後味

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先日、友人の会社が主催するパーティに招待されたときのことだ。

パーティ開始時間ギリギリに会場に入った僕は、受付にいる女性に名前を告げ、当日の案内のチラシを受け取った。「ごゆっくりお過ごしください」「ありがとうございます」と型通りの挨拶を交わしたとき、受付の女性と小さく目が合った。

色のついた細い縁のメガネをかけた少し猫背気味の雰囲気に既視感を覚えた。どこかで会ったことがあるような気がするのだが思い出せない。数秒の逡巡の後、後ろに並んでいた人に押されるような形で僕はパーティ会場に入ることになった。

会場に入ればすぐに知り合い数人に声をかけられ談笑が始まり、受付で感じた既視感は会場の喧騒とともにあっけなく消え去っていった。

パーティが終わり、ほろ酔いで帰宅する電車の中でふと、先ほどの受付の女性の顔が浮かんだ。その拍子に彼女と僕が机を挟んで対面しているシーンがフラッシュバックした。

そこは以前僕が働いていた出版社の会議室だった。その会議室で僕は彼女を詰っていた。「なぜこの程度のクオリティしか出せないのですか?プロとしての自覚はありますか?」と。

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彼女は友人から紹介された企画会社の方で、僕はとある企画を彼女にオーダーしたものの、提案されたものに満足が出来ず、彼女に対してそんな言葉を吐いたのだ。

もう5年以上も前の話だ。若さ故という言い訳もできなくはない。任された大きなプロジェクトに勇み足になり、躍起になっていたのだろう。

とはいえ、僕が彼女に吐いた言葉は配慮に欠けていたことは紛れもない事実であり、結果として彼女を損なってしまった。その後彼女とは連絡が遠のき、二度と仕事をすることはなかった。

なんとも後味の悪い結果になってしまった。

その会議室のシーンがフラッシュバックされた時、「彼女の方は憶えていたのだろうか、忘れてくれていたらいいな」と僕は反射的に思っていた。そしてそんなことを思った自分に愕然とした。

5年経ってもなお、過去から目を逸らそうとするのか。そんな自分の弱さに呆れ恥ずかしくなった。

電車の中でずっと、胃の上あたりをギュッと掴まれるような苦しさを感じ続けていた。電車を降りる時、つり革を掴んでいた手は汗でぐっしょりと濡れていた。

ひょっとしたら僕たちは、誰かを詰り損なってしまった記憶を、嬉しかった記憶と同じかそれ以上にずっと身体の中にしまい込んでいるのかもしれない。

そしてふとした時にその記憶は顔を出し、僕らを試すように問いかけてくる。お前はあの頃から変われたのか?変わろうとしたのか?と。

過去にしたことは覆らない。そうなのであれば僕らにかろうじてできることは、こうした記憶が眼前に現れる度に、逸らさずに過去と対峙し、今を再検分し、「これから」の行いで返していくことくらいなのだろう。

虫のいい話だ。それで過去が帳消しになるわけではない。でも、そうでなければ寂し過ぎる。

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「久々に会いませんか?」という連絡を最近よくいただく。

新しい一歩を踏み出すことになった報告のためだったり、「話が合うと思うので」と新しい出会いを提供してくれるためだったり、理由はさまざまだけど、そんな風に誘ってもらえることは単純に嬉しい。「ぜひに」という気持ちになる。

ところで「また会いたい」と「もう会わないんだろうな」の間にはどんな隔たりがあるのだろう。僕自身も「また会いたい」と思う人はたくさんいる(自分から「会いましょう」と言うことができないのが悩みだが)。

出会ってきた人の顔を並べて結論らしいものを掲げるのであれば、ふたつを隔てるものは「別れ際の後味」にある。

会話の端々や雰囲気の中にうやむやとすることがなく、スッキリと前向きな気持ちのまま別れた人とはまた会いたいと思うようだ。

不思議なのは、そんな人たちに改めてお会いする時は、嬉しいと思うと同時に少し背筋が伸びるような心地いい緊張感がある。その緊張感があるから前向きになるのか、うやむやとしない話をするから緊張感が伴うのか、そのあたりはわからないけれど、僕に限って言えばそうなのだ。

