嬉しい寂しい

OLYMPUS DIGITAL CAMERA          Processed with VSCO with u3 preset子どもの頃から集団行動に馴染めなかった。はっきり言って苦手だった。

少年野球を小学1年生から6年間続けていたのだけど、大会でチームが敗戦したときに、メンバーが悔し泣きをしているそばで、猛打賞だった僕はどうしても「泣きの輪」に入れず(一応悔しそうな顔はしていたはずだ)内心ほくそ笑んでいたくらいには苦手だった。

だから、中学校以降は個人競技の陸上部に入部した。それはそれで楽しかったしやりがいがあった。

社会人になり、「社会性」というお行儀を叩き込まれるわけだが、そのひとつが「輪の中に入り、その中の人と同じ想いでいる」という所作だった。

持ち前の演技力で、なんとかその場しのぎでやり過ごせているつもりでいた。

しかしながら、1社目を退職するその日、恒例のお別れ会の「最後のあいさつ」という演説中もまったく感動的な空気を作れずに、場をしらけさせたばかりでなく、同僚にマイクを渡して僕との思い出を語ってもらい、ようやく場がまとまり、その同僚に盛大な拍手が向けられたこともあった。

先日、会社の研修があった。アセッサーと呼ばれる「人間観察」のプロに、丸3日間ひたすら監視され、最後の面談で「君さ、人当たりは良いけど、人に興味ないよね」と言われ、思わず「ご名答!」と拍手を贈りそうになった。

さすがに大人の所作としてその場を取り繕うことはできる。それでも相変わらず集団の輪の中で「同じ想い」でいることができないのだ。もっと言えばそこに漂う空気感に薄ら寒さすら感じてしまうのだ。

そういう態度は、しばらく経つとアセッサーよろしく大抵バレてしまう。小学生の頃から今でも続く僕の小さなコンプレックスである。

僕は、集団行動が苦手だ。

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先月、足掛け半年にわたるプロジェクトが終わりを迎えた。最終的には30名程度が関わる大きなプロジェクトだった。

プロジェクトが走りはじめの頃は難航していた。僕の持論やこだわりを周りにぶつけては、自身の説明力の欠落を棚上げして「違う」とダダをこねていた。それでも辛抱強く僕の隣で「この人が言っているのはこういうことでして…」と僕を擁護しながらわかりやすく周りに説明してくれる同僚がいた。

要はとんでもなく優秀な人で、その人がいたおかげで話はどんどんまとまり始め、チームにリズムが生まれ、僕からは出てこないアイデアがいくつも生まれた。彼がいたから、チームは最後まで心地よい雰囲気のままプロジェクトを進めることができ、最高の形で終わることができた。

プロジェクトが終わったとき、僕は気付いたらチームメンバーに「集合写真を撮りましょう」と口にしていた。あれだけ集団行動が苦手だった僕が「同じ想い」を形に残したいと思ったのだ。

帰り道、ずっと隣で支えてくれた彼からメールが入った。

「おかげさまで“思い出”となる案件になりました。ありがとうございました!」

「思い出」なんて言葉、久しく使ってなかったなぁ、と思わず頬が緩んだ。一旦メールを閉じ、さっき撮った写真を見返してから、彼に一言だけ返信をした。

「また、同じような思い出作っていこう」

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先月末で、半年間一緒に仕事をしていた後輩が職場を離れることになった。

とにかくよく笑う子だった。そして最後まで誰かを非難する言葉を聞くことはなかった(僕は散々口にしていたように思う)。いるだけで場が明るく前向きになるような、素直でていねいな人だった(本当にそんな人はいるんです)。

その人柄のまま、仕事ぶりもとてもていねいで、抜けがちな僕の仕事をいつもさり気なくフォローしてくれていた。周りからの信頼も篤く、いつも彼女には相談ごとが舞い込むような空気があった。

僕とは対極にいる人だ。そう思っていた。僕はいつもブルドーザーのように自分の意思のまま「進める」ことが最優先で、チームメンバーの考えていることは二の次だった。いや、正直に言えば、今まで人が考えていることを気にすらしていなかったように思う。

