二練習を繰り返し、そして、怪我をした。

そこで僕の熱は一気に冷めてしまった。そしてその数日後には引退することを決心していた。

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以前勤めていた出版社では、プロデューサーとしてひとつWebメディアを立ち上げた。

ゼロからの立ち上げだ。当然ながら僕も周りもまずはどういう状態になったら「成功」と呼べるかを決めることにした。

さまざまな調査を経てたどり着いたゴールは「月間100万人が訪れるメディアに育てる」というものだった。そこまでいけば一旦成功と呼んでもいいのではないか、ということになったのだ。

そしてメンバー全員にその目標を伝え、そのゴールに向けてメンバー自身の判断で動くように指示をした。僕に対しては事後報告だけでいい、そう伝えた。

それぞれの役割があるとは言え、仕事は横の連携が多い。彼らはメンバー間で自主的に情報交換を行う会を開き、スピード感を持って企画に落としては実行に移していった。

僕がやったことといえば、外に出かけ、新しい知見や新しいつながりをメンバーに提供した程度で、彼らのアイデアや企画の後押しをしたに過ぎない。

メディア公開から足掛け3年、ようやく達成した時の気持ちは、100Mで10秒台を出したの時と同じように「安堵」だった。

ひとまずクリアした目標だけれど、思いの外「手応え」を感じられなかった。恥ずかしいのだけれどそこから欲が出てきてしまった。メンバーに向き合うことより外に出ることを優先し、「将来はこんなことをしたい」「これからのメディアはこうすべきだ」などと口角泡を飛ばして語り始めてしまった。

結果としてメンバーたちを混乱させてしまった。目指すべき指針がわからなくなってしまったのだ。さらには、僕の話に首を傾げる人に「話がわからない」と詰り傷つけてしまった。

そして、だんだんと人が離れていった。

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ここまで振り返ってみてわかるのは、ゴールはどこまで行っても「通過点」だということだ。掲げたゴールに到達したとしても、新しいゴールが霞むように現れては僕らを惑わしてくる。

ゴールは、達成した瞬間に「次」を見失わせ、自身を追い込み、まわりを巻き込み、自分も仲間も損なうという負のスパイラルを生む魔物だ。

人生の先輩に「君にとってのゴールとは?」と問われた時のモヤモヤの正体は、そんな魔物に対する「怯え」だったのだ。

それでも。

ゴールに到達するもっと手前、時に遠のき、時に近づくゴールにひるみながらも走り続けていた「道のり」に目を凝らせば、そこには春の陽射しのようにあたたかい光が見える。

その光の中には、目標を分かち合い、共に走っている人たちと切磋琢磨しながら笑っている僕の姿が見える。

「ああ」とやっと気付いた。
ゴールは魔物ではなかった。
ゴールに翻弄された僕自身が魔物だった。

なんでこんな単純なことに気付けなかったのだろう。

今ならハッキリと言える。

僕には「ゴール」が必要だ。
もっと正確に言えば、僕が掲げたゴールを目印に「人が集まる」あたたかさが必要だ。

これから時間をかけて「ゴール」を探すことにしよう。そして探し当てることができたなら、近い人に、遠い人に話しにいこう。

その先には春のようなあたたかい光が待っているから。

文・写真/Takapi

高を括るな

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数年ぶりにマラソンのレースに出た。といっても距離はたかだか10マイル(16キロ)程度の市民マラソンだ。

高校時代は陸上部だった(と言ってももう20年近く前の話だが)。走ること自体は苦ではないし、実際に週末はジョギングをするのが日課だった。

1年くらい前までは。

ここ最近は忙しさを理由にしてほとんど走っていなかった。そんなことだから、レース前に練習できずに本番を迎えることになった。

ぶっつけ本番である。とはいえ所詮16キロだ、ゆるりと走れば大丈夫だろうとナメてかかっていた。

甘かった。折り返しを迎えるくらいから膝に痛みを感じるようになり、残り5キロを切ったあたりから気が遠くなりかけるほど痛くなった。走り終わってからはしばらく階段の昇り降りができないくらいにまで悪化した。