これからも“後味のいい人”と会っていきたいと思うし、できれば僕もそういう人でありたいと願っている(嘲笑が聞こえる)。

師走が近づき、これから忘年会が増えてくる。
久々に会える人との再会を楽しみにしながら、会えたなら緊張を解かず、記憶を失くさず(これは期待できない)、後味よく1年と別れ、「幸先のいい」1年を迎えられるようにしたい。

それが僕にとって「これから」できる唯一の行いだから。

文/写真:Takapi

ラオスにて思う

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9月の最終週に、遅い夏休みをもらってラオスのルアンパバーンを旅行していた。

なぜ数ある国の中から旅先としてラオスを選んだのか。その答えは村上春樹の『ラオスにいったい何があるというんですか?』にある。読んでもらえればきっと「あぁ。あれを読んだなら仕方ないね」となってくれると思う。

結論から言ってしまえば、ラオスの旅はとてもいいものだった。本当はここで旅の詳細を語りたいのだけれど、行程を追いかけはじめるとこのコラムの標準的な文字量(もしそういうのがあるなら)を超えてしまうので、印象に残った一部のシーンだけをつらつらを書き連ねることにする。

ラオスという国について、旅先としてどんな楽しみがあるかを知りたい方は、先ほど紹介した村上春樹の本を読んでみてください。

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さて、ラオスに来て一番はじめに驚いたのは、通りを行き交うバイクの量だった。主な交通手段がバイクであることにも少し驚いたが、どう見ても中学生くらいにしか見えない子が自転車のように乗り回していること、そしてそのほとんどが日傘を差していることに、思わず「違反切符!」と叫びそうになった。

ただ、しばらく通りを眺めているとそんな光景も慣れてくるようで、日傘がひとつのファッションアイテムとして機能していることに気付く。フリルのついた紫の傘、顔のモチーフがついた黄色の傘(ポケモンかな)などが、時には主張し、時には差し色のように全体のコーディネートの一端を担っていた(見当違いかもしれないけれど)。

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人間と自然の距離が近いこともラオスに来て感じたことだ。

露店の脇や家の前には犬が寝そべり(そのほとんどが平和な顔をしている)、建物の至るところにヤモリが張り付き(僕らが泊まったホテルの部屋にも3匹ほどが“見張って”くれていた)、ニワトリはいつもせわしなく駆け回り、けたたましい鳴き声でモーニングコールを鳴らす。おかげで毎朝5時過ぎに起きることになった。

毎朝通りで行われる朝市では、カエルの丸焼きや、しめたばかりのニワトリ、ハエのたかった肉のかたまり、メコン川で採れたであろうぞっとするような形の魚など、おもわず足がすくんでしまう光景が目の前に拡がる。

その通りを抜けるとカフェオレ色のメコン川(つまり泥水だ)が静かに、それでいて圧倒的な大きさで街を取り囲むように流れている。どのくらい大きいかと言えば、大雨が降り洪水が起きたら、一瞬でこの街を沈めることができるとわかるくらいには、大きい。

泥水が静かに流れているというのは、日本人からしたらなんとも不思議な光景に映るのではないだろうか。日本において川が泥水になるのは、ほとんどの場合大雨が降ったあとの濁流のときくらいで、それは轟音を響かせながらものすごいスピードで目の前を駆け抜けてゆく。

静かに泥水が流れているというのは(しかも圧倒的な量で)、はじめのうちは不気味に映る。その水がどの程度の深さなのか、その中に何が生きているのか、まったく(本当にまったく)わからないのだ。ただ、それも1日経てば慣れてくる。その雄大さに畏敬の念さえ浮かんでくるのだ。不思議なものだ。