だから彼女にしてあげたことはほとんどなかった。ただ毎日のように僕が理想を語り、彼女自身のやりたいことを聞いた。そしてなるべく彼女が具体的に動けるように「足場」を用意した。そのくらいしかできなかった。

結果的には、彼女の求心力もあって、半年の間とはいえ今までやれなかった取り組みをいくつか打ち出すことができた。そのうちのいくつかは成功と言っていいものもあった。

最終出勤日。終業時間まであと1時間程度ということろで彼女は突然隣で泣き出した。あまりのことで戸惑った僕は(そもそもそういうのに慣れていない)バカみたいに「おつかれさま」と繰り返し口にすることしかできなかった。

帰り道の電車の中「感謝しかないんです」とメールが送られてきた。おそらく僕以外の関わった人全員に同じような言葉を送っているんだろうなと、僕は少し笑った。律儀な人だ。そう思った。

そして「あぁ。寂しいな」と呟いていた。

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先日、仕事で小さなトラブルが起きた。なんとか収束させようと、パートナー会社の若いスタッフ(まだ新卒2年目くらいか)が一生懸命に関係各所に駆け回り、調整をはかってくれた。

「ご迷惑をかけて申し訳ないです。なんとかします」と週末の深夜、電話口で話すそのスタッフの切迫した真剣な声に(とても早口な人なのだ)、僕は自然と「なんとか無事に終わったら飲みにでも行きましょうか」と口にしていた。

一瞬の間のあと、「ぜひ!まだ行けてないですし!」とこれまた早口で高揚した声で返してくれた。社交辞令かもしれないし、ただの飲みの口約束だ。でも僕はその彼の言葉がとても嬉しかった。電話を切った後、鼻にツンとくるものがあった。

オフィスを出たとき、昼間のジメッとした空気が嘘のように澄んだ空が待っていた。

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僕は、集団行動が苦手だ。

理由は先に述べた通りだ。「同じ想いでいよう」という同調圧力がどうしても苦手なのだ。その言葉に内包されている「足並みを揃えつつ、誰かのために頑張りなさい」という押しつけがましさがどうも馴染まないのだ。そんな綺麗事だけでうまくいくはずがないと、心のどこかで思っているのだ。

でも僕は気付き始めている。

誰かのために頑張るのではなくて、誰かがいるから頑張れるということ。その先に「同じ想い」が待っているということ。さらにその先には、嬉しさと寂しさが待っているということ。その寂しさは、また誰かと喜びを交換したいと思わせてくれるということ。

たぶん、人はそんな簡単に変われない。僕は僕で、これからも集団行動は苦手なままなんだろう。それでも、今年の梅雨時に関わってくれた人からもらった嬉しさと寂しさは、また味わってみたいとも思っている。

僕は今、ほんの少しだけ、集団行動をしたくなってきている。

文・写真:Takapi

美容室にて

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毎月10日に公開しているこちらのコラム。

ちょうどよく月にひとつ書くことが見つかればいいのだけれど、そんなことは全くなくて、毎月1日になると10日後に迫った公開に向けて「うーん」と唸りながら、テーマをひねり出している。

テーマさえ決まればもう大丈夫かと言えばそれも違う。書き出してみて「あ。やっぱりコッチかな」「いや、そもそもこのテーマだと一言で終わってしまう」とか、文字通り右往左往しながら毎回書いているわけで、スラッと書けたことは今まで一度もない。

今回だって例に漏れず悩んでいる。今日も美容室で、髪を洗ってもらいながらここ1ヶ月で使えそうなネタがないか記憶を探ってみた。気付けば気持ちよさでウトウトしてしまい、まったくネタが思い浮かばなかった(なぜ美容室のシャンプーはあんなに眠くなるのだろう)。

美容室を出て近くの喫茶店に入って(その間に下北沢「珉亭」でピンク色のチャーハンとラガービールで一息ついて)募る焦りをもてあましながら(若干の眠気を伴って)ノートパソコンと向き合っている。

