差し出した手の行き先

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僕は一度だけ人の命を救ったことがある。

オールラウンドサークル(別称飲みサークル)で毎日のように飲み散らかし、毎週土曜日になれば京王線聖蹟桜ヶ丘駅近くの養老乃瀧(まだあるのだろうか)で100名規模の飲み会を催しては、泥酔一歩手前の体(もしくは一歩踏み込んだ体)で終電間近の電車に乗り帰宅するという大学生活を送っていた頃の話だ。

その日もサークルの飲み会を終え、いつも通り泥酔一歩手前で友人たちと駅のホームでワイワイと騒ぎながら電車を待っていた。

「間もなく、1番線に…」というアナウンスが頭上から流れ、反射的に電車が来るであろう方に目をやると、同じホームの10数メートル先に、泥酔を一歩どころか大股で越えたようなサラリーマンが千鳥足でフラフラと歩いていた。

「白線の内側にお下がりください」という言葉に抗うように、白線ギリギリを歩く姿を見て「落ちそうだな」と思った瞬間、そのサラリーマンは僕の視界からふっと消えた。つまり線路に落ちた。

「やばい」という声が出たときには僕はもう走り出していた。

落ちた場所まで駆けつけ、サラリーマンに声をかければしっかりと返答があった。意識はあるようだ。「早く捕まって!」と腕を差し出し、僕の手を握ったサラリーマンを思い切り引っ張り上げ、なんとかホームに引き上げた(今思い出すといったいどうやって引き上げたのか記憶があいまいだ。相当な腕力がなければ引き上げられないと思うのだけれど)。

引き上げた拍子にホームに尻もちをつく。ほっと安心したその数秒後、目の前が真っ白になるとほぼ同時に電車のヘッドライトが僕の眼前をかすめて通過していった。

一歩間違えれば僕も線路に落ちてしまう可能性だってあった。なぜ見ず知らずの人のために、死ぬかもしれない危険を冒してまで一目散に駆けて行けたのか。10年以上経った今でもあの時の自分の行動が理解できずにいる。

けれど今でもたまに何の前触れもなくその光景を思い出すことがある。そして思い出すときは決まって自分自身があたたかいものにくるまれるような感覚になる。

見ず知らずの誰かを救ったという自分の良心に酔いたいのか、滅多に起こることのない出来事に浮かれていたいのかはわからない。そうではないとも言えるし、どちらも正しいという気もする。

分かっているのはシンプルなことだけ。

自ら差し出した手は、誰かから差し出された手と同じくらい自分を温めてくれるということ。そして人はどちらも心の糧にして暮らしていく能力をもっているということ。

とまぁ、こんな大袈裟なエピソードを用意する必要もなく、きっと僕らは反射的にでも意識的にでも、日常の中で手を差し出しあって暮らしている。そんな小さな思いやりの交換によって日々の生活を少しずつ温めている。

それはたとえば家族の間でも。

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父親の話をしようと思う。

僕の父親は仕事が忙しいという理由でほとんど家にいなかった。帰ってくるのは決まって深夜か週末、僕が物心つく頃にはそれが当たり前だと思っていた。

だから子どもの頃の父親との記憶はそんなにある方ではないと思う。
父親らしいことをされたような記憶もあまりない。父親らしいことがどんなことなのかはわからないけれど、そのひとつとして息子に手を差し伸べることがあるのだとすれば、すぐに思い出せるエピソードが2つある。

ひとつめは幼稚園から小学校1年生くらいの頃。
僕は突然起こった成長痛のような脚のムズムズした痛みに悩まされていた。

「痛い。寝れない」と深夜にむずり出した僕に母親が手を焼く中、夜遅くに帰ってきた父親は何も言わずに夜通し(たぶん僕がそのまま眠りにつくまで)僕の脚を撫で続けてくれた。そのときどんな会話をしたかは思い出せない。今となっては煙草(キャスターマイルドを吸っていた)の匂いと撫でてくれた父親の指先の感覚だけがぼんやりと思い出せる程度だ。