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ルアンパバーンのメインの通りでは、毎日ナイトマーケットが開かれている。日が暮れ始めると徐々に人が集まり、テントの設置を始め、通りに敷いたござの上に刺繍の入った布物やお皿や絵などが並べられる。

そんな風にして、誰が号令をかけることもなく静かにナイトマーケットは始まる。それは日暮れとともに始まり夜10時まで続く。

ここでは、昼間は小学校や中学校に通っていたであろう女の子もお母さんと一緒に店番をしている。店の前を通ると、声をかけるではなく、控え目な笑顔で「どうぞ」と無言で接客をしてくれる。

僕が刺繍の入った小物入れを買ったときに相手をしてくれたのは、15歳くらいの女の子だった。

僕が値段を聞くと、電卓を叩き僕に見せてくれた。並ぶ数字は現地のお金なので、それが高いのか安いのかすぐには判断できず、頭の中で円換算をしていた。

少しの間。その間を彼女は「渋っている」と感じたのか、すぐに電卓を引っ込め、隣にいるお母さんと2、3言葉を交わしてから、先ほど提示した数字の2/3の数字を電卓に打ち込んで僕に見せた。控え目な笑顔に少しいたずらっぽい色が見えて微笑ましい。

「オーケー」と僕は答えて現地のお札を出した。お金を受け取り、ビニル袋に商品を入れて、手渡してくれたときの彼女の照れたような表情がかわいらしかった。(後で日本円に換算したらえらく安かった)。

とても気持ちのいい買い物だった。

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最終日の昼、連日の暑さと歩き疲れで「トゥクトゥク」を利用した。いわゆるタクシーなのだが、車ではなくバイクに荷台が付いた乗り物だ。軽トラの荷台に乗っているとイメージしてもらえたらわかりやすいだろう。

外の風を感じながら走る「トゥクトゥク」は、これがなかなか気持ち良い。思わず顔がほころぶような気持ち良さだ。風に吹かれながらぼんやり通りを眺めていると、旅行で来ているのだろう白人の女性が、頬を真っ赤にして自転車を漕いでいた。

気分が良かったからか、彼女の自転車を追い抜くときに僕は思わず「keep on Going!」と声をかけていた。

僕の声に気付いた女性は、「もう限界よ!」という思いっ切りしかめた顔を作り(欧米人のああいうユーモアがとても好きだ)僕を笑わせてくれた。遠ざかりながら「bye!」とお互い声を掛け合って、数秒後には彼女の姿は見えなくなった。

一瞬のやりとりだった。それでも今振り返りながら不思議と胸にこみ上げてくるものがある。なぜだろう。

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とまぁ、旅の参考には一切ならないことをつらつらと書き連ねてしまった。しかし旅から帰ってきて2週間が経ち、思い浮かぶ光景を正直に書いたつもりだ。

ラオスのきれいな夕焼けや、ヨーロッパを感じさせるお洒落なカフェ、美味しい現地の料理やビールなど、ガイドブックに載るような、旅たらしめる体験はあったけど、振り返って思い返すのは、こんな些細なシーンややりとりだったりする。

おそらくその場で会った人たちとは金輪際会うことはない。心が通ったとも思えない。言葉さえ通じないのだ。それでもそんな小さな心の交流が、心地よく記憶に居座っている。

ラオスに限らず、旅はいつでもそうなのだ。

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旅から帰ってきて3日後に、仕事で京都に行った。
朝から予定詰めの一日で、18時過ぎにようやく解放され、心地いい気怠さを伴って新幹線に乗るため駅の改札をくぐろうとしたときのことだ。

ふと改札の横の光景が視界に入る。
20歳くらいの、スーツケースを脇に置いた外国の女性が今にも泣き出しそうな表情で日本人の女の子と向き合っていた。

「あ、泣くな」と思ったのも束の間、ついに彼女は声を上げて泣きはじめ、腕を拡げ日本人の女の子にハグをした。

日本人の表情はこちらからは見えなかったけれど、おそらく彼女も泣いていたのだろう。ふたりの親密なハグがそれを物語っていた。

ふたりはただ、別れを惜しんでいた。

きっとあの外国の女性は、日本のニュースを目にしたり、SNSで日本のことを知る度に、その日本人の女性の顔が浮かぶんだろうなぁと、そんなことを思っていたら、突然僕の胸を込み上げてきた。込み上げるというより突き上げるという表現の方が近いかもしれない。あまりにも突然のことで抗うことができず、気付けば僕も涙を流していた。