ここまで数百文字を使って、何の役にも立たないことをダラダラと書いていることに気が滅入ってきているのだけれど、美容室で髪を切ってもらっている自分を振り返り、ピンとくるものがあった(書き出してみるものだ)。

それは美容室で髪を切ってもらっているときに「会話をするか」という問題だ。今回はそんなことについて書こうと思う。

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「君さ。いつかサービス精神に殺されると思うよ」
先日の飲み会で、いきなり友人から面と向かってこう宣言された。

その友人は出会ってから1年くらいの仲だ。そんな彼が、初対面のときの僕を思い出して「サービス精神に殺される」と思ったらしい。

聞けば、初対面の僕は関西人と間違えるほどのテンションの高さでよく喋り、とにかくノリが良かったそうだ。彼にとってはそれはそれで好印象だったらしいのだけど、仲良くなるにつれ、元来の僕の薄暗い性格が分かってきたらしく(ちなみに薄暗い性格の方も好きらしい。変わった友人だ)、あんな風に毎回振る舞っていたら疲れるだろう?と、そんな気遣いから「サービス精神に殺される」という発言に至ったというわけだ。

そこで前述の美容室の会話の話に戻るのだけど、僕は美容室であってもタクシーであっても、よっぽど私生活で嫌なことがあったり、くたくたに疲れていない限り自分から「話しかけて」しまうのだ。

それは断じて「ネアカ」で人と話しているのが好きだからという理由ではない。本来の僕は人の目を見て3秒と話せないくらいには人見知りする性格だ(たまに「どこ見てるの?」と言われる)。ではなぜ話しかけるかと言えば、よく言われる、「沈黙が耐えられない」というのもあるのだけれど、それ以上に相手の目を本来の「僕自身」から逸らせたいというのが本当の理由だ。

要は、自信がないのだ。だから相手が僕のことを「値踏みする」隙を与えないように、話しかけることでごまかしてる。ごまかすというよりは煙に巻こうとしているという方が正しいのかもしれない。

「誰もそんなにお前のことなんて見てないよ」という嘲笑が聞こえる。僕ももちろんそれは認識している。だがこればかりは防衛本能のようなもので致し方ない。

そんなことだから、髪を切ってもらいながらずっと雑誌を見たり、スマホを触っている人を美容室で見かけると「なんて強者なんだ…」と、憧憬を通り越して畏敬の念すら抱いてしまう。

今日は意を決して、髪を切ってもらいながら雑誌に目を通そうとしてみた。でもダメだった。全然頭に文字が入ってこない。間もなく美容師さんが「オリンピックのチケット予約しました?」なんて聞いてくるものだから、ここぞとばかりにオリンピックの話から、僕が高校の頃に青春を捧げた陸上部の話までお届けすることになってしまった。

雑誌は表紙を開いたところでずっと膝の上で鎮座していた(『ポパイ』最新号だった)。

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と、いわゆるコンプレックスにも近い弱みがあるわけなのだけど、最近はこんな自分の癖について「ま。それでもいっか」と受け入れられるようになってきた。いや、むしろ心地よくなってきたと言ってもいい。

何がそんな風に変えたのか。それは、そういう「サービス精神」が散々繰り返されてきたことで慣れてきたというのもあるし、単純にそういう場が楽しいものならいいじゃん、という楽観的なものもある。けど一番はこのコラムやブログやSNSなどを通じて言葉を届ける機会が増えてきたことにある。

人間は多面的だし、複層的だ。少なくとも僕はそう思っている。晴れの日もあれば雨の日もあるように、気持ちだって考え方だって振れ幅があって当たり前だし、その全体性こそが「僕自身」なのだと思っている。

僕は、言葉を届けられるようになってはじめて、天秤の釣り合いが取れるように「サービス精神」まみれの自分とバランスが取れるようになった。のだと思う。

そんなわけで、僕はこれからも会った時のサービス精神を怠らず、こうして言葉にして届けることも諦めずに、バランスをとっていくことにする。

そしていつかは、美容室で「すいません。もう少し前髪切ってくれませんか?」とバランスの悪い前髪に注文をつけられるようになりたい。

文・写真:Takapi

おいしい暮らし

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「あぁ。おいしい」

今年のGWは尾道を旅行していた。

今月のコラムは尾道の旅行について書こうと思い、パソコンを起ち上げ、書き始めようとしたところ、振り返って浮かんだ言葉が冒頭のそれだった。

それから旅行中何度言ったかわからない「おいしい」の記憶を辿っていくと楽しい気分になってきたので、今回は「おいしい」を追いかけることにしたい(なんだかもうお腹が空きそうだ)。