「錆びついているなぁ」

帰宅後、膝にロキソニンテープを貼りながらそう呟いていた。

言うまでもないけれど、筋肉痛はその2日後に来た。

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最近はありがたいことに宴の席にお呼ばれする機会が多かった。

楽しい宴ばかりならいいのだけれど、そうはいかないのがサラリーマンのつらいところだ。

時には明らかに不愉快な宴会に当たることだってある。 正確に言えば、宴会の中で不愉快な人に当たるということだけれど。

「どうしてこの人は、人の話を最後まで聞かずに『それはこういうことだから』とわかったようなことを言えるのだろう」「一体どんな立場からこの人は、よく知りもしない人に対して『あいつはダメだ』と決めつけるようなことを言えるのだろう」

大抵僕が不愉快になる人は大抵そんな「人種」だ。

狭量になっている。それはわかっている。

僕にしたって、こうしてこの場で不愉快な人を挙げ、読んでくれた方から「そうだ」と同意の声をもらうことで溜飲を下げようとしている。そのこと自体が、今挙げた「人種」がやっていることとほとんど変わらないのだから。

ガヤガヤとした席上、悦に浸った表情で「正論」を押し付けてくる人に僕は、反論するでもなく「はぁ」と話を聞きながらその場をやり過ごしていた。

「高を括られているなぁ」

いささか飲み過ぎた帰り道の電車の中でそう思った。

言うまでもないけれど、翌日には二日酔いの頭痛とともに話の内容はほとんど忘れていた。

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錆びつくこと、高を括ること。

いみじくもこれらは固く結びついている。高を括れば知らぬ間に錆びつくということだ。

同じようなことは今までやってきた。
同じようなことを今まで見てきた。

こんな言葉を並べて、今目の前で起きていることから目を逸らし、自身の貧相な経験に照らし合わせて「ま。そんなものでしょう」と高を括る。それが後になって取り返しのつかない「痛み」を招くことになる。

いや、むしろ痛みがあれば良い。大抵の場合は痛みにすら気付かずに知らぬ間に動けなくなることの方が多い。現に僕は、今回走らなければ自分が錆びついていることすら気付かなかったのだ。

当たり前のことだけど、筋肉は見ているだけではつかない。落ちる一方なのだ。

「同じような」ことと片付けて今を退けている間に、「今」はどんどん未来に向かって動いていく。

同じような」ことの間にどれだけの汗が流れているか。
「同じような」ことの間にどれだけの想いが溢れているか。

どんなに「同じような」ことに見えたとしても「同じ」ことなどほとんどありえない。 いや、あえて断言しよう。絶対に、ありえない。

こんなに強く言っているのは、僕自身がそうなってしまう可能性をいつでも抱えているからだ。だからこれは、僕自身に対しての忠告でもある。

高を括るな。

痛みと引き換えに得た教訓はことさら大きかった。

そしてこのコラムを書き終えたら走りに行くことにしよう。

文・写真/Takapi

僕の占い師

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大物政治家や有名作家など、いわゆる各界の著名人が、思い悩んだときの最後の心の拠り所として占い師に頼るという話を、年末の酒の席で聞いた。

どんなに多くの取り巻きを抱えても結局は神頼みなのかと嘲笑する声もあれば、いやむしろ自分の影響力が大きくなっていくほど人が信用できずに頼れるものがなくなるんだと同情する声も上がったが、話は終着せずに曖昧なまま途切れ、次の楽しい話題に移っていった。

そんな忘年会から10日ほど経ち、新年を迎え、毎年恒例の新年の抱負たるものを考えるために、頭の中で昨年の自分の振る舞いの「棚卸し」をしはじめたときに、先ほどの話が頭に浮かんだ。