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彼女たちの間にある何が僕に涙を流させたのか。それは正直まだ分かっていない。

ただ今こうしてラオスの旅で思い出したシーンを並べてみて、少しだけわかってきたことがある。

僕らは好むと好まざるに関わらず、年齢を重ねるほど、自ら決めて声を掛け合って別れることが少なくなってくる。

連絡が途絶え自然と疎遠になることや、突然の(もしくは予期された)死によって別れることが増えてくる。雑踏の中に消えていく相手の背中が見えなくなるのを、ただ茫然と立ちすくみながら目で追うような別れだ。そこにはいつも寂しさが伴う。

けれど「さよなら」と声を掛け合って(あるいはハグをして)、「せーの」で足を踏み出し別れることはそれとは違う。一時の寂しさはあれど、とても清々しいのだ。

清々しい別れの代表が卒業式だ。入学時に決められた数年後の別れがあるからこそ、出会いは煌めき、別れは清々しいものになるのだ。そんな記憶は、振り返るときはいつも決まって僕をあたため、慰めてくれる。

旅という限られた時間の中では「こんにちは」と「さよなら」は常にセットだ。数秒後、数日後には「さよなら」が待っている。僕は僕の、彼らは彼らの日常に向かって「さよなら」をする。

その別れは、僕が生きる上で必要としているあたため慰めうる記憶として、いわば代替的に手渡してくれる。

それが(現時点における)僕が旅に出る理由であり、だから僕はまた旅に出ることになるのだと思う。「さよなら」をするために、旅に出るのだと思う。

文/写真:Takapi

明日の夕飯

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「明日の夕飯、何食べたい?」
とある平日の夜、食卓で面と向かって夕飯を食べている妻にそう声をかけていた。ふだんのいつも通りの会話の流れで、何も考えずに出てきた言葉だった。

「ちょっと待って。今それを聞くの?」
とふきだした妻。一拍置いて「あぁ。そっか」と納得した。今まさに夕飯を食べているこのときに翌日の夕飯の話をするというのはなんとも間が抜けている。「たしかにそうだね」と僕も笑った。

でもそのとき、なぜかは分からないけれど「こういうのはいいな」と思った。なんなら家族ってこういうものかもしれないと少し大げさなことさえ思った。妻にとってはただ迷惑な話かもしれないけれど。

結婚して8年になる。
その間大きな問題もなく(少なくとも僕の中では)、いわゆる夫婦生活を平穏に過ごしている。

あんな間の抜けた会話があったから、というわけではないけれどぼんやりと8年間を振り返ってみた。

いろんな場所にも行ったし、いろんなものも見てきた。
いろんな話もしたし、いろんなことを言われもした(大抵は尻を叩かれている)。

でもどれもぼんやりしている。
つまらなかった、印象に残っていない、ということではない。ただあまりに同じような(とても平穏な)時間を過ごしているからか、全体的にぼんやりしているのだ。「あぁ、いつもの雰囲気だ」という安心感に似たような感覚だけがある。

代わりに浮かんでくるのは「ありがとう」という声の響きだ。

妻は何をするにも「ありがとう」というのが口癖なようで、僕が食器を洗えば「ありがとう」(そのあとたまに妻が洗い直している)、僕が洗濯物を畳めば「ありがとう」(ついでに畳み方の指導もそのあと入る)、掃除をすれば「ありがとう」(来週はもう少し念入りにお願いね、もセットで)とまずは褒めながら礼を伝えてくれる。