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今回の旅行の「おいしい」のファンファーレは、行きの新幹線が飾った。

午前11時前、静かに新幹線は東京駅を出発した。新幹線が動き出すのを乾杯の合図に見立ててプシュッと缶ビールを勢いよく開ける。そして即座にごくりと喉を鳴らす。そこで出てきたのがこの旅行で一回目の「おいしい」だった。新幹線が出発して1分、まだ品川駅にも着いていなかった。

実は「新幹線プシュッ」が僕は昔から大好きで、仕事の出張帰りの新幹線では必ずやるし(やらないとどうも気持ちよく帰宅できない)、旅行のときも必ずといっていいほどビールを飲むことにしている。

もちろんビールそのものが大好きなので、当然飲む度にいつも「おいしい」という言葉は出るのだけど、旅行の「行き」の新幹線の中で飲むビールが格別においしいと感じるのだ。さらに言わせてもらえば、新幹線の中で缶ビールを開ける「プシュッ」という音がすでに「おいしい」わけで、同じ車両に「プシュッ」とする人がいたなら駆けつけて乾杯したい気分になるほどだ。家で「プシュッ」としてもそんなに高揚しないのに、新幹線の中だととりわけ高揚してしまう。不思議だ。

午前中という時間帯から飲む背徳感からなのか(旅行の「行き」は大抵午前中だ)、旅する期待をビールが煽ってくれるからなのか、その辺はよくわからない。とにもかくにもこの旅の「おいしい」は新幹線から始まることとなった。

Processed with VSCO with u3 preset旅先では「地の物」を食べたい。そう思う人は多いのではないだろうか。僕の中で「地の物」はふたつある。ひとつは「ご当地料理」とも呼ばれる、その地域でとれた食材を使った料理であり、もうひとつは地元の人が愛着をもって食している「地元のご飯屋さん」である。

ご当地料理は旅通の友人に頼ればなんとかなる。しかし問題は後者である。こればかりは地元の人しかわからない。

そういう時は地元の人に聞くことにしている。今回宿泊した宿は、古民家をリノベーションした1日1組限定の宿で、そこに住んでいるご夫婦が運営していた。そのご夫婦に話を聞き、いくつかお店をピックアップしてもらった。

ピックアップしてもらったリストの中から、宿のご夫婦とも仲の良い方がひとりで切り盛りしているカレー屋さんに行くことにした。どうやらそのカレー屋さんは決まった休みの日があるわけではなく、いきなり休んだりすることもあるようで、宿の女将さんがわざわざ事前に連絡までしてくれた。

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そうしてカレー屋に行ったわけだけど、「○○という宿の女将さんに薦められてきました」というと「あぁ。聞いてます。ありがとうございます」と自然と会話ができて、もうその時点でだいぶ居心地がよくなっていた。

「カレー屋なんてね、ほんとにやめた方がいいですよ」といきなりぼやきだしたカレー屋の店主。カレーは仕込の時間がとにかく長いとは彼の弁で、1日のうち18時間厨房にいることもあるとのことだった。

そんなユニークな店主が作るカレーは絶品で、この旅行中の上位に入る「おいしい」を発することになった。遅い時間にお店に入ったこともあって、お店には僕ら一組しかおらず、カレーを食べながらも店主とずっと話すことができた。

元々尾道に住んでいてUターンしてきた過去、この場所でカレー屋を始めることにした理由、疲れると道後温泉に行くこと、とある雑誌のインタビューされたときの笑い話、尋常ではないモノのこだわりから大分のとある器作家と仲がよく、カレー屋にも関わらず器も大量に売っていること。