撫でることが正しい処置ではないかもしれないけれど、撫でてもらっている間は痛みを忘れることができた。

大人になっていろんな痛みを抱えた人と会う機会が増えた。その度にこの記憶が僕の前に顔を出しては、慰めや励ましの言葉をうまくかけられなくても、ただそばにいるだけでその人の力になることがあるということを教えてくれる。

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もうひとつは陸上部でキャプテンを務めていた高校2年生の冬のこと。
僕らの代は歴代の中でも強い代だったらしく監督の期待が大きかった。そんな監督の粋なはからいで、全国トップクラスの高校の陸上部の合宿にうちの高校から選抜した数名だけ参加させてもらうことになった。

全国トップクラスのチームと一緒に練習ができる。本来であればワクワクすることなのだけれど、僕はそれ以上に怖気づいてしまっていた。というか完全に「行きたくない」と思っていた。あんなレベルについていけるわけがない、と思い込んでしまっていた。

合宿当日もそんな気分のままで、重たい荷物と足を引きずりながら朝早く家を出た。
地元の駅の改札をくぐる直前に携帯が鳴る。ディスプレイには父親の名前。「珍しいな」と思って電話に出た。

「今日から合宿だっけ?」
「うん。そうだよ。」
「そっか。うん。まぁ。頑張ってこい」

後にも先にも父親から「頑張れ」と言われたのはこの時だけだと思う。

不思議なのだけれど、たった一言、電話越しのそのたった一言を聞いただけで「やれる」と思えた。いや正確に言えば「やってやる」と決意が固まったのだ。それまでどれだけ周囲から激励の言葉をかけられても気持ちは重くなる一方だったのに、父親のその一言だけでお腹の奥の方にあった重たいものが軽くなってしまったのだ。

合宿中、吐きそうなくらい辛いタイミングはたくさんあったけれど、その度に父親の「頑張れ」が背中を押してくれた。マンガみたいだけど、本当に言葉が背中から聞こえたのだ。そして背中を押してくれたその声はそのまま、チームメンバー全員に向けた僕からの掛け声となり、結果としてチーム全体が前を向くための合言葉となった。

1週間の合宿を乗り越えたときにはメンバーの顔つきが変わっていた。確実にひとつステップアップしたという実感と自信が顔に満ちていた。

人を動かす言葉は時としてとてもシンプルで、そして言葉は時として自分を通過してそのまま誰かへバトンパスされるようなことがある。

この考えは僕が誰かと接するときにいつも通奏低音として流れている。僕は言葉を信じているし、それ以上に侮らないようにしたいと思っている。
そのきっかけはこの電話にあったように思う。

余談だが、合宿の半年後、都大会決勝で走ったリレーは、卒業して15年以上経った今でも母校の歴代最高記録として残っている。

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2018年4月、僕の父は他界した。

病床で父と最後に交わした会話は、僕が先日行った一人旅のことだった。

「尾道の日の出最高だったよ」と眼前に差し出したスマートフォンの写真を見て、左手を少し上げて親指を立てた。それが僕に残した彼の最後の“言葉”だった。その手を握り「来週も来るよ」と声をかけたのが僕からの最後の言葉だった。

その2日後に、父は他界した。

彼が死に際にどんな想いでいたのかは分からない。
願わくは彼が生前、幾度か僕に差し出してくれた手を思い出していてくれたらならいい。

文・写真:Takapi

微睡みの中で思う旅と日常

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10分くらいだろうか。
ガタンガタンとリズムを刻む列車の小気味いい振動とうららかな陽射しに誘われてつい微睡んでいた。

起きぬけのジーンとする頭をもてあましながら車窓越しの景色に目をやる。

視界いっぱいに広がる田園風景、ひとりトラクターに乗り作業をするお爺さん、ぽつぽつと建つ民家、そのさらにずっと奥には春の彩りをまぶした山々が午前の陽を浴びて白い光をまとっている。