この「ありがとう戦略」が効果てきめんで、その証拠としてこの8年間で僕の家事量が圧倒的に増えているのだ。そして何よりすごいのが(おそろしいのが)家事が「楽しい」と思えてしまっていることだ。なんなら「今日も家事に参加させてもらってありがとう」とさえ思っている。

「ありがとう戦略」で完全に術中にはまった僕だが、普段の暮らしの中で僕から「ありがとう」としっかり伝えたことはあまりないように思う(非難の声が聞こえる)。

ここで改めてお礼を申し上げたい(たぶん読んでないだろうけど)。

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普段の暮らしの中だけではなく、妻のありがたさを感じることはたくさんある。

たとえば、僕が車をぶつけてしまったとき、慌てふためいている僕の様子が可笑しいとケラケラと笑ってくれたことや、ふたりではじめて行ったキャンプのとき、火を起こせない僕を罵りながらも立派な火を起こしてくれたことなど、数え上げればキリがない。

たくさんあるのだけれど、今日はひとつだけ紹介させてもらう。

それは昨年仕事が行き詰ったときのことだ。
その頃の僕は何をやってもどうにもこうにもうまくいかず、むしろ動けば動くほど悪い方に向かうようで、なかば投げやりになっていた。

あまり仕事の愚痴は言わないように決めていたのだが、そのときはどうしても我慢ができず妻に気持ちを吐露した。長い話を聞き終えて妻はひとことだけ僕にこう言った。

「とりあえず言えるのは、悩んでいるなら楽しい方を選ぶことね。それが合っているか合ってないかなんてわからないけれど、少なくとも楽しんでいるあなたは恰好が良いとは思うから」

この一言のおかげで僕は今日もそこそこ楽しく仕事をすることができている。

先日この時の話を妻にしたところ、「あなたは悩むと外に飲みに行くから。それでお金が底をつきそうだったからそんな風に言ったわけ」とケラケラと笑って振り返っていた。

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理想の夫婦像などわからない。僕らには子どももいないから家族論など問われても答えようがない。

ひとつだけ言えるのは、親しき仲にも礼儀あり、そして笑いありだ。「ありがとう」さえ忘れずに、ネガティブをネタにさえできれば、たぶん、大抵のことはうまくいく、と思っている。

ちなみに冒頭の会話には少しだけ続きがある。

妻は僕の作ったナスの揚げ浸しを食べるや「天才か。食堂か」と褒めた後、「料理のスキルが上がっているから外食の必要性があまりなくなってきたなぁ」とこぼした。

来週からまたひとつ料理のレパートリーが増えそうである。

文・写真/Takapi

なんか、いろいろと、あるんだよ

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「この打ち合わせ、やる意味があるのでしょうか」

目の前で繰り広げられている議論があまりに不毛に思えてつい口から出てしまった。先日の打ち合わせでのことだ。

途端に静まり返る会議室。その日初めてお会いした5人くらいの参加者の顔が一瞬で固くなったのが、視界に入らなくてもピンと張った空気でわかる。その時点で「あ。やってしまった」と後悔し始めていた。

取り繕おうとまた口を開いたところで「意味がない」と発言した自分なりの理由をまくし立てるばかりで、参加者の顔が固まるどころかどんどん暗くなっていってしまった。

結果として数分の“演説”で空気を変えることは難しく、会議の長の「とりあえず1回持ち帰りましょう」の一言に救われる形で会議はお開きということになった。

会議が終わり、組んでいた足をほどき立ち上がったときに、おしりから太腿にかけて張りのような、凝りのような軽い痛みを感じた。

張りつめていたのは僕の気持ちの方で、固くなっていたのは僕の態度の方だったことに、そのときになってようやく気付いた。

オフィスの自席に戻り、固くなった太腿の筋肉をトントンと叩きながら、ひょっとしたらこの痛みは天敵から身を守るために威嚇する小動物のような、生物の生存本能なのかもしれないなと、ぼんやり思った。