気付けば2時間強も話し込み、挙句にはお皿が入った紙袋をふたつぶら下げて宿に帰ることになった。

宿に帰れば、宿の女将さんが「さっき、カレー屋の店主から連絡があって、ほんとにいいお客さんだったって。彼、今日はぐっすり寝れるみたいよ(笑)」と教えてくれた。

とても気持ちのいい夜だった。今振り返ってもカレーの味が思い出せるほど(一口目が玉ねぎの甘さが飛び込み、徐々に辛味が顔を出す独特な味わい)で、また食べたい気持ちになっている。

とはいえ一皿のカレーだ。カレーそのものは東京でも食べれるし、美味しいカレー屋さんは山ほどある。でも今回の旅で行ったカレー屋さんは間違いなくそこでしか食べることのできないカレーで、とても「おいしい」カレーだった。

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もちろん「ご当地料理」も楽しんできたわけだが、せっかくの旅行なので少し贅沢な料理を堪能させてもらうことにした。

旅通の知人が薦めてくれた予約のなかなかとれないワインバルに、新進気鋭のシェフが監修したホテルのコースディナーをいただいた。その地でとれた食材を一流の料理家が振る舞う料理は「地の空気」も纏っているのか、東京の高級レストランでも再現できないような味わいで、口に含むごとにため息が出るほどおいしかった。

こんな風にいつもより少しお金を払って食を楽しむことはつまり、サーブに時間をかけてもらえるということでもある。それは単に料理をじっくり堪能できるというだけではなく、振る舞ってくれる人との会話を楽しめるということでもあって、そうやって話を聞くことで、舌と耳で料理を楽しめるから「おいしい」となるわけだ。

ついで言えばそんな特別な体験は、後日会った友人なんかに「あそこで食べた鯛のカルパッチョがね…!」などと「おいしい」表情をして自慢げに語ることで土産話してしても活きてくるから二度おいしかったりする。

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旅から帰ってきた翌日。旅の疲れからか、いつもより遅く起きた朝に頭にパッと浮かび無性に食べたくなったのが、地元の駅そばにある中華チェーン店の炒飯だった。

のろのろと起き上がり、普段着に着替えて中華店に行き「ラーメン・炒飯・餃子セット」を頼み、ジョッキビールでひとり乾杯し、ふぅと息をついてからレンゲですくった炒飯の一口目の塩っぱさにぎゅっと目を瞑り「あぁ。おいしい」と小さくつぶやいていた。

今しがた「少しお金を払ってでもいいものを」と言ったそばから翻すようだけど、こういう料理もたまらなく「おいしい」。食べ過ぎると身体に悪いと言われ注意されるこんな料理も、ほろ酔いの中でコンビニの灯りに吸い寄せられて買うハーゲンダッツも…「おいしい」はいつでも発言する自由を僕らに与えてくれている。

旅先のおいしい。
ふだんのおいしい。
特別なおいしい。
誰かと食べるおいしい。

「おいしい」という言葉のそばにたたずむ、ホッと安心する気持ちや、ワーッと高揚する気持ち、そんな気持ちで彩られる暮らしはたぶん、とても楽しい。

そんなわけで、「おいしい」の種類をたくさん持つことがすなわち「おいしい」思いをして暮らせるひとつのコツなのではないかと、僕なんかは思うのだ。

文・写真:Takapi

 

リセット

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4月1日。午前11時から始まった会社の会議の途中、突然隣の女性が「あっ」と小さく声を上げた。

「どうしました?」と声をかければ「元号発表、そろそろじゃない?」と焦った様子だ。そういえば、と会議室に集まった10人弱のメンバー全員が一斉にソワソワし出した。

気を利かせた上司が「みんなで新しい時代を見届けよっか」と一声かけ、会議室のモニターに映されたエクセルの資料はインターネット中継に切り替えられた。

元号発表が予定さていた11時半を10分ほど過ぎた頃、画面越しに官房長官は現れ、緊張し切った表情で新元号が書かれた額を掲げた。

令和。

一瞬会議室が静寂に包まれる。
回線が悪く音声が途絶えていたため、読み方が判断できずに上司が「れいわ?って読むのかな」と首を傾げる。慌ててTwitterで実況を追えば「れいわ」であることがわかり、みな一様に小さな声で「れいわ」と口にし出した。