あれ。今はどの辺を通過しているんだっけ?ふと浮かんだ疑問をかき消すように列車は真っ暗なトンネルに入り、今見た景色は一瞬で過去のものになる。

・・・・・

3月末から1週間ほど「青春18きっぷ」をおともにして一人旅をしていた。僕の住む東京から山口県の下関まで6日間かけてめぐる列車旅だ。

(知らない方もいるかもしれないので説明すると、「青春18きっぷ」とはJRが発行している春と夏の一定期間使える切符のことで、この切符一枚(12,000円弱※2018年現在)で日本中のJRの「鈍行」だけを5日間利用することができる。18歳限定で利用できるというわけではない。おそらく“18歳的な旅”ということなのだろう。だから青春というわけだ。たぶん)

飛行機や新幹線を利用できないから移動時間がとにかく長い。1日の大半は移動時間で費やしてしまう。

列車に乗り(どうして旅の話になると「電車」ではなく「列車」と言いたくなるのだろう)、移りゆく景色をぼんやり眺める。眺めることに飽きれば西尾勝彦さんの詩集『歩きながらはじまること』を開き言葉を追いかける。窓から射し込む陽の光と影が紙の上に落ちては消え言葉に濃淡を作る。

詩のもつリズムと列車の車輪が刻むリズムは相性が良い。そのリズムがまた眠気を誘いしばし微睡ませる。目を覚ませばまた過ぎ去る景色を眺める。基本的にはその繰り返しだ。

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目を覚ます度に景色は変わる。
街から山へ。山から海へ。海から街へと。

窓から望む田園風景の中にぽつぽつと数えられるだけの人の姿を見つける度に、矛盾するようだけれど「人ってたくさんいるんだな」と思う。毎日東京で人混みに埋もれ、何千何万という人の顔を見ているのにも関わらず。

「身の丈を知れ」という言葉が眼前に浮かぶ。

東京は「もしかしたら」の街だ。望むと望まざるに関わらず、もっと高く、もっと遠くに理想があると、誰かを、何かを引き合いに出して際限もなく投げかけてくる。可能性と呼ぶにはあまりに頼りない「もしかしたら」を腕いっぱいに抱えた僕らは、時に高を括り、時に嘆いたりして今日もまたひとつの「もしかしたら」を探す。もっとないのか?と誰に向けるでもなくせがむように。

目の前の景色は「あなたは、ただ人ひとり」だと語りかける。何者でもないただひとりであることを自覚せよと諭してくる。東京で聞けばネガティブに響くようなこんなフレーズも、この景色の中では不思議と励まされる言葉として響く。なんなら高揚さえした。

何者でもないということは少なくとも“他の誰か”ではないということ。「身の丈を知る」とはつまり、他の誰かではない自分を自覚し役割を探し始めるスタートのことであり、それは「もしかして」を外ではなく自身の中から芽生えさせる決意のようなものではないだろうか。

そのことに気付き少し安心して僕はまた微睡みかける。

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「特急列車を見送るため10分ほど停車します」
何度目かの微睡みをアナウンスの声が断ち切る。

乗客がまばらな中でシンと静まる車内。
束の間の静寂の中でふと「文通したいな」と思う。

直筆の手紙のやりとりにこだわるわけではなく(それはそれでしてみたいけれど)、じっくりと相手と自分の気持ちと向き合い、何度も書き直しながら文章にしたためて送り、数日後か数週間後に返信が来る「文通」のような“遅い会話”がしたい。

“遅い会話”には相手のことを考え言葉を紡ぐために、ある一定以上の時間が必要になる。相手も自分のためにその時間を持ってくれているはずだという“認識の交換”が、普段の暮らしのひとつの拠り所(拠り所という言葉が大袈裟なら安心と言い換えてもいい)になる、そんな気がしたのだ。

早く多くの人とつながれる普段のオンライン上の言葉のやりとりに手応えがないわけではないし、今さらその利便性を手放したいとはさらさら思わないけれど。

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時間が許す限り列車を降りては街を歩いた。
一人で旅をしていると色んな人の声が耳に入りやすくなる。
これといった理由などない。ただ単に暇だからだ。