威嚇してまで守りたいと思うものはいまいち浮かんでこないのだけれど、僕を威嚇させた根っこの感情はわかる。

怯えであり不安だ。
でもいったい僕は何に怯え不安を抱いていたのだろう。

数時間後、先ほどの会議に参加した人から僕宛にメールが届いた。

「今度、○○さん(僕の名前)のご経験をメンバーに教えてもらえないでしょうか。今までやってきたことの中で大事にしてきた想いをお聞かせください」

メールを読み、まわりの方に気を遣わせてしまったことを恥じるかたわらで、ふっと全身の力が抜け安心している自分がいた。

つまりは単純なことで、僕を怯え不安にさせていたものは「わからない」という感情だ。

相手の本心がわからない、自分自身がどういう目で見られているかわからない、そんな「わからない」に怯え、強い言葉で威嚇し距離を置くことで自分を守ろうとしたのだ。

「わかる」ためにやれることのひとつは「安心」を与え合うこと。そしてそのスタートのためにやれることは、もうこのメールに書かれている。

「すいません、ここからはもう大丈夫です」

声にせずにつぶやき、「ありがとうございます」と返信する。

この年齢になってもこんなことでつまずくのかと、自分の未熟さに呆れ、苦笑いが込み上げ思わずうつむく。

力が抜けだらしなく開いた太ももが目に入った。

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10年位前に一緒の職場で働いていた同僚と数年ぶりに再会し、外苑前の小さな酒場のカウンター席で酒を飲み交わした。

彼は今の職場で副部長という肩書をもち、幼稚園に上がる子どもがひとりいて、奥さんのお腹の中には二人目の子どもがいるらしい。

10年前に比べて少し落ち着いた雰囲気をまとった彼は「いろいろ、おめでとう」という僕の言葉に静かな笑顔で返したあと「いろんなことに気を遣う年齢になったなぁ」と独り言のように言葉を落とした。

仕事の話、健康の話、家族の話、年齢を重ねるほど取り巻く境遇は似てくるようで、「あぁお前もか」などと慰めなのか励ましなのか分からないような声をかけては「なんか、いろいろあるな」と芋焼酎のロックをすすった。彼も同じ酒を飲んでいた。

22時前に酒場を出ると、この時間になっても熱をまとっている風が肌を撫でる。彼はひとつ先の駅まで歩いていくということで、酒場そばの地下鉄の入口で「じゃあ、また」と僕らは小さく手を振って別れた。

帰りの電車の中、さっきの酒場での会話を振り返っていたら「なんか、いろいろ」と口から小さく漏れた。それだけ「なんか、いろいろ」が多かった宴だった。

家に帰ったらコーヒーを飲もうと思った。

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自分ではどうしようもできないことが増えた。
一方で自分がどうにかしなくてはいけないことも増えた。
経験からわかることが増える一方で、その正しさが脆いこともわかるようになった。

要は、「なんか、いろいろある」年齢になった。

今年の酷暑をしのぐ手段が空調のきいた部屋に逃げ込むこと以外にないように、無理に足掻かず、笑顔でかわしたり、じっと我慢したり、話を逸らしていれば、大抵のことはそのうち時間が解決してくれるものだというのがわかってきたのも、この年齢になってきてからだ。

そんな風にわかったつもりになったとしても、僕はこれからもひとつずつ不器用に向き合いながら、少しずつ安心できる場所を増やしていくのだろう。そしてまた明日も気の合う仲間と肩を並べて飲んでいるのだろうと、これまたたしかな予感として感じている。

何とも急に老け込んだ締めになってしまった。きっと夏バテのせいだ。

それでも「時には起こせよムーブメント」と平成の名曲を心に忍ばせて、何かを叫んで自分を壊す準備だけはしておこうと、平成最後の夏に僕は小さく決意をしたところだ。

文・写真/Takapi

風邪をひいた拍子に

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本格的に風邪を引いた。

風邪に本格もアマチュアもないのだろうけど、5年ぶりくらいに39度近い熱を出し、喉が腫れ上がって食事もろくにとれずにほぼ3日間寝込み、その間にポカリスエットを5リットルくらい飲んだのだからたぶん本格的な風邪と呼んでいいのだと思う。