その様子はまるで、新元号を自身の身体に取り込むための儀式のように見えた。

10秒ほどそうしていただろうか。
「なんか、かっこいいですねぇ。シュッとしてて」と口を開いたのは、先ほど元号の話を切り出した女性だ。それを聞いた周りのメンバーも「たしかに」「凛としてていい」などと口にした。

一通り盛り上がった後で、誰が促すわけでもなく小さく拍手が起こった。

そしてそのまま会議はお開きとなった。会議室を出るとき「なんにしてもめでたいなぁ。いいことが起きそうだな」と口にした上司の表情は、心なしか明るく嬉々としているように見えた。

僕はと言えば、みんなの輪に入り同じように高揚した気分でいながら、ひとつの言葉が頭に浮かんでいた。

リセット。

リセットという言葉には過去を断ち切り、未来への一歩を踏み出すような力強さがある。とはいえ、大学の卒業や転職といったような、環境が大きく変わるようなリセットと違い、元号が変わるからと言って僕らの暮らしが突如として変わるわけではない。

それでも今回のような「区切り」によって、自身がリセットされているような感覚になるばかりか、前向きな気持ちにすらなってくるから不思議だ。それは脳というよりむしろ遺伝子レベルで仕向けられているような気になってくる。

あの会議室の、皆が一様に高揚し「さぁ、私たちの新しいスタートだ」という明るい雰囲気を見れば余計にそう思えてしまう。

翻って今までの僕自身のリセットを振り返ってみると、卒業や転職などのタイミングでは、(大袈裟に言えば)それまでの人生の「振り返り」と「決意表明」をしていた。これまでどんなことを達成できて、何ができなかったか、そして僕はこの先の人生でどうしていきたいかなどと、口に出さずとも思案はしていたように思う。

しかしながら、今回のような「時代のリセット」には、テレビで大々的に「平成を振り返る」という番組が組まれ、否が応にも過去を顧みる機会はあれど、自身の人生に対して「振り返り」をしたかと言えば、首を横に振ることになる。

都合がいいなぁと思う。「振り返り」もしないままに、時代の区切りに合わせて自分の未来もひっくるめて手放しで期待している(僕を含めた)人の気持ちに都合のよさを感じる。

でもなんというか、今僕はそんな都合のよさに救いを感じている。こういう気持ちは悪くないな、愛でたいな、と素直に思っている。一昔前ならそんな風に思わなかったかもしれないけれど。

因みに、先の会議で中断したものは、業績の「振り返り」だった。

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4月はじめの週末の午前中、近所の公園には満開の桜を見に人が集まり、早いところではシートを敷いて酒を飲み交わし宴会が始まっていた。

賑やかな公園を横切っていたら、先日の会議室の元号中継のことを思い出した。そして続けてこう思った。

もしあのときひとりで元号発表を見ていたら、会議室で拍手が起こるくらい前向きな気持ちになれただろうか、と。

数秒逡巡して「なれなかっただろうな」とぼんやり思った。

気持ちは高揚しただろう。でもそこに、手放しの期待を込めた前向きさは持ち合わせられなかっただろうな、と。

そこではたと思い出した。

実はこのコラムの記念すべき一回目のタイトルは『区切ること』だった。その内容は、意識的に小さくとも自分の中で「区切り」を持つことが(サウナに行くとか、料理をするとか)、自分自身を少しずつアップデートしていくことにつながるのではないか、という話だった。それはつまり、自分の中の小さな「リセット」を繰り返すことと言い換えることもできる。

今挙げたようなひとりで行うリセットと、今回の元号のようにみんなで分け合うリセットの間には、大きく隔てるものがあった。いやむしろ、対極にあるものだということがわかった。

ひとりのリセットは内省を伴う「意志」であり、分け合うリセットは期待を伴う「祝祭」であるということだ。そしてひとりのリセットは過去と未来を結ぶ「線」になるが、分け合うリセットは、人と人を結ぶ「輪」になるということだ。