京都の喫茶店でモーニングをとっているときのことだ。

僕の隣には長年連れ添ってきたであろう老夫婦が座っていた。奥のソファ席に奥さんが座り、手前のテーブル席にご主人が座っていた。

ご主人が朗らかに話しかけても奥さんの方は「あぁ」「そうね」と返すだけ。
「つれないな」と僕は思う。それでも殺伐とした雰囲気はなく、どことなく牧歌的な光景に映る。

朝食を食べ終えた奥さんが「ちょっとお手洗いに」と席を立つ。

奥さんは脚が悪いようだ。少し足を引きずりながらトイレに向かう。奥さんの姿が見えなくなると、ご主人はいつも決められた作業のように自然に立ち上がり、奥さんの座っていたソファ席に移る。

数分後、お手洗いから戻った奥さんは旦那さんが座ってた手前の席に、つまりはお手洗いからより近い席の方に当たり前のように座った。

数分の静かな時間が流れる。
「じゃ。そろそろ会計しようか」と旦那さんが促せば「そうね」と立ち上がる奥さん。

何気ない風景、何気ない会話、何気ない日常だ。
それでもそこには控え目であたたかい気持ちの交換があった。

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「旅は非日常だ」と言う。
たしかにそれはそうなのだけれど、僕が旅先で感じたのはどうしようもないくらいの「日常」だった。
感じるというより「思い出す」のだ、みずみずしい会話を、ひとり思い耽る時間を、そんな代わり映えがなくてとりとめもない、ただただ愛おしい日常を思い出すのだ。

だから、旅をしよう。
僕らにはもっと「日常」が必要だ。

文・写真:Takapi

ただ春を待つ

期待に期待し過ぎない

「君の文章は特別うまいわけじゃないんだよね。でも、なんとなくだけど、普段本を読まないような人たちが君の言葉に触れたら『文章って面白いかも』って思うような気がするわけ。だからお願いね、このコラム」

今振り返れば褒められているのかけなされているのかわかないような誘い文句だ。

しかしながらそのときはなぜか(たぶん酒も入っていたからだろう)すごく嬉しくて「ぜひやらせてください!」と意気込んで返事をしてしまった(ような気がする)。

そんなきっかけで始まったこのコラム。「楽しみにしてるから」と僕の書く文章に一切注文をつけずに原稿をただ待ってくれている少し変わった眼鏡屋の店主がいてくれるおかげで、こうして無事に3回目を書かせてもらっている。

30代もなかばに差し掛かった僕にとって「ただ待ってくれている」人がいるというのがこんなにもありがたいことだとは思わなかった。

ただ待っている人、もしくはただ待ってくれている人はいますか?という質問を投げかけたら「はい」と答えられる人は少ないのではないだろうか(少なくとも同年代では)。

僕らは社会に出るとまず「待たせる」ことは相手の時間を奪う失礼な行為だと教えられる。時は金なり、タイムイズマネーだと叩き込まれる。そして待たせない技術が身についてくるようになると自然と(必然と)待つことができない体質になっていく。

そんなわけで「ただ待つ」「ただ待たせる」というのは、大人になるほど実はすごく難しい。

だからこそとてもありがたく感じる。大袈裟に言えばそれは、子どもの頃に夕方の公園で逆上がりに挑戦する姿を、何も言わずに見守ってくれた親の眼差しを背中に受けるような安心感に似ている。

あなたにはただ待っている人はいますか?ただ待ってくれている人はいますか?

さて3月。慌ただしい季節だ。

暖かくなったと思ったらまたすぐ寒くなってを繰り返すこの気温の変化をやり過ごすだけでも慌ただしいのに、「新生活」や「新年度」という名の“こしらえられた”スタート地点に向かって、なかったはずのゴールを無理矢理掲げられ、3月末までにゴールテープを切ることを急かされソワソワして落ち着かない日々を過ごしていることでしょう(僕だけかもしれないけれど)。

それでも少しずつ気温が上がり、木々に彩りが加わっていくのを見るのは何度見てもワクワクするもの。僕の経験則から言わせてもらえば、今年もほぼ100%の確率で桜は咲き、ほぼ100%の確率で花を見上げては、過去と今と未来を振り返り思案しながら“ひとひら”の希望を胸に抱いてひとりしんみりしたり、ときに友人と酒を飲みかわし談笑し記憶をなくすことと思います(僕だけかもしれないけれど)。