「熱が出る方のパターンかぁ。珍しいね。ふむふむ」他にどんなパターンがあるのか?とっさに浮かんだ疑問も38度のぼーっとした重い頭ではぶつける気力もなく、淡々と診察を始めた近所の町医者の声に耳を傾ける。

この町医者は今回がはじめて。熱が出始めた日に会社近くのクリニックで処方された薬が2日経っても一向に効果を出し始めず、藁にもすがる気持ちで自宅近くの病院を見つけてきたのだ。

2日前に処方された薬の名前を伝えると、医者は残念そうに頭を振りながら「今あなたが飲んでいるその薬ね、今はあんまり効かないんですよね」と返す。

薬の話になると饒舌になるようで、今流行りの薬の話から薬と国家権力の関係というスケールの大きい話まで披露したあと、「なんでそんな薬出しちゃったかなぁ」とこぼした。言葉と裏腹に彼の顔は少し嬉しそうでもあった。

5分程度の短い“授業”のあと「ということで、この薬出しておきますから。これでダメならまた来てくださいね」と言って僕を診察室から送り出した。

近くの薬局で薬をもらって来た道を戻る。歩きながら「面白い医者だったなぁ」と今しがたの診察を振り返る。振り返る頭は来たときよりも幾分軽くなっていた。

僕らは(少なくとも僕は)弱っている人から助けを求められるとつい、「頑張って!大丈夫!」と背中を押そうとしてしまう。それはそれで励みになることもあるけれど、いつもと変わらない淡々とした受け答えが気を楽にさせることはあるようだ。

処方された薬はしっかり効果を発揮してくれて、翌朝には熱は平熱近くまで下がっていた。

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回復の兆しが見えたため、翌日は若干の身体のダルさを感じながらも会社に行くことにした。

家を出れば梅雨のさなかの晴れ間。太陽がまぶしい。目をしばたきながらいつもの公園を横切る。

子ども向けの遊具の色、公園の隅に咲いている夏の花、梅雨の雨と太陽をいっぱいに取り入れてみずみずしさを増す木々の緑、自動販売機の中の極彩色をまとった缶。青、緑、ピンク、赤、オレンジ、町中に散らばった色彩が一斉に目に飛び込んでくる。

色彩を取り込んで身体が喜んでいるかのように、目に入る色の数の分だけ徐々に自分の歩幅が大きくなっていく。

いつものなんてことない風景の中の彩りひとつで元気になれるくらい、僕らはゆるさとしたたかさを持っている。そのことに気付き「現金なものだな」とひとり苦笑いを浮かべいつもの駅へ向かった。

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風邪が完治した頃、旧い友からメールが入る。
「自分の存在意義がわからないときがある」画面に浮かぶ相談とも弱音ともいえない零れた言葉を見て「そんなことないよ」と反射的に打ちかけて思いとどまる。

少し考えてから「想いを吐き出してくれてありがとう」と打ち返す。相談相手に対して「ありがとう」とはずいぶん間の抜けた返事だ。

続けて「存在意義ってなんだろうね。僕にもわからないや」と打った。

昔から変わらない「いい加減な僕」の声でこたえた。

それから何回かやりとりを重ね、旧い友は「気長に楽しんでみるよ」と少しだけ気が楽になったようだった。

そういえば旧い友はいつも僕を見て「なんか楽しそうだね」と言っていた。

ひょっとしたら友は、いつも通りの僕といつかの通りのやりとりをすることで自分の中にある彩りを取り戻そうとしたのかもしれない。本当のところはわからないけれど。

風邪を引いていなければ、友の背中を押してしまったかもしれない。
風邪を引いていなければ、自分の言葉を飾りひとり語りをしてしまったかもしれない。

今年の夏風邪はとてもしつこく治りが遅かったけれど、その分長い人生にじわじわと効く薬を与えてくれた。

文・写真/Takapi