僕はこれまでずっとひとりでリセットをしていたように思う。分け合うリセットは、先日の会議室のように、今眼の前で繰り広げられている花見客のように、笑顔が溢れてあったかくて良いなぁと、僕もそんなリセットをしていきたいなぁと、はじめて強く思った。

さて、新しい季節だ。
季節の変わりも「リセット」とするならば、気の合う仲間を呼んで祝祭の宴でも開こうか。

文・写真:Takapi

 

 

 

 

ゴールを掲げる

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「君にとって、最終的に辿り着きたいゴールはなんだろう?」

最近知り合った人生の大先輩に仕事の悩みを聞いてもらったとき、僕の話を聞き終えた彼からそう問われた。

彼は続けて「君が今話してくれたことはたぶん間違ってないし、とても面白いと思う」と僕の考えに同意を示した後、「でもね」と少し間を開けてからこう言った。

「君が辿り着きたいゴールが明確になれば、それが周りの人から見たら“目印”になって、たぶん一気にコトが動き出すと思うよ」

辿り着きたいゴール?
目印になる?

僕は彼の問いにうまく答えられず、曖昧に「うーん、ゴール、あった方が良いんですかねぇ」と返事をしていた。

僕の返事に彼は小さく笑い、「ゴール、言葉にできるといいね」と言って席を立った。

事務所に戻り、打ち合わせをしている最中も彼の言葉が頭から離れなかった。

正直に言えば、目の前で「君のゴールはどこだ?」と突きつけられた時、僕の鼓動は早くなり胸が騒ぎ、少し慌てさえした。

それはおそらく「ゴール」という言葉に対するアレルギー反応に近い感情だ。

では一体何が僕の琴線に触れたのか。その正体が分からずにモヤモヤとしていた。

僕にとってのゴール、誰かにとっての目印。

30代も半ばになり、無邪気に「将来、こういう人になりたい」などとは言えなくなった。そして言わないまま過ごしていたら辿り着きたいゴールが眼前から消えていた。

その代わりに視界は前より横や後ろに向くようになった。気付けば周りの人にとってのゴールを後押しすることを自分の喜びとして感じるようになっていた。

それが心地良いし、大袈裟に言えば幸せだとも思っている。

彼の言葉に僕が慌てたのは、今のこの気持ちが「嘘だ」ということではない。

モヤモヤの正体に辿り着くために記憶を戻すことする。僕がまだ青臭くゴールを目印にして走っていた頃に。

過去を振り返り導き出された答えは、ゴールに対する怯えであり、そして、光だった。

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僕は高校生の頃は陸上部で、短距離を専門種目としていた。

高校2年の夏まではいたって平凡な選手だった。

それでも秋口くらいから徐々に成績が伸びてきて、東京都のトップ選手の仲間入りができる一歩手前まできていた。

あのトップ選手の中に入りたい。
そうハッキリと思うようになった。

そして高校2年の冬、ふたつの目標を掲げた。

ひとつは100Mで10秒台を出すこと。
もうひとつは関東大会に出場すること。

陸上をやっていた人ならわかると思うが、多くの陸上選手にとって100M走で10秒台を出すというのはひとつのステータスであり、憧れの境地でもある。

関東大会というのは東京都大会で6位までに入賞した人間だけが出場できる大会であり、これも多くの陸上競技者にとってひとつの目標の場所でもある(その次には全国大会、つまりインターハイがある)。

僕はその目標を公言することにした。チームメンバー、監督に宣言した。それから「100M10秒台!関東大会出場!」とテーピングにマジックで書いて自宅の机の上に貼り付けもした。

そんな風に僕が目標を掲げたことで、周りのチームメンバーも次々と目標を口にし始めた。

目標を公言したチームメンバーは、今まで以上に練習に打ち込むようになった。不思議なのだけれど、練習に打ち込むほど彼らは活き活きと楽しそうに見えた。何より声を掛け合う機会が増えた。そしてお互いの練習を手伝ったり、アドバイスをし合うようにもなっていた。