とにかく言いたいことは、毎年しっかりと全日本人の期待にこたえてくれる桜には「ありがとう」という言葉しか浮かばないということだ。

文章を「ただ待つ」こと。桜の開花を「期待する」こと。
ともに待つ行為ではあるものの、期待には期待する側が「明確な結果」を想定しているという点で「ただ待つ」とは大きく意味が異なる。

「期」という漢字には「決める」「約束する」という意味があることから、期待とは「両者で取り決めた約束ごとを“達成する”まで待つ」ということだと捉えることもできる。そして大事なことは、“大人”になってしまった僕らには達成するまでに「なるべく待たせない」というルールもこなさなくてはならない。

とても重たいし面倒だ。できれば「そんなに期待しないでよ」と思っていながらも、まったく誰からも期待されなければ寂しくなったりふてくされてしまうのも紛れもない気持ち(というか性)でもあって、なかなかに悩ましい。

とはいえ僕がこうしてここで文章を書かせてもらってから、稀に(ほんとにごく稀に)「コラム面白かったです。これからも楽しみにしています」と言われるようになった。

僕の友人は、僕がこうしてここでコラムを書いていることを「楽しそう」だと面白がってくれていて「楽しみながら書いている君のワクワクをおすそわけしてもらっているよ。ありがとう」と言ってくれた。

そんな言葉をかけてもらうとやはり僕も嬉しくなって、その度に「次はその人が楽しんでもらえるように少し頑張ろう」とひとり心の中で約束をしていたりする。

待ってくれている人のためにひっそりと日々の暮らしや行いでさり気なく「応えて」いく関係。
応えてもらったら「ありがとう」と言うだけで何も求めずにまた次の一歩を楽しみに「待つ」という関係。

できれば一人でも二人でもいいからそういう関係でいたいと思うし、僕の周りの人にもそういう相手を見つけてほしいと思う。

友人でも夫婦でも同僚でもその他どんな関係でも、うまくいき続けることなんてそうそうない。いつだって難題は降りかかり、その度にぶつかったり一緒に落ち込んだりしながら日々つたない関係の糸を紡ぎ直して僕らは暮らしている。

でもね。

「そんなあなたの次の一歩を楽しみにして待っています」というやさしい期待が、そっと僕らの背中を押してくれる。そんな気もしているんです。

さぁ。今年もそろそろ桜が咲くようです。
楽しみに待ちましょう。桜を、春を。
大切な人の次の一歩を。

文・写真:Takapi

数年ぶりの大雪が教えてくれたこと

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昼に降り出した雪は夜になってもやむ気配を見せず、案の定というか、予定通りというか、とにかく僕が通勤で使っている路線のダイヤを麻痺させ、いつもより仕事を早めに切り上げて乗り込んだ電車も途中の駅でピタリと動かなくなってしまった。

あいにく僕にはぎゅうぎゅう詰めの車内に耐えるだけの体力は残っておらず、早々に諦めて止まった駅で下車し、近くの喫茶店で時間をつぶすことにした。

読みかけの佐藤正午の小説を開き、降りしきる外の雪に時折目を向けながら、「帰れるのかしら」と不安を感じている頭のかたわらで、「なんだかこの時間は贅沢だな」と高揚している自分がいることに気付いた。

こんなことがなければまっすぐに家に帰り、今頃テレビのバラエティ番組を見るともなく流しながらご飯を食べている時間だ。

「動けない」という不自由さの中で、手持ち無沙汰な時間だけが手元にあることに「自由」を感じるというのは、なんだか皮肉めいていて面白い。

自由。
いつからか、というか年々その言葉を口にすることに及び腰になってきている。
まっすぐで力強いイメージを伴う自由は、そのひたむきさ故に眩しすぎて目をそむけさせることがあるようだ。

そんなことをぼんやり考えているうちに電車のダイヤは復旧した。
責務を終えたようにガラガラになった車内には、ぽっかりと自由が漂っているように見えた。

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勢いを落とすことなく夜通し降り続けた雪は、翌朝カーテンを開けた僕の前に真っ白に輝く世界を用意してくれた。