果たして僕にとっての「占い師」は誰なのだろうと。

色んな人からのアドバイスやら忠告やらその他インターネット上に転がる無数のレコメンドの声を潜り抜けて僕にとって「決め手」となる声はどんなものか。

それを知ることがすなわち、今の自分の立ち位置を俯瞰で捉えられると思ったのだ。

しかし思い巡らせたところで浮かんできたのは中学生の頃の僕自身だった。

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中学生の頃、同じ部活で3年間をともに過ごした同級生から、卒業間近になって「僕は君のおかげで変われたんだよ」という感謝の言葉をもらったことがある。

聞けば、彼は自身の引っ込み思案な性格がコンプレックスだったそうで、僕と出会い、部活を通して僕と関わるうちに「こんな風に開けっぴろげに生きたら楽しくなるのか…!」ということに気付き(今振り返るとあまり褒められてないな)、次第に性格を変え、クラスにも友達ができて…最終的にはとても楽しい中学ライフを過ごすことができた、ということだった。

その話を聞いたとき、素直に嬉しいと思う反面、少し戸惑ったことを憶えている。なぜなら僕は彼に対してさして思い入れがあるわけでもなく(申し訳ない)、ただ「楽しいは正義」という思春期にありがちなポリシーの元にした言動を振りまいていただけで、彼の引っ込み思案な性格を変えようなどと露ほども思っていなかったからだ。

とはいえこうして僕の言動が、良くも悪くも彼の人生観まで変えてしまったことは間違いない事実である。

なぜ彼が僕の言葉や行動が「決め手」になってしまったのだろう。

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翻って僕自身のことを振り返ると、少なからず「決め手」となる人はいるみたいだ。

たとえば友人のFさんは、僕が仕事のことで相談する度に「その話面白いね」「君はもっと可能性があるよ」といつも軽い調子で背中を押してくれる。

同じような声をかけてくれる人は他にもいる。それでも彼の言葉は不思議とスッと腹落ちしてしまう。

そんな彼のアドバイスを聞いたある日の夜、僕は半分酔った頭でとある企業のエントリーシートを書き上げた。

結果として僕は今、そのエントリーシートを提出した企業で働いている。

たとえば、前職で一緒に働いたSさんは「この本は良かったよ」「あなたにそれは似合わない」といつもふわっと教え諭してくれる。

彼女の言うことはたまに毒気はあるものの「まぁ、彼女が言うなら失敗しないんだろうな」といつも僕は簡単に頷いてしまう。

結果として僕は彼女が薦めた眼鏡屋で眼鏡を買い、こうして毎月コラムを書かせてもらっている。

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中学生の頃の僕と先に挙げたふたりを並べてみる。
ひとつ見える共通点は相手との距離感で、すなわちそれは「近すぎない」ということになる。

必ずしも近くにいる人が「決め手」になるということではないらしい。

たしかに、思春期の頃に親のおせっかいな言葉が鬱陶しく感じたり、逆に好きになった人や仕事で一緒になった人に強い期待をかけて相手を怯ませて損なってしまったことも「近すぎた」ことが原因だったように思う。

時に人は、「相手を理解したい」という言葉を掲げて距離を詰めてしまうことがある。しかしながら「君をわかりたい」という思いやりは、「僕をわかってよ」という強烈な欲と裏表の関係でもある。

先述したSさんの話に戻せば、一緒に働いていた当時、立場上上司であった僕は彼女に「頑張るからついてきてほしい」と勇んで伝えたことがあった。

そのときに彼女は「え。私は君についていくつもりはないよ。ただ君が楽しいと思うことは一緒にやれると思う」と答えてくれたことがあった。

僕はその言葉で救われた。
その距離が温かかった。

今さらながらそんなことに気付いた。

僕にとっての「占い師」には心地よい距離感がある。そしてどうやら僕の今年の抱負はその辺にあるようだ。

今年もみなさん、ほどよい距離感でよろしくお願いします。

文/写真:Takapi