同じチームとは言え、大会に出れるのは選抜された数名で、隣で走るメンバーは仲間でありながらライバルでもある。それにも関わらず、互いを高め合う気運が外から見てもわかった。チーム全体が確実に「強く」なっていくのを肌で感じていた。

僕にとってはそれが楽しかった。

その後の詳しい流れは省くが、結果として僕は高校3年生の初夏に、掲げた目標をふたつとも達成することができた。

もちろん嬉しかった。ただ飛び跳ねるほど喜んだかと言ったら「ノー」で、むしろ安堵の気持ちの方が強く、さらに言えば焦りに似たような感覚でもあった。

まだ速くなれるかもしれない、もっと上の世界を見てみたいと思っていた。

もっと上の世界へ。そう思った僕はただただ練習を追い込んだ。到達したい目の前の「ゴール」は掲げず、ただ「上を」の一心で遮二無二練習を繰り返し、そして、怪我をした。

そこで僕の熱は一気に冷めてしまった。そしてその数日後には引退することを決心していた。

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以前勤めていた出版社では、プロデューサーとしてひとつWebメディアを立ち上げた。

ゼロからの立ち上げだ。当然ながら僕も周りもまずはどういう状態になったら「成功」と呼べるかを決めることにした。

さまざまな調査を経てたどり着いたゴールは「月間100万人が訪れるメディアに育てる」というものだった。そこまでいけば一旦成功と呼んでもいいのではないか、ということになったのだ。

そしてメンバー全員にその目標を伝え、そのゴールに向けてメンバー自身の判断で動くように指示をした。僕に対しては事後報告だけでいい、そう伝えた。

それぞれの役割があるとは言え、仕事は横の連携が多い。彼らはメンバー間で自主的に情報交換を行う会を開き、スピード感を持って企画に落としては実行に移していった。

僕がやったことといえば、外に出かけ、新しい知見や新しいつながりをメンバーに提供した程度で、彼らのアイデアや企画の後押しをしたに過ぎない。

メディア公開から足掛け3年、ようやく達成した時の気持ちは、100Mで10秒台を出したの時と同じように「安堵」だった。

ひとまずクリアした目標だけれど、思いの外「手応え」を感じられなかった。恥ずかしいのだけれどそこから欲が出てきてしまった。メンバーに向き合うことより外に出ることを優先し、「将来はこんなことをしたい」「これからのメディアはこうすべきだ」などと口角泡を飛ばして語り始めてしまった。

結果としてメンバーたちを混乱させてしまった。目指すべき指針がわからなくなってしまったのだ。さらには、僕の話に首を傾げる人に「話がわからない」と詰り傷つけてしまった。

そして、だんだんと人が離れていった。

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ここまで振り返ってみてわかるのは、ゴールはどこまで行っても「通過点」だということだ。掲げたゴールに到達したとしても、新しいゴールが霞むように現れては僕らを惑わしてくる。

ゴールは、達成した瞬間に「次」を見失わせ、自身を追い込み、まわりを巻き込み、自分も仲間も損なうという負のスパイラルを生む魔物だ。

人生の先輩に「君にとってのゴールとは?」と問われた時のモヤモヤの正体は、そんな魔物に対する「怯え」だったのだ。

それでも。

ゴールに到達するもっと手前、時に遠のき、時に近づくゴールにひるみながらも走り続けていた「道のり」に目を凝らせば、そこには春の陽射しのようにあたたかい光が見える。

その光の中には、目標を分かち合い、共に走っている人たちと切磋琢磨しながら笑っている僕の姿が見える。

「ああ」とやっと気付いた。
ゴールは魔物ではなかった。
ゴールに翻弄された僕自身が魔物だった。

なんでこんな単純なことに気付けなかったのだろう。

今ならハッキリと言える。

僕には「ゴール」が必要だ。
もっと正確に言えば、僕が掲げたゴールを目印に「人が集まる」あたたかさが必要だ。

これから時間をかけて「ゴール」を探すことにしよう。そして探し当てることができたなら、近い人に、遠い人に話しにいこう。

その先には春のようなあたたかい光が待っているから。

文・写真/Takapi