「きれいだ」と思うのはほんの一瞬で、この雪では交通機関は確実に乱れているだろう、滑って転ぶ可能性もある、実際に数年前の大雪のときには盛大に転んだし、などと苦い記憶を呼び起こすうちにすっかり僕の目に映る雪は輝きを失い、しまいには会社に行くことすら億劫になり、それでもサラリーマンらしくしっかりと準備をして、ため息とともに玄関のドアに手をかけた。

ドアを開けた途端、マンションの廊下をドカドカと走り回る音が、僕のいるひとつ上の階から鳴り響いた。そこにこどもたちの嬌声が重なる。

「わぁ!雪だ」
「雪だるま作ろう!」
「いや。雪合戦だ!」

どんな表情で話しているかはわからない。
けれどありあまる「楽しい!」を爆発させた声であることはわかる。
あまりの楽しそうな「合唱」に僕は思わず足を止め、耳を傾けた。
「あぁ。彼らは自由なんだな」そう思った僕の頬は自然と緩んでいた。

楽しいから自由なのか。自由だから楽しいのか。それはわからない。
けれど確実に言えることは、子どもたちはただ目の前の雪に夢中になっているということで、そしてその夢中さに僕も乗せられ、今はとても気分がいいということだ。

自由なんてそもそも目指し獲得するものではなかった。
ただ、ただ目の前のことに夢中になるだけで、僕らはこんなにも自由になれるんだ。

数年ぶりに降った大雪はシンプルで大切なことを教えてくれた。

綺麗に澄み渡った青空が連れてきたキンとする空気を頬に感じる。
まだ誰にも踏まれていない真っさらな雪に足を乗せる度に鳴る「ギシ・ギシ」という心地よい音に耳を傾け、しばし足元に夢中になりながら僕は駅へと歩く。

ゆっくりと一歩ずつ、今を楽しみながら。

文・写真:Takapi

区切ること

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2018年1月1日。
朝6時半にかけたスマートフォンのアラームで僕は目を覚ます。
昨晩の深酒を呪いながら(毎年のことだ)カナダグースのダウンを羽織って、カメラを持って家を出る。カナダグースの下は寝間着のままだ。

家のそばを走る環状道路にかかる歩道橋が目指す先。
白い息を吐きながら歩道橋に登れば、すでに先着した20人ほどが同じ方角に目を向けている。
家族連れだったり、高齢の夫婦だったり、ひとりきりだったり。

初日の出を待っているのだ。

6時50分を過ぎた頃、天気予報通りに東の空から太陽が昇り始める。
空の色が群青からピンクに変わったのも束の間、徐々に東の地平線は(正確には地平線ではないけれど)オレンジを強め、太陽の輪郭があらわになった。

あちこちで短い溜息のような歓声が起き始める。
カメラのシャッターを淡々と切る人もいれば、なにやら祈るように口をもごもごと動かしながら太陽に向かって手を合わせる人もいる。

集まった人たちの胸中はそれぞれ違うのだろうけど、共通する思いがあるとすればそれは、「良い年になりますように」という願い。

365日、違う道を、違う速度で歩いてきた人たちが、こうしてほんの数分だけひとつの場所に集まり、同じ思いを共有している。
そのことが不思議と「守られている」気持ちにさせてくれる。胸よりも下、お腹のあたたかさでわかる。二日酔いのせいかもしれないけれど。

とりあえず言えるのは、僕はこの少しの時間が好きで毎年同じ歩道橋まで足を運んでいるということだ。

太陽が昇り始めて5分もすればいつも通りの隣人たちの顔に戻る。
顔見知りを見付ければ「あけましておめでとうございます」とあいさつを交わし、一人の人は静かに家に戻る。

僕は僕で、5分ほどぼんやりとオレンジを眺めていたら、思い出したように寒さが二の腕あたりから刺してきたので、あわててその場をあとにした。

家に帰り、寝間着に戻り、床暖房をつけ、ジンとする頭をもてあましながら、ぼんやりと今年をどんな年にしようかと考え始める。

一年の計は元旦にあり。

不思議なものだ。
つい10日前までは「今年もいろいろあったねぇ」などと気の合う仲間と忘年会で飲み交わしながら「よいお年を」と楽観的に手を振ったばかりなのに、1月1日になった途端、昨年と真摯に向き合い、所信表明とばかりに1年の目標を考え始めているのだ。

(どうでもいいことだけれど、「よいお年を」っていい響きですよね。色々あった1年を「ま、いっか」と帳消しにするほどの滋養に満ちた言葉だと思う)

地続きの日常の中で「区切り」をつけること。
それだけのことだけど、怠惰な生活を送りがちな僕にとっては、弾みというか張りというか、気持ちが前向きになることは確かだ。
「いっちょやってみるか」という気分になる(ほんの少しだけど)。

リスタート、そんな感じだ。

さっき初日の出を見にきた人たちも、今までとこれからの「区切りの儀式」のために、あの場所に足を運んでいるのだろうか。

そんなことを考えていたら、なんだかコーヒーを飲みたくなった。
まだ夢の中にいる妻を起こさないようにそっと「フグレン」のコーヒー豆を挽き始める。

朝コーヒーを飲む習慣は10年近くになる。
僕は平日はサラリーマンをしていて、始業の1時間前に会社近くのカフェに寄り、本を読んだりスマホでニュースを見たりしてから出社するようにしている。
これがないとどうも落ち着かず、うまく1日をスタートできない。
朝のコーヒー1杯が、いわばウォーミングアップの代わりになっているわけだ。

湯が沸き、「CAFE SHOZO」の白いマグカップにドリッパーをセットし、時間をかけて湯を注ぐ。
注ぎ切ればドリッパーを外し、カップで両手を温める。一口飲み、ようやくほっとひとつ息をつく。

さっき頭に浮かんだ「区切る」ことについて思考を戻す。

僕らは「区切り」に囲まれて生きている。
卒業式、入社式、結婚など人生のイベントから、夏至や春分日などの季節の報せや暦まで、区切りにまみれた暮らしをしている。

区切りが訪れる度に僕らは、日々の生活を振り返り、反省と達成感を天秤にかけながら、時に慰め、時に鼓舞しては小さく自分をアップデートしている。
薄い湯葉を積み重ねるように、危うく弱々しくもあるのだけれど。

区切ることは過去を省みること。
区切ることは兆しに気付くこと。
区切ることは自身を刷新すること。

そんな作用があるらしい。

おそらく大昔の人たちは、この作用によって人類がより良い方向にいくであろうことを予期し、「区切り」というイベントを発明したんだろう(違うか)。

そこまで考えて、「あ、この朝のコーヒーもひとつの“区切り”だ」ということに気付いた。
僕らは意図せずとも区切ることを「習慣」としてうまく生活に取り入れて工夫しているようだ。

たとえば毎朝走ることで区切る人、サウナに入ることで区切る人、本を読むことで区切る人…
普段の暮らしにひとつ区切るというアクションを取り入れることで、僕らは日々小さなアップデートをしていたのだ。

アパレルショップ店主の僕の友人は
「朝から晩までほとんどショップにいるでしょ?そうするとショップにいる1日の間に時計の短針が1周以上することになるんだよね。それがなんというか気持ち悪くて」と24時間で1周する腕時計に変えた。
腕時計を変えたことで、1日をしっかり1日として終わる気がすると嬉しそうに話していた。

これもひとつの区切り方なんだろうなぁ。

普段の生活の中で、今までただ自分を気持ちよくさせるためにやってきた工夫や習慣が、自身をひとつアップデートさせているんだと思えば気持ちよくないだろうか。

気持ちよさはリズムを生み、リズムは伝わり、人を引き寄せる。
それはあたたかい循環。

大きな目標は必要かもしれない。
それはそれとして、日常の小さな工夫に目を向けることも、楽しく暮らすためには必要だと思うのだ。
どんなに足掻いても、将来は今までとこれからの日々の積み重ねの上にしか成り立たないのだから。

僕はここで毎月コラムを書かせてもらうことになった。
コラムを書くことで日々の暮らしにいい循環が生まれることを期待しています。
ではまた来月お会いしましょう。

文・写真:Takapi